俳句結社『青草』 第3号 2018年春季号


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   青草往来                   草深昌子


 厚木市生涯学習の「俳句入門講座」を担当して以来、足掛け十年の歳月が流れました。
 ある年、〈夏座敷大きな闇の中にあり 虹子〉という句に出会って驚かされました。
 このたび、虹子さんの「巻頭に寄せて」を読んで、その時の共鳴が昨日のことのように思い出されます。
 まさに大きな闇の中で、子供なりに物を感じる心を培っておられたということでしょう。
 その心はすでに宇宙の自然の中にどっぷり浸かっておられたのでした。
 作者自身もそれと知らずに詠いあげてはじめて、嘘偽りのない私が出ていることにはっとされたに違いありません。

私の初学の先生が、「俳句は根生いを一生引きずりますね」とつぶやかれたことをよく覚えています。

生まれ育ったところを離れても、いつしか懐かしい地に還っていくような温もり、天性の包み隠せぬことを、自身の俳句か  

らも実感するようになってきました。


「去来抄」に、「句においては、身上を出づべからず」という言葉があります。

つまり、俳句においては身の上を偽ってはならない、あくまで自分の本当のこと、自分の体験に基づくべきだというので 

す。まこと、真実ほど強いものはありません。


「青草」の俳句は、初めて俳句を作る喜びに端を発したものです。

これからも飾らない私、子供のこころを持った私の句でありたいと願っています。

そうは言っても、ありのままに詠うということは、至難の業です。

日々呻吟するばかりですが、ある時ふと、どこからか言葉が下りてきてピタッと決まることがあります。

無心になったとき、大自然から言葉を賜るのです。

そんな幸せの瞬間は誰にでもやってきます、ただただ一心に作り続けるほかありません。

その苦労こそが、俳句の醍醐味ではないでしょうか。



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  青山抄(3)          草深昌子


   秋風や長寿まんぢゆう二た色に  


   紅葉して仏の貌の我のやう


   錠前に錆をつくしてつづれさせ   


   墓打つて弾んで苔に木の実落つ  


   主亡き襖の桜模様かな


   めいめいのことして一家爽やかに


   今朝冬の水無川の水綺麗


   神発ちて吊橋高くなほ長く


   引つ掛かるところかまはず木の葉かな


   雨を来て石鼎庵の白障子


   ここに柚子向かうに蜜柑人の庭


   町を行くやうに墓地行く冬うらら


   一茶忌のもの食ふ列につきにけり


   踏みごたへあるは櫟の落葉かな


   マスクしてかしこさうまたやさしさう


   冬麗の女は背中見せにけり


   栓抜いて木の葉時雨にビールかな


   大山の晴れてマントの黒きこと


   はっきりと見えて遠くに山眠る


   晴れがましすぎはしないか干蒲団



(「青草」第3号・発行2018年2月10日 所収)










# by masakokusa | 2018-03-30 14:30 | 俳句結社『青草』 | Comments(0)
原石鼎俳句鑑賞・平成30年2月                 草深昌子

    

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       苦吟    
 

そぞろ出て日永に顔をさらしけり     原石鼎(大正3年)


一年で一番日が永いのは夏至の頃であるが、実際の暮しの中では二月も末頃から日が永くなったことを感じる。

春分が過ぎると、のんびりした気分もピークとなっていよいよ日永を実感するものである。

さて、石鼎はその日永を、ただちょっと外へ出てみたまでのこととして詠いあげた。

「そぞろ出て」という間の取り方の巧さ。

日永がまるで顔に触れて感じるもののように、ほおーっと息をつかせて、気分を一新させている。


「日永」と言えば、


  永き日のにはとり柵を越えにけり   芝不器男


不器男の名吟が浮かび上がってくる。

大正15年、不器男23歳の作品である。


思えば、鶏がふいに柵を越えたのと、石鼎がふと外の空気に触れに出たのと、その感覚は同じではないだろうか。

不器男の作品では、鶏が柵を越えるときの滞空時間のようなものがスローモーションに見えてくる。

そして、その後には駘蕩たる時空があるばかりというものであるが、石鼎もまた、そぞろ出たあとは、じっと立ち尽くすことによって、時空そのものを表出しているのである。

表現はまるで違うように見えて、天性の才ある人の日永の感受の仕方はほとんど似ている。

日永の空気を一瞬打ち破ることにおいて、いっそう日永の倦怠感を感じさせるというものであろう。

石鼎は28歳、「苦吟」の前書きをもって一句の味付けをいささか渋くしている。


同じ大正3年に、もう一句。


    独身

  日永さに春菊摘まんなど思ふ      大正3


これも「独身」の前書きが絶妙に効いている。

日永さをやや持て余すものながら、その情感はむしろ瑞々しい。

前書きのおかげで「春菊」がいよいよ新鮮、色彩に一つロマンが加わったようである。

春菊を摘んだと言わずして、「摘まんなど思ふ」と言われると、作者の気分がそのまま読者に乗り移ってくる。

さらに、摘まんかと思う、でなく「など思ふ」というあたりも心憎いばかりである。


ちなみに、

大正3年は、高濱虚子がホトトギス誌上に「大正2年の俳句界に二の新人を得たり、曰く普羅、曰く石鼎」と記した年である。


 花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月   大正2

   淋しさにまた銅鑼打つや鹿火屋守     〃

   蔓踏んで一山の露動きけり        〃

   筑紫路はあれちのぎくに野分かな     〃

   磯鷲はかならず巌にとまりけり      〃


大正2年の石鼎は、吉野の村人の期待に応え、熊本医学専門学校へ編入せんとしたが、俳句を止めなければ学資は出せぬと父に拒絶され、ついに医学を断念、放浪生活に入っている。


境涯を知れば、「苦吟」、「独身」というやるせなき心情を、「日永」という季題に仮託したものと言えるかもしれない。

だが、はじめに鑑賞してきたように、境涯を被せない方が、純粋に日永の情が感じられて好ましい。

むしろ、前書きは無くもがなであったかもしれない。


何れにせよ、石鼎の生涯のうち、「日永」を詠ったのは、この年のこの2句のみである。




# by masakokusa | 2018-03-29 11:39 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
「青草」・「カルチャー」選後に・平成30年2月       草深昌子選

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    頼朝の逃れし山の野梅かな     森田ちとせ


 野梅は、野の梅であるが、先づは野性の「野」という文字の印象からして、自然そのものの逞しさを感じるであろう。

ましてや、征夷大将軍たる源頼朝がかつて敵に追われて逃げ込んだところの野梅とあれば、その色は真っ白、香気も一段と強いものに違いない。

 伊豆の山であろうか、さりげなく伝説の地を打ち出して、古木の梅の生命力を存分に感じさせるものになっている。




    サーフアーの和布絡めて上りくる     佐藤健成


「和布」の兼題で、サーフアーに目を向けられたことは、まこと現代的である。

サーフアーが波から上がってみれば、ウエットスーツというのであろうか、あの黒々としたゴム製のものに、ペタッと数条の和布が貼り付いていたというのである。

これぞ和布というものを生々しく見せている。

 荒波に揉まれるのは、和布のみならず人間もろともであるところが出色。




雀の子霰のやうに草に降り     田野草子


〈雀の子そこのけそこのけ御馬が通る  一茶〉でおなじみの雀の子。

掲句の子雀も、御馬ならぬ車に驚いて飛び立ったものの、すぐに草の上にぱらぱらと霰でも降りかかるように着地したのであろう。

 一茶と同じように草子さんも又、雀に愛情をもって、じっと観察を続けるという姿勢あってこその一句である。

嘴が黄色くて、愛らしい子雀は、「霰」という透明感あるものに比喩されて、いっそう生き生きとしている。




跪きストーブ点す余寒かな     菊竹典祥


 極寒の冬にストーブは必需品、終日点けっぱなしであって、これにいちいち神経を使うこともない。

だが、立春も過ぎ、あたたかい日があるかと思えば、寒気のぶり返し、そういう寒暖の定まらぬ日々となると、ストーブも点けたり消したり、かなり面倒になってくるものである。

そこで、「跪きストーブ点す」という所作は、「余寒」という季節のありようをあますなく伝えてくれる。

ちょっと臀をあげて両膝を地に付けてかがまるという動作は、まるで天地に屈服しつつ、どうか早く暖かくなってくださいという祈りの姿のようでもある。




背負ひ来し三陸和布父の苞     末澤みわ


三陸の和布は、肉厚でシャリシャリで栄養満点とか。

かつて作者の父上は、郷里からこの美味なる和布をリュックに背負ってやってきてくれたというのであろう。

「背負ひ来し」という無造作にして計らいのない措辞が、三陸和布をつやつやに光らせて、和布と共に父親の情愛をもひそかに感じさせる。

「父の苞」という下五の置き方も落ち着いている。


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雪かぶり富士にまろみのつきにけり     平野翠


 雪をたっぷり被った富士山を「まろみのつきにけり」と言い切った。

富士山は初冠雪以来ずっと雪を着けてはいるのだが、一月か二月にさらに雪が降っていよいよなめらかに輝いたのであろう。

惚れ惚れと眺め入っている作者が思われるが、読者も又美しい雪富士を思い浮かべて、ついにっこりしてしまう。

見た通りに詠うということは、「私としての物の見方」と矛盾しないものである。




拝礼のピアスの揺れや春隣     伊藤波


単にピアスが揺れただけでは、「春隣」が予定調和に感じられるであろう、だが掲句は、「拝礼」のピアスであることによって嫌味なく納得させられる。

妙齢の女性が神さまの前に立った、そして頭を深く下げられたのだろう、その時にきらっとピアスが揺れた。

春を待ちのぞむ強い気持ちが、敬虔なる小さな光をキャッチしたのである。




春遠し灯油五缶を買ひにけり     鈴木一父


「春遠し」は遅々として春が来ないということである。

だから「灯油を買った」だけなら、常識的な因果関係があっておもしろくない。

だが、「灯油五缶」である。

そうか5缶か、また雪でも降りそうな気配があるのであろうか。

正直に五缶と言い切ったことで、文字通り重厚になった。

山里の暮しは、「春遠し」と言いつつ、春待つ心を日に日に強くしてゆくのである。




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   浚渫の川濁りたる二月かな     石堂光子


 「池普請」、「川普請」という冬の季題があるように、冬の渇水期に泥を掘り上げて池や川やきれいにすることが多い。

 掲句の川は、それほど大掛かりなものでなく、水底の土砂やごみを浚って、鯉などを驚かせたものであろうか。

春寒料峭の二月のさまを、浚渫の濁りの中に感じ取っているのである。




すぐそこに鳴門の渦や和布干す     石原由起子


 鳴門海峡の潮流は大渦巻となって壮観そのものである。そんな地の和布干しもまた盛んなるものであろう。

「鳴門の渦」、ただそれだけを詠いあげて、かの名高い鳴門和布が潮の香りとともに彷彿と浮かび上がってくる。

俳句はシンプルが一番である。



    春めきて仮名の由来を習ひけり       小川文水

    早春の波間に跳ねて鯨かな         藤田若婆

    水底に起伏ありけり蜷の道         瓜田国彦

    和布干す浜のそこだけ日の射して      柴田博祥

    行商の婆つぱ両手に新和布         中園子

    臘梅の開ききらぬを啄ばめり        山森小径


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     洗車してワックスかけて寒明くる    中澤翔風

    信号でぴたり止まるや春の猫      石本りょうこ

    浜風の抜けゆく路地の和布かな     川井さとみ

    梅日和三つこんもりもぐらもち     古舘千世

    春の土突つき飛ばすは何鳥か      潮雪乃

    冬満月赤銅色に染まりけり       熊倉和茶

    春泥や長靴で立つ白馬駅        中原マー坊

    ストールを頬被りして春の雨      長谷川美知江

    つんつんと鳴ける雀や梅の花      間草蛙

    雪解や山の凸凹ありありと       田渕ゆり

    杖置いて両手を高く春うらら      関野瑛子

    のつそりと動く真鯉や春立ちぬ     藤田トミ

    阿夫利嶺の姿隠るる春時雨       狗飼乾恵

    鳶職の梯子高きに梅ひらく       二村結季



# by masakokusa | 2018-03-28 22:32 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
昌子作品の論評・平田雄公子

『松の花』平成303月号

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 現代俳句管見 

総合俳誌より   平田雄公子



   団栗の袴脱いだり脱がなんだり    草深昌子(青草・晨)



 団栗の種類にもよるが、同種であっても「袴」の着き具合は違うもの。

 可愛さは、変わらないものの。


# by masakokusa | 2018-03-05 17:58 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
昌子365日(自平成30年2月1日~至2月28日)
       2月28日(水)       煎餅屋蕎麦屋魚屋冴返る

       2月27日(火)       路地抜けて路地につまるや梅日和

       2月26日(月)       芽ぐむとも蕾むともなくみどり色

       2月25日(日)       料峭のあけぼの杉の林かな
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      2月24日(土)       海原の今は通りの鳥の恋

      2月23日(金)       川幅に舟の幅行く鳥雲に

      2月22日(木)       駄菓子屋の瓶の口開く春燈下

      2月21日(水)       棒切れをもつて幹打つ余寒かな

      2月20日(火)       酒蔵の匂ひしてゐる竹の秋

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       2月19日(月)      松林に日のあまねかり南国忌

       2月18日(日)      白雲の行き行く春の酒匂川(さかわがは)

       2月17日(土)      春めける風のひと渦巻きにけり

       2月16日(金)      山高く川細くあり涅槃西風

       2月15日(木)      総会の拍手いくたび梅ひらく

           
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       2月14日(水)      みづうみのどこもさざなみ冴返る

       2月13日(火)      乳牛の眼と会ふ春の寒さかな

       2月12日(月)      石に乗り岩に廻りて水温む
 
       2月11日(日)      下萌に寝かせて長き熊手かな

       2月10日(土)      降り出して小糠雨とも春の雪
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       2月9日(金)      蕗味噌にたてがみ遠く見てゐたり

       2月8日(木)      仰ぎ見て鳶美しき雪間かな

       2月7日(水)      二人子を遊ばせてゐる芹の水

       2月6日(火)      御僧にさしかく春の時雨傘

       2月5日(月)      立春の居間は二階でありにけり
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       2月4日(日)      豆撒のさすが左腕の投手かな

       2月3日(土)      蕭条のきはみの豆を囃しけり

       2月2日(金)      往き来して雪の廊下やただ一人

       2月1日(木)      額(ぬか)に指あててそのまま雪の夜

# by masakokusa | 2018-03-03 23:59 | 昌子365日 | Comments(0)
受贈書誌より感銘句(平成30年2月)                  草深昌子

貴重な御書誌をご恵贈賜り有難うございました。


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「星雲」201831

   冬晴や天へ放水檻の象     鳥井保和

   生きてゐる今が幸せ福寿草   竹内正與



「秋草」20183月号

   枝折つて年のはじめの音とする     山口昭男

   襖絵は青海原や初時雨         横内正人



「玉梓」平成30年3・4月号

   狐面つけて年越詣の子        名村早智子

   風少し容れてマフラー巻きなほす   横井澄子



「獅林」20183月号№966

   一病に弄ばれて春寒し      的場秀恭

   初夢の乗換駅にひとり佇つ    あめ・みちを


「雲取」№246 20183月号

   白猫を丸く描きし初暦         鈴木太郎

   返り花紅し五葉の松の下        下條杜志子

   国を出ずこの地球(ほし)を出ず初笑  鈴木多江子


「八千草」季刊俳句誌 平成30年如月

   昨日より尖る阿夫利嶺人恋し      山元志津香

   数式のするする解けそう夜の秋     横山博行


「都市」都市10周年記念号 平成302

   一振りの太刀を受け取り舞始め   中西夕紀

   幼くて肩そびやかす寒烏      中西夕紀

   風花や旧街道は石敷かれ      中西夕紀

   馬鈴薯の花や下校の子は歌ひ    三森 梢

   小春日や分岐点ある切通      岩原真咲


「詩あきんど」HAIKAI其角研究 第30号 平成302月号

   何もなく夫婦なりけりお元日     二上貴夫

   爾今なしと思へばけふの秋の富士   竹村半掃



句集『かはほり』橋本石火 文學の森 平成25年4月


    伸びるだけ伸びて糸瓜の曲りをり

    帰省子のすぐゐなくなる畳かな

    尼寺に遊ぶ子のゐて梅もどき

    学業をおろそかにして着ぶくれて

    かはほりのゆふべあやしきわらべ唄


句集『蛍川』加山紀夫  角川書店 平成30年1月刊行


   走る子の桜の中に浮いてをり

   松手入海に日陰のなかりけり

   蛍川昼は山鳩鳴いてをり

   電線に雪の積もれり裕明忌

   縄掛けて荒ぶる神へ新豆腐




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「松の花」平成302月号

   枯芝をまつすぐに来る傘ひとつ    松尾隆信

   大潮に遠のく烏帽子冬隣       横山節子


「里」二千十八年2月号№179

   夕日にはまだ白けれど冬の暮   島田牙城

   元日の暮るるを言へり齢人    中村与謝男

   

「阿夫利嶺」平成302月号№251

   黒檀に置く冬の壺誕生日      山本つぼみ

   風花や誰を待つともなく昏れぬ   小沢真弓


「俳句饗宴」2018・2(第756号)

   竹伐つて竹割つて扨て年用意   鈴木八洲彦

   やあと友寄り来手袋脱ぎながら  末永隆雄


『岸本尚毅集』自註現代俳句シリーズ・1227 


   金網に吹きつけらるる野菊かな  句集『鶏頭』

   手をつけて海のつめたき桜かな  句集『舜』


   淋しさはわが子と遊ぶ春の暮   句集『健啖』

   健啖のせつなき子規の忌なりけり  〃

   また一つ風の中より除夜の鐘    〃


   雨だれの向うは雨や蟻地獄    句集『感謝』

   ゆるやかに光陰夏を離れけり     〃

   ある年の子規忌の雨に虚子の立つ   〃

   さういへば吉良の茶会の日なりけり  〃


   眼のまはり鱗大きく穴惑     句集『小』

   蟻楽し蟻の頭を蟻が踏み       〃

   熱燗の愛嬌はあり風情なく      〃

      愛嬌はあるが風情はない。風情はないが愛嬌はある。

      そんな店。そんな人。そんなひととき。 


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『武藤紀子』シリーズ自句自解Ⅱベスト100


   山かけて赤松つづく円座かな   句集『円座』

   住吉の松の下こそ涼しけれ    句集『朱夏』

   完璧な椿生きてゐてよかつた   句集『百千鳥』

   富士山の雪の色して志      句集『冬干潟』

   梛の葉に来てしばらくを冬の蠅     〃

   たましひをしづかに濡らす緑雨かな   〃

   またも来むあふちの花の咲く頃に    〃

      第四句集『冬干潟』の最後に置いた句。この句集ではさまざまな俳句の作り方に挑戦してきたが、

      やはり私は吟行で写生して句を作るんだなあとしみじみ思った句。



「晶」季刊俳句同人誌№2
   枯野原単線列車眠くなり               長嶺千晶
   きちきちを隠せる草のやはらかき     嶋澤眞理


「朴の花」第102

   これよりは鳥獣保護区鳥兜      長島衣伊子

   地下鉄に乗り込んでくる大熊手    矢島康吉


「秋草」20182月号

   昼どきの土間のしめりや石蕗の花     山口昭男

   削られしモツアレラチーズ冬の鳥     常原 拓


「らん」№80 らん創刊80号記念

   『らん』は「蘭」「乱」「嵐」なり楽しまん     鳴戸奈菜

   立ち話をんなはマスク外さずに           嵯峨根鈴子


「獅林」20182月号№965

   路ゆづり合うて躓く花野かな     的場秀恭

   お後がよろしいやうです二月尽    岩佐世紀子


「雲取」20182月号№245

   ともづなを曳けよ掲げよ初山河       鈴木太郎

   万灯の湧いて上つて本門寺         下條杜志子


# by masakokusa | 2018-03-03 23:33 | 受贈書誌より | Comments(0)
『青草』・『カルチャー』選後に・平成30年1月       草深昌子選

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   宝船漕ぎ出す古希の櫂をもて    神崎ひで子


 室町時代ごろから、初夢に良き夢を見んとして、宝船の図を敷いて寝る風習があった。この宝船の図には、


なかきよのとをのねふりのみなめさめなみのりふねのをとのよきかな

(永き世の遠の眠りのみな目覚め波乗り船の音の良きかな)


という回文歌が添えられている。

私も昨年、京都は下賀茂神社の本家本元の「宝船」を送っていただいた。

そこには七福神はもとより金銀、珊瑚、宝石、米俵など、見るからに目出度いものが山積されていて、嬉しかったことを覚えているが、果たして夢はどうであったのか、ぼんやりしている。

ひで子さんは、ぼんやりなんぞしていない。宝船を枕に敷いて、心は颯爽と前途ある大海原へ漕ぎ出されたのである。

 「コギダス」「コキ」の、「コ」の畳みかけが櫂のリズムとなって心地よい。

まことに輝かしい本年のスタートである。



 

   去年よりは少し賢く読始      田野草子


新年に入って、初めて書物を読むことが読初(よみぞめ)、読始(よみはじめ)である。

草子さんもまた、なんと素晴らしい今年を歩み始められたことであろうか。

この句を読むと、一読にして、我もまた少し賢くなったような元気がもらえるではないか。

きっと少々難しい書物であろう。いや平明にして奥深いものと言った方がいいかもしれない。あるいは手元にある愛読書を改めて読始に選ばれたものかもしれない。

いずれにしても、去年までは、なかなかすんなり読めなかったものが、何と今年は心から頷かされるものになっているではないか。

本を読んで「わかる」ということほど嬉しいことはない、間違いなく自身の糧となっていることを感じ入るのである。

「賢く」という何気なくも、少しあらたまった言い方が、文字通り賢明である。




若水を供へなんども頭下げ      市川わこ


「若水」という兼題が出された時、私を含め大方の人は、難しい季語だと気構えた。聞き慣れない言葉に加え、神聖なる新年の水ということを考えると、イメージは特別なものに飛んでいくのである。

ところが、わこさんは何とも素直に身近なものとして、難なく若水を詠いあげた。

元旦に汲んで、心新しく神仏に供えた水であろう。

庶民のささやかな感謝と願い事の数々、まさに神仏に何度も頭を下げられたのであろう。

若水に対する、心の引きしまりは十二分に伝わってくる。



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元日のひろき額の顔洗ふ      坂田金太郎


何十年付き合ってきた我が顔のことは、若い時はともかく齢を積みかさねるほどにいちいち考えもしないのではないだろうか。

だが元旦の洗顔ばかりはちょっと厳粛である。ざぶざぶと濯ぎながらもわが額の広さをしみじみと慈しまれたのであろう。

新年の自覚というものが「ひろき額」にきれいさっぱりと出ていて、読者もまた清々しさをいただけるものである。

女性の美しい富士額でもあるかのようなめでたさも想像されたのであるが、何と男性。

作者にうかがえば、禿げあがってしまって額が広くなったのだという。

とんだ種明かしは聞かない方がよかった、と言いつつ、初笑をしたのであった。




   横浜港汽笛一声去年今年      東小薗まさ一


全てを漢字でもって仕上げた一句は見るほどに手堅い。

作者は故意に漢字を並べようとしたのではないだろう、韻律もスムーズであって、思わずこうなったというような一句である。

横浜港では大晦日の夜24時、除夜の鐘ならぬ汽笛が新年を迎えるお祝いとして鳴り渡るそうである。

まさに、時去り時来たるとう意味合いが、汽笛の音量となって響いてくる。

「去年今年」という新年の季語の置き方は出来るようで出来ない、素直な実感が効いている。



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悴める手に息かけて赤提灯       松尾まつを

 

 寒さに凍えそうなそのとき、行きずりの街角に、赤提灯を見つけたら、ふっと吸い寄せられてしまうのではないだろうか。

 男社会では、赤提灯はすでに居酒屋を指すのであろうが、男女を問わず一句が身に染み入るようにわかるのは、「赤提灯」という具体的なものの置き方が絶妙だからである。

色彩の赤もよければ、提灯の明かりも納得させられるのである。

「手に息かけて」からは、一呼吸おいて、ふと綻びた作者のまなざしまでもがうかがえる。




 病癒ゆるごとく日脚伸びにけり     森田ちとせ


 冬至が過ぎると畳の目の一つ一つほどに日が長くなることを実感する。

いや実感というよりは、「日脚伸ぶ」と言ったときに、自然界のささやかな春の兆しを見つけることで、厳寒の時期を精神的に凌いでいるのかもしれない。

 そんな「日脚伸ぶ」という季題に、この句はまた新しい境地を見せてくれた。

穏やかでありながら、「本当にそうだな」と思わせる表現の強さがある。

 作者がちとせさんと知れば、厄介な病気を抱え込んでいた作者自身のひそかにもじんわりとした感慨に違いない。




 病棟の渡り廊下や日脚伸ぶ      小幡月子


 渡り廊下は旅館などで見かける新館と旧館をつなぐ廊下であったり、本館から湯屋に渡されたものであったり、俳句にはよく使われる措辞ではあるが、この渡り廊下は病棟から病棟へ掛けられたものである、そこに先づ意外性がある。

この句からも、ふとしたあたたかさが、作者にとって救いのように感じられたのであろうことが、明るい日射しそのままに伝わってくる。

これが本当の「日脚伸ぶ」だなと、思わせるものがある。




能登鰈手袋の手で炙りけり      柴田博祥


 寒さをものともせず防寒着を着込んでの魚釣であろう。

能登という固有名詞がいかにも寒げで、いかにも美しい、それゆえに鰈もまた一段と弾けるような新鮮さを見せてくれる。

手ごたえ十分に釣りあげた鰈は、手袋の手のまま火にあぶって、ワンカップでも飲まれるのであろうか。

「手袋」の手の触感が喜びの臨場感さながらに伝わってくる。



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能登の女あかぎれなんかなんのその    熊倉和茶


能登鰈の能登もいいが、この句の能登もまた一句を大きく深く広げている。

旅をされた感想であろうが、旅人を越えてまるで常住の思いのように受け止めた、

能登の女性の心映えが「なんのその」という大胆なる措辞にきっぱりと出ている。

皸が少しも痛々しくなく、能登の女の勲章のようではないか。

作者自身にも能登の女性に通じる気概がなければこうは詠えないものである。




初手水赤子の小さき拳かな     大本華女


 初手水は元日の朝汲み上げられた若水で、その年初めての手水を使い、手や顔を洗うことを言う。

 この句はもちろん水道の水であろう、それでも立派な初手水である。

 赤ん坊の瑞々しさが、初手水に呼応しているのはもとより、赤ん坊がぎゅっと握り拳を見せているのが何より目出度いのである。


 

   若水に淹れて茶柱立ちにけり     小川文水

   若水に八十路の顔を映しけり     藤田若婆

   悴みて洗顔の水手より漏れ      米林ひろ

   選評は席を移して初句会       佐藤健成

   子等去りて正午の鐘の冴ゆること   末澤みわ

   人日や紅茶に落とすウイスキー    山森小径

   一人居て宝の如き寒満月       中野はつ江


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   悴むや花の蕾のやはらかな      鈴木一父

   河豚刺を青磁の皿に掬ひけり     二村結季

   初鏡横皴深くありにけり       中澤翔風

   変身の魔法かけたや初鏡       芳賀秀弥

   湧き出づる若水つとに泡となる    河野きなこ

   けふもまた光る星あり冬の朝     藤田トミ

   画像追ふ医師の背中や春浅し     関野瑛子


# by masakokusa | 2018-03-03 22:04 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
『里』(島田牙城主宰)二千十八年2月号より・俳句鑑賞

あふみのしづくしらたましらずしてしたがふこひはいまこそまされ  万葉集巻第十一 柿本朝臣人麻呂之歌集出

近江に降りた真珠たち     中村与謝男


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大雨の宿りを室の花のもと     草深昌子 句集『金剛』



 室の花の室(むろ)はガラス張りの、或いはビニールハウスの様な温室のこと。こうした温室育ちの花が室の花。

 今は温室の設備や技術が発達し、季節に関係なく様々な花が出回るから、この場合は蘭などとも取れるが、そうではあるまい。

 作者は伝統派の方だから、この花は既に蕾をつけた草木を炉火を設えた室内に持ち込んで、開花を早めさせた花。

 伝統を意識して梅と考える。

 雨宿りさせてもらった廈(いえ)で炉火近くへと勧められ、梅を見たのだろう。

 座五の「もと」は、そのすぐそばの意だから、花の香もしているに違いない。

 冬の大雨に濡れた身に炉火はあたたかく、尚も降り続く雨音が聞こえる。

 能の「鉢木」では、雪中一夜を求めた旅僧(最明寺時頼)に、佐野源左衛門常世夫婦が栗飯を勧め、薪が無いからと秘蔵の鉢 

 木を燃やす。

 句も、作者への主の優しいもてなしの心根が伝わるようだ。

 


# by masakokusa | 2018-03-03 20:54 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
草深昌子句集『金剛』・書評抄録(その7)


『大阪俳人クラブ会報』№156 


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書評

草深昌子第三句集『金剛』 平成2811 ふらんす堂

                       西本真里


  赤子はやべつぴんさんや山桜


 本の帯に書かれた句である。

 桜が描かれた表紙と共に強いインパクトを受けた。

 静かではあるが強い芯、そして何よりも温かくおおらかな心。


  海桐の実鳶はきれいな声あげて

  廃校の時計の生きてさくら草

  孑孑や雲は浮いたり流れたり


  「青草」を主宰され、「晨」の同人。

 鳶も時計も雲もみんな命を持ち、躍動している。

生きている。


  草花や正岡子規の眼がきれい

  水澄みて甲斐は夕日の沁みる国

  どこにでも日輪一つあたたかし


 第二句集を編まれた後、ご主人を亡くされ、さぞ色々な思いをされたであろう。

句はさらに深く優しくほのぼのと明るい。

どうぞ更なるご活躍を。

  

  おもひきり遺影の笑ふビールかな


 悲しみの中にもご主人と共に在るという強さが感じられる。


(平成30131日発行)


 


 

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『ランブル』(上田日差子主宰)

        20181月号 創刊20周年


 ☆草深昌子句集『金剛』        上岡沙羅



   ~金剛をいまし日は落つ花衣~     



五年前にご主人を亡くされたあとの第三句集である。

大峯あきら氏代表「晨」同人参加、岩淵喜代子代表「ににん」同人参加、

現在「晨」同人、「青草」主宰、カルチャーセンター講師


  露けしやかたみに払ふ蜘蛛の糸

  一葉落つここなる風の通り道

  初時雨駆けて鞍馬の子どもかな

  一枚の朴の落葉を預かつて

  深吉野に深き空あり藁盒子


詩情にあふれ、作者の自然に向ける優しさが読手の心に染み入る。


  赤ん坊下ろして梅の咲くところ

  赤子はやべつぴんさんや山桜

  竹夫人七瀬を風の越え来たる


七瀬は平安時代以降宮中で行われた陰陽道の祓の場である七つの瀬のこと。

添い寝籠でとる夏の涼に色香が漂う。

自然の大きな優しい抱擁力が赤子を包んでいる。


  七夕やみんな大きくなりたくて

  ちやんちやんこ何かにつけて笑ひけり

  水鳥は水の広きに睡りけり

  どこにでも日輪一つあたたかし

  行春や鳥居の前の立話

  あめんぼう大きく四角張つてをり


 どの句にも、自然や子供への優しさ、愛が根底に流れているのが感じられ、心癒される思いがする。


 大峯あきら氏の「季節とはわれわれ自身を貫ぬいている推移と循環のリズムである」を信条に、第四句集の上梓をお祈りいたします。

 


# by masakokusa | 2018-03-03 20:19 | 第3句集『金剛』 | Comments(0)
俳句雑誌「ハンザキ」(橋本石火主宰)・特別作品

  

    冬日               草深昌子

                     「青草」主宰・「晨」同人                          

                          句集『青葡萄』『邂逅』『金剛』


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   ぽかぽかとしたる冬日に詣でけり


   常磐木の丈高ければ枯木また


   波乗りの波と来たれるクリスマス


   ここに柚子向かうに蜜柑人の庭


   晴れがましすぎはしないか干蒲団



       ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


   鎌倉吟行は20年以上続いているが、自然の風光は会うたびに新しい。

   何より、蜑の苫屋風の会場ながら、句会の先輩諸氏に、今もって狎れるということがない。

   ちょっとトキメク、それが一番楽しい。




 

  編集後記


  特別作品を「青草」主宰の草深昌子先生にお願いしました。

  物を見る感性の独自さのあるお句に学びたいと思います。(石火)



(俳句雑誌「ハンザキ」№30・2018年2月号所収)




# by masakokusa | 2018-03-02 18:21 | 俳論・鑑賞(2)NEW! | Comments(0)