原石鼎俳句鑑賞・平成29年3月

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   囀や杣衆が物の置所       原石鼎   大正2年


 木樵の人たちが、斧や鋸を置くところといえば、例えば切株の周辺であろうか。
 杉山であろうか檜山であろうか、山深きところの日向に寄せ固めたひとかたまりのものが、まるで宙に浮いたように感じられる。
 その宙に浮いたところ、ぽっかり透けたような虚空が、そのまま春の鳥どちの囀りどころである。
 逆に言えば、囀りどころが、そのまま杣衆の休みどころでもあるだろう。
 「囀」と「杣衆が物の置所」が見事に呼応している。
 この一体感が、しじまを破って鳴く鳥どちの音色を、美しい言の葉のように響かせてくれるのである。

 思えば、「ソマシュガモノノオキドコロ」という一続きの語感からすっきりとした気分をもらっているのかもしれない。
 囀のよろしさに唱和するようなフレーズである。
 まこと、一字一句が的確におさまって無駄と言うものがない。
 文字通り、抑えの効いた下五が、余韻を引いてやまない。

 石鼎と言えば吉野の句と決まっているのが不満で、「原石鼎全句集」を開くときは、いつも大正10年あたりからというのが私のささやかな抵抗であったが、久しぶりに素直に、虚子の言う「俳句の歴史、少なくとも私等の俳句の歴史に於て輝いた時代を形づくった」という吉野の句群を読み直して、今更に尋常ならざる明るさにことごとく唸らされたものである。
 石鼎はまだ27歳、28歳の若さである。
 俳人はその最も初期の作品において生涯の価値を持つということの典型であろう。

 吉野時代の句は当然のことながら、杣山、杣人が多く素材になっている。
 直接「杣」の一字を用いたものに限っても、秀吟は枚挙に遑が無い。

   樵人(そまびと)に夕日なほある芒かな
   杣が往来映りし池も氷りけり
   腰もとに斧照る杣の午睡かな
   杣が蒔きし種な損ねそ月の風
   粥すする杣が胃の腑や夜の秋
   杣が戸の日に影明き木の芽かな
   星天に干しつるる衣や杣が夏
   杣が幮の紐にな恋ひそ物の蔓
   苔の香や午睡むさぼる杣が眉
   老杣のあぐらにくらき蚊遣かな
   蚊帳つりてさみしき杣が竈かな
   杣が頬に触るる真葛や雲の峰
   杣が子の摘みあつめゐる曼珠沙華
   鉄砲を掛けて鴨居や杣が秋
   秋風や森に出合ひし杣が顔
   髭剃りて秋あかるさよ杣が顔
   諸道具や冬めく杣が土間の壁

 春夏秋冬にわたり、杣の老いも稚きも、杣の暮しとその周辺に及ぶ観察はいかにも行き届いている。
 石鼎は杣人に対して、ある種の憧れのような尊敬の念を持っていたのだろう、そうでなければ、「杣衆」とは言えないであろう。
 「杣」の句々を読むうちに、「杣衆が物の置所」には、作業道具もさることながら、大きな弁当などもあるのではなかろうかと、いっそう温もりを覚えてきた。

 そんな杣の諸道具を思うちに、鉞(まさかり)の名句が思い出される。

   鉞に裂く木ねばしや鵙の声

 「鵙の声」以外のなにものでもない「鉞に裂く木ねばしや」だと思う。

 あらためて、掲句に戻ると、この句もまた「囀」以外の何物でもないことに気付かされる。

 人の世にある諸相が、自然の諸相に映し出されることにほかならないことを、石鼎はばっちりとしかも言葉を惜しんでつかみ取るのである。
# by masakokusa | 2017-04-01 00:00 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
第16回 長門・金子みすゞ顕彰全国俳句大会
とき   平成29年3月12日
ところ  湯本温泉 湯本観光ホテル「西京」
主催   金子みすゞ顕彰全国俳句大会実行委員会

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選者
  茨木和生・宇多喜代子・木割大雄・鈴木厚子・寺井谷子・小川軽舟


特別賞
  金子みすゞ大賞
   
      みすゞ忌の少女のやうなおばあさん     阿部友子

  NPO法人金子みすゞ顕彰会理事長賞

      寒禽の木から落ちたるやうに飛び     草深昌子

他、計12句


入選

      鴨を見て少しかなしきことを言ふ     草深昌子

他、計43句
が発表、表彰されました。


講演「鳥と俳句」
 講師 小川軽舟(「鷹」主宰)

# by masakokusa | 2017-03-30 20:48 | 昌子作品抄 | Comments(0)
私の先生        草深昌子

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 平成十四年十一月、米子空港で「ようこそ!昌子さん」と手作りのプラカードを掲げて待っていて下さったのは、栗木先生と令夫人、かつての大槻啓子先生でした。
「先生!」思わず、啓子先生に抱きつきました。
 冬晴のその日、実に五十年ぶりの邂逅でした。

 すでに還暦を迎えたおばあちゃんの私に、栗木先生の第一声は「大きなったなあ!」でした。
 それもそのはず、私は一メートルに満たないまま入学し、六年間ずっと学年一番のチビだったのです。
 まだ乳呑児の時に、父を戦争で亡くした私は、何もかも成長が遅れていたのでしょう。そんな、いたいけな私を、先生は兄のようにも父のようにも愛情いっぱいに導いて下さいました。 

 啓子先生は四年、栗木先生は五、六年の担任でした。
 啓子先生は、子供心にも上品で、うっとりするほど憧れました。
 栗木先生は、いつも颯爽と現れ、先生の行くところはどこも光りをまき散らすかのように輝くのです。まるでアラン・ドロンでした。
 「マーちゃん、マーちゃん」とおっとりと声をかけてくださる先生が好きでたまりませんでした。

 五十年ぶりのあの日も、私の胸はドキドキしていました。
 でも栗木先生は、ただ悠々として、少々のお酒に真っ赤になっておられました。
 当時、一緒に級長をしていた姫岡君と共に、語っても語りつくせないなつかしい時を過ごさせてもらったのは幸せな思い出です。

 「大きなったなあ」のお声は忘れることはできません。
 先生の激励に応えて、私はこれからも、少しでも大きくならねばなりません。
 栗木先生は私の先生として、今も私の中に生き続けてくださっているのですから。


(『闘病記録』栗木恭彦 2017年4月11日発行 編集者 姫岡和夫)
# by masakokusa | 2017-03-30 20:46 | エッセー3 | Comments(0)
光芒7句・AIと真の言葉          佐保光俊
 

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    雨の日は雨のこと言ふうすごろも      草深昌子
                        (句集「金剛」より )

 薄衣を着た人が、雨の日に雨のことを話している。
 雨降りは鬱陶しくて嫌だとか、雨の日はしっとりしていて好きだ、などと言っているのではない。
 庭を濡らす雨のことを淡々と話しているのだ。
 置かれた状況を、自分のとっての良し悪しや好悪で判断するのではなく、あるがままに受け入れていく姿勢。
 それは人智を超えたものに自分をゆだね、積極的に生きていくことである。
 作者は、薄衣を着たその人の生き方にふれ、自分もそうでありたいと思ったのである。

(以下本文略、句のみ掲載)

   山一つ越ゆれば雪の白さかな     依田久代
   大利根のうねりて茅花流しかな    水野晶子
   雪解続き婿取りの漁夫の家      茨木和生
   ぼうたんの手前に風の止まりをり    小池康夫
   紅梅やゆっくりともの言ふはよき    山本洋子
   庭に来る鳥美しき更衣         浅井陽子



(「晨」平成29年3月号 第198号所収)
# by masakokusa | 2017-03-30 15:08 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
『カルチャー』『青草』選後に・平成29年2月       草深昌子選
「青草」並びに「カルチャーセンター」の〈今月の感銘句〉をあげます。


   吊革に丸と三角風光る       古館千世

「吊革に丸と三角」言われてみればそうであったなと、思わずにっこり。何気ない日常に発見された面白さが、まさに光っている。
ガラス窓に反射する春の光景は晴れ渡っている。

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   寒晴や霞が関は坂の上       湯川桂香

 「草深昌子句集発刊祝賀会」に赴いてくださった作者の感懐が、「霞が関は坂の上」に言い尽くされている、しかも「寒晴」である。
 何一つさえぎるもののない、寒気の中の晴れやかさが高みにひらけていくのである。
 一句をもって何よりの祝賀をいただいた思いである。

 
   祝宴の竪琴の音の春めきぬ      河野きな子

 祝賀会では、ハープの音色が美しくすばらしく、出席者一同うっとりとしたのであった。
 祝賀会を「祝宴」、ハープを「竪琴」と言い表された、言語感覚のすばらしさに二度うっとりしてしまった。
 俳句が引締まって、祝賀会にある種の落ち着き、厳粛さをもたらしている。


   「青草」の創刊号や草青む      松尾まつを

 2017年2月16日に結社誌「青草」の創刊号が発刊された。
「青草」創刊の立役者は作者の松尾編集長であるが、結社「青草」を代表して記念の一句をのこしてくださったのである。
「俳句は挨拶」の精神に基づくものであろう。
 祝賀の気持ちは、「草青む」の大いなるかがやきに溢れんばかりである。

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   春一番二番三番猫の恋       まつを

 季重なりどころではない、季語の三連発、つまり季語を並べただけであるが、このすさまじさこそが猫の恋ではなかろうか、思はず唸らされた一句である。
 これでもか、これでもかという春の嵐を次から次へと乗り越えて、この恋は果たして成就するのであろうか。
 生きる命の切実が、どこか滑稽でもある。
 俳句の冒険が、即ち猫の恋の冒険になったものである。

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   春一番矢継ぎ早なる千切れ雲     潮雪乃

 俳句は、見たままを見た通りに作りなさい、というものの生易しいものではない。
 「矢継ぎ早」という言葉が、春の強風の見たままを見事に伝えている。

   連山は鋼色なり春寒し        佐藤昌緒
   靴下を二枚重ねて梅そぞろ      栗田白雲
   春寒や門くろぐろと極楽寺      中園子
   南欧の色に瓦や春の空        間草蛙
   ハンガーに白いブラウス春めきぬ   木下野風
   春夕焼水平線の沸き上がり      森川三花
   寒晴のサドルに遊ぶ雀かな      大本華女
   大げさに手を振る君やチューリップ  川井さとみ

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   煽られて羽毛逆立つ寒鴉       狗飼乾恵
   撫ぜられてまたつままれて猫柳    日下しょう子
   ストーブの音の静かに寒明くる    東小薗まさ一
   冴返る蕾の色の濃かりけり      神崎ひで子
   節分の大山靄ふ夜なりけり      石原虹子
   寒晴や鷹と鴉が一騎打ち       堀川一枝

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   山いくつ越え来し雲や木五倍子咲く   森田ちとせ
   一万歩あるいて一個桜餅        小川河流
   戯れ合うて雀転ぶやあたたかし     藤田トミ
   この道は昔川なり猫柳         山森小径
   ケイタイを振り回しをり合格子     中原マー坊
   楤の芽を買うて夕べの緑かな      矢島静

# by masakokusa | 2017-03-30 14:52 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
特別作品評             草深昌子

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       鈴鹿へ         田島和生


  
   武骨さの鈴鹿連嶺粧へり

 鈴鹿山脈は今まさに「秋山明浄にして粧ふが如く」である。
 鈴鹿山脈と言わずして「鈴鹿連嶺」という言葉が、「武骨」という措辞に呼応して、さもごつごつと立ち現れてくる。 
 さらりと詠ったように見えて、ふと読者を立ち止まらせる言葉の力が、俳句の風姿のよろしさとなって、それこそ峙っている。

   餌を吸へば鯉の口鳴り秋まひる

 餌を喰えばではなく、「吸へば」だからこそ鯉の口が鳴るのだということが納得させられる。
 もとより、水も大気も透明度満点である。
 秋の真昼は、静かにも情景を包み込んで燦然と横たわっている。

   山の日は林檎のあまき匂かな
   熟しては落つる国光ありにけり

 甲賀一体は真っ赤に熟れた林檎に満ちているのだろう。
 一気に読み下した勢いがそのまま林檎の幸せな匂いを漂わせてくれる。
 足運びのテンポが、即ち、詩情のそれとなってまこと爽快である。
  
   ひやひやと双手失ふ観世音

 「平安の秘仏」展にまみえた古仏。
 仏と自身が一体にならなければ「双手失ふ」とは言えない。
 深秋の冷気が、作者はもとより観音の身の芯にまで染み入ってくるのである。  

   豆引のうしろの滲み落日す

 「鈴鹿へ」十句は、秘仏の心象を曳いて、見るところどこも赤く染まったような甲賀の旅懐を鮮やかに浮き立たせている。

       ~~~    ~~~

     木曽路       中山世一



   凩に迎へられたる木曽の宿
   霜晴や色うすれゆく朝の月


 馬籠ならぬ奈良井宿はまだ見ぬところだが、おのずから、「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十軒の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた」(島崎藤村)に導かれる。
 俳人の愛してやまない木曽路は凩さえも覚えあるものであって、何とも懐かしい気分が滲み出ている。
 霜もまた天地一体となって真白くもうっすらと広がっている。 

   冬支度水中の藻に色きたる

 水草の紅葉が、いっそう奈良井の水を透き通らせて美しい。しんとした余韻は、この村の姿を偲ばせてくれるに十分である。
 この時期、決まったように、村人は漬物の仕込みに精を出されるのであろう。

   木曽馬の明るき尻や里時雨
   馬小屋の壁に樏夕日差す

 〈木曾馬の黒眼みひらく二月かな あきら〉が印象に残っているからであろうか、木曽馬といえば「眼」であったが、さらに「尻」までもが明快であることの頼もしさ。
 折からの時雨に、一振りした尻尾もまた風土の重みを思わせるものであったに違いない。
 吹雪の到来を予感しながら、馬小屋もろとも夕日に暮れてゆく木曽である。
 「木曽路」一連の声調もまた静謐そのもの。

(「晨」平成29年3月号 第198号所収)
# by masakokusa | 2017-03-30 14:28 | 俳論・鑑賞(2)NEW! | Comments(0)
昌子365日(自平成29年2月1日~至2月28日)
  

       2月28日(火)     大仏の胸の黒ずむ初音かな
    
       2月27日(月)     北窓を開く松葉の色は濃し 

       2月26日(日)     さざなみのやうに鴨ゐてあたたかし

       2月25日(土)     青空をみどりに水の温みけり

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       2月24日(金)     料峭の散らかってゐる紙のもの

       2月23日(木)     春荒の坂をのぼれば三叉路に

       2月22日(水)     剪定の去んで日向のあるばかり

       2月21日(火)     春二番春一番に勝ちにけり

       2月20日(月)     あたたかや大き広場を森の中 

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       2月19日(日)     その鳥は梅に止まらず松にあり

       2月18日(土)     恋猫や庭のどの木も丸坊主

       2月17日(金)     西行忌池を大きくまはりけり

       2月16日(木)     子を胸に抱いて男の梅を見る

       2月15日(水)     踏青のいつしか森を抜けにけり

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       2月14日(火)     鋸を引くやうなる春の鳥のこゑ

       2月13日(月)     冴返る石に躓きやすきこと

       2月12日(日)     垣繕ふその内側にまはりもし

       2月11日(土)     鼻の穴亀に二つや水温む

       2月10日(金)     天と地を一つ舞台に冴返る

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       2月9日(木)      水温む梯子立てたり寝かせたり

       2月8日(水)      背ナにして春の障子の熱きこと

       2月7日(火)      木槌もて金閣寺垣繕へる
 
       2月6日(月)      寒明や耳より大き耳飾り

       2月5日(日)      大空に首をまはせる春日かな

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       2月4日(土)      薄氷に朝日大きく開きたる

       2月3日(金)      節分の夕雲ちぎれちぎれかな

       2月2日(木)      寒日和石を箒に掃いてをり

       2月1日(水)      路地に見て海盛り上がる四温かな 
 


      
# by masakokusa | 2017-03-01 23:59 | 昌子365日 new! | Comments(0)
俳句結社『青草』総会・青草俳句会  2017年2月16日開催
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平成29年2月16日 俳句結社「青草」総会
      青草俳句会・懇親会

# by masakokusa | 2017-03-01 00:26 | 俳句結社『青草』NEW! | Comments(0)
『俳壇』3月号 ・ 現代俳句の窓
                          
      毛 衣

                                        草深昌子
                                       (青草・晨)

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       毛衣や三百年の松を前

       枯芝の青草勝ちに広きこと
 
       耳袋かけてお寺は素通りす

       二つ灯のついてうれしや冬座敷

       山茶花に透き通りたる硝子かな

       冬や実の草にまつくろ木にまつか

  
  (『俳壇』2017年3月号所収)
# by masakokusa | 2017-02-28 23:57 | 昌子作品抄 | Comments(0)
結社誌『海程』(金子兜太主宰)より
『海程』2017年2・3月号に、
「俳誌往来」として、藤田敦子氏により、
『晨』(平成28年11月号)が紹介されています。

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『晨』平成28年11月号 第196号
代表  大峯あきら
創刊  昭和59年
発行所 奈良県吉野郡大淀町増口
師系  高濱虚子

「晨」は茨木和生氏、岩城久治氏など多くがそれぞれの結社に属する人の集まりで、
超結社の同人誌である。
哲学者でもあり僧侶でもある俳人、大峯あきら氏の「俳句は自我の詩ではなく、存在の詩である」という信念のもと創刊された。
雑詠は三氏(筆者注釈・現在は大峯あきら氏、山本洋子氏の二氏)による共選である。
また同人相互の選句、鑑賞、批評、論評が行われ、
結社では主宰でもあっても、ここでは、みな同じフイールドで俳句を語る。純粋な「句座」が存在している。

「特別作品」より
日を掬ひ掬ひ一葉の落ちにけり     平田冬か
しろじろと顎ありけり穴まどひ       草深昌子
子が眠る母の夏セーター掴み       佐保光俊
戸も窓も開きたるまま秋灯         杉田菜穂

「晨集」より
今朝秋の机の位置を少し変へ      大峯あきら
火蛾払ひつつ密猟の打合せ       茨木和生
芋の葉の露や命毛噛みくだく      岩城久治
宇治川は黒髪となる夕野分       倉橋みどり

「光芒7句」雑誌等より7句、独自の鑑賞が光る。
「俗語を正す」 山内利男
涼しげに地獄を待てり被爆牛(俳壇8月) 高野ムツオ
麦秋の夕日成人映画館(俳句8月号)   夏井いつき
鯨面にして仏顔蝉生まる(俳句9月号)  宮坂静生 

(『海程』530号2017年2・3月号所収)
# by masakokusa | 2017-02-28 23:49 | 昌子作品の論評 | Comments(0)