『青草』・『カルチャー』選後に・平成30年5月       草深昌子選


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   新茶汲む母の好みはやや熱め       藤田トミ


立夏を過ぎた頃、それぞれに名のある産地の新茶をいただくと、しみじみ日本人でよかった等と思うのも、茶の湯の文化が身に染みわたっているからだろう。

そこで「新茶」の句というと、故郷や母が決まり文句のようにイメージされるのを厭き厭きするほど見てきたが、トミさんの句はそんな概念ではなく新鮮そのもの。

目の前に、新茶の湯気がたって、そのよき香りも感じられる。

新茶は湯加減が大事かもしれないが、私も熱いのが好きだ。

そんな好みに合わせてくれるなんて何と和やか雰囲気だろう。「やや」というところに丁寧に新茶を酌みあっているさまもよく出ている。

俳句の風味が、新茶のそれである。




桑の実の熟るる大樹を仰ぎけり      石堂光子

 

 上五から中七へ、さらに下五へと叙述に従って、ゆっくりと読者もまた、幹に添うように顔を上へあげていって、

ただただ大きく仰ぐのみである。

そこには桑の実の紫のような黒のような色がみっしりと付いているのだが、手が届かない。

〈桑の実を食べたる舌を見せにけり 綾部仁喜〉、そんな懐かしさもこみあげてくる。「熟るる」が郷愁をさそうのだろう。

無駄なく、まっすぐに詠いあげた、平明そのものの句であるが、それが格調というものである。




母の手を振り切ってゆく五月かな     森田ちとせ

 

 「母の手を振り切って」行ったのは、誰なのなのだろう。ここには書かれていない。

よく「省略」と「手抜き」を間違える人がいるが、これはまさしく省略である。

すぐに元気な子供ではないだろうかと思いつくが、そうでなくてもいい。

実は誰でもいいのである。

まるで、「五月」が振り切ったかのように、描かれている。

行楽の楽しい気分、あるいは颯爽と風に乗ってゆくような五月が何とも明るい。



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山法師古き町屋の続きけり        田野草子


 山法師は山野に自生する落葉高木で、枝先に4片の大きな白い苞を開くので、これを花に見立てて山法師の花という。白の美しさがことに際立つ花である。

 この「山法師」を上五にデンと据ゑて、「古き町屋の続きけり」という潔さは、俳句の骨法をよく心得えている。

 「山法師」の韻律もさることながら、法師という文字からもたらされる清楚な印象が、一句を大きく包み込んで、余韻がある。

花水木などと取り換えのきかないものである。



 

漫画本の大垂れ幕や街薄暑        日下しょう子


ビルの壁面を覆うように大きな垂れ幕がかかっていたのだろう、何とも奇抜なものである。

しかもそれが漫画の宣伝だというのである。

漫画本といえば、若者に大人気のものであっても、年配にはちょっと眉をしかめたくなるものである。

行きずりの街に出会ったちょっとした驚き、それはまさに薄暑の気分を実感するものであった。




枯芝の日々に青める薄暑かな       鈴木一父


 俳句に季語は原則一つと決められているが、二つあっても、三つあっても、いい句はいいのである。

 ここには作者の本当が詠いあげられている。

まだ枯れていた芝生の一目一目がだんだん青くなってきて、それがいつしか今日この頃の薄暑であることよと、季節の変わり目の速さを感じ入っているのである。

薄暑の到来とともに、時空を広げて見せている。



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万緑の迫る山路の怖さかな        泉いづ


 万緑と言えば、〈万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男〉の句が動かしがたく思い出されて、私などは頭から放棄したいような難しい季題である。

だが作者は、そんな万緑をものともせず、詠いあげられた。

一読して、文字通り胸に迫ってくるような万緑の世界に、引き込まれるのは言葉に無駄がないからだろう。

「怖さ」も、そうとしか言いようのない直感だと思われる。



 

一面のポピー触れあふ風の音       佐藤健成


 風が吹いて、一面のポピー(ひなげし)が揺れ合っているのである。

そこで、〈一面のポピーが風に揺れてをり〉、ではつまらない。

ポピーのような可憐な花が触れ合ったところで、果たして風の音が立つであろうか。本来聞きとどめることのできない音を、作者は聞いたというのである。

巧い句である。



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卯の花の色の着物や単帯         佐藤昌緒


「卯の花の色」であるから卯の花そのものは、ここには咲いていないはずである。

だが、こう言われてみると、まるでそこに卯の花が咲いているようなしろじろとした感覚が蘇ってくる。

単帯は、何色であれ、きりっとして、着物の色を美しく透かすものであろう。

いかにも涼しげ、かつオシャレである。



    お屋敷の急階段や夏木立         古舘千世  

夕暮れて麦藁に日の余熱かな       末澤みわ

捨苗をバケツに植うる休み明け      神崎ひで子

飛魚の目に入るものやみな青き      湯川桂香

柿の花転げ落ちたる飼葉桶        新井芙美

寺に聴く津軽三味線夏に入る       堀川一枝

新茶汲む役割担ふ集ひかな        小幡月子


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味噌汁の貝の塩気も夏めきぬ       山森小径

目高飼ふ甕の周りを鴉飛び        福山玉蓮

僧の声揃ふ五月の御室御所        伊藤波

緑蔭を抜ける蝶々のばたついて      坂田金太郎

乳首めくものを掘り上ぐ薄暑かな     二村結季

不意に風青く匂ひて夏に入る       大本華女

老夫婦の対の手ぬぐひ田を植うる     平野翠

桐咲くやおさらい会の着物色       関野瑛子

ほつほつと落つる点滴桐の花       間草蛙

飛魚のくさや肴に島の夜         中澤翔風

網掛けて雀追ひけり麦の秋        石原虹子

塵除けの透かしの向かう薄暑光      米林ひろ

雨蛙じつと日向の石の上         石本りょう子


by masakokusa | 2018-06-20 23:03 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
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