私の好きな古典の一句                  草深昌子
                         
   柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺     正岡子規

 この句を評して、碧梧桐は、〈柿喰ふて居れば鐘鳴る法隆寺〉とは何故言われなかったであろう、と言う。だがその表現では、他人ごとのようであって感動がない。「柿くへば鐘が鳴る」には、こう言わずにはおれなかった子規の切実、子規の躍動が感じられる。だからこそ人はその喜びを共有し、その面白さを堪能せずにはおられない。 やがて子規個人のことが自分のことのように思われてくるのだ。
 柿を食うたら、鐘が鳴る、何の因果もない関係を捉えた直感が、因果関係があるから理屈だと鑑賞する向きのあることがすでにこの俳句の力を物語っている。
 人生には不思議が多い。人と自然とのかかわりは大方は偶然に過ぎない。否、偶然として見逃すから偶然なのであって、耳目を凝らして待ち受けていれば、偶然の中から必然を見出すことができる。子規だからこそ鐘を鳴らすことができた。偶然を必然に変えたのが子規の迫力である。
 今、脇にいる二歳児に口うつしに言わせてみると、ぎこちなくも十二音をもらさず言って、ホーリュージと大きく口を突きだして息を吐ききったとき、そのリズムの快感に手を打って喜ぶのである。
 母や祖母が日常の中でよく、「―、カキクエバカネガナルナリですわ」と笑い合っていたのは、謂れない符合が人生そのものであることを俳句にこと寄せて納得していたのであろう。私もまた子供の頃から口ずさんでいたから、俳句というよりは標語のようでもあるが、やはりいのちの静けさに満ちていることに気づかされる。

   糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
 糸瓜が咲いた、しかるに、痰がつまった、命旦夕に迫っても、柿食えば鐘が鳴る式のゆとりは失われていない。天性の明るさ、天性の明晰、まことに打てば響くように直感する詩人であった。

   絶えず人いこふ夏野の石一つ  
 愛誦句である。大空から俯瞰したような涼やかな「夏野の石一つ」こそは私にとって子規その人にほかならない。子規という盤石にどれほど癒されたかしれない。子規は病者ではあったが弱者ではなかった、巨人であった。いついかなるときもすぐそこに居てくれる気がする。
 脳科学者の茂木健一郎によると、メタ認知といって自分をあたかも外から見ているようなことをできる人は、苦しさを人生の糧にできるのだという。その最たるものが子規の頭脳であった。

 明治二十八年、日清戦争従軍後に喀血、松山で漱石らと交遊ののち東京への帰途、腰痛をおして大阪、奈良に遊んだ。子規が歩いた最後の旅に得られたのが「柿」の句である。
 その二年前、奥州旅行記に、「― 無窮時の間に暫らく我一生を限り我一生の間に暫らく此一紀行を限り冠らすにはてしらずの名を以てす。はてしらずの記ここに尽きたりとも誰か我旅の果を知る者あらんや。」と記した、哲学好きの、情熱の子規の旅路は、実は今も果てしなく続いている。

(2008年9月号「晨」 第147号所収)

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by masakokusa | 2008-08-27 21:08 | 俳論・鑑賞(2)NEW!
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