山の神・本多佑子
花冷えの竹を割るとき人の息
〈花冷えの〉 で一瞬の小休止があるが、直ぐに〈竹を割るとき〉 に繋がる勢いがある。然るに、下五の措辞は、人の息である。真青に走る竹幹の冷たさは尋常ではない。その感覚の冴えを、一呼吸おいた気息でもって包み込んだ。
桜時のときとして底冷えにも似た冷ややかさを、さすがに季節の情を逃さないで、余韻たっぷりに表出した。
作者の志す、「強く美しい句」を見せていただいた。
袖口に松葉匂へる朧かな
松葉といえば、「海辺の戀」(佐藤春夫)を思い出す。
こぼれ松葉をかきあつめ
をとめのごとき君なりき
こぼれ松葉に火をはなち
わらべのごときわれなりき。
一句の松葉は、こんなロマンでなく、もっと現実に即した背景があろう。だが、読者には、生活感を詩情に高めた朧の情緒がなつかしい。ほのかな芳香を漂わせながら、しんとした印象でとらえた朧は五感のすべてに通う。
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潮騒・吉田玉恵
蟹が家へ細き石段夏燕
〈細き石段〉を上り行く、そのぎゅっと圧縮されたような空間がすでに旅人の心を高揚させる。折りしも、行き交う夏燕。天地一体となりゆくような心弾みを誘われたであろう。
詠法は淡々としているが、そのシンプルな言葉の連係が、景のみならず情を伝えて心地よい。
漱石の句に、〈 思ふ事只一筋に乙鳥かな〉 がある。まさに燕の飛びようを活写している。それにも増して、育雛期の燕はまめまめしい。そのいじらしさはわれわれ人間に似通っていっそう親しみ深い。掲句の夏燕も蟹の生計の健やかさを存分にうかがわせる。
浜を掃く少女に夏の来たりけり
一読、清涼感に魅了される。少女の竹箒でもって空の欝陶しさを一掃した趣がある。潮風は肌に馴染んでにおい立つばかり。浜を掃く少女の仕草は、こころもち乙女さびて、やがて主婦となり母親となりゆくであろう行く末が頼もしく想われる。それはまた、立夏の情でもある。
「けり」の用法が、箒を遣う速度にかなうように、ゆったりと一句にゆきわたる。
(2003年9月号「晨」第117号所収)