八月も半ば過ぎ、私は広大な新宿御苑の一隅に幸せな風景を見た。
鮮やかな真みどりの芝生に、初老の男女が座っていた。一木の影が二人の純白のシャツを紫紺に染め上げていた。
前方に台湾閣があった。その真正面に腰を据えている画家の後方に、二人は座っていた。男と女の間には、もう一人だれかが座ってもよいようなはざまがあって、そのはざまを絶え間なく風が素通しにくぐりぬけていった。
二人は一つのお弁当を分かち合っていた。ときおり、男女のどちらともつかない大きな声が弾んだ。かと思うと、女の涙を拭うようなしぐさが見えて、狼狽したかのように、男の動きが不自然に見えた一瞬があった。しかし、すぐに元の静けさにもどった。清流のせせらぎのような女声と、丸木橋を打つ靴音のような男声が、交互に、風に流れては消えた。きらきらと光る会話は、汲んでも汲んでも、汲みつくせないという風であった。
私は、眼前の台湾閣が画家のこまやかな絵筆でもって、実体よりも明るくみずみずしく描きあげられてい一部始終を見つめていた。二人もまた、画家から目を離さないでいるらしい。それは、充足した時の流れを見据えているという風であった。
私の直感では、二人は夫婦でないことが知れた。私はその男女の顔をのぞきこんだわけではなかったが、その瞳の澄みと輝きを思わないではいられなかった。
耐えがたい夏の暑さが衰えてきたことに、一抹の寂しさを覚えていた私は、この二人の間を吹きぬける透明の風のさわやかさを共有することによって、清新な季節の到来の予感になぐさめを得ていた。
私は二十五年も前に見た『幸福』という映画を思い出していた。よちよち歩きの子を連れて、花のあふれ咲く野原へ若い夫婦はピクニヅクに出かけた。夫は妻のひざまくらで仕事の疲れをいやした。まもなく夫は妻以外の女を好きになった。が、以前と同質同量に妻を愛していた。ある日、夫に女のことを打ち明けられた妻は水死体となって横たわった。時を移して、新しい女と夫と子供は、同じようにピクニックに出かけていた。美しい映象のうしろに、モーツァルトの音楽が甘くてはかなくて、残酷な、幸福をうたっていた。
美しい風景の中にいることの他に、幸せとは、こういうものですよと、さし示すことはできないものらしい。
私の見ている二人もまた、今われここにありということのほかに、何か示そうとするものは何もなかった。しかし二人は、私を、恋を知りそめた遠い昔にまでひきもどしたかと思うと、まだ知らない人生の果て近きところまでさそいこんだりした。
自転車で見回りに来た人に「閉園ですよ」と、うながされると、二人ははじかれたように立ちあがった。二人はあたりを見回した。画布をあまさず塗りあげた画家も、子供連れの一家も、も早だれもいなかった。
二人は、自然の中で、自然と一体となっていた。
幸せは誇示するものでも、隠蔽するものでもなかった。自然の中で、あるがままにふるまっていた彼らの風景こそが、幸せというものだろうとうらやましかった。
そのひとときの幸せの空間から、出口へ向かって歩いて行く二人の頭上に、短い命をふりしぼるように、いっせいに蝉が鳴いた。
(「鹿火屋」1992年8月号所収)