大いなる初日据りぬのぼるなり 原 石鼎
元旦の日の出のめでたさは、「大いなる初日据りぬ」、もうそれだけで十分である。だが、そこでとどまらないのが石鼎独特の艶やかさに思われる。いったん水平線上に深く息をついで、「のぼるなり」でさらに引き伸ばして読ませるあたりさすがに太陽を生きものの如くゆらめかしてダイナミックである。 昭和18年1月、掲句の他、<やや高く見えてまどかの初日かな>、<不平消して永久に明るし初日影>の三句を発表して以降、四年間俳句はない。戦争を憂慮しての「句断ち」であったという。やがて、戦争と病苦を乗り越えて、昭和23年には句作を復活した。 <屠蘇雑煮二日も妻と二人かな>、<昼は日に夜は月星に松の内> 元日も二日も暮れてしまひけり 正岡子規 明治28年作。ただごとを述べただけのようでいて、詩情は深く漂っている。 子規の新年の句は、29年<元日の人通りとはなりにけり>、<今年はと思ふことなきにしもあらず>、 30年<元日や朝からものの不平なる>、<初夢の何も見ずして明けにけり>、 33年<初夢に尾のある者を見たりけり>、34年<大三十日愚なり元日猶愚なり>、などがある。 子規の短い生涯を思えば少々切ないものがあるが、どの句も子規に限らなくとも思い当たる、あらたまの年の初めの心情、情景ではないだろうか。 古きよき俳句を読めり寝正月 田中裕明 もろもろから解放されてのんびりするのが最高のお正月であろう。かといって怠けているわけではない、新年こそ古き佳き俳句の世界に身を浸したいという俳人の静けさがさりげなく表出される。 <春著の子古き言葉をつかひけり 裕明>も「古き言葉」が晴れ着の美しさにかよっている。 日本の伝統詩としての俳句を大切にした作者である。 大空に羽子(はね)の白妙とどまれり 高浜虚子 羽子板の重きが嬉し突かで立つ 長谷川かな女 焼跡に遺る三和土(たたき)や手毬つく 中村草田男 座を挙げて恋ほのめくや歌かるた 高浜虚子 歌留多読む恋はをみなのいのちにて 野見山朱鳥 うばはれし紺の裏おく歌留多かな 皆吉爽雨 双六に負けまじとして末子かな 上野 泰 戦後の子供時代、お正月の遊びはご近所、親戚、老若男女うちまじって楽しかった。ことに「小倉百人一首」を源平ふた手にわかれて競い合ったことはもっともなつかしい。母の朗々たる読みが今も耳に残っている。子供心には知るよしもなかったが、当時の親の思い、大人の思いはいかばかりであったろうか、今さらに様々がしのばれるお正月である。 笹鳴や学習院を通り抜け 川崎展宏 鶯は冬にはすっかり成鳥になっているが、まだ鳴き声は整わないでチャ、チャと舌鼓を打つように鳴いている。そんな単純な地鳴きを笹鳴という。そのひそやかな音色は、「学習院」なるひと言でたちまち読者の耳にいかにも清楚に聞こえてくるから不思議である。ガクシュウインがもたらす韻律のひびきに加えて、一種独特の瀟洒な感覚が引き出されるのであろう。 学習院大学には略称がなく学習院と呼ばれるのが一般的で、JR目白駅を降りてすぐのところにある。都会の喧騒にありながら正門を入るとたちまち閑寂な趣である。 皇族の通う学校として知られ、昔は華族など上流階級による閉鎖的なエリート教育というイメージであったが今は一般市民のものである。それでも欝蒼と茂る木々のほとりや、「血洗いの池」あたりを散策すると、厳粛な歴史がしのばれ、癒されるような雰囲気がある。吟行の折など何度か通り抜けをした経験があるが、近ごろはどうであろうか、笹鳴を聴きとめに行きたくなった。 その冬木誰もみつめては去りぬ 加藤楸邨 冬木は常緑樹でも落葉樹でも冬の木を総称するものだが、私にはやはり葉を落としきった裸木が思われる。 庭か広場か、たった一本の特定のその木。何かしら歴史ありそうな直立のその幹の光りを人はみな見遁しにしない。だが、人は一木をよぎるばかりである。冬木はそこにあって、人間の弱さをどこまでも支えてくれる、不動のものとして立っている。 楸邨といえば、この冬木ともう一句、<鰯雲ひとに告ぐべきことならず>が好きで、十代のころよく口ずさんだ。 二句とも、口をきかないのがいい、「沈黙は金なり」という印象があって、内向的なものにとってはその密やかさは救いのように思われたのかもしれない。楸邨ならではのセンチメンタル。 雪嶺の目の高さなる小正月 阿部みどり女 小正月は旧暦の正月15日(現在は新暦1月15日にも行われる)、あるいは正月14日から16日までの称で、元日を大正月と呼ぶのに対して小正月という。かつて元服の儀を小正月に行っていたことから、1月15日は成人の日として国民の祝日であったから、成人の日の華やぎがそのまま小正月の気分でもあった。ところが、今は成人の日は一月第二月曜日に変更されて、祭日として寛ぐという気分も失せてしまった。もっとも農業に関連した行事であるから、今も農村などではさまざまに伝えられてはいるのであろう。子供の頃、祖母や母がこの日に松飾りを取り払って、やれやれお正月も終わりましたよと一段落していたことはよく覚えている。 阿部みどり女は、大正2年の「ホトトギス」に開設された「婦人十句集」時代から93歳で没するまで活躍した女流俳人である。さすがにきりっとして、なおやさしさがある。 今年の小正月も、この句の通り、ここ丹沢の麓から青々と晴れわたった空に雪を被った大山がくっきりと見渡され、何とも清々しい日和であった。「目の高さなる」が言えそうで言えない、透明感にあふれた距離感が読者の目線となって実感され、文字通り大地に足をつけた俳人の描写力であると感じ入った。 <九十の端(はした)を忘れ春を待つ みどり女> 一片のパセリ掃かるる暖炉かな 芝不器男 パセリと言えば、かの鷹羽狩行の<摩天楼より新緑がパセリほど>がつとに有名であるが、不器男のパセリも勝るとも劣らない。まして狩行が生まれたころの、昭和初年の句であれば、一片のパセリはいかにも新鮮であり、明るく近代的な感覚に横溢している。 <あなたなる夜雨の葛のあなたかな>、<白藤や揺りやみしかばうすみどり>など万葉調と言われる代表句を生んだあと、発病し、28歳で世を去った不器男の最後の句会のもの。 病床吟ではあるが、万葉調をはなれて新しい。 厳寒や夜の間に萎えし草の花 杉田久女 昼間に摘んで瓶に挿してあった草の花であろうか、しんしんと更けゆく夜の間にもう萎びてしまったというのである。外は氷点下の寒さのようである、久女はあかあかと燃える暖炉のもとで俳句に余念がないのであろう。 抗うことのできない自然の強さ「厳寒」に対して、いかにもか弱い自然のいのち「草の花」が見事に照応されているが、この厳寒も久女なら、草の花も久女その人のように、なまなましくも手掴みに迫ってくるものがあって、あらためて久女は俳句に命を賭した女流俳人であったと思う。 杉田久女全集によると、掲句の数句うしろに、<色褪せしコートなれども好み着る>、<句会にも着つつなれにし古コート>、<アイロンをあてて着なせり古コート>、<身にまとふ黒きショールも古りにけり>が並んでいる。 愛着の古コートが少しもよれよれしないで、むしろ艶やかにいきいきしているのは、コートに身を包んだ久女の矜持がもたらすものであろうか。この頃、久女はもっとも才気を発揮していたであろうが、内には慎ましやかな気立てが湛えられていたことがしのばれる。だからこそ久女は、「男子の模倣を許さぬ女の句」と虚子に絶賛されたのである。 昭和11年、突然「ホトトギス」同人を除籍された久女は、その後終生笑いを失ったまま、昭和21年1月21日56歳で死去した。 1月21日久女忌は、まさに厳寒の頃である。 待春のほとりに木々をあつめたる 田中裕明 一読して、たちまち春を待つ気分が清涼にイメージされる。この調べは短歌的で、読者はおのおの胸のうちにあと七七をつけたくなるのではないだろうか。一句のシンとした切れのあとに、めっぽう明るい炎が立ち上がりそうな予感がする。表現はシンプルにして雅(みやび)であるが、内容は広やかでどこか原始的でもある。 この平明な言葉にひかれて、ふと思う。「待春のほとり」ってどこ?どういうこと?そう、この仕掛けに魅了されるのである。「待春の」はむろんここでひとまず切れるのだが、、、例えば「待春や河原に木々をあつめたる」とやってみると誰にでもわかるが、これではただの日常語、実用語を連ねただけであって、詩の言葉にはなっていない。 何気なくも詩人のこころが行き渡っている句である。 裕明は第二句集『花間一壺』のあとがきに、「俳句が伝統詩であること。これからも日本の詩歌の伝統につらなっていきたい。そう、それも言葉によって。」と力強く宣言している。このとき、裕明26歳であった。
by masakokusa
| 2009-01-01 00:35
| 秀句月旦(2)
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