炭爆ぜて初筍の焼かれけり 二村結季 晩春、いち早く掘り上げた早生の筍である。 「炭爆ぜて」、ただそれだけで、歯あたりのよき筍の美味がいやがうえにも伝わってくる。 ただの筍ではない「初」が「爆ぜて」によく呼応して、作者の喜びも弾けるのである。 まさに垂涎の筍である。 啓蟄の手強き杉菜掘りにけり 結季 (花野会) 春蝉や旧街道にかまぼこ屋 坂田金太郎 春蝉は、松蝉とも呼ばれるように、松林に生息して、晩春から初夏にかけて鳴き出す蝉である。 数年前の5月頃、箱根町にある早雲寺近くで聞いたことがあって、春蝉のさも鳴きそうな「旧街道のかまぼこ屋」がいたく懐かしく、かのゆるやかな春蝉の声にささやかれたような喜びを覚えた。 かまぼこ屋は、小田原の名高い鈴廣屋であろう。 ぷりぷりの白い蒲鉾、その縁にうっすらとある紅色が「春蝉」の明るさを誘い出すようである。 小刀は肥後守なり接木の穂 金太郎 (花野会) 寺の奥ささやき聞こゆ竹の秋 平野翠 春になると竹は葉が黄ばんでくる。まるで秋のようであるから「竹の秋」という。 そんな晩春の時節、お寺へ詣でると、ふと寺の奥の方から、誰かしら人の小声がほそぼそと聞こえたというのである。 ただそれだけのことのようであるが、竹秋という少し淋しげな抒情が静かにも的確に言い止められている。 竹藪を渡る風の音さえも聞こえてくるようである。 (花野会) 潮風の紫あはき花菫 山森小径 菫と言えば紫という色彩を思い浮かべる人は多いであろう、だから「紫あはき花菫」というのは普通のことではないかと思うかもしれない。 だが、それは違う。 予定されたイメージの紫はただの紫であって、概念に過ぎない。 「潮風の」と言われてはじめて、海原の色にもつながるような、鮮やかにも澄みきった色の菫がそよぎはじめるのである。 潮風が、命を吹き込んでいる「紫あはき」菫なのである。 (木の実) 忘れたる事も忘れて春炬燵 狗飼乾恵 何ともぼんやりとした春の炬燵である。 冬の炬燵ではこうはいかない。 何やかやすっかり呆けてしまったような感じは、あまりにも暖かで気持ちよすぎる春炬燵のせいである。 読者にも思い当る事があって、ついうっとりしてしまうものである。 だが、作者は呆けるどころか、バリバリの方であろう、でなければこんな妙味は生み出せない。 石段を見上ぐる先は花の寺 乾恵 (木の実) 二鉢の菫を提げて妻帰る 中澤翔風 おのろけではない。 どこか生真面目な清々しさが漂っている。 何といっても菫の鉢がいい、それも二鉢であるところが、もっといい。 ここには、妻の顔、夫の顔が、合わせ鏡のように健やかに円満に映っている。 (木の実) 早春や射手かけ抜ける一の的 熊倉和茶 流鏑馬であろう、弓の名手が颯爽と駆け抜けて、矢は見事に一の的に的中したのである。 その勇壮なる姿をまのあたりにした興奮を、たったの五文字「早春や」と、言い切った。 季題もまた見事に的中している。 寒気の中に春めくさまがきらきらと光っている。 (木の実) 主の居ぬ日の出山荘春めきぬ 瀧澤宣子 日の出山荘は、元内閣総理大臣の中曽根康弘氏の別荘。 かのレーガン大統領を招いて、首脳会談に使われたことが懐かしく思い出されるが、今は一般に開放されているという。 そんな日の出山荘を訪れた印象を、「春めきぬ」というさりげない情感に詠われた。 「日の出」という名称のもたらす明るさが、あたりの光景とマッチして、大ぶりな春到来が感じられるものである。 (木の実) うぐひすの初音や空の明け初むる 上田知代子 鶯の初音でもって空が明けてきたという、ダイナミックな詩情である。 初音は、いつ、どこで聞いても感激するものであるが、夜が明けようとするときに聞きとめたことによって、春のさきがけの声がいっそう明らかに響くのである。 (木の実) 暁に夫を見送る初音かな 大本華女 この句もまた、明け方の初音である。 ご主人さまが出勤であろうか、旅行に発たれるのであろうか、早い出立を見送るときの初音であるから、ご夫妻二人して聞きとめられたものである。 静けさのうちにも、あたたかさの感じられるすばらしい春の音色である。 (木の実) 子供らが帰る午前の春日かな 菊地後輪 小学生であろうか、たまたま始業式か何かで、早々と日の中を帰ってきたというのである。 春の日差しは、あたたかくて明るいという、ただそれだけの概念にとらわれていると、こんなにも透明感あふれた春日を詠いあげることはできない。 「午前」という、ごく普通の言葉が俄かに詩的に作用して、春日独特の美しさが臨場感たっぷりに伝わってくる。 (セブンカルチャー) 甘夏や落つるがままに留守の家 矢島静 甘夏は夏柑の改良種で、文字通り酸味が少なく甘い。 生食はもとより、ジュースやマーマレードにふんだんに使えるものである。 留守の家は、主が長く空けている家であっても、廃屋であってもいい。 とにかく、この家の前を通るたびに、こんなおいしい甘夏がいっぱい落ちているのである。 「落つるがままに」という巧みな表現によって、情感が生まれ、一句の景に奥行きをもたらしている。 (セブンカルチャー) その昔岐阜蝶来たる白山に 河合久 ギフチョウは、小型の美しいアゲハチョウで、早春の一時期だけ現れるので「春の女神」と言われるそうである。 これは、知人の『喜寿のときめき』(喜寿から出会った200種の蝶たち)という本を読んで知ったばかりのこと。 折も折、掲句に出会ってまた驚いた。 聞けば作者のお父上もまた仕事の傍ら、蝶々の採集研究家であられたが、昔、この厚木の「白山」にギフチョウを発見し、一躍世を驚かせたことがあるという。当時のギブチョウの北限であったらしい。 「ソノムカシ」に始まる一連の韻律が美しく、「ハクサン」という固有名詞も詩的に効いている。 俳句は現在ただ今を詠うのが原則であるが、一句は、「その昔」でありながら、そこに存在する岐阜蝶そのものを浮かびあがらせる力強さがある。 まだ見ぬ岐阜蝶が、なぜか私の心の中にも舞い上がってくれるのである。 (セブンカルチャー) 折り返しすぐ来る電話あたたかし 佐藤健成 佳き句は一読してこころに響くものである。 この句も読んですぐ、「ああ、いいなあ」というあたたかみに包まれた。 「暖か」という季題は、もちろん気温が寒くも暑くもない快適なる気温という暖かさであるが、そのよき季節感覚が、このように心情的になっているところもごく自然に納得させられる。 人情もまた季節の中に溶け込んでいるのである。 (草原) 息もれて紙風船の縞ゆがむ 古館千世 子供の頃、薬売りのおじいさんに紙風船を貰うのが嬉しかった。 今も、その五色の紙を貼り合せた紙風船は絶えることなく、子供の玩具になり、大人にとっても懐かしいものとして喜ばれている。 掲句の素晴らしさは、何といっても「縞ゆがむ」である。 リアリティーのある紙風船はもとより、息を吹き込む人や、それを見守る子供たちなど、辺りの光景まで明るくなごやかに感じられてくる。 (草原) 松原を抜けるとそこは花菜畑 潮雪乃 松の木ばかりが生えているところを通って、やがて、ここを抜けると、そこには菜の花畑が広がっていたという情景である。 「松原」という、緑も濃いごつごつした印象のものと、「花菜畑」という、黄色の美しい柔らかな印象が、見事に対比されていて、菜の花の明るさがいっそう際立って感じられる。 (青葡萄) 稽古着は黒一色や春鴉 末澤みわ 稽古着というと剣道や柔道を想像されるかもしれないが、作者はスポーツクラブに通っておられるから、ヨガかダンスか太極拳などに使用される稽古着であろう。 「稽古着は黒一色」は作者のことであるが、それがそのまま「春鴉」に直結するおもしろさが抜群である。 この春の鴉は何だかとても瑞々しく感じられる。 それは真っ黒な稽古着さえもおしゃれに着込んでいる作者の感性がそこに映し出されているからである。 (青葡萄) 歩くうちルートの決まる春の山 森田ちとせ こんな春の山登りを満喫してみたいものである。 作者が登山家であると知ると、なるほど俳句の仕上がりも又ベテランの風格を備えている。「ルート」という措辞もごく自然である。 冬山とは一線を画した春山ならではの登山の楽しみであろう。 (青葡萄) ぼんぼりの淡き光や桜餅 北村たいし うす暗い奥座敷にあって、お雛さまの顔を浮かび上らせるぼんぼりの灯は、ことのほかほのぼのとしている。 「ぼんぼりの淡き光や」と打ち出して、その状況を的確に見せながら、和やかにいただく桜餅の上品な味わいまでをも感じさせてくれる。 姿かたちの美しい句である。 (草句の会) 注目句をあげます。 永き日の小船は左右へ別れゆく 日下しょう子 春荒に青き匂ひのありにけり 湯川桂香 一発の父の拳骨あたたかし 鈴木一父 千年の時を枝垂るる桜かな 眞野晃大郎 腰曲げて陽炎追うや急な坂 藤田若婆 雪柳風に向かって指揮とりぬ 吉田良銈
by masakokusa
| 2016-04-30 23:58
| 『青草』・『カルチャー』選後に
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