岡本眸の俳句 草深昌子
秋風や柱拭くとき柱見て 岡本眸
柱を拭くときに柱を見るのは当たり前のこと、窓を拭くときには窓を見て、畳を吹くときには畳を見る。
だが、ここでは窓でなく畳でなく柱であることが、ゆるぎなく一句を支えている。
季語に本意本情がある如く、言葉にも本意本情があって、
「柱」という言葉は、堅牢にも冷たく真直ぐに立ち上がって、秋風を誘いだすのである。
私の憶測であるが、この時、作者は柱を見なかったのではないだろうか。
ふと俳句のことなど考えて柱から目を逸らしてしまった、そこへ「俳句で忙しいというのは恥ずかしい。
俳句は自分の日常の少し後ろにある」という己が信条が突き上げてきたのだろう。
無論、無意識の瞬時である。
まさにこの一瞬に、心と言葉が同時に絡みあって仕上がったに違いない。
でなければ只事を斯くもさりげなく詩情たっぷりに表出することはできない。
この素早さ、洗練された含羞こそが、岡本眸の芸である。
全神経の注がれた柱は動かない現場証拠のように今も艶光りしてやまない。
室咲や姪来て何かして呉れる
姪の目に気楽な叔母の冬帽子
娘でも姉妹でもなく、姪ならではの味わいが渋い。
文字通り気楽なようで、聡明なる世界を垣間見せるのも女流俳人第一人者ならではのもの。