なつかしき戸障子 力いる板戸伊吹は氷りをり 『天地存問』(昭和五十一年)所収。伊吹というと、「伊吹もぐさ」がなつかしい。よく灸をすえていた祖父母の在所は大津であったから、私にとって、イブキには慈しみの深いはるかな空間というひびきがある。 掲句の伊吹は、省略の切れ目が大きく男性的である。県下最高峰の伊吹山から吹き降ろす寒風は伊吹颪といわれるほどに、麓にいても滅法寒い。ここで板戸がスムーズにがらがらと開いたら様にならない。力いる板戸は、伊吹の風土を遺憾なく読者に訴える。 「力いる」、たったこの五音が光景であり、情趣であり、心象であり、どこまでも俳句を味わっていたいという余韻である。いつしか作者が消えて、現場に力んで立っているのは読者のほうである。 戸から思い浮かぶ魚目氏の句がある。 重き戸に眉つり上げて秋湯治 この句は、私の初学の頃、昭和五十五年『雲母』誌上にお目にかかった。日常にもあり得る所作が、秋湯治の季語によって、にわかに情趣ゆたかな表情にとってかわることに驚いた。俳句の描写について初心なりに考えさせられたことで忘れられない句である。 執筆の神尾久美子氏は、同時発表の、〈寒(さむ)といふ柳の眉の消ゆるほど〉と比べて、どちらも女の柳眉を詠ったものであるが、掲句の方の演技なしの柳眉に、より艶冶なものを感じるとしている。 そう言えば、わが初学の師、植村通草先生(飯田蛇笏の高弟)は、たれかれの句に、「あっそう。それがどうしたの」と、語気強く返されることが多かった。「俳句には芸がなければならない」が師の持論であったから、芸のない俳句には、それこそ柳眉をつりあげられたのであろう。 芸とは何ぞや、悶々としていると、時を置かず、また魚目俳句が『雲母』誌上に掲載される。 水掃くや鳥の渡りを天上に 掃くというからには箒を使う、埃も舞い立つであろう。だが、水を掃くとなると、埃どころか、清めるという感覚。日常を一寸(いっすん)浮き上がって、潔斎の気がただよう。水の一文字が一句全体に透明感と品位をもたらすという芸にほかならない。芸とはもとより細部の技巧のことではない。芸を磨くということは、作者自身の日常のありようを磨かねばならないことだと気付かされる。 丸山哲郎氏は、〈東大寺湯屋の空ゆく落花かな〉〈山吹の風吹き入りて能衣装〉とともに、ものの材質描写への肉迫や、飛翔感の把握への努力を称え、太い伝統性の支柱は、書家としての営為行動とも無縁でないように思われると述べている。 その書家ならではの次の一句は軽妙である。 顔に墨つけて洋々日永の子 顔に墨つけて、日永の子、で十分に見える。だが、「洋々」の二文字を挟み込むところが魚目氏の面目である。「天地存問」のあらわれである。 ところで、この『天地存問』(第三句集)に見出される、大気をつかんでかたまりにしてみせたかのような趣はどうであろう。 白昼を能見て過す蓬かな 冷えといふまつはるものをかたつむり 青き葉も落ちくる不思議月のあと これらの、えも言われぬ雰囲気を鑑賞の言葉にかえるすべを知らない。ひとりで黙って味わうことのできる俳句が俳句であって、十七音がすべて、一句の世界がすべてである。 めりはりの利いた表現ながら、なめらかな情感。まさしく書家の草書である。名ピアニストの音色である。そう言えばピアニストの珠をころがすような打鍵にうっとりしたあとで、その研鑚の指から血のにじみ出た話を聞いたことがる。一見なにげない風韻をかもし出すために払われた労力はいかばかりであろうか。 労力、つまり、深い思いの恩寵をもって、読者は涼やかな美しい境地にあそばせてもらえる。 長く鑑賞に耐える作品はただのつぶやきではない。俳句構造への省察が徹底している。諷詠のおもむくままにして、かもし出される風合いの不思議さ。その息遣いこそが、「芸」という頼もしい力であろう。 あらためて冒頭の掲句をかえりみるとき、板戸をガシッと曳いて、天地存問の躍動を目の当たりにするのは、やはり俳人宇佐美魚目の風貌をおいてほかにはないような思いがする。 戸障子を美しく住み夏の雲 『天地存問』(昭和五十年)所収。掲句の季語を、春の雲、秋の雲、寒の雲、等と置き換えてみるまでもなく、夏の雲に対する作者の絶大の信頼が読み取れる。「戸障子を美しく住み」は、概念では、もっとも夏の雲にツカナイであろう。ここにも徹底した審美眼がうかがわれる。 戸障子の開放的な明るさのかげに、細部にゆきわたった心遣いを作者は見逃さないのである。美というものは唐突に現出するものでない。目を凝らして戸障子の発する声をききとめるのが、画家であり、書家であり、詩人である。そして俳人である。俳人は言葉でもって、その美の発見を映像化して見せる。人の暮らしがあって、自然がかがやく。自然のかがやきがあって人の暮らしが彩られ、慰められる。自然と人間の調和した世界。平明なことばを用いて自然の輪郭、こころの輪郭をくっきりと浮き彫りにしてゐる。 ある年の夏、俳句のご縁で、東吉野の大きな民家に宿泊させていただいたことがある。蔵の前には杉襖が聳え立ち、土間を裏へ抜けると崖が迫っていた。「傘を差したほどの空ですわ」と物静かに女主人が言われたが、まさしく深空というほかない真っ青な空が高く存在していた。「お姑さんのおかげで今日の私があると思います」と慎ましやかに語られた方のねんごろなお もてなしは、身にしみて忘れられないものになっている。真実のことばは誰もがたわやすく口に出来ることではない。そう発せられたことばは、子々孫々に功徳をもたらすものであろう。 こんな思い出そのままに、一句は一幅の絵になっている。白を極めた夏雲に戸障子はしんかんと照応する。人々の立ち居振る舞いの清浄さ、伝統を受け継いでゆこうとする厳粛さ、そんな日々の暮らしを象徴している戸障子だからである。 ふと、石鼎の句がよぎった。 美しき空と思ひぬ夏もまた 石鼎 (2005年8月1日発行「宇佐美魚目傘寿記念文集」・p109所収)
by masakokusa
| 2006-12-11 10:26
| 俳論・鑑賞(1)
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