遠足や丘を登れば富士の山 石野すみれ
「丘を登れば富士の山」とは何とすばらしい遠足でしょう、すかっとしています、いかにも新鮮で心がはればれとします。 遠足は俳句でよく詠われるのですが、何だか久々に感銘しました。 作者に作句のきっかけを聞きますと「お友達と誘いあわせて遠足したのです」とお答えになって、私は感銘の理由がすっと分かりました。 遠足を広辞苑に当りますと、①遠い道のりを歩くこと。また日帰りできるくらいの行程を歩くこと。 ②学校で、見学・運動などを目的として行う日帰りの校外指導。とあります。 遠足は春に限ったことではないのですが、「遠足」は春の季題となっています。 〈遠足の列とどまりてかたまりて 虚子〉、〈遠足の女教師の手に触れたがる 誓子〉 〈遠足の列大丸の中とおる 飛旅子〉など私の知る大方の句は②の遠足でした。 掲句は学校に関係のない①の遠足でした。
老いの尻ぐいと鞦韆揺らしけり 中澤翔風
鞦韆とは遊具のぶらんこのことです。ぶらんこと言わずして鞦韆と言ったからには鞦韆であってほしいものです。 つまり、中国からもたらされたものでこれに乗って遊ぶ風習があったというゆかしい春の景を浮ばせたいものです。 ところが雅な美女ならずして、「老いの尻ぐいと」とは何という無様でありましょうか。 いや、これは鞦韆への心入れがあればこその自嘲でありましょう。 思わず笑ってしまいますが、読者はこういう一句を喜んで迎えるのです。つまり共鳴してやまないのです。
飛行機の低くゆくかな花曇 川井さとみ
ある日のことです、飛行機というものは空高く飛ぶものだと思っていたところ、なんとグオーッって感じに空低く行き過ぎ去ったのです。 オオッとそのことを認めた瞬間に「花曇」を心から感受したのです。 何でもなく見過ごしてしまいそうですが、瞬時の飛行機という重量感が「養花天」とも言われる季節感をよく表出しています。 「花曇」という本意や本情を歳時記で読むだけではこんな句はできません。 外へ出て自然のありように接する、「花曇」という季語の現場に立つことほど大事なことはありません。
芽吹山一夜城とはどのあたり 宮前ゆき
「芽吹山」は、芽吹きの木々があたり一面、一つの山となっているのでしょう。 作者は小田原にある豊臣秀吉の手になる一夜城、その現地に立っているのでしょうが、 そこで「一夜城とはどのあたり」という措辞が絶妙です。 芽吹山の旺盛をイメージさせながら、一方で一体一夜城とはどういうものであろうか、 というそもそもの成り立ちの不思議に心を通わせているのではないでしょうか。じっくりとした情感がこもっているのです。 平明ながら美しい余情をひいています。
惜春や黒いビールを飲み干して 菊地後輪
「黒いビール」、ここに作者の本当があって、その本当がそのまま読者に実感をもたらします。 これが普通の瓶ビールや生ビールでは「惜春」にはなりません。 黒ビールと言わずして「黒いビール」と言っているのですから、 作者はビールのその色、その喉越しにちょっとした違和感、おやっというような感じを覚えているのでしょう。 そんなしみじみとした味わいの気分がそのまま春を「惜しむ」という心情につながっていくのです。 かにかくに、作者は事実を述べただけですが、分かる読者には分かります、それが俳句というものです。 もとより作者は誰かに分かってもらおうなんて少しも思っていないのです。
火の気なき春の炬燵に足を入れ 伊藤 波
炬燵は冬の暖を取るものですが、春ともなりますともうほとんど不要です。 でも何となく名残惜しくそのままになっていることが多々あります。 そう、「火の気なき」にもかかわらず人は炬燵とあれば、なぜか足を入れるものなんです。 当たり前のことを当たり前に詠って、うらうらとしたおかしみをもたらしています。 まさに「春の炬燵」をあますなく詠いあげているということになります。
風少し強く吹く日や豆御飯 古舘千世
一読、何と素敵な豆御飯であろうかと思いました。 もう一度読み直しますと風がやや強く吹いているというのです、それでもなぜ文句なく素晴らしいと思ったのか、 それはきっと作者が何のはからいもなく作句された、正真正銘の「豆御飯」にほかならなかったからではないでしょうか。 「豆飯」は豌豆を炊き込んだご飯です。 豆の緑も鮮やかによき塩気に仕上がりました。それにつけても、「風少し強く吹く日」が意味なくなつかしく思われるのです。 選者はそういう真実の句を見落としません、と言えばかっこいいですが、むしろ句の方から採るように声をあげているのです。 作者の豆飯にはなにかしらの思い入れがあるのかもしれません。
花曇同じ病の立ち話 木下野風
立ち話というのは立ったままですから軽い話しかしません、 でも今日はたまたま出会った方と同病相哀れむというようなことになりました。 二た三言交しあっただけでも、共々勇気づけられたに違いありません。折柄季節は「花曇」です。 曇っているのですからちょっと憂いがちになるのですが、桜の咲くころの独得のものです。 病とはいえ、大して悪くはなさそうで、どこかしら快癒の気分が感じられるものとなっています。 畝広く種置くやうに花の散る 川北廣子
桜の花は咲き盛るかと思いきや、みるみる惜しげもなく散ってゆきます。 花びらは畑の畝の上にまるで種を置くように一枚また一枚明らかに散っているではありませんか。 作者は咲く花よりも散りゆく花に心を寄せてやまないのでしょう。 日本人の伝統的な美意識が具体的に目に見えるように詠われています。 ここには、命の再生を祈るような気持がこもっているようです。
春潮や動きだしさうゴジラ岩 松井あき子
ただの岩では動くわけはないのですが、ゴジラ岩と言われますとまるでかの怪獣ゴジラが動くかのように感じられます。 ハッとするような感情をもたらされたのは、真っ青な海がふくれあがるほどに春の潮が差してきたからでしょう、 逆にぐーっと遠くまで引いていったのかもしれません。 このダイナミックな「春潮」を捉えて、「動きだしさうゴジラ岩」です、ただその12音で美事に言い切りました。 ちなみにゴジラ岩は秋田県男鹿半島にあってまさにゴジラそのものという奇岩ですが、 日本にはその他にもいくつかあって、西伊豆の海岸にあるものも有名だそうです。 川近き魚屋の軒を燕かな 奥山きよ子 菜の花畑ひよいと曲りて川に合ふ 二村結季 あをあをと朝採り苣や水弾く 末澤みわ 春風に干物のにほひ二番線 石本りょうこ 風止んで藤は長さを揃へけり 澤井みな子 屋根瓦投げて落として日の永き 芳賀秀弥 朧月銜へ煙草に三味を弾き 長谷川美知江 画眉鳥が若葉の山によく鳴くよ 間草蛙 磐石の爪の隙間やすみれ草 泉いづ 墓へ行く坂道ゆるく木瓜の花 東小薗まさ一
by masakokusa
| 2022-05-19 20:00
| 昌子の句会・選評
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