カテゴリ:昌子作品の論評( 87 )
昌子作品の論評・鈴木五鈴

  現代俳句評

                        鈴木五鈴


f0118324_13091249.jpg

   

   小諸なる古城のほとりサングラス      草深昌子



    上五中七は島崎藤村の冒頭部分をそのまま拝借したもの。

    次には「雲白く遊子悲しむ」と続くはず。

    しかし、そんな素振りはどこ吹く風。

    いきなりの「サングラス」である。 

    小諸城址の界隈をサングラスをして散策しただけだ、とでも言うかのごとくである。

    しかし、藤村詩の世界と今という虚実のあわいに存在させた「サングラス」はとても面白い。



    WEP俳句通信106号所収)


by masakokusa | 2018-10-30 23:06 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
昌子作品の鑑賞 ・ 山本洋子(「晨」代表)


f0118324_23462085.jpg


   八瀬の橋来たれる君がパナマ帽       草深昌子




見慣れたあのパナマ帽の彼の人がやってくる。

〈八瀬の橋〉という名にし負う橋にさしかかった事で、遠景をふいに近寄せる感がある。

それは「パナマ帽」によって読み手の目にはっきりと映ってくるからだろう。


〈 蛍火は大峯あきらかと思ふ  昌子〉は、はっきりとした直喩が情感をさそう。




(平成30年9月号「晨」第207号所収)



by masakokusa | 2018-09-02 23:31 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
愛媛新聞     ~ 季のうた ~

愛媛新聞(2018年7月23日 月曜日 朝刊)


      季のうた        土肥あき子



f0118324_17425570.jpg



大暑けふ鳴くだけ鳴いて相思鳥    草深昌子



相思鳥(そうしちょう)はオリーブ色の体色に胸と羽先が鮮やかな黄色、

くちばしは赤という美しい鳥。

元々日本には生息していなかったが、飼い鳥として江戸時代から輸入され、

現在では特定外来生物に指定される。

想(おも)い合う二羽を離すと鳴き交わすことからロマンティックな名が付いた。

本日大暑。

年々記録更新する最高気温にあてられて、相思鳥という気恥しい名がすがすがしくさえ思われる。



 「青草(あおくさ)」主宰。





f0118324_12141836.jpg



by masakokusa | 2018-08-31 23:57 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
現代俳句展望           太田かほり 

  

f0118324_17573796.jpg


   とめどなき落葉の中にローマあり      大峯あきら

   涼風のとめどもなくて淋しけれ         〃     

   亡きあとを日はまたのぼり草萌ゆる     山本洋子

   寒月のあまり大きく満ちにけり       草深昌子



 「晨」5月号「大峯あきら」追悼特集より。

 一句目。

「ローマ」とはどれほどの情報を我々にもたらすことか。

この重い固有名詞と上五中七が拮抗し合って世界のローマらしい大きな句柄を形成している。

はらはらと散りずんずんと積もっていく落葉が古代都市ローマを埋めてゆく。

人間の歴史の大舞台となったローマ、

たくさんの英雄たちが登場しては消えていった果てしないローマの物語を落葉がことごとく埋めていく。

片や悠久の自然の営み、片や一瞬の栄枯盛衰である。

極小の俳句に用いられた固有名詞「ローマ」が読者に働きかけるものは大きい。


 二句目。

「涼風」は歓迎すべきものであり、「淋し」はそれほど喜ばしいものでもなく、

断固排斥したいというほどの悪しき感情でもなく、この矛盾が「とめどもなくて」によって相殺される。

上五と下五の捩れというほどではない捩れが微妙な感情を思わせる。

涼風は誰にも有難いが「とめどもなくて」の状況に置かれるとかえって落ち着かなさを感じる。

賑やかな場面は考え難く、境遇によっては孤独へと向わせられる。


 三句目。

追悼句である。

日が昇ること、草が萌えることは宇宙の真理である。

大峯あきらは宇宙を語ることを通しこの世の真理、人間の真実を語った。

俳句は絶えず移りゆく宇宙から生まれると考えていた。

季節が巡ることは宇宙の変化の一つであり、過ぎ去った季節はまた回帰すると述べている。

作者は、それらの言葉をその「亡きあと」に思い出し、反芻し、励まされている。

大きな喪失感のうちに日は過ぎていくが、その言葉通り、

「また」朝が来て、「また」春が来るという宇宙の真理に深く肯き、かつ、師を追慕する。


四句目。

追悼句である。

大峯あきら氏の逝去は去る130日であった。

折から満月の頃であった。

「大きく」「満ち」は実景だったかもしれないが、作者の故人観を重ねたものと考える。

訃報に驚き、衝撃のまま目を見張る。

茫然自失の体である。

感情はすぐには湧いて来ず、何を言いたいのか、言うべきなのか分からない。

その存在の偉大さにおののくような思いに襲われ、

そのままの情景を言葉にしたかのような、それしか言えないような一句である。

そこが飾らない気持の吐露となった。

寒月は亡き人に他ならない。

冷たくなっていくにもかかわらず、命が満ちるように光を増してゆく。

「満ちにけり」の詠嘆は亡き人が亡き後にも見せる姿への作者の感動である。

「あまり」に言葉にならない讃仰がある。



(「浮野」平成308月号所収)



by masakokusa | 2018-08-31 17:53 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
昌子作品の鑑賞    山本洋子・井村隆信


 永き日の丸太担いで来たりけり    草深昌子


 「永き日」が利いている。

 丸太を担いで山道をのぼってくる。

 ゆったりとした歩調で、春の日差しの燦燦とふる道を来る人の姿が、

 素直に丁寧に述べられていて「永き日」が身にそくして感じられる。

                           鑑賞 山本洋子 (「晨」代表)




f0118324_23074100.jpg


 深吉野や足焙りして懐炉して     草深昌子


 大峯あきら先生のご法話の日を思い出されての句ではないでしょうか。

 着ぶくれて先生のお話を聞いておられる作者の姿が見えてきます。

                           鑑賞 井村隆信(「晨」同人) 


by masakokusa | 2018-07-04 10:27 | 昌子作品の論評
昌子作品の論評・藤山八江

   軍港や秋の灯しの理髪店      草深昌子



 何の変哲もない光景を変哲もなく叙して心惹かれる。

 日常どっぷりの景が、あらぬかそこは軍港であり、秋の灯しが淋しげの

 理髪店なのだ。

 何処にあっても人の暮しはそう変わらない。

 軍港だけに、ことにそれが尊く思われる。

 先年、軍艦を始めて間近に見たのが、舞鶴の港だった。



(平成303月号「晨」所収)


by masakokusa | 2018-05-28 12:07 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
昌子作品の論評・小橋信子


『泉』 平成304月号
f0118324_22012106.jpg

 俳句燦燦      小橋信子



   残る蚊のここは千代田区九段下       草深昌子

   紀伊国屋書店の釣瓶落しかな          

   露けしや城垣高くビル高く

                     (「晨」1月号)



 読まれているのは都市の風景である。

 それらに、「残る蚊」「釣瓶落し」「露けし」などのやや古典的な匂いを持つ季語が置かれることで一句に意外性が生まれる。

 季語と詠む対象との間に生まれる意外性をどのように見つけるか、そのヒントの一つがここにあるように思われた。


by masakokusa | 2018-04-30 23:56 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
昌子作品の論評・秋山百合子

『円座』  20184月号 第43


  季節の中で 

       俳句咄々々(とつとつとつ)       秋山百合子



f0118324_14323779.jpg



  秋晴を泣いて赤子の赤くなる      草深昌子

                    (「俳句四季」1月号より)



 ミルクが欲しいのか、おむつを替えて欲しいのか、機嫌が悪くむずかっていたが、とうとう全身を使って大声で泣きだした。

 赤ちゃんの皮膚は薄く柔らかいので、どこもかしこも真っ赤になる。

 今さらの発見ではないかもしれないが、秋の青空が一層青く、赤ちゃんの声がいよいよ響く。

 ―赤―のリフレインが効いて飄々とした味わいがある。


by masakokusa | 2018-03-31 22:20 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
「雲取」・現代俳句管見

『雲取』№247 20184月号


f0118324_16224998.jpg

 現代俳句管見         下條杜志子




   一とテント張つて昭和の日なりけり     草深昌子



 64年続いた昭和時代、一口に言えば激動の時代であったが、それもまた過去となりつつある。

 この句のテントは昭和一桁世代には否応なく軍隊の野営などを、戦後以降の世代にはレジャーを呼び起こすだろう。

 たつた一張のテントが内包するものを読者の鑑賞に任せて、それこそ昭和という時代の混沌を見事に表白している。


by masakokusa | 2018-03-31 16:14 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
昌子作品の論評・平田雄公子

『松の花』平成303月号

f0118324_18043177.jpg


 現代俳句管見 

総合俳誌より   平田雄公子



   団栗の袴脱いだり脱がなんだり    草深昌子(青草・晨)



 団栗の種類にもよるが、同種であっても「袴」の着き具合は違うもの。

 可愛さは、変わらないものの。


by masakokusa | 2018-03-05 17:58 | 昌子作品の論評 | Comments(0)