風吹いて椎拾ふ子の帰りけり 大峯あきら 「俳句」一月号 島の子であろうか。椎の実拾いに無心に興じている。 風が吹いたら帰らねばならないという因果はどこにもないのであるが、子供たちはまるでそれが必然であるかのように帰っていった。その行動が自然そのものとなっている子どもの何と健気なありようであろうか。 誰にも思い当りながら、誰一人とどめることのできなかった刻々の光景。見落としてしまった刹那を今一度ここに拡げて見せていただいたような静けさが、詩情たっぷりに漂っている。 かの打撃王、川上哲治が、「ボールが止まって見える」と言ったことが思い出される。打とう打とうと自分から打ちにいったのではなくて、球の方から摑まれたという、比類なき川上の感覚の不思議。 それはそのまま描こう描こうと身を乗り出したのではないが、言葉の方から掴まれたという大峯あきら俳句の神髄にかよっている。 濃紫見えて春着の肩あたり 宇多喜代子 「俳句」一月号 子供の頃、お正月は袂を揺らしながら歌留多取りを嬉々として楽しんだ。 私の着物は満艦飾だが、姉のそれは淡い花々をちりばめ肩のところは目の覚めるような紫雲であった。 凛々しくも楚々たる姉に負けん気を燃やしていた妹のあどけなさが今更になつかしい。 さて掲句は妙齢の春着であろうか。「濃紫見えて」は、古風な品位もさることながら「コムラサキ」の語感も強く打ち出して、この一点に正月の粋を凝縮した。 瑞祥の句である。 萱の穂のなびく諏訪より甲斐に入る 山本洋子 「俳句界」一月号 やまなし国民文化祭への旅の途であろう。 甲斐に近づく予感に萱の穂をなびかせる。「なびく」は風に萱が横伏せになっていくさまであるが、同時に甲斐の国に象徴される俳人飯田龍太へ次第に心を移してゆくという心象でもある。一字一句が緊密に響きあって、えも言われぬ抑揚を醸し出している。 典雅なる作風で知られる作者であるが、作者その人の心情や佇まいがすでに典雅であることをここに物語っているようである。 病む時は病むに従ふ春の風邪 的場秀恭 句文集『夏炉冬扇』 「的場さんは一人で三人分くらいの病気を持っていますね」と主治医に言われるほど、病気と付き合っておられるという。 だが、松下幸之助の「人は一生に何回か病の床に臥す。しかし人間にとって所詮死は一回。何回病気をしようとも死につながる病は一回きり。いつの時の病が死につながるか、それは寿命にまかすとして、病を味わう心を養いたい」を信じて、激務をこなされる。 病を味わうといえば子規がその筆頭であった。氏もそれやこれやの思慮、試練を経て、かくも自然体の措辞を得られたのであろう。 自他ともに癒される句である。何より、「春」の一字がやさしい。 湯の底に水沈みをり鉦叩 小川軽舟 句集『呼鈴』 五右衛門風呂ではないが、「沸きましたよー」に応えてドボンと入ると、「水風呂だー」ってことが多々あった。じっと沸き上がるまで縮かまっている主人のうすら寒さ、風呂焚きの申し訳なさ。鉦叩のおなぐさみがチンである。 こんな散文に置き換えてしまってはそれこそ申し訳ないが、なつかしい湯船に浸らせていただいた。 かたじけなき社宅の家賃鉦叩 鉦叩に触発された感懐に人柄がしのばれる。「ヤチン」もチンに嫌味なく応えている。 二句とも二物配合であるが、その距離感はそう遠くなく、ぬくもりをもって鉦叩の音色を響かせてくださる。 読者はただ黙って、命あることをいとおしむばかり。 母訪へばすぐに扉の開く良夜かな 角谷昌子 句集『地下水脈』 「お帰り」と同時に自動的にするすると扉が開くようなすべらかな感覚がとりもなおさず幸せの良夜のそれである。ここにさしこんでくる月光ほど輝かしくも清らかなものはない。「母訪へばすぐに扉の開く」と「良夜」は、磁石で吸い寄せられたかのように密着する。 本閉ぢてこころただよふ蝶の昼 蝶々の世が、まこと宙に浮かんでいるような、可憐ないっとき。 俳句は幸せであり、歓びであるのだと、気付かされる。 ラグビーの声の逆巻く顔洗ふ 綾部仁喜 「泉」一月号 ラグビーの熱狂は、作者の鼓膜をも震わせる。逆巻く波の如き奮戦は、やがてわが身の興奮と化すのである。だが急転直下、この熱の冷まし方はどうだろう。クールそのものでありながら、洗顔の飛沫も飛び散るような力を秘めて一句はめでたく結ばれる。 校庭を飛ぶ枯蔓を見たるのみ 綾部仁喜氏は、人工呼吸器に繋がれて、病院生活も十年が経つ。 石田波郷を継ぐ氏は、波郷の究極の特質を、その香気に感じると書かれていた。病窓に見るべき命を見とどける氏の作品もまた人知れず香気を放っている。しかも凛冽たる香気である。 (「晨」平成26年3月号第180号記念号所収)
by masakokusa
| 2014-03-31 23:15
| 俳論・鑑賞(2)NEW!
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