長病の今年も参る雑煮かな 正岡子規
正岡は食い意地の張った男であった、と漱石は書いているが、子規は健啖であればこそ、8年に亘る長い闘病に堪え得たのであった。
きっと歯も胃もすこぶる丈夫であったのだろう。
「長病の」という、まるで他人事のような措辞が、「今年も参る」を引き立てて、病みながらもまことめでたい雑煮を味わっているのである。
電子辞書によるホトトギス俳句季題便覧の、「雑煮」の例句は、この子規の句の下に、
高濱虚子の〈ゆるぎなき柱の下の雑煮かな〉が出ている。
合わせて読むと、一家そろって新年を祝う雑煮があらためて格別のものであった時代がしのばれる。
一方に枝のはげしく梅早く 皆吉爽雨
この句の「はげしく」ほど的確な表現はないといつ読んでも感心する。
かといって、「枝のはげしく」とはどんな状態かを書き連ねると、かえってつまらなくなってしまう。
はげしくは、はげしくとしか言いようのない直感に射抜かれているからであろう。
冬の寒さに咲き出でた梅の花のありようが、美しくも厳しく感じられるのであるが、やはりまた「一方に」も、その趣きをよく滲み出している。
風はありながら、山裾のここばかりは日当たりのよさそうな感じである。