<   2018年 07月 ( 5 )   > この月の画像一覧
受贈書誌より感銘句(平成30年7月)                  草深昌子抄出



「浮野」(主宰 落合水尾)第490

   身に触れて去りゆく音を滝といふ     落合水尾

   動かざることに徹して墓碑灼くる     龍野 龍



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「家」(代表 加藤かな文)第202

   東京のやうな一画明易し      加藤かな文

   夏めくや川越ゆる石二つ三つ    晏梛みや子




『相互批評の試み』岸本尚毅・宇井十間 (ふらんす堂)


   俳句の即物性について

   日常性について

   重くれと軽み

   多言語化する俳句

   叙情と劇の間

   一様性から多様性へ

 

  往復書簡という形は両者の関心や視点や見解の相違を露わにする。

  相手の思考を確認しながら論を組み立てる過程を読者に示すことにより、

  読者が、「宇井と岸本はあんなこと書いているが、自分ならこう考える」と思ったとすれば、本連載は十分に有益だったと思う。

(岸本尚毅)


  良い俳句作品は、それに見合うような良い読手を必要とする。良い読手が育つためには、読み手の言葉もまた評価されるような文化が必要である。

そもそも、一般に作品を批評するということは誰かと対話をするということではなかったか。

  (宇井十間)





「秋草」(主宰 山口昭男)第104

   裏の戸につつかひ棒や栗の花     山口昭男

   夕飯よけふは昼寝をせぬままに    木村定生


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「獅林」(主宰 的場秀恭)№971

   雨蛙のぞけば草に成り済ます     的場秀恭

   舌を焼く熱きスープも夏料理     松島圭伍


  田中康雄様を悼む・主宰と18名の会員の方々の追悼文集

     新樹眩し癌克服を告げられて     田中康雄

     琉金や水中に風あるごとく        〃

     盃は小さめが良し蕪蒸し         〃




『管制塔』内田茂句集    序・大島雄作 跋・ふけとしこ

   星飛んで管制塔に人の影

   狂言のやうに人逝く寒の内

   前を向く子規の写真やあたたかし

   半ばから扇の止まる話かな

   ロボットの声は少年冬ぬくし




「晶」(代表 長嶺千晶)創刊6周年記念号

    葦の間を沐浴の子等泣きたつる     長嶺千晶

    うつうつと雨の土曜日葱坊主      木村かつみ


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「雲取」(主宰 鈴木太郎)№251

   鳶の輪のいつしか消えて釣荵     鈴木太郎

   花冷や指もて蓼太句碑を読み     下條杜志子



「舞」(主宰 山西雅子)№90 夏季特別号

    明日葉の雄々しき丈や雨の島       山西雅子

    なんとなく蜘蛛といつしよに待ちかまへ  小川楓子



「里」(代表 島田牙城)№184

   木の裏の木が見えてゐる大南風      島田牙城

   十薬や崩れはあれど穴太積み       中村与謝男



「澤」(主宰 小澤實)通巻220

   新緑や吊橋を吹き上がる風       小澤 實

   瓜割つて種掻きだすや瓜たてて     川上弘美



「梓」(主宰 上野一孝)第31

   春泥を来てかつぽれを習ひをる     上野一孝

   行き先は夫婦べつべつ水温む      水野晶子


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「松の花」(主宰 松尾隆信)通巻245

   湘南の沖に大島揚雲雀         松尾隆信

   コクリコや晶子百花の屏風の書     中村光世



「俳句饗宴」(主宰 鈴木八洲彦)第761

   わらわらとゲラ受け取りし薔薇の門     鈴木八洲彦

   ライラック独りの夜はリラと呼ぶ      菊地たつ子



「ハンザキ」(主宰 橋本石火)№35

   夏服や顔一つ分高き人       橋本石火

   今着きし船や鳥貝提げ来たる    山中 綾



「星雲」(主宰 鳥井保和)第44

   茶畑の畝に一本今年竹        鳥井保和

   人はみな天守へ向かふ花の昼     園部知宏



「ににん」(代表 岩淵喜代子)№71

   巣立鳥真昼は家の中暗し      岩淵喜代子

   滴りの道を大きな甕として     服部さやか



「阿夫利嶺」(主宰 山本つぼみ)256

   師との旅ありしを遠く花サビタ     山本つぼみ

   蚊喰鳥空にでこぼこある如く      芝岡友衛


by masakokusa | 2018-07-31 22:48 | 受贈書誌より | Comments(0)
原石鼎俳句鑑賞・平成30年7月                 草深昌子

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 炎天や白扇ひらき縁に人      原石鼎     大正9年 





西日本豪雨の被災地でボランティアが炎天下黙々と働いておられる姿を見ると頭が下がる思いがする。

被災地のみならず、連日の猛暑に熱中症の発症が急増している。

やむなく外出を控え、冷房に閉じこもっていたが、

テレビでは、炎天下の街中を、然も暑そうに扇子を使って行き交う人々が映し出された。


これを見て、石鼎の「炎天」の句にはたと合点がいった。

そういえば、クーラーのない時代、朝から晩まで外の暑さと同じ状態にいるわけだから、

縁側に出て扇子、しかも涼味ある白扇を使うのはもっともであった。

日本の家屋なら、暑気を凌ぐことが第一義であり、

もとよりビルの一つもない頃とて風通しも満点であったろう。

それでも、炎天というやりきれない暑さに人はささやかにも独り静かに抗するのである。


以前はこの句が何やら涼しげで、ピンと来なかったのは、

俳句的概念で「白扇」を季語として感じることが先立っていたのだろう。

猛省するばかりである。


「炎天や」と、切字「や」でもって、

「白扇ひらき縁に人」との空間を大きく引き離しているところが、見事である。

石鼎の句は現場証拠そのもの。

本当に見たものをそのまま描写するという姿勢に徹して、

「炎天」という季題の機能を十二分に働かせているのである。



by masakokusa | 2018-07-31 21:49 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
「澤」(主宰 小澤實)18周年記念号より ~ 俳句結社誌「青草」を読む


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「澤」平成30年7月号 通巻220号

      窓 俳句結社誌を読む          高橋博子





   「青草」第3号 2018年春季号


 

厚木市の生涯学習の「俳句入門講座」より発足した。

 草深昌子主宰は、〈「青草」の俳句は初めて俳句を作る喜びに端を発したものです。

 これからも飾らない私、子供の心を持った私の句でありたいと願っています〉と冒頭に記された。



   めいめいのことして一家爽やかに     草深昌子

   晴れがましすぎはしないか干蒲団      同


 一句目、ある日曜日。自分の勉強や趣味に一家それぞれ充実した時を過ごしておられる。

 背中に暖かい視線を感じながら干渉しないお互い。気持ちのよい清々しい風が吹き渡る。

 二句目、集合住宅のベランダの風景であろう。

 一家全員の蒲団がぎっしり干され午前の日を浴びている。

 夜には子供たちは陽光を含みふっくらとした蒲団にぐっすりと眠るのだろう。

 健康的な生活感は面映ゆいほど。「晴れがましすぎはしないか」の措辞が印象的。洒脱。




   青蜜柑太る力に揺れてをり     菊竹典祥


 青蜜柑のつやつやとした表皮。段々と実を太らせる様子は生命力豊かだ。

 風に揺れる蜜柑をまるでみりみりと実る力に揺れているようだと描かれた。

 実りを実感し喜んでいる。逞しい。



   独り居の指差し確認蚯蚓鳴く     古舘千世


 独り住まいでは、夜休む前、点検、戸締り、消灯と確認事項が多々あろう。

 ひとつひとつ指差し確認をされている。

「蚯蚓鳴く」は秋の夜、土の方からジーとしたような音が聴こえること。

 本当は螻蛄の声らしいがこれを発音器官のない蚯蚓の鳴き声としたのだ。

空想的なロマン溢れる季語により、現実生活を笑いとばし楽しんでおられる様子が伝わる。



   夕立の過ぎたるあとの匂ひかな     熊倉和茶


 夕立は夏の蒸し暑い午後、積乱雲が降らせる雨。急に大粒な雨が降り出す。

 すぐに雨は上がりその後すっかり涼しくなる。

 街では街路樹の木々、アスフアルト、建物が水に洗われ別世界のよう。

 山では木々や草が匂い立つ。雨が降る前と気配が一変する。その転換を語られた。



   尻振つて横々歩く鴉の子     石原虹子


 市街地では、鴉は疎まれる身近な鳥だ。だが親子の情愛深く番で子育てをするという。

 知能が高く社会性もある。

 鴉の子は大柄な割には声や仕草が幼く人懐っこい。

掲句では丸い尻を振って跳ねるように横歩きを繰り返す様を楽しげに描いた。臨場感溢れる。

親鳥も上空で見守っているのかもしれない。



   鱧さうめんせつかくやから竹の箸     柴田博祥


 鱧は六月下旬からの一ケ月あまりが旬とされ、関西で賞味される。

 鱧そうめんを検索してみた。鱧そうめんは鱧のすり身を心太状に突き出した物。

 鴨川の床や貴船の川床料理に出てくるという。ふむふむ、さっぱりと誠に美味しそうだ。

京言葉がはんなりと効果的。竹の箸を添え完璧に涼しそうだ。



   足首のまぶしきことよ夏落葉     川井さとみ


 少女たちは薄着となり、しなやかな足首が良く目立つ。

 溌剌とした若さがまぶしく映える。初夏、常緑樹は新しい葉ができると徐々に葉を落としてゆく。

夏落葉は秋の落葉と違い色鮮やかではないが、樹木の成長の証である。



   揚羽蝶ホースの水を潜りけり     新井芙美


 大形で色鮮やかな揚羽蝶。掲句は夏の日差しを受けホースの水を掻い潜っていく揚羽蝶を描かれた。

撒かれる水を潜り、身を翻し、しなやかに飛び抜けて行く揚羽蝶。日差しの中ホースの水はきらきらと輝く。



   ののののとこごみは芽吹く太古から     泉 いづ


 こごみはわらびやぜんまいと並ぶ春を告げる山菜。美味しく食べられる草蘇鉄の若芽だ

 形は平仮名の「の」の字状でユーモラスだ。化石の中にも存在したというシダ植物の仲間。

 太古から人の身近にあった植物なのだ。

掲句はまず、上五の「ののののと」の「の」の連続に目を奪われて楽しい。

さらに句中の半分をオ母音が占め軽やかだ。

内容豊かに目にも耳にも新鮮。覚えやすく、いつの間にか口遊んでしまう。

  


by masakokusa | 2018-07-31 18:42 | 受贈書誌より | Comments(0)
『青草』・『カルチャーセンター』選後に・平成30年6月    草深昌子選

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よく見れば鴨の賑はひ鴨足草     狗飼乾恵


 鴨足草は、「ユキノシタ」と読む。

 湿地に自生する白い五弁の花であるが、花のかたちが鴨の脚に似ていることから鴨足草と書く。

この字を正しく読めるのは、俳人だけではないだろうか。

さて掲句は、そんな鴨足草の名の由来を知った上で詠まれたものである。

 「よく見れば」という出だしからは、うすぐらい日影に咲いている小さな花であることが感じられ、

 「鴨の賑はい」からは、鴨の脚に似ているということを念頭におきながら、なるほど然も群れていることよと、

 微妙な言い回しに鴨足草のありようを鮮やかに浮かび上がらせているのである。

 楽しくも乙な味わいである。




さみだるる路面電車の停留所     柴田博祥


 「さみだれ」は陰暦の5月(陽暦6月)頃に降り続く、五月雨のこと。

 「梅雨」と同じ意味ではあるが、「さみだれ」という語感は、梅雨とは別趣の情感を浮き立たせる。

 掲句は、「さみだれや」としないで、「さみだるる」として、五月雨が降っている状態を

 そのまま路面電車の停留所に落とし込んだもので、まさに濡れしきった路面のあたり一面をその場にいるかのように実感させられる。




十薬や母のあかぎれ治る頃     坂田金太郎


 十薬は「どくだみ」とも言はれ、文字通り毒出しの薬になる。

 この十薬を直接詠わないで、その咲き出す季節感をもって打ち出したところは意表をついている。

昔の、ことに農家の女性の水仕事はハンパなかったもので、皸(あかぎれ)もなかなか治らなかったことだろう。

作者の母親の実体験があればこその一句に思われる。

ここでは十薬独得の臭気も、身に染みるようになつかしい。

 

竈には煎じ茶かかる青田かな     金太郎




 

田に下りる石の小橋や姫女苑     山森小径


 姫女苑はあまりぱっとしない花であるが、あちこちに見かけるようになると季節感を覚えてほっとするのは私だけではないだろう。

 掲句の「田」は、代田であろうか、すでに早苗が戦いでいる田であろうか、いずれにしても田んぼのあたりには、

 小さな石橋があり、姫女苑が群れているのである。

「田に下りる石の小橋」は、言葉に無駄がなく、田に往き来する日常の生活感も浮かびあがらせて、

姫女苑の情景を余すところなく伝えている。



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紫陽花や終着駅に女学生       川井さとみ


終着駅というと「どんずまり」を思わせる。もうこれ以上行きようのないところ、そこに女学生が降り立ったのである。

そんな奥まったところに学校があるのだろうか、たまたま降り立ったというだけでもいい。

どちらにしても、女学生は清楚なセーラー服に違いない。

紫陽花は、白から咲き始めて今や真っ青、もっとも濃い色彩であろう。

フレーズでもって、紫陽花の清々しい感覚を引き出している。


麦藁帽被れば小言遠のきぬ   さとみ





枇杷の種舌に転がす三つ四つ     松尾まつを


枇杷の木は、葉がよく茂ってどちらかというと鬱陶しい木であるが、これに枇杷の実が黄熟すると、俄然輝きはじめるものである。

枇杷の味は格別だが、その大きな種もまた独得のものである。

掲句の「舌に転がす」は、枇杷の美味の余韻を十二分に味わっている実感があって、作者の気分の明るさがよく出ている。




寺家村の苗字大曾根夏うぐひす     河野きな子


 寺家村(じけむら)というのは、「寺家ふるさと村」のことで、横浜市の外れに位置する。

山田あり、谷戸あり、森あり、池あり、まさに日本の田舎ここにありという自然そのままの風景である。

都市開発の波に乗らずして、昔からこの地を糧として住み着いた人々があってこその環境が保全されているのだろう。

吟行句であるが、この村の苗字には「大曾根」が多いことに気付かれた。

「大曾根」という字面の古びた印象、その語感の大らかさは、老鶯の声をどこまでも伸びやかに美しく響かせる。

簡潔明瞭この上ない一句である。




鮎解禁何はともあれ握飯     黒田珠水


鮎釣りにとって「鮎解禁」の日ほど待ち遠しいものはないであろう。

さあ、釣ってやるぞーっという意気込みが、「何はともあれ握飯」に言い尽くされている。何より握飯は力強い措辞である。




十薬の小雨に白く目立ちけり     潮 雪乃


 十薬は、よくはびこるので嫌われやすいが、下闇に咲く白い十字花は印象的である。

 ことに雨の降る中に咲くさまは楚々たるものがある。

当たり前のことを詠いあげたように見えて、なかなかこうは詠えないものである。

「小雨」が、さりげなくも要を得ている。



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さくらんぼ小判の皿に跳ねてをり     田渕ゆり


 さくらんぼを、小判型の美しいお皿に盛り合わせた。

 まるで生きもののようにピカピカとかがやくさまに跳ね上がったというのである。

「跳ねてをり」と言わずにおれなかった作者の喜びが伝わってくる。

「赤い宝石」といわれるさくらんぼも、作者の心も生き生きと新鮮そのもの。

ふと、高濱虚子の、

〈茎右往左往菓子器のさくらんぼ〉が思い出された。



   梅雨晴や見知らぬ駅のバスに乗る     中澤翔風

   ベルゲンの海浮き立ちし白夜かな     森川三花

   万緑や貴船の川の水の音         加藤洋洋

   庚申山屏風立ちなり梅雨晴間       森田ちとせ

   冷酒や宿の女将の聞き上手        中原マー坊

   万緑に夕日の差して光りけり       石原虹子

   ひたひたと水路充ちゆく芒種かな     奥山きよ子


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   今年竹根元に皮を付けてをり      堀川一枝

   鮎釣りの竿の影なく川流れ       鈴木一父

   馬小屋の馬のお尻に蠅止まる      福山玉蓮

   低く低く飛んで止まるや夏の蝶     日下しょう子

   鶯や急坂行けば行き止まり       佐藤昌緒

   早苗手に振り向く先の棚田かな     石本りょうこ

   青葉して一山雨に打たれけり      上野春香

   有明の月をわたるや時鳥        間 草蛙

   鼻先に蚊の二三匹鳴き寄りぬ      熊倉和茶

  

 



by masakokusa | 2018-07-30 21:22 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
昌子作品の鑑賞    山本洋子・井村隆信


 永き日の丸太担いで来たりけり    草深昌子


 「永き日」が利いている。

 丸太を担いで山道をのぼってくる。

 ゆったりとした歩調で、春の日差しの燦燦とふる道を来る人の姿が、

 素直に丁寧に述べられていて「永き日」が身にそくして感じられる。

                           鑑賞 山本洋子 (「晨」代表)




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 深吉野や足焙りして懐炉して     草深昌子


 大峯あきら先生のご法話の日を思い出されての句ではないでしょうか。

 着ぶくれて先生のお話を聞いておられる作者の姿が見えてきます。

                           鑑賞 井村隆信(「晨」同人) 


by masakokusa | 2018-07-04 10:27 | 昌子作品の論評