「青草」・「カルチャー」選後に・平成30年2月       草深昌子選

f0118324_22455575.jpg


    頼朝の逃れし山の野梅かな     森田ちとせ


 野梅は、野の梅であるが、先づは野性の「野」という文字の印象からして、自然そのものの逞しさを感じるであろう。

ましてや、征夷大将軍たる源頼朝がかつて敵に追われて逃げ込んだところの野梅とあれば、その色は真っ白、香気も一段と強いものに違いない。

 伊豆の山であろうか、さりげなく伝説の地を打ち出して、古木の梅の生命力を存分に感じさせるものになっている。




    サーフアーの和布絡めて上りくる     佐藤健成


「和布」の兼題で、サーフアーに目を向けられたことは、まこと現代的である。

サーフアーが波から上がってみれば、ウエットスーツというのであろうか、あの黒々としたゴム製のものに、ペタッと数条の和布が貼り付いていたというのである。

これぞ和布というものを生々しく見せている。

 荒波に揉まれるのは、和布のみならず人間もろともであるところが出色。




雀の子霰のやうに草に降り     田野草子


〈雀の子そこのけそこのけ御馬が通る  一茶〉でおなじみの雀の子。

掲句の子雀も、御馬ならぬ車に驚いて飛び立ったものの、すぐに草の上にぱらぱらと霰でも降りかかるように着地したのであろう。

 一茶と同じように草子さんも又、雀に愛情をもって、じっと観察を続けるという姿勢あってこその一句である。

嘴が黄色くて、愛らしい子雀は、「霰」という透明感あるものに比喩されて、いっそう生き生きとしている。




跪きストーブ点す余寒かな     菊竹典祥


 極寒の冬にストーブは必需品、終日点けっぱなしであって、これにいちいち神経を使うこともない。

だが、立春も過ぎ、あたたかい日があるかと思えば、寒気のぶり返し、そういう寒暖の定まらぬ日々となると、ストーブも点けたり消したり、かなり面倒になってくるものである。

そこで、「跪きストーブ点す」という所作は、「余寒」という季節のありようをあますなく伝えてくれる。

ちょっと臀をあげて両膝を地に付けてかがまるという動作は、まるで天地に屈服しつつ、どうか早く暖かくなってくださいという祈りの姿のようでもある。




背負ひ来し三陸和布父の苞     末澤みわ


三陸の和布は、肉厚でシャリシャリで栄養満点とか。

かつて作者の父上は、郷里からこの美味なる和布をリュックに背負ってやってきてくれたというのであろう。

「背負ひ来し」という無造作にして計らいのない措辞が、三陸和布をつやつやに光らせて、和布と共に父親の情愛をもひそかに感じさせる。

「父の苞」という下五の置き方も落ち着いている。


f0118324_22464864.jpg


雪かぶり富士にまろみのつきにけり     平野翠


 雪をたっぷり被った富士山を「まろみのつきにけり」と言い切った。

富士山は初冠雪以来ずっと雪を着けてはいるのだが、一月か二月にさらに雪が降っていよいよなめらかに輝いたのであろう。

惚れ惚れと眺め入っている作者が思われるが、読者も又美しい雪富士を思い浮かべて、ついにっこりしてしまう。

見た通りに詠うということは、「私としての物の見方」と矛盾しないものである。




拝礼のピアスの揺れや春隣     伊藤波


単にピアスが揺れただけでは、「春隣」が予定調和に感じられるであろう、だが掲句は、「拝礼」のピアスであることによって嫌味なく納得させられる。

妙齢の女性が神さまの前に立った、そして頭を深く下げられたのだろう、その時にきらっとピアスが揺れた。

春を待ちのぞむ強い気持ちが、敬虔なる小さな光をキャッチしたのである。




春遠し灯油五缶を買ひにけり     鈴木一父


「春遠し」は遅々として春が来ないということである。

だから「灯油を買った」だけなら、常識的な因果関係があっておもしろくない。

だが、「灯油五缶」である。

そうか5缶か、また雪でも降りそうな気配があるのであろうか。

正直に五缶と言い切ったことで、文字通り重厚になった。

山里の暮しは、「春遠し」と言いつつ、春待つ心を日に日に強くしてゆくのである。




f0118324_22541238.jpg

   浚渫の川濁りたる二月かな     石堂光子


 「池普請」、「川普請」という冬の季題があるように、冬の渇水期に泥を掘り上げて池や川やきれいにすることが多い。

 掲句の川は、それほど大掛かりなものでなく、水底の土砂やごみを浚って、鯉などを驚かせたものであろうか。

春寒料峭の二月のさまを、浚渫の濁りの中に感じ取っているのである。




すぐそこに鳴門の渦や和布干す     石原由起子


 鳴門海峡の潮流は大渦巻となって壮観そのものである。そんな地の和布干しもまた盛んなるものであろう。

「鳴門の渦」、ただそれだけを詠いあげて、かの名高い鳴門和布が潮の香りとともに彷彿と浮かび上がってくる。

俳句はシンプルが一番である。



    春めきて仮名の由来を習ひけり       小川文水

    早春の波間に跳ねて鯨かな         藤田若婆

    水底に起伏ありけり蜷の道         瓜田国彦

    和布干す浜のそこだけ日の射して      柴田博祥

    行商の婆つぱ両手に新和布         中園子

    臘梅の開ききらぬを啄ばめり        山森小径


f0118324_22475892.jpg

     洗車してワックスかけて寒明くる    中澤翔風

    信号でぴたり止まるや春の猫      石本りょうこ

    浜風の抜けゆく路地の和布かな     川井さとみ

    梅日和三つこんもりもぐらもち     古舘千世

    春の土突つき飛ばすは何鳥か      潮雪乃

    冬満月赤銅色に染まりけり       熊倉和茶

    春泥や長靴で立つ白馬駅        中原マー坊

    ストールを頬被りして春の雨      長谷川美知江

    つんつんと鳴ける雀や梅の花      間草蛙

    雪解や山の凸凹ありありと       田渕ゆり

    杖置いて両手を高く春うらら      関野瑛子

    のつそりと動く真鯉や春立ちぬ     藤田トミ

    阿夫利嶺の姿隠るる春時雨       狗飼乾恵

    鳶職の梯子高きに梅ひらく       二村結季



by masakokusa | 2018-03-28 22:32 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
<< 原石鼎俳句鑑賞・平成30年2月... 昌子作品の論評・平田雄公子 >>