草深昌子句集『青葡萄』
    
            あとがき

 私の生れるずうっと前からこの世はあって、私が消えてからもずうっとこの世はありつづける。―――そんなあたりまえのことが幼いころからの不思議でした。
 とめどなく流れる月日の中を、人として、ほんのつかのま通り過ぎることを思うと、喜びは一瞬、悲しみも一瞬といえましょう。
 そんな切ない瞬時のかがやきを、手触りのあるものとして握りしめ、ことばにとどめてゆくことができたら・・・そう願って俳句を作ってまいりました。
 私の俳句は、嬉しいときには嬉しい、淋しいときには淋しいと、脈打ってあるいのちを私自身に教えてくれました。
 平成五年、私は知命を迎えます。そして戦死した父の五十年忌を修します。
意義深いこの年に、原裕先生のご厚情により、句集上梓の運びとなりました。感慨ひとしおでございます。
 振り返ってみますと、今日まで、何と多くの皆様のとの出会いに恵まれ導かれてまいりましたことでしょうか。私の幸せは、そのことをおいてほかにございません。

収録句は、鹿火屋入会以降のもの三百句に限りました。41歳から47歳までの6年間の作品となります。
 上梓にあたりまして、原裕先生には身にあまる序文を賜り感謝の気持でいっぱいでございます。また牧羊社の小島哲夫様のお骨折りをいただき、鹿火屋の諸先輩方にお励ましをいただきました。ここに厚くお礼申し上げます。


    平成5年2月                    草深昌子


 (1993年2月15日 牧羊社発行 精鋭女流俳句シリーズⅠ 「青葡萄」)


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書評・草深昌子句集『青葡萄』   俳句の申し子   小林実美(俳人協会会員)

 俳句の申し子というと笑われるかも知れないが、私は本気でそう思っている。とにかく不思議な人で、ある人が、「彼女の俳歴はたかだか十二、三年だと思うが、俳句は句作りを始めた当初から洗練され、老成していた」と語っていたが、さもありなんと思う。
 私が草深昌子さんと知り合った頃、彼女は俳句よりも、卓球に熱中していた。卓球でひと汗かいたあと、息を弾ませながら句会場へ駆けつけたものである。腰を痛めて卓球を断念してから俳句に専念したわけだが、途端に脚光を浴びる身になってしまったのである。
 鹿火屋入会後、僅か三年で鹿火屋新人賞を受賞、同人に推挙された。その後も各大会で目覚ましい活躍を続け、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いなのである。

    春暁やわが産声のはるかより    
    毬ついて大地たしかむ五月晴
    どの子にも影ついてゐる春の庭
    涅槃図に螢飛ぶかと問はれをり
    頭の中が火薬庫となる梅雨夕焼
    裸木や千手千眼われになし

 昌子俳句の魅力は、何といっても天真爛漫な人柄がそのまま作品に表れていることである。しかも、生得の感性に濾過され、斬新そのものなのである。
 昌子さんは、句会ではいつも裏方に回り、"能ある鷹"を装っているが、句会後のおしゃべりタイムになると、俄然ハッスル。才気煥発に語りを楽しんでいる。
最近は、師である原裕主宰の影響もあってか、道元の世界に関心を抱き、一段と視野を広げた感がある。

    湯のやうな日がさしきたり青葡萄

 句集名にもなった句だが、原裕主宰は序文で「この句を発見したとき、新しい作家誕生の感動を覚えた」という。そして、「女流にはめずらしく骨太なもの、それでいて女流のもつ繊細な感情のひだをみせる作風を感じた」と述べている。私は、次の句に着目した。

    わが影のもっとも小さくして灼くる

 炎天下、標的のようになって身を灼かれているのである。しかも「わが影のもつとも小さく」と絞り込んでいるあたりが巧みだ。子供の頃、ルーペを利用して太陽光線で黒い紙を燃やしたものだが、そのことを思い起こさせる。見たまま、体験したままではなく、あくまでも「感覚」を重視する昌子俳句の本領を垣間見た気がするのである。
 昌子さんは「俳句は私にとって、手鏡のようなもの」と述べている。俳句にわが身を投影することによって、自らの生き方を見直すとともに、美しい心を育んでいるのだ。その意味からも、私には彼女が俳句の申し子のように思えてならないのだ。

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 (1993年6月1日牧羊社発行「俳句とエッセー」精鋭女流句集シリーズⅠ・書評)



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書評・草深昌子句集『青葡萄』     衣川ちせ子

 『青葡萄』本句集は精鋭女流句集シリーズの草深昌子氏の第一句集である。
 草深氏は昭和十八年大阪生れ、昭和五十四年「雲母」入会、五十九年退会。
昭和六十年「鹿火屋」入会、昭和六十三年新人賞、平成元年同人、俳人協会会員。現在神奈川県厚木市に在住。

 表紙は紙製、乳白色の地に露を置いた薄みどり色の青葡萄のイメージの大小の粒が一杯並んでいるさわやかな装幀である。
 題名は末尾の「かいつぶり」の章の、「湯のやうな日がさしきたり青葡萄」より。
 序文に原裕氏がこの句に出合った時の感動を述べ、新しい作家の誕生の確信を得たと云う事で名付けられた由、草深氏に対する可能性、師の大きな期待を負う人と思います。

  毬ついて大地たしかむ五月晴
  父の日の空の厚みを知らず居りし
  成人の日の娘を隔つ回転扉


 骨太で繊細、五月晴れの天地の中の毬つき、父の空の厚み、娘への愛の深さ、大変句作の心を刺戟されつつ詠み進みました。

  吊輪より挙つき出る極暑かな
  秋天へ家族の肌着寄せて干す
  娘に贈る手鏡選ぶ聖五月
  病棟のにほひ濃くなるしぐれかな


  若さ、軽快さ、又神経のこまやかさと巧みに構成された句群に感銘を深くしました。
 なお心にのこった句をあげて結びます。

  真つすぐに滝一身をつらぬけり
  白靴の踏めば踏むほど露生まる
  千代紙の水色秋の寒さかな
  早稲の香や生れしばかりのはうき雲
  人の背の闇を見てゐる螢狩
  木の実落つぴしりとおのが身を打ちて


 円熟の五十歳。御健吟をお祈りします。


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書評・草深昌子句集『青葡萄』     森川光郎(「桔梗」代表)
  
  草深昌子は鹿火屋同人。句集『青葡萄』は昭和六十年鹿火屋入会以降平成二年までの三百句収載。
 句集の昭和六十三年「回転扉」の章に「原コウ子先生を悼みて」の前詞で四句がある。

  涙ごゑ支へてゐたる梅雨大地  
  薔薇散つてあまたの棘をむなしうす
  全うすることのしづけさ蟻の道
  真向へば遺影はにかむ夏座敷

 「青葡萄」を読んだあと、もう一度振り返って見るとき、どうしてもこの四句に突き当ってしまう。この頃からの彼女の打ち込み方を管見すると、この四句は自分のことを表白しているのではないか、コウ子先生と自分を重ね合せて詠んでいるのではあるまいかと思うのである。
例えば「全うすることのしづけさ」の句にしても、これはなまなかなフレーズではない。そう簡単にぼっと吐きだされたものと思う訳にはいかない。しっかりと肝に据えて、然る後出て来た言葉と思うのである。

 句集の終りはつぎの句で締め括られている。

  山裾ゑて空の動かぬ石鼎忌

 実に堂々たる石鼎忌の句である。このような句に出会うと言葉を失う。私はこの句を終りに据えたことに作者の意志を見る。「原コウ子先生を悼みて」の四句と、地の底で細い根
がしっかりと繋がっていると思うのである。

 句集というものが、それを読んだ人の作句欲を、大いに刺激して呉れることもあるし、句集を読んだことに依って、作句欲が萎えてしまうものもある。
では「青葡萄」はどうかであるが、まあ次の諸作を御覧じろ。

  春暁やわが産声のはるかより

 春暁の原初とも言える清浄なる空気を破って自分の産声が響いてくる。それを耳をすまして受け止める。作者の感動は又読者の感動でもあることを痛切に感じさせてくれる一句。自分の産声を自分が聴くというレトリック。
 季語が万全であることが、より作者の意中に参入できるのである。

  春陰の首まはし見る地平線

 人は思わぬことをする動物である。この句のように春陰の首をまわして地平線を見ることもする。そのような己れを、或る距離をおいて見ている自分。「春陰」でなければ醸成しない句境と言えるだろう。俳句の面白さはこゝにある。

  どの子にも影ついてゐる春の庭

 さりげない句ではあるが、いやそれだからこそいつまでも気にかかる句と言える。このような句に会うと、佳什は、平明さの中に求められるの感を深くせざるを得ない。
 この性向の句がこの作者の本命と見ている。

  夕刊のけものくささよ花ぐもり
  香ばしき匂ひがしたり月の道
  まだ誰も戻らぬ雛の夜なりけり
  真白なる花火はつひにあがらざる
  湯のやうな日がさしきたり青葡萄

 見えぬものにじっと目をこらす。聴こえぬものに耳を傾ける作者の姿がありありと現出する。一方次ぎのような淡白な句群にも捨て難いものがあることを特記したい。

  美容師の鏡に見たる神輿かな
  まだ朝の眉もひかぬに白牡丹
  超高層ビルの下行く淑気かな



(『青葡萄』平成五年二月十五日発行・精鋭女流俳句シリーズⅠ・牧羊社刊)

by masakokusa | 2006-12-23 11:34 | 第1句集『青葡萄』
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