結社誌「炎環」・俳誌拝読     


結社誌「炎環」20215 

       俳誌拝読   虚と実の間へ         近 恵

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今年の春はこれまでとは違う速さでやって来た。春分の日の頃には東京にもソメイヨシノが咲き始め、

訪れた公園では石楠花や奢莪の花まで咲いている。まだ三月だ。

石楠花や著莪の花なんていくらなんでも早すぎやしないか。

この号が出る頃にはもう梅雨入りしているんじゃないかとちょっと心配している。


「青草」二〇二一年春季第9号より

山茶花に透き通りたる硝子かな    草深昌子

もともと透き通っている硝子が、山茶花の鮮やかさに一層透き通って見えたのだろう。

それを捉えた一瞬にハッとさせられる。


寝付けずに金魚起こしてしまひけり  佐藤健成

 考え事でもあるのか。金魚にちょっかいを出したというより、金魚にまで心配されて、

 一緒に寝付けずにいるかのようだ。


草一本抜いて蟻の巣暴きけり     石堂光子

 根を広く張る草だったのか。「暴きけり」で、わざとではないが、

 草を抜いたらたまたま蟻の巣を壊してしまったと言う事が解る。

 「あららら、ごめんなさいね」なんていう光景まで見えてくる。



(俳句誌「炎環」20215月号所収)


# by masakokusa | 2021-05-08 23:40 | 昌子俳句の論評 | Comments(0)
結社誌「帆」 他誌拝読 ・ 結社誌「青草」2021年春季第9号より

   結社誌「帆」 ・ 令和35月号

     受贈誌管見      海老澤 正博

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   「青草」2021年春季 通巻九号

   主宰 草深昌子 発行所 厚木市毛利台

   創刊 平成二十九年二月、草深昌子が創刊

   師系 飯田龍太・原裕・大峯あきら

   「自然と共に生き季節を感受する歓び」

                     

   主宰作品「青山抄」(九)より

   山茶花に透き通りたる硝子かな

   立冬や杖に鳴らして石畳

   木犀や山手は坂のなつかしく

   秋風に何かはじまる椅子の数


   次は主宰選による今号の「秀句集」です。

   「芳草集」から七句、「青草集」から八句の秀句。そして主宰の各句鑑賞評です。

   「芳草集」より五句ご紹介します。

   わが畑へ誰か来てゐる野分あと    二村 結季

   田の水にさざ波立つや時鳥      山森 小径

   寝付けずに金魚起こしてしまひけり  佐藤 健成

   母の手やふと止まりたる団扇風    佐藤 昌緒

   蚯蚓鳴く路傍に石の一つあり     松尾まつを


   「青草集」より

   七夕の飾り見てゐる雀かな      平野  翠

   薔薇守のゐる工場の昼休み      奥野きよ子

   ひよいと子を抱き上げてほら青葡萄  石堂 光子

   小風呂敷ほどけば赤き祭り帯     伊藤  波

   木犀の少し落つれば少し掃く     日下しょう子

   夢二の絵抜けて河原の糸とんぼ    湯川 桂香

   大振りの枝ごと傾ぐ夏日かな     市川 わこ

   毎日の料理洗濯草の花        木下 野風


  主宰による「大峯あきらのコスモロジー」(五)があります。

  師である大峯あきら氏の第四句集「吉野」から十四句を挙げ、あきら師の詩的直感を称えます。

  「…大峯は若い頃から哲学的思考の根底には詩的直感があると確信していた、

  俳句と哲学とは将来一つになるはずだという予感があったという。

  …大峯の俳句は…平明そのものであるが、…感性の鋭さは隠しようもなく表れている。」と述べておられます。


  「私の好きな季語」があります。

  木下野風氏の「草の花」松井あき子氏の「桜」、加藤かづ乃氏の「冬の季語」、伊藤欣次氏の「自然薯」です。

  木下野風氏が「草の花」の中で、

  主宰から小川軽舟氏の「死ぬときは箸置くやうに草の花」を教えられ共感したことを述べておられます。

  そして主宰の「秀句集」の句の鑑賞評に、

  「…小川軽舟氏の句にも通うところがあって、野風さんの俳句開眼の一句に違いない」とあります。

  師弟の深い心の交感ともいうべきものを感じました。



  俳句誌「帆」令和35月号(通巻344号)所収


# by masakokusa | 2021-05-06 20:33 | 昌子俳句の論評 | Comments(0)
『17音の旅』櫂未知子・北海道新聞社

 
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     足の向くところかならず春の泥 

   

 春分は毎年320日ごろ(今年は21日)。

 二十四節気の一つで、ちょうど彼岸のお中日に当たる。

 俳句で単に彼岸といえば春であり、秋は「秋彼岸」として区別しているのは面白い。

 彼岸といえば本州ではこの日に墓に参る人が多い。

 ところが余市の実家では、この時期に墓に行った記憶がない。記憶違いだと困るので、

 姉に電話して確かめたところ、はやりこの時期に墓参りはしたことはないという。

 「まだ雪が残っているし、当然足元が悪いし、わざわざ行く人は案外少ないのじゃないかしら」という答えを得られた。


   足の向くところかならず春の泥     草深昌子


 雨が降ることによって泥濘(ぬかるみ)ができるのみならず、凍解けや雪解けによって、春先はぬかるんだ道が多くなる。

 この句は、そんな春のありようを的確に言い得ており、心に残った。

 春らしく暖かくなってゆくことの代償のように、あちらこちらに泥まみれの場所が出現する。なるほど、である。


 実家では、お盆の墓参はもちろん丁寧に行ったし、今も同様である。

 秋の彼岸はたまたま父の祥月命日に近いため、これもきちんと行っている。

 さらにいえば、私が小学校の高学年になるころから始まった「大晦日から元日にかけての墓参」も数十年続いている。

 雪中を漕ぐようにして墓にたどりつき、静かに祈るのはとても気持ちがいい。

 ところが春の彼岸だけは、なぜか存在感が薄いまま。

 姉は仏壇を磨き過ぎて桟を折ってしまうほどに、先祖に対する思いが深い。

 だから信仰心の薄さゆえに彼岸の墓参りをしないわけではない。

 他の北海道の方々は、この春の彼岸をどう過ごされているのだろう。


(櫂未知子『十七音の旅』2021年4月23日北海道新聞社刊行・所収)



# by masakokusa | 2021-04-28 22:12 | 昌子俳句の論評 | Comments(0)
大峯あきらの折々(令和3年4月)

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セルロイド人形歩け春の宵     大峯あきら『紺碧の鐘』


 私の子供の頃はセルロイド製の玩具に溢れていた。

 かの抱っこして離さなかったキューピー人形などはことになつかしい。

さあ、こっちへおいでという命令形は春宵の心の動きの表出であろう。

セルロイドの感触の優しさ柔かさがそのまま春宵の趣に溶け込んでいる。


大峯あきら「ホトトギス」初入選句(昭和25年4月号)は、

灯を消してあり春泥を押しつつみ   あきら

この句など、後年の大峯あきらを思わせるものがあるが、セルロイド人形の方は、思わず微笑まされるものである。


先生七十才の頃であったろうか、

「若い時は〈セルロイド人形歩け〉とか、〈蜻蛉の引く線多くなりにけり〉なんてやっていた」と愉快そうに笑いつつ、

「感覚の句やね、今でもこんな感性の句ならなんぼでも作れるよ」と、満更でもなさそうであった。

事実、豊かなる感性が内包されてあればこそのゆるぎない写生に徹してこられたのであろう。


 大峯あきら自選句集『星雲』には、蜻蛉の句に続いて次の句がある。

  向うより径の来てゐし枯木中   あきら『紺碧の鐘』

 「径の来てゐし」の捉え方には、思わず唸ってしまうものであるが、

 これこそが若々しくも確かなる感性のたまものかもしれない。



とぎ汁のはじめは濃ゆし雀の子   あきら『紺碧の鐘』


ホトトギス系の俳句に興味を持ち始めたころに出会って以来口誦してやまない句である。

 「はじめは濃ゆし」という中七は何でもないようではあるが、

 そのささやかなる発見が、子雀の季題をゆるがないものにしている。

子雀に如来の前の広さかな   あきら『吉野』

雀の子大和の家に今生まれ   あきら『夏の峠』

どの雀の子もみな初々しい、作者ならではのまなざしが十二分に注がれている。


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蒔くための花種を置く机かな      あきら『吉野』


上五「蒔くための」が、一句全体に大きく作用している。

当り前と言えば当たり前のことばをあえて念押ししたことが、

明日という期待への、その心の弾みが打ち出されているのである。

「蒔くための」花種であればこその、何気なく置かれた机上の束の間の存在、

先行きへの心入れの深さが静かにも行き渡っている。


 作者には「机」の秀句が多い。

 学問や芸術のための机が、ときにほっと寛ぎをもたらせてくれるものであったことが「花種」からも偲ばれるものである。


# by masakokusa | 2021-04-26 20:42 | 大峯あきらの折々 | Comments(0)
青草中央句会・令和3年4月9日(金)             

青草中央句会・春の吟行


吟行地   厚木神社ならびに相模川河川敷周辺

句会場   アミ ュー厚木601602室    出席者23名



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青草中央句会は、コロナ禍のため二回の吟行中止を余儀なくされましたが、

幸い、一年振りに晴れやかに開催することができました。

吟行地は当初予定していたところを、やはりコロナ感染予防のため急きょ変更、地元の散策となりましたが、

春もたけなわの絶好の日和を楽しみました。

また、句会では選評、合評とも大いに盛り上がりました。

お世話してくださった皆様、ご参加の皆様本当に有難うございました。


   草深昌子選(順不同)

   

囀や厚木神社の樟大樹            二村結季

花水木屋根の高さにそよぎけり         〃

あたたかやテトラポットに鳥の羽        〃

流木に新芽の噴くや風のなか          平野翠

川岸の菜の花畑テント見ゆ           神﨑ひで子

十字路やひと固まりの新社員         渡邉清枝

靴擦れは嬉しきものよ花疲れ           〃   

桜しべ降る球場の明るみて           奥山きよ子

川底の黒きテトラや春の昼           中原初雪

春昼のわが町異国観るごとく          伊藤欣次

満天星の花のこぼるるサドルかな         佐藤昌緒

春の水掬ヘば底に石静か               〃     

石段の隅といふ隅桜蕊                〃     

桜蘂降る球場の応援席              川井さとみ

花守の長き竿持ち現るる              湯川桂香

蒲公英を踏んでグランドゴルフかな       鈴木一父

春の波川面の雲を揺らしけり           中澤翔風

すかんぽや大きく曲がる相模川          山森小径

橋桁に落書き大書うららけし            〃 

行春や渡舟場の碑のくろぐろと           〃 



青草中央句会・令和3年4月9日(金)             _f0118324_19364363.jpg

   

   川の幅川原の幅の長閑なり        草深昌子

   踏青のただ水上へ水上へ

   茎折つて指を濡らせる暮春かな

   磐石に凭れば寄り来る春の鳩

   鳥雲に入るや岸辺に人の立ち



# by masakokusa | 2021-04-24 19:04 | 昌子の句会・選評 | Comments(0)