青草通信句会講評・令和6年7月        草深昌子


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 令和6年7月の兼題は「心太」。

子供の頃、ところてんの黒蜜の甘さが好きだった。

関東に引っ越して浅草の店でいただいた心太が酸っぱくてびっくり。

地方によって味付けの違うところが心太のなつかしさに通じるのかもしれない。

  

ところてん煙の如く沈みをり     日野草城

 高波の夜目にも見ゆる心太      川崎展宏

  くみおきて水に木の香や心太     高田正子

一句目、草城は大正十年、京大生にしてホトトギス雑詠の巻頭を占め、清新の句風をもたらした。

翌年の夏、鈴鹿野風呂(すずか・のぶろ)が、心太を見たことがないという草城のために家人に作らせて、食べさせた。

立ちどころに二十句ばかりを速吟した、その中の一句。

 いきなり心太の本質をつかむところ、才気というほかない。

二句目、夏の夜の涼やかさ、心太にして何だか高尚のよう。

食べ物の句は先ずはおいしそうでありたいが、一物仕立ては既に詠まれていることが多い。

そこで人事句(食べ物・生活・行事などの季語)に対しては、

自然のありよう(山川・草木・海など)を照応させるとすっきりする、一つの手法ではある。

三句目、杉か檜か木の桶の中の水に心太は沈めてあったのだろう、この水に木の香りがしたというのである。

まこと清らかな心太、同時にあたりの空気感も想像させてもらえる。

「水」、「木」という素材のよろしさが心太の透明感をしみじみと引き出している。


炎天へ打つて出るべく茶漬飯      川崎展宏

川を見るバナナの皮は手より落ち    高浜虚子

水揚げの鯖が走れり鯖の上       石田勝彦

白玉の器の下が濡れにけり       綾部仁喜

一句目、炎天へ出るのはまるで戦場へ出るかのように命がけだと言わんばかりに引き付けておいて、

何とお茶漬けをかけこんだという、この落差の面白さ。作者はもはや若くはなかったのであろう。


どの句も写生であるが、そこには作者の内面が静かにも込められていて、

只の写生とは違うものが打ち出されている。

俳句は発見がなければダメ、それは自分でなければならず、

その場でなければならず、そのものでなければならない、と思う。


# by masakokusa | 2024-07-10 22:17 | 昌子の句会・選評
草深昌子を中心とする句会・選後に・令和6年6月          草深昌子選


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あぢさゐや揺すつて軽き貯金箱     二村結季

 貯金箱に日々小銭を溜めている、時々手にとって揺すってみるのも楽しみの一つ。

 そろそろ大分溜まったころあいを察して揺すってみたところ、さほどのこともなかった。

これは子供の仕草ではない、美しく年老いた女性の一句である。

作者の立ち位置はそう、手入の行き届いた庭に紫陽花の青紫がゆったりと揺れているところだろう。

紫陽花を愛でる涼しげな心映えが、文字通り軽妙に詠い上げられている。

あじさいの七変化のうちに貯金箱も手応えのある重みになってゆくのではなかろうか。



六月の川に溶けたる夕日かな     佐藤昌緒

六月という月のイメージはやはり梅雨、鬱陶しいということであろうか。

私には植田が一面にひらけて、しみじみ瑞穂の国の美しさ有難さを思う季である。

そんな六月の植田のほとり、夕べの川べりを歩いていると大山に落ちかかった陽ざしが、

まさに「川に溶けたる」状況となって、あかあかと明るさに満たされてゆく。

川の流れるともなく流れゆくままに、明日へつながってゆく夕日をいつまでも惜しんでいる。



黒竹を呉れと卯の花持て来たる     伊藤欣次

黒竹というものがどんなものか知らない。それでも読めば字の通り黒い竹であろうと察する。

卯の花を持ってきて黒竹を欲しいという、白と黒の物々交換は何とも清々しいではないか、

人の心の交歓をもって黒竹と卯の花がともに引き立ってくる。 

 掲句からすぐ一句が浮かんだ。〈薔薇呉れて聖書貸したる女かな〉、

 虚子の若き日の句である。薔薇を剪ってくれた女性が、これ読んでと聖書を貸してくれたというのだろう。

 私の中で女と薔薇と聖書が妙につながって離れない。

 さて、卯の花を置いていったのは女にあらず、男に違いない。いい男だ、心中勝手にそう決めている。


疎開せし虚子の小諸の夏木かな       欣次

 虚子は太平洋戦争のさ中、昭和19年から長野県小諸市に疎開した。

 小諸の自然や風土や人情をもって「小諸時代」という新しい俳句世界を打ち出した。

 掲句はその事実を言っただけではない、それ以上にぞっとするほど脳裏に、なお眼前に夏木の存在を思わないではおれない。

 〈爛々と昼の星見え菌生え   虚子〉、虚子は昭和22年小諸を去った。




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老鶯や大楼門は雨に濡れ     柴田博祥

老鶯の玲瓏たる声を聞くたびに、老鶯とは齢取った鶯のことと決めてかかっていた初学時代がなつかしく蘇ってくる。

春よりも尚美しい声で鳴きながら、晩鶯、残鶯とも言われる鶯はやはり「老い」の意を免れがたくまとっているのではないだろうか。

高野山であろうか、雨の日の大楼門あたりでひとしきり鳴いてくれた鶯はなんといじらしいことであろうか。

老鶯たる季語の趣きが一句全体に染みわたってゆく。



夏めくや米沢牛はミディアムに      葉山 蛍

 垂涎の一句。和牛と言えば近江牛、神戸牛、松阪牛など近畿圏のそれらが思われれる、

 俳句にも読みこまれたことも多々ある。だが何と米沢牛の御出座しである、この新鮮なる出会いにまずは驚いた。

 「ミディアムに」、焼き加減をもってきただけの簡潔さがウマイ。

ジューシーな肉汁、わけても米沢というからには赤い中心部がなまなましく見えてくるようである。

 ああ、夏がやってきたなあという、まこと腹に応えた実感が読者のそれとなって伝わってくる。



 梅雨寒や今日のおやつはハトサブレ    漆谷たから

 梅雨の頃は思いがけず寒気団が押し寄せて油断ならない。寒がりの私はセーターを着こんだりするほど。

そんな梅雨寒の今日、おやつにいただいたのは、鎌倉の銘菓鳩サブレだという。

ハトという平和のシンボル、サブレというサクサク感、その語感やニュアンスがおのずからほのぼのとした一服感を伝えてくれる。

ハトサブレはいついただいてもおいしいが、梅雨寒にこそふさわしいと思わせる力がこもっている。

作者に聞けばたまたま食べただけと笑うであろうが、「梅雨寒」を上五に据えるというのが俳人のたしなみである。



  読みつづく奥地紀行や冷し酒         奥山きよ子

   蠅叩き握る押つ取り刀かな            きよ子

   畳屋の庭の仕事場立葵            山森小径

   フラメンコ空に響くや夏燕           永瀬なつき

   手刀を切る所作千代の田植かな       泉 いづ

   鳥取の砂丘育ちのらつきよかな       小宮からす

   瓦屋根青鷺一羽のつてをり          平野 翠

   子燕の空にとどまり餌を受くる        日下しょう子

   せかせかと鳴く時鳥四時五分        石野すみれ

   ハンカチの花のぐるりや夏木立       東小薗まさ一



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   短夜や夜勤看護師挨拶に         中原初雪

   文字摺草一つ蝶々のまとはりて      石堂光子

   源泉を掻きまぜてをり藍浴衣       河野きなこ

   笑ひ声とカレーの匂ひ網戸より      松井あき子

   青山椒少し若きを好みけり         関野瑛子

   日盛や鉱物めきて椿の葉         加藤かづ乃

   職人のあぐらかきをり夏木立       木下野風

   立葵列車過ぐたび揺れてをり       大村清和

   白鷺のぬつと飛び立ち畑に消ゆ      石井久美

   夜の秋の振り向く父の笑顔かな      中澤翔風

   蕗を摘む母と見紛ふ義理の姉       村岡穂高

   遠き日よ西瓜の皮に蠅止まり       滝澤さくら

   夏野原ヘリコプターの影走る       佐藤健成


# by masakokusa | 2024-07-08 16:58 | 昌子の句会・選評
受贈書誌他より・令和6年7月         草深昌子抄出

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「雲取」(主宰 鈴木太郎)

   迎火を焚いて来る日を新しく     鈴木太郎

   笊一杯蓬摘んでは昼の風呂      鈴木多江子


「棒」(代表 青山丈)

   昼顔と誰かが云ふと咲いてゐる     青山丈

   青水無月といふ身重のどつこいしよ   柳生正名


岸本尚毅『俳句講座 季語と定型を極める』(草思社)

  短い季語、長い季語の扱い。定型にどう収めるか。

  「切れ字」の使い方。韻律をどう作るか。

  、、、などなど例句を使って解説。いま最も役に立つ俳句書。


 『音数で引く俳句歳時記』を徹底活用するための姉妹編。


谷口智行句集『海』(邑書林)

   山桜人家と同じ数咲けり     谷口智行

   蒟蒻の花なつかしき友のごとし

   串本へひみつのところてん買ひに

   すぐ親にわたす年玉などやるか

   平群まで一本の道山桜


緒方順一句集『鳴鳴』(ふらんす堂)

   屈ませるちから菫のそのどこに     緒方順一

   本といふ窓の形や緑さす

   梟の飛ぶ構へして糞放つ

   放たれし山羊吸はれゆく夏野かな

   秋草の香りもろとも子山羊抱く


「ランブル」(主宰 上田日差子)

   大牡丹うつむくことのなかりけり     上田日差子

   連翹や先の先まで黄のゆるる       大谷則子


「松の花」(主宰 松尾隆信)

   箱根山笑へり小雨降りてをり     松尾隆信

   楽聖の怒髪に似たる桜かな      興梠 隆


「はるもにあ」(主宰 満田春日)

   すれ違ふ君がノートに薔薇くづれ    満田春日

   端踏んで立てるスケボー鳥の恋      山崎杏


「鳳」(主宰 浅井陽子)

   糶札に金魚あぶくを一つ吐く     浅井陽子

   うぐひすの一声ごとの尾の弾み    貞許泰治


「ハンザキ」(主宰 橋本石火)

   じやがいもの花の出揃ふ夕日かな     橋本石火

   溝川に流れ落ちたる蝌蚪の紐       川口漣童


「梓」(代表 上野一孝)

   藤の花旅の目覚めのうれしくて     上野一孝

   タクシーの真白きシート梅雨に入る   出口紀子


「帆」(主宰 浅井民子)

   たわむほど玉葱吊りて昼深し   浅井民子

   大谷の打球の行方夏燕      廣瀨 毅


「秋草」(主宰 山口昭男)

   春風やクロワッサンに鈍き照り    山口昭男

   春の土象の背中にのつてゐる     高橋真美


「ににん」(代表 新井大介)

   白壁に青葉の影のうすみどり     岩淵喜代子

   いつになく若葉の匂ふ夜風かな    新井大介


「やぶれ傘」(主宰 大崎紀夫)

   左から燕またまた左から     大崎紀夫

   暮れかかる川のにほへる月見草  根橋宏次


「晨」(代表 中村雅樹)

   山ざくら潮の如く雲流れ     中村雅樹

   手に掬ぶ伊吹の水や青芒     中山世一


「枻」(代表 雨宮きぬよ・橋本榮治)

   木々に風岩に水鳴る五月かな     雨宮きぬよ

   陰もなき湖の一島夏来る       橋本榮治


「今」(代表 瀧澤和治)

   木天蓼の花に轟く垂水かな     瀧澤和治

   夜の息をたしかめてゐるヒヤシンス 手塚美子


「玉梓」(主宰 名村早智子)

   沙羅咲くや後生大事に師の一言    名村早智子

   椰子の葉の高さに風よ夏近し     房安栄子


「獅林」(主宰 梶谷予人)

   りんりんと白を鳴らすや君影草    梶谷予人

   夏めくや奥まで白き竹の道      北本美栄子


# by masakokusa | 2024-06-26 19:59 | 受贈書誌他より
「WEP俳句通信」140号・作品12句       草深昌子

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   青草           草深昌子


   年寄の椿拾うておどけたる 

   玄関に屋敷神ありチューリップ

   チューリップ向かうの丘は女子美大

   さつきから花びら掃いてばかりかな

   孔子廟あんずの花と知れるまで 

   大き日のぐるりに雲やいかのぼり


   いつの間に凧揚がらなくなりしかな

   鼻と呼ぶこの半島や春大根

   花びらの散るや赤子に大き耳

   春宵の吾がほほべたや蚊をとめて

   西に生れ東に老いぬさくら餅

   青草の雨のきれいにあがりけり



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# by masakokusa | 2024-06-24 12:30 | 俳句総合誌『俳句』ほか
青草通信句会講評・令和6年6月        草深昌子

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 令和6年6月の兼題は「雨蛙」。

「青蛙」は雨蛙の傍題ですが、歳時記によっては別に立ててもいます。

実体の違いはありますが、雨蛙を眼前にしながら、フレーズによって青蛙に詠いあげることも多々あります。

青蛙おのれもペンキぬりたてか    芥川我鬼

青蛙ぱつちり金の瞼かな       川端茅舎

幔幕に鳴いてやめたる雨蛙      中村汀女

目の確かさや表現の明快さなど、愛情あってこそのものでしょう。

 

静岡県駿河区丸子の誓願寺は森青蛙(もりあおがえる)の産卵池があることで有名です。

初学の頃先輩に連れてもらって、泡状の卵をいくつも見た覚えがありますが、一句も残っていないのは残念です。

 当時は動物、分けても虫が大の苦手でしたが、俳句のおかげで漸く親しめるようになりました。

 六月は小さな虫が躍動します。

草抜けばよるべなき蚊のさしにけり  高浜虚子

  塵取の手にも夕べの蜘蛛の糸     鈴木花蓑

  蟻の道まことしやかに曲りたる    阿波野青畝

  蠅とんでくるや箪笥の角よけて    京極杞陽


蠅から浮かび上がる無季の句があります。

戦争にたかる無数の蠅しづか     三橋敏雄

 戦争という抽象が、蠅という具体的な命あるものを通して、

 さりげなくもおそろしいほどの真実をもって詠いあげられています。

物を見ることに端を発しない名句はないのではないでしょうか。


 ――「どこまでも深く写生を」というのが俳句の正道だと信じています

 句作に行き詰まりますと、大峯先生からいただいたハガキの言葉を反芻します。

 写生は第一段階から第四段階へとだんだん上達していかねばなりませんが、

 とにかく第一段階は見たまま、正直に詠うことです。

 といっても、そのまま作って、その一句が俳句になるわけはありませんから、

 沢山作って、ほとんどを捨てなければなりません。作っては捨て、作っては捨ての繰り返しです。


毎回同じことを申し上げますのも、私自身への戒めにほかなりません。

修練の賜たる名句をよく読み、よく覚えてまいりましょう。


# by masakokusa | 2024-06-10 18:52 | 昌子の句会・選評