師系燦燦 九
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 「若葉」の系譜
 ―――富安風生を師として(一)


  大文字夏山にしてよまれけり 風生
  蛍火や山のやうなる百姓家
  蝶低し葵の花の低ければ

   
 富安風生の処女句集『草の花』は昭和八年、四十八歳にして上梓された。
福岡為替貯金支局長として赴任中の三十四歳の折、巡遊してきた虚子の謦咳に接したのが俳句の皮切り。この頃のことを「福岡でひとたび俳句の針を咽元深くのみこんだ私は、俳句が面白くてたまらず」と記している。

  街の雨鶯餅がもう出たか    風生
  一生の楽しきころのソーダ水  
  秋晴の運動会をしてゐるよ

   
 風生の句はもとより軽妙瀟洒だが、一字一句もゆるがせにしない洗練された新味は、口誦するほどに鮮やかである。

  夕顔の一つの花に夫婦かな  風生
  古稀といふ春風にをる齢かな
  生くることやうやく楽し老の春 
  死ぬまでは生きねばならぬ手毬手に
  わが齢わが愛しくて冬菫
  春惜しむ心と別に命愛し
  九十五齢とは後生極楽春の風


 夕べに開く「夕顔」に重ねて、老を意識しはじめた五十九歳から、辞世に至るまで流麗なる風生俳句の一条にして長い道筋は「命」を肯定的に詠いあげることにあった。
「ー― 所詮この一つの小さい俳句の虫は死ぬまで同じ小さい俳句の虫、というわけであろう」とは、第十二句集『傘寿以後』のあとがきである。

  風生と死の話して涼しさよ  虚子

 虚子八十三歳の作品である。この時風生は七十二歳。虚子の風生たる人間への心の預け方と共に「風生」という語意や語感もまた自ずから涼しいその人を印象づけるものである。

  藻の花やわが生き方をわが生きて 風生

 生前に十五冊の句集、一冊の遺句集が出版された。人口に膾炙された名句は数知れないが、風生ほど俳句に謙譲なる人はいない、風生ほど自身を信じて疑うことの無かった俳人はいないのではないだろうか。まこと名にし負う風生の風格に驚くばかりである。  


         ☆

 岡本眸の『午後の椅子』(平成十八年十二月刊行)は、氏の第十句集で第四十一回蛇笏賞を受賞した。
昭和二十五年職場句会を通じて富安風生に師事、「若葉」入会。昭和三十二年より「若葉」編集長であった岸風三樓の指導を併せて受け、「春嶺」同人。風生逝去の後、昭和五十五年「朝」を創刊・主宰。因みに、氏は昭和三年「若葉」創刊の年に誕生している。

  温めるも冷ますも息や日々の冬
  花種を蒔き常の日を新たにす
  初電車待つといつもの位置に立つ


 一句目、こんな大いなる発見さえも、これどうだ、という顔はしない。下五の「日々の冬」は普通の顔をしている。その平生なありようが命を養うしずけさを漂わせている。
 二句目、花種を蒔くという行為はあたかも俳句を生み出すそれに似て、切なる祈り。 
 三句目、常の日の常の出来事はたとえお正月であっても同じこと。定位置に足を揃えたとき、いじらしいまでの真面目さに思わず笑みがこぼれた。その瞬時こそが、命を新たにするめでたさの確認である。

  ひかり飛ぶ時間のひまの更衣
  浮氷見てゐる自由時間かな
  石蕗咲いて午後の時間のひと握り


 「俳句で忙しいというのは恥ずかしい。俳句は自分の歩みの少し後ろにあるのが良いと思っている」、肝に銘じている眸語録である。
 一句目、更衣という光陰の通過点、一瞬にして身を軽くしたような感覚が光っている。俳句の意匠も少しもモタモタしない。
 二句目、冬の間張り詰めていた氷が春になって解けてきた。「自由時間」の語感には、氷の硬い感覚と体まで解けていきそうな緩やかな思いがこめられている。
 三句目、風生に〈石蕗黄なり文学の血を画才に承け〉がある。文才を画才に承けたのは、むろん人のことであるが石蕗の花自体にある輝かしさのようにも思われる。そんな好ましい石蕗の花を目の当たりにしながら、束の間の日差しに心してペンを走らせている。

  室咲や姪来て何かして呉れる

 〈姪来て何かして呉れる〉は一見、日記に書き付ける日常語のようであるが、「姪来て」といい、「何か」といい、俳句的処理の技術が格段に違う。「室咲」でもって一気に詩情あふれる俳句に仕立てあげた。他のなにものにも置き換えられない室の花は清らかで透明な空気感や会話までをも伝えてくれる。
 氏の代表作〈雲の峰一人の家を一人発つ〉、と共に「俳句は日記」の本領をもっとも発揮している句であろう。「雲の峰」の緊張感、「室咲」の安堵感、共に日常を生きる独りの人間の表裏を普遍的に描き出している。

  きのふより今日枯深し飯白し
  暖かし人帰したるそのあとも
  パセリ青し癒えねば何も片づかぬ
  まつ白な息が言葉に今日はじまる
  一生の残り時間の夜干梅
  さみしくてならぬと水の温みだす
  星空へハンカチ貼って生きむかな
  帰れば孤り赤い冬服脱ぎおとし

  
 作家の「俳句は日記」という信条はいかにも俳句を取り組みやすく思わせる。だが謙虚なもの言いほどにたわやすいものではない。
 リルケの『若き詩人への手紙』の一節が思い出される。「もしあなたが書くことを止めたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白してください・・あなたの夜の最もしずかな時刻に、自分自身に尋ねてごらんなさい、私は書かなければならないかと」。
 作家に存在しているのは常に今だけ。日記とは今を書き付けるもの、明日は知れない、今しかない命の「俳句は日記」なのである。必然から生れた詩情にこそ読者はうたれる。 

  幼きへ木の実わかちて富むごとし
  きんぽうげハモニカは子を俯向かす
  やうやくに齢重たし落し文


 一句目、お金があるとかないとか格差社会の嘆きの何と虚しいことだろう。〈並べある木の実に吾子の心思ふ 虚子〉、〈よろこべばしきりに落つる木の実かな 風生〉、いつの世の木の実もいきいきと生きている。
 二句目、子供をいつくしむ眼差しがやさしい。きんぽうげはハモニカの金と大の仲良し。
 三句目、風生をしのぶ〈やうやく〉である。「落し文」はペーソスにしてユーモラス。
丁寧に生きてかつ朗らかさがあるのは、作者が若くして癌を病まれたことと無縁ではないだろう。第一句集『朝』のあとがきに、手術を控えた母親が、気丈にも平静に、わが子に「・・寒くなったから冬の下着出しなさい。お父さんのは箪笥の下の抽斗よ。お母さんは大丈夫、あんた達風邪をひかないで・・」という電話をしている、誰とも知らない女性の声を病床に聞き止め、女とはなんと素晴らしい生き物なのだろう、人間は死ぬまで社会の担い手の地位を棄ててはいけない、と気付かされたことを感動的に書きとどめている。この出来事は後々まで眸俳句に通底している。
 風生はその序文で、どこまでも女流俳句というベースに立っていることを称えている。師の示唆を深く受け止めて、処女句集の時代からその方向性を見定めた。それは虚子が勧めた台所俳句の延長にも似て粛々たるものであったが、風生の教えの通り〈わが生き方をわが生きて〉来たのである。
 今や岡本眸俳句は目の覚めるような鮮やかな一つの現代女流俳人の典型を現している。


           ☆ 

 鈴木貞雄の『遠野』(平成十八年九月刊行)は氏の第三句集。昭和三十九年慶應大学俳句研究会に入り、清崎敏郎に師事。平成十一年、三十五年間師事した師の亡き後を承け「若葉」の三代目主宰を継承した。

 「若葉」は初め風生一代と考えていたが、誌友が拠り所を失ってはいけないという気持から後継者に清崎敏郎を指名した。

   敏郎君へ二句
  潺々と虚子より承けし水の秋  風生
  二た流れ和して同ぜず水の秋
  
 
 敏郎は昭和五十四年風生没後を継承した。昭和十五年風生に師事、昭和十八年からは虚子にも師事をした、花鳥諷詠の徒である。
貞雄も又敏郎の遺志に従って、その継承はスムーズに行われた。

   敏郎先生御逝去 二句
  大いなる泰山木の花散華    
  胸奧の一滝に耳傾けむ     
  初刷や一誌承け継ぐこと重し
   主宰就任
  迷ひなきこの道をゆく石蕗の花


 継承にあたって思い起こされるのは〈滝落したり落したり落したり〉、〈石蕗咲くや心魅かるる人とゐて〉等、師の実作と理念である。

  熱し熱しと虫送る火を掲げゆく
  火達磨のぶつかり落つるどんどかな
  水揚げの間も日は昇る鰹船
  嬰児籠に猫のねむれる炉火明り
  囀りを共にす縄文杉と吾
  祭獅子綿を噛ませて休めあり
  たなごころ月にひらきて踊るかな
  ほっかりとかまくらの灯の世界かな


 掲句の前書きは順に、越谷虫送り、大磯どんど、御前崎、遠野、屋久島、佃祭、西馬音内盆踊、横手、である。ほぼ千二百句を収めた持ち重りする一書は、これらの民俗行事や祭事の自然詠が何より圧巻である。
 他に、郡上八幡、小川百八灯、瑞厳寺、遊行寺芒念仏、浪江、中之条鳥追祭、秋山郷、旭川、霧積、松山・尾道、八尾、三峰神社、出水荒崎、三春、三崎、裏磐梯等など、津々浦々の旅吟は静謐な情熱に満ちている。

  天地のはじめの嗚呼を初鴉
  つばくらの嘴に藁しべ一文字
  子雀といふに凛々しき頬の紋
  まくなぎの暫くばらけ遊びをり


 耳目に触れなければそれまでというような小さな命の小さな現象が、ときに人間の懈怠を叱咤激励してくれるものである。
 一句目、最も卑近な鴉声をして元朝薄明の宇宙を力強く大きくひろげきった。氏の処女句集にある〈捕虫網まだ使はれぬ白さもて〉が思い出される、新品の清浄感。
 二句目の一文字、三句目の頬の紋は、まるで燕や子雀の意志の如くにいじらしい。
 四句目、「ばらけ」を捉えて、むしろ顔面を離れないまくなぎの密集を感じさせる。 

  横顔にして咲きそめぬ沙羅の花
  なかぞらに滝の背骨の顕ちにけり
  峰づくりしてはをれども秋の雲
  ひよん吹けば絮のごときが飛びゆけり

 
 一句目、「横顔にして」とのみに沙羅の花を詠って作者の情感が滲み出てくる不思議。
 二句目、「滝の背骨」というメタフアーは、ダイナミックな一瀑を描ききっている。「なかぞら」もまた一切の邪念を払拭している。
 三句目、夏から秋へ移行する自然のありようを見落とさない。「してはをれども」というゆったりとした呼吸があたりを見渡すかのような広がりを見せて爽快である。
 四句目、「絮のごとき」がすでに切ない。正直な具象は図らずも作者の思惟を伝える。
どの句も、季題そのものへ直截に迫りながら、余白を大きく描いている。

  羽子板に今も青年裕次郎
  初夢の師と問答を交しけり
  右顧左眄せずひたゆくが恵方道
  老梅のくれなゐの艶風生忌
  師を憶ひをれば前山しぐれくる


 敏郎に〈ポスターに裕次郎ゐる氷店〉がある。師が素材としたものはいつも心にかかっているものである。「今も青年」がいとおしい。 
 初夢の中なる師弟の俳句問答、これほどの吉夢はないだろう。 
風生にも敏郎にも右顧左眄はなかった。師の信じた道、人間の命もろとも自然の命をいとおしむ道こそが吉方である。師への思いの深さが継承をゆるぎないものにしている。
 「若葉」は平成十九年九月号で通巻九百三十五号を迎えた。

(2007年10月5日発行「ににん」秋号№28所収)

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by masakokusa | 2007-10-03 22:59 | 師系燦燦
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