秀句月旦・平成20年4月               草深昌子

   入学児に鼻紙折りて持たせけり    杉田久女
   栴檀の花散る那覇に入学す       〃


 子供の小学校入学に際し、若き母親はいささかの緊張とともに冷静にやさしく鼻紙をきちんと折って持たせた、頑是ない子もきちんとそれを握りしめた様子である。
 「ハンカチと鼻紙」はセットであるからここは「ハンカチ」でもよかった、だが久女はハンカチでなく「鼻紙」を選び取った。ここに俳句に対する久女の天性の信頼がうかがわれる。鼻紙であればこその入学児のあどけなさ、母親ならではの頬ずりしたくなるような情愛がにじみ出るのである。絶えず鼻をすするのが昔の子供の表情であったが、入学に際し子供の顔もちょとあらたまった感じである。
 
 センダンノハナチルナハニ、このダイナミックな調べは、「入学す」という下五に凝集されて、堂々としている。引き締まった顔立ち、そこには胸を張ってまっすぐに歩みはじめた子供の意志すら感じられてくる。久女ここにありという気がする。
 「花(ハナ)」が「那覇(ナハ)」を尻取りのように誘いだすことも韻律をいっそう弾ませているようである。栴檀の花は本州では5月か6月に咲く薄紫の花であるが、南国那覇では4月にもう咲いて散るのであろう、いかにも温暖な感じの栴檀の花がスケールを大きくしほのぼのとしている。  「栴檀は双葉より芳し」と、大成する人は子供の時から優れているということばを思い出すまでもなく利発な入学児である。

 前句の細やかさ、やさしさ、後句の大きさ、強さ。両方とも久女のものである。表がやわらかであっても裏には強さがあり、表が強くあっても裏にはやさしさが控えている。物を見通す力の凄味とともに、比類なき愛情の深さが思われる。


   さまざまの事おもひ出す桜かな     芭蕉

 先日、満開の桜をくぐりぬけて、百歳にならんとする母を見舞ったが、すでに母はボケていて私が誰だかわからなかった。数年前には姉と二人で両脇を支えながら、きれいな―きれいなーと言いながら、ここ高田川の土手の桜を堪能したというのに。あんな幸せな花見はなかった。そう思いだしながら夢幻のごとく私はやはり母の手をひいて花の下をゆっくりゆっくり歩いているのだった。「さまざまの事おもひ出すさくらやなー」とつぶやいていた。はっとした、あっ、これは芭蕉やったなー。
 なんてすごいことだろう。三百年以上も前の芭蕉の言葉がいま私の気持そのものとなって、私の眼前に繰り広げられている光景そのものとなって〈さまざまの事おもひ出す桜かな〉と反芻してやまないのだ。
 私のことなどわかっても、わからなくても、もうそんなことはどっちでもいい、桜にまみえることの幸せに涙がにじみ出るばかり。
 毎年、標語のように口ずさんでいた芭蕉の一句は、命あることばとなって今年いまここに、しんじつよくわかった。私は、母もろともに本当のことばを泣きたい思いで抱きしめていたのである。

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   大いなる春日の翼垂れてあり   鈴木花蓑

 花蓑というと、〈団栗の葎に落ちてくぐる音〉、が先ず浮かぶ。かにかく緻密に徹底した写実こそが花蓑と思いきや、はたして、「春日の翼垂れてあり」という、この大いなる転換にはあっと驚かされる。発想の転換などというものではない、じっくりと観察する時空の中からある時じわっとつかみ取った実感、自然へのいれこみであろう。
 春の太陽は、燦燦たる陽光でありながら、どこかけだるさ、ものうさを感じさせられることが、「翼垂れてあり」という周到の修辞によく出ている。
 蕪村の〈春の海ひねもすのたりのたりかな〉にどこかかよっている。蕪村の海にしても、花蓑の太陽にしても、紛うことなき大自然の春そのものの色や味わいを悠然とかもしだしているのである。


   その辺の草を歩いて啄木忌    大峯あきら

 一句からは、石川啄木の歌がたちどころに浮かび上がってくる。
〈不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心〉、あるいは〈その昔小学校の柾屋根に我が投げし鞠いかになりけむ〉、だれの胸にも思い出の底にその歌とともに芒洋と存在する天才歌人啄木を彷彿と引き出してくれる。そのなつかしさが一句を気持ちよく清々しく朗誦させる。
 「その辺の」、「草を歩いて」、何でもない平明な言葉の連係が濃密に読者のこころに響いてくるのは、作者その人が本当に心の底から湧きあがってきた啄木を偲ばずにおれない気持ちの濃さにほかならない。
 その辺の草一つにしてもあだやおろそかに見ているのではない、本当の詩人のことばは本当の詩人の胸にいまあきらかに伝わっていることが、なぜだかわかるのである。
 夭逝の啄木になりかわって喜びたい気分である。


   田に人のゐるやすらぎに春の雲   宇佐美魚目
 
 春の雲があるべきところにあるべき姿をして浮かんでいる句である。つまり「春の雲」の本情のままに美しい情景である。広々した空間に一点景として人がいる、そのことがぽっかりと浮かぶ白雲をみるからに春の情趣に包み込んでいるのである。
 風景は不思議なもので人を容れるとふいに輝きはじめる。一句の息遣いからは、人間もまた花鳥同様、自然の中に循環する命を持っていることを気づかされる。
 「やすらぎに」という「に」の助詞のはたらきが美的に静かに作用していることはいうまでもない。


   春の燈や女は持たぬのどぼとけ   日野草城

 女の喉が白いとか、すべすべであるとか、その美しいさまを述べたら平板な事実にすぎない。
「女は持たぬののぼとけ」とわざわざそこに見えない喉仏を引き出してくるあたりが凡手にはできない。喉仏がないとまで言うからには、近々と相寄ったのではないだろうか、肌触りまでも想像させるあたり、俄に奥行きがましてくる。
 男が見つめている女、ここには艶なる何かを感じさせるものがある。それはとりもなおさず「春燈」という朧なる夜のともしびのありようである。


   永き日や波のなかなる波のいろ  五所平之助

 昭和55年3月発行の月刊誌『太陽』は「俳人とその職業」を特集している。その表紙を飾った写真は今もよく覚えている。富士山を背景にロケ中の俳人・五所平之助の悠然たる姿であった。五所平之助は、昭和期の映画監督として有名であったが、初代「伊豆の踊り子」を撮ったことでよく知られている。
 「僕の映画には必ず季節感をとり入れた」「光と影と、前者が映画監督の道とすれば後者は俳句の道。二つの道は表裏一体だ」、という言葉がそのまま、掲句の印象にかさなってくる。
 春のあたたかな一日、なかなか暮れようともしないのんびりとした感覚を逆にシャープに切り取っているあたり、まさに光と影の陰影をかもしだしている。微妙なところを捉えた鋭敏な感覚もさることながら、「永き」、「波のなかなる波のいろ」と「ナ」音をたたみかけてひっぱってゆくあたりの表現も、永き日という空気感を眼前に打ち出して、まこと映像的である。


   臍の緒を家のどこかに春惜しむ  矢島渚男

 「臍の緒」ということばがすでに懐かしい。赤ちゃんと母胎をつないでいた柔らかな命の管ともいうべき小さな名残り。子を産んだあと真新しい桐の小箱に納められた、それを桐のタンスに大事にしまい込んだ記憶はあるが、さて何十年も経ったいまはどんなふうに眠っているのであろうか。
 掲句の「家のどこかに」が何ともゆかしい言い回しであって、かすかに切なさを漂わせる。はっきりとさせないで、芒洋とさせておいて、なおたしかに存在しているであろう一塊のくらがりを読者に想像させるものである。
 「春惜しむ」ということは、言いかえればこのような、なにかはっきりしないけれど、胸にふっと湧いてくる淡い感傷的な思いに違いない。そして何よりソフトな感覚である。


   ただひとりにも波は来る花ゑんど   友岡子郷

 真鶴半島を歩いてさらに福浦漁港に立ち寄った折、白波を向うに、支柱にワンさと這い上がった白いえんどうの花が揺らいでいた、その時、数人が期せずして掲句を口ずさんだ。
 「いいわねー」とみな目を細めた。一つの風景が一句と結びついて、一人一人の胸にたたみこまれていった浦風の静けさは忘れられない。
 この句は意味的に「ただひとりにも波は来る」と、すっと読み下したくない。ここはやはり五七五の調べを意識し、「ただひとり」であるかなきかの間をおき、「にも波は来る」とすかさず明瞭に続けて、「花ゑんど」とドスンと抑える。あとは余韻余情にたっぷりひたるばかり。
 何でもないように見えて緊密な構成が、寄せては返す波の詩情にかぶさってくる。

 後に知った事であるが、掲句は平成7年、阪神大震災後、安乗岬での作品であった。「青海原から寄せてくる波を見ながら、私は自己の孤心を思い、それから震災死者たちの無念を思った」と作者は記されていた。


  子のくるる何の花びら春の昼   高田正子

 伊東静雄に「春浅き」という詩がある。
―あゝ暗と  まゆひそめ  をさなきものの  室に入りくる   いつ暮れし  机のほとり  ひぢつきてわれ幾刻をありけむ   ひとりして摘みけりと  ほこりがほ子が差しいだす  あはれ野の草の一握り   その花の名をいへといふなり  わが子よかの野の上は  なほひかりありしや   目とむれば  げに花ともいへぬ  花著けり ―
 しみじみと、ああいい詩だな、と思う。
 掲句はまたしみじみと、いい俳句だなーと感じ入る。
 愛らしい幼な子がうら若き母のたなごころにあまやかに触れてくる、そのささやかなスキンシップは、「春の昼」の情感そのものである。
 どこかけだるいような肉感、幸せならばこそのふとした愁いをそっくり季語に包み込んで、ただ寡黙に十七音を提示するのみにとどめている、これが俳句である。


   われもゐし妻の若き日桜貝     大屋達治

 「われもゐし妻の若き日」、何となくそっけない口ぶりだが、「桜貝」に仮託した心情は結構ごちそうさまである。
 古い写真をみると、妻のうしろに写っている脊中、「あら、これあなたじゃない?」なんてことはよくあるだろう、俳人はそんな微妙な郷愁を瞬時にすくいあげる。
 結婚するなんて思いもよらなかったあの頃、でも後ろから見守っていたオレだよ。甘いばかりではない、そこはかなとなき時空の不思議さ。
―ほのぼのと薄紅染むるは  わが燃ゆるさみし血潮よ  はろばろと通う香りは  君恋うる胸のさざなみ―「桜貝の歌」も当然下敷きにあったであろう。


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by masakokusa | 2008-04-01 09:41 | 秀句月旦(1)
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