草深昌子句集『金剛』・書評抄録(その5)

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「俳句饗宴」201710(第752号) 鈴木八洲彦主宰



推薦図書

草深昌子句集『金剛』

 「物に語らせる」作風   小泉 潤



 本書『金剛』は「青草」主宰草深昌子氏の340句を纏めた第三句集である。

 氏は「あとがき」で以下の言葉を述べられている。

 「恒例の吉野の桜吟行の折、山桜の宿で先生はじめ句友の皆様と共に、だだ黙って金剛山に沈んでゆく美事な夕日を眺めたことは生涯忘れられない。

金剛こと金剛山は、吉野のある奈良県と私が生まれ育った大阪府の境に立つ主峰。

懐かしさが重なり句集名とした」と。


  金剛をいまし日は落つ花衣


 又、氏は吉野、近江、伊勢志摩などの日本を代表する風光明媚な地を永きに渡って吟行、幸せな歳月を作品として残してこられた。


   声はおろか顔も知らざる墓洗ふ

   掃苔の大東亜とぞ読まれたる


 太平洋戦争終末までの15年間の戦い、即ち大東亜戦争の「大東亜」の文字だけが判読されたのだろう。戦没者の墓と思えば見知らぬ墓ではあるが懇ろに洗ったのだ。


   消えなんとしてなほ左大文字


 大文字の火は8月16日に京都如意ケ岳の中腹で焚かれる送り火であり、その壮大さゆえに広く知られている。それが終りに近づく頃左大文字に、京都周辺の山々に焚かれ繋がっていく様はさぞ壮観であろう。

   

   破蓮ほどにも酔うてきたりけり

   湯気のものもとよりうまし冬紅葉

   寒晴や鼈甲飴は立てて売る

 

 破蓮の納得のゆくおかしみ。

 「湯気」と「冬紅葉」の相乗効果。

 鼈甲飴の琥珀色が眩しい。立ててあれば尚更である。

 梅の花も又、眩しさ故であり、白梅とも。


   この谷戸を深く来て会ふ涅槃像

   かりそめに寝たるやうなる寝釈迦かな

 

 はるばると来て拝した涅槃像は、膨よかにして今にも起き上がりそうな気配すら。

 

   入園の子や靴脱いで靴置いて

   遠足の子に手を振ってゐる子かな

 

 子供以外の情報は何もなく、繰返すことによって子供のあどけない仕草がより鮮明に見えてくる。

 平明に詠むことの強さと思う。


   銀蠅を風にはなさぬ若葉かな

   松風の少しつめたき武具飾る

 

 対象物と季節との取り合わせによって斯くも詩情の高まりを豊かにしてくれるのだ。


   ぬかるんであれば梅散りかかりたり


 春泥であれば梅も散ってしまうのか、と逆説的であり梅の花と一体となった作者がいる。


   蝌蚪の来て蝌蚪の隙間を埋めにけり

   水のあるかぎりにお玉杓子かな


 蝌蚪の強い生命力を素朴に詠まれて二句。


   子規の顔生きて一つや望の月

   初桜一字一句に子規は生き

   子規思ふたびに草餅さくら餅

 

 写生俳句を首唱した子規。氏の子規への敬拝の心の表出した三句である。

言葉は限りなく易しく平明であるのに、対象物が鮮やかにして動かない。

俳句本来の「物に語らせる」を徹底されている氏の作風に肖りたく、自分の句を省みる機会をいただいた。(ふらんす堂刊)

   

  

   


by masakokusa | 2017-10-31 20:05 | 第3句集『金剛』NEW!
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