ひもじきとき鉄の匂ひの秋の風 山口誓子
秋風にさそわれるよに、ある禅寺を訪れた。寺のしおりに、こう書いてあった。
「匙というものは一日何回となく汁の中につけられるが匙には汁の味がわからない。
しかし、人間の舌は汁の一滴をたらせば一度で味がわかる。どんな立派な人に接しても、立派な書物を読んでも、匙のように無感覚ではいつまでたっても何もわからない。高等教育を受けても学問が身につかないのでは何にもならない」
一つのことが思い出された。あのオウム事件で、坂本弁護士一家の遺体が発見されたあと、母堂が記者会見された時の話である。
「私は昔から良寛の歌が好きだったのですが、〈この里に手毬つきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし〉という歌を、捜索中の孤独のうちに私はよく歌っていました。骨になった龍彦に、この歌を聞かせてあげました」。胸を衝かれた。
過ぎた日の怨みを一切言わず、麻原に対しても殺してやりたいとは言われなかった。「人間と思っていないから、何を言っても通じない」と。悲痛な面持ちに胸が締め付けられた。
ニセ宗教の起こした凄惨きわまりない事件は忘れられない。
涙に暮れるしかない母の心をかそけくも癒してくれたのは、二百年前の托鉢僧の一首であった。良寛は、子供らと手毬をつきつつ無心の法楽を見出した歌人である。その良寛のこころに慰めを求められたのである。ぶつけどころのない怒りを、自らの力でもって慰藉する方向へ向わしめたのは、母堂が若き日に受けられた教育を真に自己のものとして身につけておられたからこそである。
犯人たちは最高学府を出ながら、一体どこでどんな教育を受けたというのであろう。まさに人間の舌を持たない、匙でしかなかったというのであろうか。
(2003年12月・芽の会文集・所収)