原石鼎俳句鑑賞・平成24年8月
  
  
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    秋風や模様の違ふ皿二つ      大正3年


 今年の猛暑は百十三年ぶりとあって、処暑が過ぎても一向に衰えない。
 漸く夕方になって裏道を下ってゆくと、草叢に虫が鳴き、遠く蜩が鳴き、竹薮がふっさりと風を送ってくれる。まぎれもない秋風である。
 ああ涼しい、やっと人心地ついた思いで仰ぎ見ると、青々とした空の一隅は真っ赤に焼けて、うっすらと薄墨を刷くように雲の一筋二筋が流れている。歩くほどに人家の小窓に灯がともり、日暮れは俄かに迫ってくる。
 こんな何気ない光景に浮びあがってくるのが掲句である。

 「父母のあたたかきふところにさへ入ることをせぬ放浪の子は伯州米子に去って仮の宿りをなす」という長い前書きのせいか、俳句初学の頃は寂寥感たっぷりに読みとっていた。
 親子であっても、夫婦であっても、所詮は模様の違う皿二つなのだ、そんな思いが秋風に仮託されていっそう侘びしかった。
 だが、今は違う。
 秋風はもっと明るい。ここに見える風景のあれもこれもが、ただ秋風に吹かれて秋風になりきっている、何よりも私が秋風をしている、そう思うだけで清々しい。
 ここまで長く生きてみれば、二つ在れば二つ違うことのありようの方がむしろ頼もしいと思う。だからこそ人生は楽しい。
 模様という措辞は、膝を突き合わして見るごとき臨場感をもたらしながら、大いなる天然の模様と化している。絢爛たる夕焼け空は、花鳥をほどこした赤絵の小皿そのものの彩色である。 
 今や、「模様の違ふ皿二つ」はイコール「秋風」となって、私の心の中で溶けあっているのである。

 石鼎も詠いあげた時点ですでに救われていたのであろうが、自らの苦悩の末に見出した言葉は読者をして人生に向わせる力を持っていることにあらためて気付かされるばかりである。
 石鼎の小さな胸には大きな背中が貼り付いていたというか、微視的なものと巨視的なものが同居していた。
 眼前にあるものは言わば人智、背後には人智を超える大自然があったのだった。

 掲句から十年後、関東大震災に遭った翌年の句にも、そのあたりのことが伺われる。

   我肌にほのと生死や衣更

 衣更えという人事が、自然の移り変わりと切り離すことのできない、のっぴきならぬ山水として、その身に染みわたるように実感されたのであろう。
 「ほのと生死や」からは、瞬時によみがえるような命の輝きを覚える。
 「秋風」にしても、「衣更」にしても、石鼎は人間よりもむしろ自然との切り結びを強固にしているのである。
 しみじみとした静けさにありながら、俳句に勢いがあるのは、石鼎その人の、単孤無頼の勁さではないだろうか。


(草深昌子=「晨」平成22年11月号第160号所収)
by masakokusa | 2012-08-29 20:28 | 原石鼎俳句鑑賞
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