カテゴリ:昌子作品の論評( 82 )
昌子作品の論評・藤山八江

   軍港や秋の灯しの理髪店      草深昌子



 何の変哲もない光景を変哲もなく叙して心惹かれる。

 日常どっぷりの景が、あらぬかそこは軍港であり、秋の灯しが淋しげの

 理髪店なのだ。

 何処にあっても人の暮しはそう変わらない。

 軍港だけに、ことにそれが尊く思われる。

 先年、軍艦を始めて間近に見たのが、舞鶴の港だった。



(平成303月号「晨」所収)


by masakokusa | 2018-05-28 12:07 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
昌子作品の論評・小橋信子


『泉』 平成304月号
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 俳句燦燦      小橋信子



   残る蚊のここは千代田区九段下       草深昌子

   紀伊国屋書店の釣瓶落しかな          

   露けしや城垣高くビル高く

                     (「晨」1月号)



 読まれているのは都市の風景である。

 それらに、「残る蚊」「釣瓶落し」「露けし」などのやや古典的な匂いを持つ季語が置かれることで一句に意外性が生まれる。

 季語と詠む対象との間に生まれる意外性をどのように見つけるか、そのヒントの一つがここにあるように思われた。


by masakokusa | 2018-04-30 23:56 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
昌子作品の論評・秋山百合子

『円座』  20184月号 第43


  季節の中で 

       俳句咄々々(とつとつとつ)       秋山百合子



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  秋晴を泣いて赤子の赤くなる      草深昌子

                    (「俳句四季」1月号より)



 ミルクが欲しいのか、おむつを替えて欲しいのか、機嫌が悪くむずかっていたが、とうとう全身を使って大声で泣きだした。

 赤ちゃんの皮膚は薄く柔らかいので、どこもかしこも真っ赤になる。

 今さらの発見ではないかもしれないが、秋の青空が一層青く、赤ちゃんの声がいよいよ響く。

 ―赤―のリフレインが効いて飄々とした味わいがある。


by masakokusa | 2018-03-31 22:20 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
「雲取」・現代俳句管見

『雲取』№247 20184月号


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 現代俳句管見         下條杜志子




   一とテント張つて昭和の日なりけり     草深昌子



 64年続いた昭和時代、一口に言えば激動の時代であったが、それもまた過去となりつつある。

 この句のテントは昭和一桁世代には否応なく軍隊の野営などを、戦後以降の世代にはレジャーを呼び起こすだろう。

 たつた一張のテントが内包するものを読者の鑑賞に任せて、それこそ昭和という時代の混沌を見事に表白している。


by masakokusa | 2018-03-31 16:14 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
昌子作品の論評・平田雄公子

『松の花』平成303月号

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 現代俳句管見 

総合俳誌より   平田雄公子



   団栗の袴脱いだり脱がなんだり    草深昌子(青草・晨)



 団栗の種類にもよるが、同種であっても「袴」の着き具合は違うもの。

 可愛さは、変わらないものの。


by masakokusa | 2018-03-05 17:58 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
『里』(島田牙城主宰)二千十八年2月号より・俳句鑑賞

あふみのしづくしらたましらずしてしたがふこひはいまこそまされ  万葉集巻第十一 柿本朝臣人麻呂之歌集出

近江に降りた真珠たち     中村与謝男


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大雨の宿りを室の花のもと     草深昌子 句集『金剛』



 室の花の室(むろ)はガラス張りの、或いはビニールハウスの様な温室のこと。こうした温室育ちの花が室の花。

 今は温室の設備や技術が発達し、季節に関係なく様々な花が出回るから、この場合は蘭などとも取れるが、そうではあるまい。

 作者は伝統派の方だから、この花は既に蕾をつけた草木を炉火を設えた室内に持ち込んで、開花を早めさせた花。

 伝統を意識して梅と考える。

 雨宿りさせてもらった廈(いえ)で炉火近くへと勧められ、梅を見たのだろう。

 座五の「もと」は、そのすぐそばの意だから、花の香もしているに違いない。

 冬の大雨に濡れた身に炉火はあたたかく、尚も降り続く雨音が聞こえる。

 能の「鉢木」では、雪中一夜を求めた旅僧(最明寺時頼)に、佐野源左衛門常世夫婦が栗飯を勧め、薪が無いからと秘蔵の鉢 

 木を燃やす。

 句も、作者への主の優しいもてなしの心根が伝わるようだ。

 


by masakokusa | 2018-03-03 20:54 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
課題詠   兼題=虎落笛    晏梛みや子選
   
   特選

      文机に突つ伏してゐる虎落笛      草深昌子


    稿の成った安堵かしら、それとも真逆の遅々と進まない放心の・・・。
    季語が季語、その扱いに注目しました。


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   秀逸

      七草の粥や朝日子はちきれて      草深昌子


(「晨」平成30年1月号所収)

by masakokusa | 2018-02-02 10:28 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
『はるもにあ』2018年1月 第66号

  客人との対話  ~『はるもにあ』64号より~ 


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   満田春日(「はるもにあ」主宰)



   木斛の花散るまるで雨のやう    草深昌子



 雨のように散るとは、さぞや大きく成長した木斛で、細かな花を無数につけているのだろう。

 「青草」主宰として弛みなく吟行を重ね、四季折々の自然の微妙な表情を活写されている昌子さんだが、俳句と共にある限り、新しい出会いは無限に訪れるのだろう。

それは俳人としての昌子さんの物の見方、感じ方が常に新しいから。

「まるで」という副詞は、使い方によっては幼い感じがするものだが、ここでは目を丸くし、童心に返っている顔が彷彿とする。


by masakokusa | 2018-02-01 23:59 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
昌子作品の論評・大峯あきら

  大峯あきら鑑賞



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    雲去れば雲来る望の夜なりけり     草深昌子




 これは盆の月ではなく、十五夜との対面の句。

 雲一つない大月夜ではなく、どちらかといえば雲は多い方である。

 大きな雲がつぎつぎにあらわれてはどこかへ消え、望月を大空に残してゆく。

 望月の従来の情趣は一句から一掃され、代わりに満月をつぎつぎに追いかけるダイナミックな雲の運動をいきいきとつかんでいる。




(平成301月号「晨」所収)


by masakokusa | 2018-01-27 10:50 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
草深昌子作品論評・現代俳句展望         

 現代俳句展望         太田かほり



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赤子はやべつぴんさんや山桜      草深昌子

あめんぼう大きく四角張つてをり      〃



句集『金剛』より。

一句目。

「ろうたし」「うつくし」「なまめかし」等など、女の美しさを表す古語は、多感な高校生の頃に『源氏物語』の「若紫」の巻などを通して知る。

だが、これは物語の話であって現実の普通の生活感覚ではあからさまな容貌の表現は口にするのは憚れる。

ただ、赤子に限ってはどんなに形容しても害はなく、赤子を理想的に育てるのにはかえって効果的に働くものである。

中でも「べっぴんさん」は文字通り別格の響きがある。

口にして阿るようなニュアンスはなく、普通名詞「べっぴん」に接尾語の「さん」をつけることで親しみの感情が加わり、同時に軽いユーモアを醸し出す。

「美人」よりも「美人さん」、それより断然「べっぴんさん」に真実がある。

たとえ並の顔かたちであったとしてもよもや反語に受け取られるということはない。

関西圏の言葉ではないが関西的な柔らかさを含んでいて耳に心地よい。

赤子とは、どの子も愛らしいものである。

この句は世俗的は語彙を用いているが「若紫」の巻をひもとくような雅さがあるのは季語「山桜」によるものか。

そういえばこの巻は「北山の春」に始まる。


二句目。

スケッチを見せられたように水馬の姿態が鮮やかに見えてくる。

簡潔明瞭にその習性が描かれた。

本当は足は六本であるのだが、中の二本は意識から欠落しているためか、六角形を描くことなく四角で納得していることに気づかされる。

だから、これはスケッチという写生によるのではなく全体を瞬時に見て把握した大まかな水馬ということになる。

省略という手法ともやや異なって、これが作者のものの把握の仕方なのだろう。

水の上で四角く踏ん張って静止し、流されそうになると跳躍してまた着水するあのよく見知っているつもりの水馬像にぴたりと重なる。

痛快な描写である。


(平成29年12月号『浮野』所収)


by masakokusa | 2017-12-31 17:57 | 昌子作品の論評 | Comments(0)