石田波郷・俳句鑑賞                草深昌子
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                                史上の一句・波郷

  霜柱俳句は切字響きけり

  
  葭雀二人にされてゐたりけり

 初学時代から今もって好きな句である。好きというより私自身のものになりきっている。お見合いをした遠き日の空気感そのものとして・・。波郷ならではの抑制の効いた言葉の選択にほほえまされる。これが行々子なら縁談はまとまらなかったかもしれない。葭雀という語感にはまんざらでもない気分が滲みでている。
 結婚は、昭和十七年波郷二十九歳のときであった。昭和二十一年、江東区北砂町に居を構えた。今はあき子夫人の実弟が継がれている住居跡を訪れると、はたして隣は墓原であった。

  霜の墓抱き起されしとき見たり

 倒れて霜を置いた墓を人が抱き起しているのを見た、という解釈に波郷が落胆した句であるが、その一瞬の誤読が尾を引いて、霜の墓が波郷の身体そのもののようにだぶって印象されるあたりは、切なくも興趣をさそうものである。この句に限って言えば、龍太の「手こぼしがあっては一級の作たり得ない」という結論通りであるが、この種の、上五で断絶し、下十二に叙述する形式は波郷独特である。

  百日紅ごくごく水を呑むばかり
  寒椿つひに一日のふところ手
  細雪妻に言葉を待たれをり
  金の芒はるかなる母の禱りをり


 ここには一旦遮断するものの、すかさず下十二に引き継いで再び季題とゆったり融合して、十七音でたっぷり物語る世界がある。波郷の境涯が誰にでもとどく実感として受け入れられるのは詠おうとする内容が季題そのものの表情になり代わっているからであろう。もっとも切字で接続する、〈初蝶やわが三十の袖袂〉〈遠足や出羽の童に出羽の山〉〈琅玕や一月沼の横たはり〉などはいかにも颯爽としておおどかである。どちらにしても波郷の声調はなべて内容とひびきあって、えも言われぬ感興をもよおされる。
 さて、「俳句は切字響きけり」の一句には、霜柱が屹立している。文字通り韻文の響きにいのちをかけた波郷の矜持に違いない。「写生しろ、よく見ろと言ったって、そいつに何も無ければ何もみえちゃこないんだ」と酒席で言い放ったというように、波郷は「われ」を述べようとする散文的体質が強かった。だからこそ誰よりも自身に韻文精神を徹底させなければならなかったように思われる。
 先日、「馬酔木」千号記念祝賀会が催された。受贈の『秋櫻子一句』の中に〈鶴とほく翔けて返らず冬椿〉の追悼句、さらには秋櫻子逝去の七ヶ月前の句〈波郷忌や新蕎麦くろき深大寺〉を見出した。
 波郷は十九歳で上京し、秋櫻子門下でその片腕となって活躍したが、自身は、「僕の系譜は虚子―青畝―古郷―波郷となる」と言う。何と言おうと波郷は秋櫻子の最大の愛弟子であった。

    (2007年9月号「晨」第141号所収)
by masakokusa | 2007-09-11 12:54 | 俳論・鑑賞(2)NEW!
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