草深昌子「金剛をいまし日は落つ花衣」(『金剛』)・・・
草深昌子第三句集『金剛』(ふらんす堂)の集名については、
「金剛」こと金剛山は、吉野のある奈良県と、私が生まれ育った大阪府の境に立つ主峰です。なつかしさが重なり、句集名としました。 と「あとがき」にあった。
略歴に「雲母」「鹿火屋」「晨」「ににん」を経て、「青草」主宰とある。
句はいずれも端整。
いくつか句を以下に挙げておこう。
富士山にそむきまむきや寒鴉 昌子
赤子はやべっぴんさんや山桜
冴返る鯉の鯰に似てゐたる
廃校の時計の生きてさくら草
水馬かまひにまたも水馬
どこにでも日輪一つあたたかし
壁蝨出るぞ山蛭出るぞ鉄砲打
草深昌子(くさふか・まさこ)1943年、大阪市生まれ。
(大井恒行の日日彼是 2016年12月13日)
大井 恒行(おおい つねゆき、1948年12月15日 - )は、山口県山口市出身の俳人。1967年、立命館大学俳句会に入会。赤尾兜子に師事し「渦」に投句、また「俳句評論」句会にも出席。1980年、攝津幸彦らとともに「豈」創刊に参加。1988年、総合誌『俳句空間』(弘栄堂書店)の編集長に就任、1993年まで務める。代表句に「針は今夜かがやくことがあるだろうか」等。
「豈」同人。現代俳句協会会員。