『カルチャー』『青草』選後に・平成28年11月     草深昌子選
「セブンカルチャー」並びに「青草」各会の〈今月の秀句〉をあげます。

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   いつ来ても風吹く峠鵙の贄     坂田金太郎

 鵙は貪欲で、後で食べようと蓄えるのだろうか、蛙や蜥蜴を竹や小枝の先に串刺しにしているのをよく見かけるが、これを鵙の贄という。
 鵙が縄張りを誇示して鋭い声を発するようになると、秋の空もいよいよ澄み切ってくる。
 峠にさしかかると、そこはか乾涸びた鵙の贄が、風のままに揺れているのであろう。
 「いつ来ても風吹く峠」という穏やかな言い回しが、無残なるものをいっそう浮き上らせて、鵙またその贄の命の切なさを思わせる。
 峠を渡る秋風の淋しさもまた鵙の贄によく呼応している。


 
   冬の夜や夫婦ちやわんが笑ひ出す     中原マー坊

 「夫婦ちやわんが笑ひ出す」とは何たることであろうかと、一読はっとする。
 だが「冬の夜や」という季語の打ち出しにしばし浸ってみると、そのシチュエーションにあってすれば、すぐに違和感なくある種の感情が誘い出されて、しんみりと合点がいくものである。
 作者は今年、令閨を失われた。
 人は、その悲しみを制御できないとき、夫婦茶わんに笑ってもらうしかないのである。
 誰のものでもない、作者独自の感受したものでありながら、読者もまた寒々とした夜の無聊にふと同じような体験のあったことを、呼び覚まされもするものではないだろうか。
 まこと秀逸の一句である。


   大家族ゐるかのやうに葱刻む     日下しょう子

 白々とした葱、青々とした葱である。
 今まさにふんだんに微塵に切って、俎板に山盛りいっぱいになっている。
 葱独特の香気が厨中にたちこめていることだろう。
 「大家族ゐるかのやうに」、その感慨が、明らかに葱のありようを見せて、大らかである。
 私は葱が大好きで、毎日欠かしたことがないから、この句に出会ったときは、思わず快哉を叫んでしまった。
 一人暮らしあるいは夫婦二人であろうか、何かしら一抹の淋しさを感じるという読者がいるかもしれない。
 私はただ葱称賛の一句としていただいた。

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    秋深し一人暮らしに守宮来て     東小園まさ一

 こちらは紛れもなく一人暮らしの一句である。
 だが、作者の哀愁は、一人暮らしにあるのではなく、秋という季節のいよいよ深まってきたことに、詩人として静かにも感じ入っているのである。
 ガラスに張り付く守宮にも、ふと声を掛けたくなるような、温もりの恋しい暮の秋ではある。



   きんきらのひよつとこ五人神無月     湯川桂香

 十一月は神々がみな出雲へお発ちになるから、出雲以外の諸国は神無月ということになる。
 この神無月を、端的に「きんきらのひよっとこ五人」とのみに言い切って、穏やかな小春日和までをも表出している。
 きんきらきんのけばけばしい衣装を身に付けてひょっとこのお面をかぶった五人の踊りは、鎮守の祭であろうか。
 まるで神の留守を狙って、浮かれているような感覚が打ち出されておもしろい。 
 俳句の骨法を十分に踏まえながら、作者自身の心弾みがなければ詠えない秀句である。



   神馬曳く猿逞しや神の留守     柴田博祥

 出雲大社へ八百万の神が参集するため、その他の神社には神がいないという「神の留守」は、まさに雲をつかむような話で、季題としてはかなり難しい。
 だが、一句はこれぞ神の留守と思われるものである。
 それもそのはず、作者は寒川神社へ赴いて実地観察をされたというから、まこと筋の通った俳句実作者の態度である
 神馬も猿も、神の留守ならではの存在感を見せているあたり、机上では詠えない臨場感があって、出色である。

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   枯露柿を食めば田舎は冬支度     狗飼乾恵

 リズムが一本調子にすっと切れる。よき響きを持ちながらそっけないような韻律そのものが、奥ゆかしい余情を引いてやまない。
 そもそも枯露柿というものを私は明らかに知っているわけではないのだが、たとえ知らなくても「コロガキ」が断然いい。
 すこぶる甘い柿ではないだろうか。
 今年もまた枯露柿に舌鼓を打つとき、ああ田舎ではもう冬を迎える準備に余念がないであろうことに、遠く思いを馳せるのである。
 雪国であろうか、ふるさと等と言わないで「イナカ」と言ったところが又いい。
 俳句に理屈は要らない、まさに素朴な言葉の響きだけで詩情が打ち出せるものであることに気付かされる。

   
   湯上りの頬の火照るや熟柿吸ふ     松尾まつを
   積もる葉を掃くも哀れや虫の宿     栗田白雲
   赤蜻蛉鞠を蹴る子に纏ひつき     吉田良銈
   麒麟てふ枯木や鳥の声しきり     石堂光子
   木枯やしきりに木の葉吹き散らし     熊倉和茶
   菊日和問へば在所のみな違ふ     間草蛙
   初雪は小樽運河に染み入りぬ     平野翠

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   マスクしてくぐもる声の処方聞く     古館千世
   湯豆腐や雨に濡れたる石畳     川井さとみ
   神の留守怠りもなく供へ物     黒田珠水
   何日も蕾のままや冬薔薇     木下野風
   山茶花や八重の花びら押し合うて     加藤洋洋
   蔓刈つて追ひやる秋の蝦蟇かいな     二村結季
   枯るる中雨乞ひ山は雲を抱き     森田ちとせ
   山枯れて風力計は故障中     末澤みわ
   分校の坂道行けば木の葉雨     福山玉蓮

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   大根を一寸廻して引きにけり     石原虹子
   両の手に大根下げて男の子     小川文水
   参道に抜けるこの径末枯るる     中澤翔風
   冬天やパパンパーンとシーツ干し     大本華女
   顔よりも大き落葉やぐいと踏む     小幡月子
   小春日のランチ介護の話など     田淵ゆり
   熱の子の母に凭るる小六月     伊藤翠
   心地よき打ち直したるこの蒲団     長谷川美知江
by masakokusa | 2016-12-02 23:59 | 『青草』・『カルチャー』選後に
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