受贈書誌より感銘句(平成30年6月)                  草深昌子抄出

朴の花」(主宰 長島衣伊子)103

   ひろびろと波の引きゆく啄木忌     長島衣伊子

   ぼろ市の風に吹かるる長襦袢      矢島康吉



「巴美野」(代表 坂田恵美子)創刊号

   火の山の裾野を走る水の秋       坂田恵美子

   夢殿の雫となりし春の雪        青木英二


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「雲取」(主宰 鈴木太郎)

   はためける雲に日の暈夏つばめ     鈴木太郎

   筋力は舌の先にも揚雲雀        鈴木多江子



「なんぢや」(代表 榎本享)

   紙やすり巣箱の口を丹念に     榎本享

   姫女苑工事現場の今日静か     えのもとゆみ



「都市」(主宰 中西夕紀)

   切株に坐れば斜め鳥帰る      中西夕紀

   盆梅や末座にどつと笑ひ声     大矢知順子



「松の花」(主宰 松尾隆信)

   三月の利休鼠の空がある        松尾隆信

   砲丸投げの玉ころころとあたたかし   中丸しげこ


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「阿夫利嶺」(主宰 山本つぼみ)

   字の名の古ぶ木の橋花薺      山本つぼみ

   和布干す沖の白帆の余り風     柴岡友衛



「里」(主宰 島田牙城)

   薔薇見酒とてもさかしらなる猫よ     島田牙城

   大足の下駄鬻ぎあり春祭         堀下翔



# by masakokusa | 2018-06-29 18:28 | 受贈書誌より | Comments(0)
『青草』・『カルチャー』選後に・平成30年5月       草深昌子選


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   新茶汲む母の好みはやや熱め       藤田トミ


立夏を過ぎた頃、それぞれに名のある産地の新茶をいただくと、しみじみ日本人でよかった等と思うのも、茶の湯の文化が身に染みわたっているからだろう。

そこで「新茶」の句というと、故郷や母が決まり文句のようにイメージされるのを厭き厭きするほど見てきたが、トミさんの句はそんな概念ではなく新鮮そのもの。

目の前に、新茶の湯気がたって、そのよき香りも感じられる。

新茶は湯加減が大事かもしれないが、私も熱いのが好きだ。

そんな好みに合わせてくれるなんて何と和やか雰囲気だろう。「やや」というところに丁寧に新茶を酌みあっているさまもよく出ている。

俳句の風味が、新茶のそれである。




桑の実の熟るる大樹を仰ぎけり      石堂光子

 

 上五から中七へ、さらに下五へと叙述に従って、ゆっくりと読者もまた、幹に添うように顔を上へあげていって、

ただただ大きく仰ぐのみである。

そこには桑の実の紫のような黒のような色がみっしりと付いているのだが、手が届かない。

〈桑の実を食べたる舌を見せにけり 綾部仁喜〉、そんな懐かしさもこみあげてくる。「熟るる」が郷愁をさそうのだろう。

無駄なく、まっすぐに詠いあげた、平明そのものの句であるが、それが格調というものである。




母の手を振り切ってゆく五月かな     森田ちとせ

 

 「母の手を振り切って」行ったのは、誰なのなのだろう。ここには書かれていない。

よく「省略」と「手抜き」を間違える人がいるが、これはまさしく省略である。

すぐに元気な子供ではないだろうかと思いつくが、そうでなくてもいい。

実は誰でもいいのである。

まるで、「五月」が振り切ったかのように、描かれている。

行楽の楽しい気分、あるいは颯爽と風に乗ってゆくような五月が何とも明るい。



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山法師古き町屋の続きけり        田野草子


 山法師は山野に自生する落葉高木で、枝先に4片の大きな白い苞を開くので、これを花に見立てて山法師の花という。白の美しさがことに際立つ花である。

 この「山法師」を上五にデンと据ゑて、「古き町屋の続きけり」という潔さは、俳句の骨法をよく心得えている。

 「山法師」の韻律もさることながら、法師という文字からもたらされる清楚な印象が、一句を大きく包み込んで、余韻がある。

花水木などと取り換えのきかないものである。



 

漫画本の大垂れ幕や街薄暑        日下しょう子


ビルの壁面を覆うように大きな垂れ幕がかかっていたのだろう、何とも奇抜なものである。

しかもそれが漫画の宣伝だというのである。

漫画本といえば、若者に大人気のものであっても、年配にはちょっと眉をしかめたくなるものである。

行きずりの街に出会ったちょっとした驚き、それはまさに薄暑の気分を実感するものであった。




枯芝の日々に青める薄暑かな       鈴木一父


 俳句に季語は原則一つと決められているが、二つあっても、三つあっても、いい句はいいのである。

 ここには作者の本当が詠いあげられている。

まだ枯れていた芝生の一目一目がだんだん青くなってきて、それがいつしか今日この頃の薄暑であることよと、季節の変わり目の速さを感じ入っているのである。

薄暑の到来とともに、時空を広げて見せている。



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万緑の迫る山路の怖さかな        泉いづ


 万緑と言えば、〈万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男〉の句が動かしがたく思い出されて、私などは頭から放棄したいような難しい季題である。

だが作者は、そんな万緑をものともせず、詠いあげられた。

一読して、文字通り胸に迫ってくるような万緑の世界に、引き込まれるのは言葉に無駄がないからだろう。

「怖さ」も、そうとしか言いようのない直感だと思われる。



 

一面のポピー触れあふ風の音       佐藤健成


 風が吹いて、一面のポピー(ひなげし)が揺れ合っているのである。

そこで、〈一面のポピーが風に揺れてをり〉、ではつまらない。

ポピーのような可憐な花が触れ合ったところで、果たして風の音が立つであろうか。本来聞きとどめることのできない音を、作者は聞いたというのである。

巧い句である。



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卯の花の色の着物や単帯         佐藤昌緒


「卯の花の色」であるから卯の花そのものは、ここには咲いていないはずである。

だが、こう言われてみると、まるでそこに卯の花が咲いているようなしろじろとした感覚が蘇ってくる。

単帯は、何色であれ、きりっとして、着物の色を美しく透かすものであろう。

いかにも涼しげ、かつオシャレである。



    お屋敷の急階段や夏木立         古舘千世  

夕暮れて麦藁に日の余熱かな       末澤みわ

捨苗をバケツに植うる休み明け      神崎ひで子

飛魚の目に入るものやみな青き      湯川桂香

柿の花転げ落ちたる飼葉桶        新井芙美

寺に聴く津軽三味線夏に入る       堀川一枝

新茶汲む役割担ふ集ひかな        小幡月子


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味噌汁の貝の塩気も夏めきぬ       山森小径

目高飼ふ甕の周りを鴉飛び        福山玉蓮

僧の声揃ふ五月の御室御所        伊藤波

緑蔭を抜ける蝶々のばたついて      坂田金太郎

乳首めくものを掘り上ぐ薄暑かな     二村結季

不意に風青く匂ひて夏に入る       大本華女

老夫婦の対の手ぬぐひ田を植うる     平野翠

桐咲くやおさらい会の着物色       関野瑛子

ほつほつと落つる点滴桐の花       間草蛙

飛魚のくさや肴に島の夜         中澤翔風

網掛けて雀追ひけり麦の秋        石原虹子

塵除けの透かしの向かう薄暑光      米林ひろ

雨蛙じつと日向の石の上         石本りょう子


# by masakokusa | 2018-06-20 23:03 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
昌子365日(自平成30年6月1日~至6月6日)

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「草深昌子のページ」をいつもご覧いただき有難うございます。


「昌子365日」のカテゴリは、6月6日(芒種)をもって終了いたしました。

今まで日々のお励ましを本当に有難うございました。

これからも、昌子俳句は折々にUPいたしたく、よろしくお願い申しあげます。


       
     6月6日(水)      薔薇守の鎌の大いに曲りたる

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      6月5日(火)      行く道も塀も煉瓦や薔薇の咲く       
       
      6月4日(月)      今し行く小倉遊亀かも白日傘

      6月3日(日)      梅雨に入る門にひらきてフエニックス

      6月2日(土)      一町を行けばまた鳴くほととぎす

      6月1日(金)      むらさきの花咲く梅雨に入りにけり



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# by masakokusa | 2018-06-06 18:05 | 昌子365日 | Comments(1)
昌子365日(自平成30年5月1日~至5月31日)
     5月31日(木)       馬追をたかたかゆびに五月逝く

     5月30日(水)       門口に籐椅子置くやほととぎす

     5月29日(火)       晶子忌の極楽寺坂下りけり
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     5月28日(月)       鼻高く唇うすくサングラス

     5月27日(日)       鳰の子を見てゐる涎少し出て

     5月26日(土)       雨安居のたまさか孔雀鳴きにけり

     5月25日(金)       軽暖や骨董市の人の顔

     5月24日(木)       二人して余花の二つの仰がるる
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       5月23日(水)      山の端に雲の渦巻く植田かな

       5月22日(火)      噴水に骨董市の切れにけり

       5月21日(月)      その人の忌日親鸞誕生日

       5月20日(日)      蛇衣を脱ぐや高濱虚子の前

       5月19日(土)      機関車の音を向かうに生ビール
      
    
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       5月18日(金)      一村は三十戸なり柿の花

       5月17日(木)      大木のそよぎもあらぬうすごろも

       5月16日(水)      若葉して古木の丈を見せにけり

       
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       5月15日(火)      セルを着てゆるやかにゆく上りかな

       5月14日(月)      夏つばめぴしぴし雨を飛ばしけり

       5月13日(日)      椎の香の生家にも似て蘆花の家

       5月12日(土)      ヤッケなど着込んで五月冷えにけり

       5月11日(金)      若葉して戸毎に違ふ壁の色
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       5月10日(木)     東京のかくまで冷ゆる若葉かな

       5月9日(水)      更衣してタビビトノキの前に立つ

       5月8日(火)      石ころと土くれと夏落葉かな

       5月7日(月)      スリッパを履いて立夏の畳踏む

       5月6日(日)      そこらぢゆう煤けて兜飾りけり
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       5月5日(土)      前に川うしろに線路かしわ餅

       5月4日(金)      白樫も柏も高く武具飾る

       5月3日(木)      行春のこけし寝かせて売られけり

       5月2日(水)      引戸引く音の八十八夜かな

       5月1日(火)      掛橋を渡つて五月来たりけり


# by masakokusa | 2018-06-01 14:47 | 昌子365日 | Comments(0)
受贈書誌より感銘句(平成30年5月)                  草深昌子抄出

「俳句饗宴」(主宰 鈴木八洲彦)

   老うもよき茅花ながしとなりにけり     鈴木八洲彦

   ひしめける蕾の中の初桜          加藤ひさ子


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「運河」(主宰 茨木和生)

   野に遊ばむ命生き切りたる妻と     茨木和生

   雉鳴けり妻の棺を持ちをれば       〃

   夕空に燃えうつりたる野焼の火     谷口智行



「秋草」(主宰 山口昭男)

   約束の人立つていゐる春の雨     山口昭男

   薄氷と水のさかひの滲みかな     石崎圭太



「ハンザキ」(主宰 橋本石火)

   鯖缶に鯖の絵春の日が西に     橋本石火

   桜鯛旨し屋島は遙かなり      宮田真子



『菅美緒』シリーズ自句自解Ⅱベスト100

   近州の飯の旨さよ鮴もあり      菅美緒

   ひと雨の過ぎたる処暑の比叡山   

   若鮎を火にのせ近江ことばかな

   鮒釣るや餌何やかや雪に置き

   八月や草色のもの草を跳び



「獅林」(主宰 的場秀恭)

   蟻いつも急きて遊びの貌見せず     的場秀恭

   堰落ちて組み直しけり花筏       あめ・みちを


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『鳥の手紙』白石喜久子 第二句集

   祈る手のやがて木の実を拾ひけり     白石喜久子

   巣箱かけ鳥の手紙を待つ子かな

   出雲まで続いてゐたる花の雲

   箱庭の働く人に雨上がる

   丈草の舟出のあたり草の花



「雲取」(主宰 鈴木太郎)

   神代の白雲となる大桜     鈴木太郎

   眼間を禰宜の袴と初蝶と    下條杜志子



『球殻』花谷清句集 第二句集

   春の雪想うは思い出せぬこと     花谷清

   しやぼん玉ひとつふたつは風を蹴り

   ビー玉の影は黄みどり鳥雲に

   百合一輪フエンスに茎と隔たれて

   花屑の轢かれ鵯色蘇る



「八千草」(主宰 山元志津香)

   昭和遠く平成速し据り鯛     山元志津香

   ペンキ塗る足場が取れて十二月  横川博行



「詩あきんど」(主宰 二上貴夫)

   裸木をつかむ老者の手もあらむ     二上貴夫

   陽炎に乗る子のいない三輪車      中尾美琳



「はるもにあ」(主宰 満田春日)

   光りつつ色失へる春の海      満田春日

   竹馬の上で降り方考へる      山崎杏


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「松の花」(主宰 松尾隆信)

   妻戻り来たるよ豆を撒くとせむ     松尾隆信

   鬼は外いつよりか声張らざりし     佐藤公子



『時空の座』拾遺・エッセー集    西池冬扇


  私の頭の中にはたくさんの人が時空を超えて住んでいる。

  それらの人々に時どき出てきて貰って架空の座談会を行う。

  称して時空の座という。

  時空の座がある限り人間は肉体を離れて存在することができる、などと不遜なことを言えば嘘っぱちだ。でも、そういって人に勧めたいくらい時空の座は楽しい。

                   ―「あとがき」より抜粋

  里山のあのあたりから祭り笛     西池冬扇

  行く秋の触れて冷たきモラエス像    〃

  モラエス像撫ぜる双子の遍路笠     〃


  

『冠羽』 仲原山帰来句集

  こでまりや雨くる多摩の坂がかり      仲原山帰来

  文京は槐の花の散るところ

  木枯や夕空へ飛ぶ葉のあまた

  日脚伸ぶ酒匂河口の波がしら

  塗り深き大山独楽を土産とす



「里」(代表 島田牙城)

  罐集めゆくがたつきの黄沙かな     島田牙城

  髪留は髪にしめりて卒業期       堀下翔




『雨奇』 前田攝子句集

  酒の粕かかへて雨の本堅田      前田攝子

  濡らしてはならぬ謄本春みぞれ

  山桜朝のひかりを温めをり

  梨咲いて介護ベッドの運ばれ来

  ほととぎす天王山の雨呼びぬ



  

  

  


# by masakokusa | 2018-05-31 19:59 | 受贈書誌より | Comments(0)
大峯あきら追悼・「晨集」最後の大峯あきら俳句鑑賞

 

                  

大きく、高く、深沈と           草深昌子


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大峯先生の作品をもう拝見できないとは・・・何ということであろうか。

最後になってしまった、山本洋子編集長へ送られた原稿を見せていただいた。

そこには、かの独特のまろやかにも力強いご筆跡があって、今にも語りかけてくださりそうな笑顔が充満していた。

大峯先生は終始、詩の生まれる不易の源泉は「自分が感じたことを正直に言う」ことだと、

実作からも鑑賞からも示して下さった。


はっきりと御降り音をなしにけり


さっきから降っていたお正月の雨が、今まさに雨の音として身の内に染み入るように目出度く感じられたのである。


 ひとり居る時の時雨のよく聞こゆ

大雪や音立ててゐる筧水

短夜の雨音にとり巻かれたる


蛇笏賞受賞句集『短夜』にある句々。

先生は耳がよかった、いや耳が敏いでは済まされない、詩人の沈思黙考。

大雪の句は菅浦の吟行であった、あの寒さを行きながら、どうして筧の水の音などを聞き止め得るのであろうか、

テーマを逸らさない感覚の鋭さに驚いたことを忘れない。

いずれも、絵画ならぬ、俳句表現ならではのもの。

この世の音のなつかしさに、ただしみじみとするばかりである。


千股から飯貝に来て木の実植う

木の実植う粉雪どつさり降りにけり


吉野町飯貝は、芭蕉も訪れたことがあり、〈飯貝や雨に泊まりて田螺きく〉の一句を遺している。

ここには大峯先生の専立寺と同じ、蓮如ゆかりの浄土真宗本願寺派の本善寺もある。

千股とは聞き慣れない地名であるが、地図を見ると千股と飯貝は吉野川を挟んでいる。

風変りな地名がふとした不思議を誘って、ダイナミックである。

「木の実植う」という悠久の思いに、「どっさり」は痛快。

貯木場もあるこの地の樹々は世々に根付いてやまないもののようである。

 

高く行く大鳥ばかり春隣

 大鳥のよぎりしのみの春隣


鳶と言わずして大鳥という、その心持ちがすでに大らかである。

今しがた、鳶がよぎった、ただそれだけで時の移りに寄り添われるのである。

嗚呼、大鳥はどこへ行くのだろう。

生きとし生けるものの切なさを感受された、その心映えは、鳥となり花となり、

等しく季節の中にあるいのちを慈しまれるものであったに違いない。


松風の毎日高き二月かな

冬川に大とどろきや吉野線


 大きく、高く、深沈と、最後まで精神の張りは失せなかった。


「芭蕉の俳句が三百年間生きて、今日の我々を感動させるとしたら、作品のみならず、

それを作った芭蕉その人が生き返っている。我々は流れる時間の中に生きているが、

その中で時間を超えたものと関係している」というお説は、

今後、大峯あきら作品を読み返すたびに、真理として実感されることになるだろう。

先生は見えなくなったけれども、先生はそこに居られる。


(平成30年5月号「晨」第205号所収・大峯あきら代表追悼特集)


# by masakokusa | 2018-05-31 19:51 | 俳論・鑑賞(2)NEW! | Comments(0)
大峯あきら先生との思い出(大峯あきら代表の一句並びに追悼句)   草深昌子


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  大峯あきら先生の一句


   檜山出る屈強の月西行忌       大峯あきら



  追悼句


   寒月のあまり大きく満ちにけり      草深昌子



師は「どこまでも深い写生を」と、とことん教えてくださいました。

お応えできなかったことを悔やみます。

でも今は何故か、稀に拙句に掛けてくださった、跳び上がるほど嬉しかったお声が身の内に反響するばかりです。

お励ましの言葉を宝として生きて参ります。

また、真理を語ってくださる迫真のご法話から、人は死なないことを知りました。 

大峯先生に邂逅できましたことは、私の人生の中で、何より大きな幸せでありました。


(平成30年5月号「晨」第205号所収・大峯あきら代表追悼特集)


# by masakokusa | 2018-05-31 15:06 | 俳論・鑑賞(2)NEW! | Comments(0)
昌子作品の論評・藤山八江

   軍港や秋の灯しの理髪店      草深昌子



 何の変哲もない光景を変哲もなく叙して心惹かれる。

 日常どっぷりの景が、あらぬかそこは軍港であり、秋の灯しが淋しげの

 理髪店なのだ。

 何処にあっても人の暮しはそう変わらない。

 軍港だけに、ことにそれが尊く思われる。

 先年、軍艦を始めて間近に見たのが、舞鶴の港だった。



(平成303月号「晨」所収)


# by masakokusa | 2018-05-28 12:07 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
『青草』・『カルチャー』選後に・平成30年4月       草深昌子選
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虫飛んで魚ひるがへる薄暑かな    坂田金太郎


 初夏の、少し暑さを感じる頃の気候が薄暑である。

「薄暑」の句と言えば、私の先師、原裕先生の〈声かけし眉のくもれる薄暑かな〉が、思い出される。

薄暑の頃は一番過ごしやすい時期ではあるが、急に気温が上昇して汗ばむほどになると、少々の不快感も滲ませるものになるのであろう。

ところで、掲句には、そんな心情をまともには表出していないが、それに似たある種のやるせなさのようなものをひそませながら、この時節の自然を見事に表出している。

「虫飛んで」は誰にでも詠えるが、「魚ひるがへる」が作者独特の把握である。

魚がスイスイと泳いだのでは薄暑にならない、水を裏返すように水面に胴体を見せたのだろう。私などは空に翻る鯉のぼりまで想像して楽しんでいる。




黒潮の波打ち寄せる遍路かな     河野きなこ


遍路は、その昔空海が修行された四国八十八か所の霊場を巡拝することである。

私も数回遍路の真似事をしたことがあるが、大方はバスツアーであって、いわば物見遊山の観光であった。それでもいたるところで村人の接待を受けるとそれなりに信心の気持ちを深くさせてもらえたものである。

 遍路を春の季題としたのは、高濱虚子の〈道のべに阿波の遍路の墓あはれ〉以来だとされている。

 次第に「遍路」も拡大解釈されて、坂東、秩父など三十三か所巡りなどもよく詠われるようになった。

 さて、掲句の作者は、四国遍路そのものをただ「黒潮の波打ち寄せる」と言い放って、それきり何も付加されなかった。

一切は読者の想像に任された、まことに大ぶりの秀句である。

黒潮は日本の近海を流れる暖流である。その海流の色は、黒く見えるまで青々としているのであろう、四国の沖辺りは大きくうねっているのであろうか。

私には、四国の風土、季節感はもとより、この盛んなる白波は、遍路杖をついて黙々と行かれるお遍路さんの足下のみならず、その心中にまでひたひたと打ち寄せるもののように実感される。



 

花冷の京の新居を訪ねけり      二村結季


 桜の咲く頃はあたたかくなっているのではあるが、不意に寒くなって震えあがることがある、それが「花冷」という季題である。

ことに京都の花冷は有名で、私も何回も体験していて、花冷というとすぐ京都を思い出してしまうほどであるが、ハナビエという言葉のひびきそのものが、すでに古都のゆかしさを印象させるのかもしれない。

そんな花冷に対して、掲句の新居は救いのように効いている。

古びた神社仏閣や苫屋でなく、新居であることによって、京都の冷たくも美しい空気感がいっそう際立ってくるのである。

作者は京都の桜を心ゆくまで堪能されたことであろう。



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永き日や干されて匂ふ濯ぎもの    中原マー坊


 春になると、めっきり日が永く感じられる。本来日が一番長いのは夏至の頃であるが、気候のよろしさが、長閑さをさそって気分がゆったりするのである。

この句はそんな春日遅遅たる日暮、洗濯物を取り入れたら、ふわっと日の匂いが漂ったというのであろう。

春の燦燦たる日差しが干し物に乗り移っていたのである。

俳句の骨法を心得た簡潔さが気持ちいい。

作者は写真の腕前がプロ級で、趣味としてはやはりカメラが一番、俳句は二番であろうと、かねがね俳句の側としては残念に思っていたが、こういう一句ができると俄然飛躍されるのではないだろうか。

いや、一番も二番もなく写真と俳句はよく似ている、その両者を切磋琢磨してこられたからこその一句であろう。




横浜は運河に浮かぶ花筏       間草蛙


満開の桜の花びらがやがて水に散って、まるで筏のように流れてゆくのが「花筏」である。

俳句初心の方はどういうわけか花筏が好きでよく詠われるが、私自身はそれほど興趣をもたないものであるが、この一句には唸らされた。

写真に撮ればまさに抜群のアングルであろう。くろぐろと厚みある水の表面にびっしりとつまった桜色は何とも言えない。

花筏と言えば千鳥ケ淵も神田川も素晴らしいが、横浜という歴史ある港の、その運河の花筏は美しいだけではないだろう、 しばらく余韻に浸ってもいいのではないだろうか。

 「横浜は」という打ち出し、「運河に浮かぶ」という静かな繋ぎ、それを受け止めて「花筏」というものをきっちり見せる。

要は、俳句は何も言わない、読者の想像力にお任せするのがベストなのである。



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以下の句に注目しました。


春眠や居間から笑ひ声のして     瓜田国彦

下萌や信楽焼の大たぬき       山森小径

春暁やずしりと白き月のあり     中野はつえ

目秤で皿に盛りたる蛍烏賊      伊藤波

囀や鉢植えに水たつぷりと      石堂光子

灯のごとく藪の椿の揺れてをり    平野翠

中天を燻り出したる野焼かな     湯川桂香

夏めくや富士白々とそこにあり    佐藤昌緒

花屑の銀河の中を駈けにけり     泉いづ

天蓋のレースの如き桜かな      宮本ちづる

鍬置いて見遣れば早やも燕かな    狗飼乾恵

金剛は頂き見せず鳥の恋       森田ちとせ

鎌倉のしづやしづ舞ふ桜かな     石原由起子

もこもこと山ふくらんで桜咲く    大本華女

州の風に躍るや藤の花       菊竹典祥

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竹林に囀る一羽ありにけり      潮雪乃

機関車の側で飛ばさう石鹸玉     芳賀秀弥

暁星の一つへ強く囀れり       末澤みわ

ビル風や二羽のつばくろ旋回す    堀川一枝

英虞湾や大小浮かぶ島うらら     田渕ゆり

花の雲白い子犬を引き連れて     菊地後輪

花散るや籾をひたして水を引く    関野瑛子

経唱ふ遍路に道を譲りけり      新井芙美


# by masakokusa | 2018-05-28 10:24 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
昌子作品抄・角川『俳句』平成29年9月号


  俳人スポットライト


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     熊本              草深昌子



  明易き熊本城の崩れやう


  人の立つやうに木の立つ安居かな


  夏鴨の鳴いて日中を飛びにけり


  梅雨茸の脂のやうなるもの吐ける


  開きては閉ぢては扇ものしづか


  白南風や城をかためて樟大樹


  たてがみといふも馬刺しの米焼酎




昨年11月、第三句集『金剛』を発刊し、今年2月に、結社誌「青草」創刊の運びとなりました。

俳句を始めた頃に、〈どの子にも涼しく風の吹く日かな  飯田龍太〉に出会い、

 40年経って、〈涼風のとめどもなくて淋しけれ  大峯あきら〉に出会いました。

 尊敬する師をもつ幸せ、俳句連衆の皆さまに鍛えていただける幸せを今さらに噛みしめています。






# by masakokusa | 2018-05-02 23:59 | 昌子作品抄 | Comments(0)