「青草」並びに「カルチャーセンター」の〈今月の感銘句〉をあげます。
吊革に丸と三角風光る 古館千世
「吊革に丸と三角」言われてみればそうであったなと、思わずにっこり。何気ない日常に発見された面白さが、まさに光っている。
ガラス窓に反射する春の光景は晴れ渡っている。
寒晴や霞が関は坂の上 湯川桂香
「草深昌子句集発刊祝賀会」に赴いてくださった作者の感懐が、「霞が関は坂の上」に言い尽くされている、しかも「寒晴」である。
何一つさえぎるもののない、寒気の中の晴れやかさが高みにひらけていくのである。
一句をもって何よりの祝賀をいただいた思いである。
祝宴の竪琴の音の春めきぬ 河野きな子
祝賀会では、ハープの音色が美しくすばらしく、出席者一同うっとりとしたのであった。
祝賀会を「祝宴」、ハープを「竪琴」と言い表された、言語感覚のすばらしさに二度うっとりしてしまった。
俳句が引締まって、祝賀会にある種の落ち着き、厳粛さをもたらしている。
「青草」の創刊号や草青む 松尾まつを
2017年2月16日に結社誌「青草」の創刊号が発刊された。
「青草」創刊の立役者は作者の松尾編集長であるが、結社「青草」を代表して記念の一句をのこしてくださったのである。
「俳句は挨拶」の精神に基づくものであろう。
祝賀の気持ちは、「草青む」の大いなるかがやきに溢れんばかりである。
春一番二番三番猫の恋 まつを
季重なりどころではない、季語の三連発、つまり季語を並べただけであるが、このすさまじさこそが猫の恋ではなかろうか、思はず唸らされた一句である。
これでもか、これでもかという春の嵐を次から次へと乗り越えて、この恋は果たして成就するのであろうか。
生きる命の切実が、どこか滑稽でもある。
俳句の冒険が、即ち猫の恋の冒険になったものである。
春一番矢継ぎ早なる千切れ雲 潮雪乃
俳句は、見たままを見た通りに作りなさい、というものの生易しいものではない。
「矢継ぎ早」という言葉が、春の強風の見たままを見事に伝えている。
連山は鋼色なり春寒し 佐藤昌緒
靴下を二枚重ねて梅そぞろ 栗田白雲
春寒や門くろぐろと極楽寺 中園子
南欧の色に瓦や春の空 間草蛙
ハンガーに白いブラウス春めきぬ 木下野風
春夕焼水平線の沸き上がり 森川三花
寒晴のサドルに遊ぶ雀かな 大本華女
大げさに手を振る君やチューリップ 川井さとみ
煽られて羽毛逆立つ寒鴉 狗飼乾恵
撫ぜられてまたつままれて猫柳 日下しょう子
ストーブの音の静かに寒明くる 東小薗まさ一
冴返る蕾の色の濃かりけり 神崎ひで子
節分の大山靄ふ夜なりけり 石原虹子
寒晴や鷹と鴉が一騎打ち 堀川一枝
山いくつ越え来し雲や木五倍子咲く 森田ちとせ
一万歩あるいて一個桜餅 小川河流
戯れ合うて雀転ぶやあたたかし 藤田トミ
この道は昔川なり猫柳 山森小径
ケイタイを振り回しをり合格子 中原マー坊
楤の芽を買うて夕べの緑かな 矢島静