秀句月旦・平成22年11月
 
   初冬のこころに保つ色や何       原コウ子

 原コウ子の自問であるが、ふと私自身のそれとなって口ずさまれる句である。
 紅葉がいつしか枯色になってゆくころ、川べりを下って買い物に急ぎつつ、心は静かに、この句を唱えている自分にはっとする。実際にその答えを見つけようというのではない、一種の空虚感が共鳴されるのだろう。
 これから本格的な寒さを迎えるにあたって、はたまた忙しい年末をへ迎えるにあたって、どこか身構えているようなところがあるのかもしれない。
 掲句は昭和22年の作品。
 同年、終戦後も動揺する心を、<何を信じてこの好日や木の葉髪>と詠いあげている。掲句も又、今の私などとは程遠い深い心境であったにちがいない。

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   枯色として華やげるものもあり      稲畑汀子

 客観写生ではあるが、このような色彩が引き出されるのは主観のたまものであろう。作者その人が華やいでいなければ発見できない現象である。
 汀子の祖父にあたる高濱虚子に、<草枯に真赤な汀子なりしかな>がある。孫を詠って鮮やかにもあふれんばかりの愛情である。
 作者には生来、「華やげるもの」が備わっているように思われる。

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   一茶忌や父を限りの小百姓      石田波郷

 文化文政期の俳人小林一茶の忌日は、陰暦11月19日。信濃柏原の農家に生まれ、3歳で母を失ったあと継母との折り合い悪く、早くから江戸へ出た。異母弟との遺産分配の争い、妻子には相次いで死なれ、大火によって家を失い、焼け残りの土蔵中でその一生を閉じた。人間味あふれる独特の俳句は庶民の心に今も生き続けている。
 波郷は19歳で松山から上京し秋櫻子の庇護のもと俳句に没頭したが、病境涯であった。掲句も病院の中の句会で得たもの。一茶の境涯にわが境涯を重ねて、故郷に一人鍬を取る父親を思いやったのであろう。

   隙間風兄妹に母の文異ふ
   降る雪や父母の齢をさだかにも

 はっきり父母の年齢を知らないまでも、いつも心に父母を置いてることが知れる。



   人逝きてその湯たんぽの行方なし      皆吉爽雨

 先日、朝日新聞のひととき欄に74歳の主婦のエッセイが出ていた。

 台所の流し台の隅にある銅製の「三角コーナー」を一日の家事の終りに毎晩磨いて二十数年、ついに傷んで新しいものに買い替えた、その売場で包みを受け取りながら、また二十数年大切に使おうとした途端、そんなに自分が生きられないことに気付き、この小さな品の最後も見届けられないかと思うと、立ちすくんだという。
 「新しい三角コーナーはシンクによくなじみ、よく働いてくれているのですが、あの日から、ひとり荒野をさまようような感覚が胸にすみついて出て行かないのです」と結んであった。

 一日一日を丁寧に生きる方ならではの実感が、身にしみ入るように切なかった。
 そこへ出合ったのが掲句である。
 主婦失格の私にとって切実なものは三角コーナーならぬ湯たんぽである。乾燥することなく、しっとりと夜具を温めてくれる湯たんぽは一晩も欠かせられない。この幽けきわが宝物も、私がこの世を去ったらもはやそこまで、たちまちその居所を失ってしまうものであったのだった。
 その人とともにあった物の寿命は、その人に殉じて行方をくらますらしい。

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  末枯て國のためとはたれも言はぬ       田中裕明

 晩秋、草や木の葉先が枯色を帯びてくる。まだ緑の色を残しながらも枯れのはじまり、枯の走りである。秋の光りの輝かしさのなかにも寂寥感が漂い始めるのが「末枯」という季語である。
 「國のためとはたれも言はぬ」、たしかに国のために何かをしようという積極性のない現代にあって、それが「枯れ」でなく「末枯」であるという微妙な自然の変化のなかに断定されたものとして、抵抗なく納得させられる。
 一方で、「國のために」あえなく散華した人々があったことを思えば、「國のためとは誰も言はぬ」ことこそ一つの救いではないだろうか。
 さりげなく置かれた「末枯」という季題が多くを物語ってくる句である。

 折しも、今日(平成22年10月30日)の朝日新聞夕刊「素粒子」の言葉に出会って、もう一度掲句を読み直している。
 ――この小さな欄ではたびたび時節を嘆き、未来を憂いてきた。国は足踏みをし、人は内にこもる。息が詰まるような時代だ。でも覚えておいて欲しい。自分の人生は、決して誰かの責任にはできないということを。そう茨木のり子さんの詩の一節のように「駄目なことの一切を、時代のせいにはするな」
君たちの生は、君たちだけが切り開く。遠くへ行こう。誰も行ったことのないほど遠くへ――

 田中裕明は6年前45歳で夭逝したが、後進によく読み継がれ、去年から若手作家を対象に「田中裕明賞」(ふらんす堂)が創設された。

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   深秋といふことのあり人も亦          高濱虚子

 「深秋」(しんしゅう)は秋も終りの季節である。山野を彩った美しい紅葉も散りかかるころ、万物に淋しさが及ぶのであるが、人々もまた、物思いにふけり、読書をし、その佇まいは静かにも落ち着いてくる。
 そういう深秋の中にいて、心持ちの深い人がいることに虚子は詠嘆している。深秋という季節のありようをそのまま人の姿、人の心に見てとったのであろう。
 このように詠いあげられるような女性でありたいものだが、後の祭である。

 虚子は俳句の本質を「花鳥諷詠」であると定義した俳人である。
 「私達の感情も、意思も、生活も、これを山川草木、鳥獣虫魚にうつして、詠嘆することができる。何となれば、人も禽獣も草木も同じ宇宙の現れの一つであるからである。80年の人の命も、1年の草の生命も、共に宇宙の生命の現れであることに変わりはない。花鳥だといって軽蔑する人間は愚か者である。花鳥にも、人間に宿るが如く宇宙の生命は宿っているのである。よろしく花鳥諷詠の意義を知るべきである」
 人の心を花鳥に見、人の心を風月に知る、そういう俳句観の虚子にしてはじめて表現し得る句であろう。

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by masakokusa | 2010-11-01 00:32 | 秀句月旦(3)
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