WEP俳句年鑑2019

   

  WEP俳句年鑑 〔2019〕   

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   主宰「青草」

   草深昌子 (くさふかまさこ)


   

   雲去れば雲来る望の夜なりけり

   朽木とも枯木ともなく巨いなる

   踏青のいつしか野毛といふあたり

   若葉して戸毎にちがふ壁の色

   行春のこけし寝かせて売られけり

   前に川うしろに線路かしは餅

   鮎食うて相模も西に住み古りぬ




(ウエップ俳句年鑑 2019年版 2019年1月31日発売 所収)


# by masakokusa | 2019-02-05 16:02 | 昌子作品抄
 角川『俳句』2月号     山本洋子句集『寒紅梅』特集

   日本の俳人100

   山本洋子句集『寒紅梅』特集




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  山本洋子の人と作品 

 

      

         自然の奥へ          草深昌子          



『寒紅梅』のあとがきには、句集の原稿を出版元に送ったことを大峯あきら先生に報告できたことが不肖の弟子として唯一の救い

―先生は「それは良かった。早く本にしてもらうように頼みなさい」と言ってくださったのです。

それは、私の今後への大きな励みとなっております――とある。ありのままの言葉に打たれる。 

俳句も然り、山本洋子俳人には一切の虚飾がない。ただそこには、清々しい素顔があるばかり。


昭和三十二年に俳句を始め、桂信子、大峯あきらに師事。

「晨」創刊以来、大峯あきら代表と共に、編集長として八面六臂の活躍を続けて来られたが、

創刊三十五周年を目前に代表の急逝は痛恨の極みであった。


「乾坤の変が詠えと命じる命令に従わざるを得ない存在を詩人という」、

大峯あきらの鮮やかな発言を身に染みて理解し、その通りの姿勢を貫いて久しい山本洋子俳人は、いつお会いしても嫋やかである。


紅梅やゆつくりともの言ふはよき

夕顔ほどにうつくしき猫を飼ふ

北行きの列車短し稲の花

竹生島うしろの島も日短

室生寺へ行くかと問はれ春の風

いくすぢも鳥羽に立ちたる稲光


既刊の六つの句集からは、我と物との二元対立でなく、花鳥の命、自然の命と親しく交歓されてあればこその詩情に溢れている。

由緒ある地への真情が一句に行き渡るのも、作家の特質である。


さて、第七句集『寒紅梅』のタイトルは、〈母が家の寒紅梅をもらひきし〉からとられた。

第二句集『木の花』(現代俳句女流賞)に、〈母が家は初松籟のあるところ〉、第六句集『夏木』(俳人協会賞)に、

〈銀杏散るところで母が待つてをり〉がある。

清らにも重厚なる〈母が家〉は作家の源泉であり、正直に詠うことほど「強い」ことはないのである。


ふところにとび込む雨や稲の花

日は沈み月はのぼりぬ近松忌

おくれ来し人のまとひし落花かな

手紙読む上り框やほととぎす

夕明りまだまだありて三番茶 

 

今という時の佇まいが、まことに典雅である。

「俳句は季語と助詞で決まり」、に徹しておられるのであろう。

の集中力の凄みは、「洋子タイム」と称して、出句締切時間が過ぎても動じないところに表れる。

最後に投じられた句が絶賛されるのも毎度のことである。


芋の露ときどき散りぬ磯畑


大峯あきらは、「表面は地味でも、俳句のよさは〈ときどき散りぬ〉、こういうところにあるのだ」と言う。


雛壇の端に眼鏡を置きにけり 


まさに無意識、乾坤の変に詠えと命じられた賜物であろう。

曰く言い難き妙が漂う。

「置く」という動作から、はっとした自身の気持ち、そこから展かれてゆく雛の世の幻想は、読者に委ねられている。


刈萱の諏訪より甲斐に入りけり

障子貼りかへしばかりや西教寺 

寒肥や大和国原晴れわたり 


飯田龍太の山廬訪問の折、光秀の墓ある西教寺など、出会いの物の在りよう、在り処は時空を超えている。

かつて、大峯あきらは、

「湿った松明の火が燃えるみたいに、つつましい理想主義の情熱が山本洋子の俳句の底をいつも流れている」と評された。

その言葉がなお初々しく『寒紅梅』に生きていることに驚かされる。

  

大峯あきら先生蛇笏賞御祝

お祝を言ふ囀の木の下で  


代表の蛇笏賞には、「晨」一同の喜びが沸騰した。

その象徴が〈囀〉である。伝統の中で、芭蕉同様、大峯あきらは生きてゆくであろう。

だが語り部がいなければ消えてしまう。

この時、山本洋子俳人には「前に向かって進む」覚悟が静かにも決まっていたに違いない。




(角川『俳句』2月号・平成31年1月25日発行・150頁~151頁所収) 


# by masakokusa | 2019-02-03 13:51 | 俳句総合誌
受贈書誌より感銘句(平成31年2月)                  草深昌子抽出

「獅林」(主宰 的場秀恭)№978

   たて横に揺れ宝恵籠の駆け抜けり     的場秀恭

   火を焚けば闇深くなる寒さかな      あめ・みちを



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「鳳」(主宰 浅井陽子)№28

   剣玉のこつんと雪の来りけり     浅井陽子

   発熱や雪の匂ひに目覚めたる     高階和音



「八千草」(主宰 山本志津香)№89

   蓑虫は十万億土見倦きしか     山本志津香

   穴惑いひと夜借りたる縁の下    横川博行



「秋草」(主宰 山口昭男)№111

   やうやくに冬至の道とわかりたる     山口昭男

   鍵穴の大つごもりの鍵を抜く       三輪小春


   

「俳句饗宴」(主宰 鈴木八洲彦)№767

   瑞厳寺さまの綿虫追はであり     鈴木八洲彦

   赤き実は赤を凝らして冬構      加藤ひさ子



「都市」(主宰 中西夕紀)№67

   穂芒や水速ければ魚を見ず       中西夕紀

   飛び込めば堀の西瓜の上下して     井出あやし


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「ランブル」(主宰 上田日差子)№252

   畝ますぐ一行となる霜の声     上田日差子

   花びらのごと朝露の零れけり    手柴由美子



「詩あきんど」(主宰 二上貴夫)№34

   平成を惜しみて雑煮椀啜る     二上貴夫

   八三歳寄り道ふぐり落しけり    矢崎硯水



「松の花」(主宰 松尾隆信)№254

   竹の春大き森へと続きけり      松尾隆信

   冬晴やめんこの縁をちよつと折る   松波美恵



「大阪俳人クラブ会報」№160

   小声には小声の返事ちちろの夜     松島圭伍

   すぐそこに冬の来てゐる鳥のこゑ    熊川暁子

   窓一つ拭けば家中小春かな       小林志乃

   茶の花の蕊の大きな日和かな      安田徳子  

   馬走れ走れと鵙の猛りけり       山口哲夫



『埴馬』田邉富子第二句集(角川書店)

   蝤蛑汁被爆の海の試し漁  

   初漁の船の時計を正しけり

   亀鳴くや流罪は冤罪かもしれず

   蛇穴に入りて湖輝ける

   産み終へし牛の長鳴き星月夜




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『青兎』柴田洋郎第一句集

   青春の折目を伸ばす曝書かな

   初蝶を野面の色に見失ふ

   分校にピアノが来るよ蝗飛ぶ

   この先は知らぬ道なり草の花

   期すること人に告げよと朝の鵙




「ハンザキ」(主宰 橋本石火)№42

   東西に道のびてゐる親鸞忌     橋本石火

   じぐざぐに下町を来て三の酉    高橋ちづる



「阿夫利嶺」(主宰 山本つぼみ)№263

   朔風を背にして歩む暇乞ひ      山本つぼみ

   阿弥陀三尊おはす大原杉時雨     横井法子


# by masakokusa | 2019-02-02 23:30 | 受贈書誌より
ことばの翼・詩歌句 新俳句年鑑 2019




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   草深昌子       「青草」主宰・「晨」



   永き日の丸太担いで来たりけり

   今し行く小倉遊亀かも白日傘

   夏鴨の鳴いて日中を飛びにけり

   木斛の花散るまるで雨のやう

   残暑なほ雲にたんこぶ出でにけり

   晴れがましすぎはしないか干蒲団




 くさふか・まさこ

 昭和18年、大阪府生まれ。

 平成29年「青草」創刊・主宰。

 著作に『青葡萄』『邂逅』『金剛』がある。


# by masakokusa | 2019-02-02 18:17 | 昌子作品抄
『青草』・『カルチャーセンター』選後に・平成31年1月    草深昌子選


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雨傘を朝日に広げ春隣         柴田博祥


 「春隣」という季語は、春が待ち遠しくてならないという気持ちがあってのこと、

 ふと何かにことよせ、春がそこまで来ているということを実感するものである。

一人一人みなそれなりの春近しという思いがあろうが、

どいいうわけが似たり寄ったりの表現に陥ってしまう。

 ところがこの一句にはハッとさせられた。

「雨傘」を打ち出して、つまり雨が降って春を感じるというのは意表を突いている。

無論、雨は、今は止んでいる。

雨後の朝日がことさらに眩しく、何とも晴れやかに感じられるのである。

作者の笑顔がここに溢れていない訳はない。

春隣のよき気分が読者の目の前に差し出されたようなものである。




初電車急勾配を登りけり        鈴木一父

 

 「急勾配」」の巧さはどうだろう。

 他に何も言っていないが、新年にかける作者の引きしまった興奮が見事に伝わってくる。

 そう、何とも目出度く、力強い初電車である。

 例えば箱根の登山電車など想像されるが、

 作者は何も我が意欲を誇示せんとして詠いあげたわけでも何でもない、

 ただ無心に、正直に本当のことを詠いあげただけのことである。

 だからこそ、清々しい決意が一父さんのものだけでなく読者のものとして感じられるのである。

一父さんも私たちも今年という一年の急勾配を乗り越えていきたいものである。 




背ナに湯気搖るる力士や初稽古     中原初雪


 中原マー坊改め、中原初雪(しょせつ)と名告りをあげた途端にこの一句である。

「名は体を表す」と言う通り、心機一転の心意気が一句に漲っている。

相撲の初稽古の激しさが目に見えるようであるが、事実、相撲部屋までわざわざ赴かれたという、

つまり現場に立っての句である。

相撲に限らす、武道や芸能関係は、親方や師匠が「稽古をつける」もの、

その稽古の厳しさの中から実力をつけてゆくものである。

一身から発せられた湯気の凄みは相当厳しい稽古を物語っているが、

同時にまたこの湯気こそが心身を一段と清めてくれるのだ。

この句からも大いなる気合をいただいた。



 

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初富士や田に起重機の寄せてあり    二村結季


 初富士はここ厚木市の方々から見渡すことが出来る。

 いつ仰ぎ見ても富士山は胸のすくものであるが、

 初富士こそは日本一をまさしく実感するものではないだろうか。

 初富士をむこうに、近辺の田んぼには複数の起重機が片寄せられているのである。

 起重機という堅牢にも力強いものを近景に据えたことによって富士山がいっそう神々しく座っている。

起重機はまた庶民の日々の働きを象徴して、新年の景ここにありという感じである。

さりげない表現に心の奥行きまでをも感じられるものである。




あきら読む三日の昼の静かなる     間 草蛙


 「あきら」は「大峯あきら」である。

 大峯あきら句集を本年の読初にされたのであろう、あるいは大峯あきらの哲学書、宗教書かも知れない。

 三日の静けさに読んだのではなくて、大峯あきらを読んだことによって、

 「三日の昼の静けさ」が作者の身に染入るように実感されたのではなかろうかと思う。

それほどに、一句全体に力みがなく、

まさに大峯あきら俳人の世界を詠いあげられたような気分をいただいた。

 我らが「青草」は、大峯あきら俳句から、その宇宙性、

 ことに季節を感受する歓びを学んでいきたいと願っている。

同人会長間草蛙さんが、率先してその姿勢を示してくださったことに感激している。




大ホール寒の一日を集ひけり      森田ちとせ


 去る120日(日)、NHK全国俳句大会が東京渋谷のNHKホールで行われた。

 岸本尚毅選者からいただいた招待券15枚の他、入選の方々の招待状など合わせて、

「青草」から大勢が参加した。

 どの人も、さまざまの秀句に共感し、作句の刺激を賜ったのであった。

 その興奮の豊かさが、「大ホール」に象徴されているのである。




子を叱る声の明るき去年今年      平野 翠


 あっという間に過ぎ去った去年、そしてまた新しい年がやってきた。

「去年今年」という新年の季語は、

〈去年今年貫く棒の如きもの〉という高濱虚子の一句でもって忘れ得ぬものとなった。

 去年といい、今年といっても、そこに大きな段差があるわけではなく、

 それは一本の棒の如きものだというのである。

掲句もまた、子育ての親が子を叱るのは世の道理として

一筋に貫かれあるものだということを今さらに感じ入るものである。

お孫さんを連れてお子様方の正月の帰省であろう。

 正月といえども子どもたちは皆元気はつらつ、当然親の叱声も賑やかである。

 その日常的な声々が、新年にしてまことに明るく目出度く掬い上げられているのである。


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乗初や秘仏のもとへまっしぐら     河野きなこ


 お正月ならばこその秘仏の御開帳があるのであろう。

 拝ませていただきたい心や切なるものがある。

 乗初の電車か、バスか、タクシーがいずれにしても、ひた走るのである。




引き算の子に指取られ蜜柑かな    松尾まつを

 

 お茶の間の楽しい雰囲気が蜜柑を通してあますところなく伝わってくる。

 俳句など17音数えるにも指を使う私であるが、この句はどんな場面であろうか。

 10本の指で数えきれない子どもの無邪気さ、愛らしさが、蜜柑をたっぷり甘くしているのである。




胸に抱く子の手が先に破魔矢受く    伊藤 波


 破魔矢は子どもの厄除けの御守である。

 その真っ白は羽根の美しさに心が洗われる。

 この句は赤ん坊であろうか。未来を背負って立つ子ならこれぐらいの利かん気がほしい。

おやおやと驚きながら、親にしてみると願ってもない嬉しい破魔矢ではある。





お出掛けはちょっとお江戸へ春隣    古舘千世


 「ちょっとお江戸へ」何て、心憎いではないか。

 東京に出向くということがそれほどに楽しくも嬉しいのである。

 芝居がかった言い方が、そのまま春近しの感慨である。



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干大根くの字になって樽の中      関野瑛子


 瑛子さんはお料理がとても得意。ときどきお漬物のお裾分けなどいただくと本当においしい。

 大根は、もとより家庭菜園のものであろう。

「くの字になって」は当たり前のようであるが、その正直がウマイ。

ここにはさあ上手に漬かっておくれという、作者の大根への呼びかけが聞こえるようである。




初日の出海や狭しと満ち溢れ      森川三花


 初日の出を拝むために、人々は山や海で出掛ける。

 三花さんは熱海に定宿をもっておられて、折々熱海で静養されて、熱海での傑作が多い。

この元旦の日の出はいかばかり感激なさったことであろうか。

 その喜びが表現の勢いから伝わってくる。

「海や狭しと」という中七の表現は目の当たりにされた三花さんならではのものである。




   向き変えへるたびに悲鳴や梯子乗    宮前ゆき

   新成人男三人語りをり         加藤洋洋

   揚げ餅の味付三種春隣         川井さとみ

   軽い靴欲しくなりけり春隣       栗田白雲

   年越や夫と「東京暮色」見て      奥山きよ子

   掃初や風に飛ばされ菓子袋       市川わこ

   狩衣の肩の折目や初祓         泉 いづ

   北の駅ストーブ列車入線す       米林ひろ

   土深く伸びる根っこや冬の草      上野春香

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   冬天をどこまで飛ぶや鳥三羽      木下野風

   布引や皇后さまの雪中花        石原由起子

   青天の弁天さまや寒桜         石原虹子

   橋渡るあの一行も探梅か        濱松さくら

   もてなしの白馬連峰冬座敷       佐藤昌緒

   大寒の星の下なる濯ぎかな       菊地後輪

   田に畑に動くものなし初景色      神﨑ひで子


# by masakokusa | 2019-02-02 15:38 | 『青草』・『カルチャー』選後に