秀句月旦・平成28年9月
 
   糸瓜忌や俳諧帰するところあり      村上鬼城

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 正岡子規は明治35年9月19日に35歳の短い生涯を閉じた。
 絶筆になったのは次の3句。

  糸瓜咲て痰のつまりし佛かな     子規
  痰一斗糸瓜の水も間に合はず
  をととひの糸瓜の水も取らざりき

 これによって、「子規忌」は「糸瓜忌」ともいう。
 また獺祭書屋主人という別号から「獺祭忌」とも。

  枕にす俳句分類の秋の集     子規

 俳句分類は子規終生の大事業であった。
 古来の俳句を甲乙丙丁の4号に分かち、四季に分類し、各題につき3類17種に分かつなどし、
その稿本は「合わせて積めば高さ我全身に等しくなった」という。
 子規は、江戸末期からの旧態依然とした宗匠俳句を否定し「写生」を説いた。
 近代俳句はまさに正岡子規にして革新されたのである。

 掲句は大正3年作。
 村上鬼城は、江戸生まれの俳人。
 子規の門に入り、やがて虚子の「ホトトギス」重鎮として活躍した。
 耳聾で、青年期には聴力をほとんど失っていたという。
 代表句に、
   痩馬のあはれ機嫌や秋高し    鬼城
   冬蜂の死に所なく歩きけり

 鬼城ならではの、子規を尊敬してやまない堂々たる子規忌の句である。
 俳句実作者なら誰しも、「子規」に帰るところのある幸せを思うであろう。
by masakokusa | 2016-09-30 23:50 | 秀句月旦(3)
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