大峯あきら句集『群生海』・鑑賞                   草深昌子
 
       群生海光芒

                   
   まだ若きこの惑星に南瓜咲く

 大峯あきら第八句集『群生海』の帯に掲げられた一句。
 この句に出会った時の眼の眩むような感動は今もあたらしい。思わず背丈がスーッと伸びあがるような浮遊感と透明感。それでいてまた何と硬質なる珠玉であることか。全く関係のない二物がすかさず取り付いた磁場の強さ、南瓜の花は俄かに垢ぬけして、その鮮黄色は金剛の如く光っている。まだ若きこの惑星を、まだ若き私と錯覚するからであろうか、愚かしい私は読むほどに嗚呼嬉しいと思う。
 この句に代表される一集の輝きが、この度毎日芸術賞受賞のそれにかぶさっていっそう輝かしくあることの不思議に打たれている。

 ところでこのような名句は一体どのような契機で生まれるのであろうか。私には解説できないが、思い当たることがある。
 いつであったか大峯先生に実作についてお伺いしていた折、先輩同人が、「後はもう、その人のもっているものですよね」と仰った。その時、「そうねー」と、何とも途方に暮れたようなお顔をされたのである。大峯先生にしてこの表情であろうか、しんとした空気が漂ったことを忘れられない。そしてその後、「俳句は無心の境地などという綺麗事から生まれはしない。実作者には、悪戦苦闘の修羅場があるだけだ」と書かれた。またしても衝撃であった。
 真の詩人とは、かくも覚悟の坐った方であったのだった。
 今あらためて、名句というものは言葉の方から詩人をつかんだものであることを実感している。無意識のうちに深く思索してあったものが、我知らず具象になって結実した、言わば大峯あきらその人が作品になったと言ってもいいようなものである。
 だからこそ南瓜の花は含羞に満ちている。読むたびに元気をいただけるのは作者の強さがそこに生きているからである。

   今朝引きし鶴にまじりて行きたるか

 『君自身に還れ』で対話された池田晶子は、平成十九年二月、四十六歳の若さで永遠へ旅立たれた。
 死ぬという言葉すら超えた存在というものに気付くと「池田は死ぬが私は死なない」のだと言った、その人。生きて在る魂への心からの呼びかけ、その言葉は清冽にして初々しい。「南瓜咲く」一句が成ったのはこの年のことである。

   冬の蠅子規全集にとまりけり
   簀戸入れて午から子規を読むつもり

 哲学者大峯顯と池田晶子の対談は、今自分がここにいるという不思議に共鳴し合うことから始まるのであったが、生きて在ることの不思議を知るとは、正岡子規がまさにそういう人であった。
 子規は若き日に、「実に奇体なり この世界にこんなに家屋をたて人間がかく横行するかと思へばそれさへおかしきに、わが身がその人間に生れて、かく動きかく考ふるは如何にも妙なり 変なり 我は何物なるか、どうしたのか、どうするのか、ハテ奇体なり サテ奇体なり」と自分が茫として分らぬようになることがしばしばあると書いている。
 大いなる論を立てながら、自身への問いかけを忘れることのなかった子規、終には写生を通して造化の秘密に触れるまで、その文学と哲学は己が不思議の中に溶けあっていた。
 そんな子規ならば又、大峯あきら詩人ほどふさわしい対話者はいないと言うに違いない。冬の日差しを背負って必然の如くやってきた一匹の蠅。何と清潔で、強靭な命であろうか。全集からは思わず子規の声が洩れてきそうだ。
 簀戸は子規へ向かおうとする意気込みそのもの、物我一如である。「読むつもり」には、今の時間が前にも後ろにもつながっていることを感じさせ、涼しさの風筋までもが見えるようである。

   とめどなき落葉の中にローマあり
   女来て古城の木の実拾ひ去る

 写実に発しながら只の即興ではない、風景の象徴化が成されるのが作者の詩法である。今という瞬時は永遠そのものであって、その奥深さに立ちすくんでしまうような気がする。共に、動画でありながら静止する静けさが古色蒼然として、時の流れを絵巻物にして見せてくれるような詩品の高さを醸し出している。

   花の日も西に廻りしかと思ふ

 花は日本古来の楚々たる山桜。
 吉野山中に惜しみない日の光をいただいた桜狩の一日、夕日に移り変ってゆくその刹那を物陰から手を差し伸べるようにして言葉にとどめている。
 〈あらましの星揃ひたる桜かな〉、〈金星のまぎれこみたる桜かな〉、〈満月のはなれんとする桜かな〉、桜を愛でると言うことは全宇宙を愛でるに等しい。一回性の中に表出される光景の比類なきかたち、その花の俳句は文字通り一頭地を抜いている。

   その辺を歩いて来たる桜かな

 ここに至って、作者はすでに桜の方から呼びかけられ、愛でられているのであろう。いかにも楽しげである。その辺は吉野のそのあたりかもしれないが、読むほどに広大無辺のようにも思われる。
 このあたりの俳句の風味はまさに関西風料理のそれである。お出汁の利いた逸品はもとよりおいしい、そして本当のおいしさは「ごちそうさまでした」と箸を置いた後にしみじみとやってくる。 
 かつて、吉野と言えば石鼎であったが、今や吉野には在住八十年余のあきら俳句の厚みが加わって、その風土はいよいよなつかしい。
 石鼎は句作について問われると、「湯にでも入っているときのようなぼおっとした気分になり、自分を低めてものを見つめていると、何かしらものの光のようなものが見えてくる」と答えたが、この石鼎を論じて、生の言葉が自然の中にかき消され、もう一度蘇生してくるところの言葉を聞く人の作品であると明確に示したのは俳人大峯あきらであった。作者において思索と詩作は一枚である。

 ふと傍らの俳句門外漢が、「大峯先生の俳句を読むと心が洗われるね」と言った。何とも率直な物言いではあるが、「心が洗われる」とは高悟帰俗に至った作品であることの証にほかならないのではないだろうか。そしてまた、普遍性がなければならないことでもある。

(平成23年3月号・「晨」第162号所収)

大峯あきら句集『群生海』・鑑賞                   草深昌子_f0118324_1672432.jpg

by masakokusa | 2011-02-28 21:11 | 俳句総合誌
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