昌子365日(自平成29年1月1日~至1月31日)
 
       1月31日(火)    外套をGOKURAKU亭に吊し売り

f0118324_20481655.jpg


       1月30日(月)    日曜の霞が関や春隣

       1月29日(日)    古書店に新書も少し日脚伸ぶ

       1月28日(土)    野良猫のここが好きなる冬薔薇

       1月27日(金)    文机に何かこぼるる虎落笛

       1月26日(木)    春を待つ朴の落葉に塵溜めて

f0118324_22385137.jpg


       1月25日(水)    廃屋を紐で縛って笹子鳴く

       1月24日(火)    鴉とも鳶とも見ゆる寒さかな

       1月23日(月)    探梅の金婚式の日なりけり
 
       1月22日(日)    大川やここやあそこのゆりかもめ

       1月21日(土)    小正月終着駅に下りたちぬ

f0118324_23144122.jpg


       1月20日(金)    春めくやおむつ替へたる嬰の顔

       1月19日(木)    待春の大桟橋や踏めば鳴る

       1月18日(水)    カンテラに絡む枯蔓門口に
      
       1月17日(火)    尖塔を川の向うに冬萌ゆる

       1月16日(月)    乗初や富士が見えたり隠れたり

 
f0118324_21584120.jpg


       1月15日(日)    早梅の鳥に垂れては跳ね上がり

       1月14日(土)    枯芝のまるでバリカンかけたやう

       1月13日(金)    大き日の光るかぎりの氷かな

       1月12日(木)    猪鍋の芹の緑に尽きにけり

       1月11日(水)    ふと蝶の立ちしが如き枯葉かな
      
 
f0118324_2354243.jpg


       1月10日(火)    虚子茅舎たかし青畝と読みはじむ

       1月9日(月)     社とも寺ともつかぬ寒詣

       1月8日(日)     宝船敷いて灯火まだ消さぬ

       1月7日(土)     端つこに座つて冬日目の当たり 
     
       1月6日(金)     山茶花に透き通りたる硝子かな

f0118324_16383351.jpg


       1月5日(木)     熱燗や首相官邸見下ろしに

       1月4日(水)     断層のあからさまなる寒椿

       1月3日(火)     葉牡丹を活けて平安秘仏展

       1月2日(月)     二日はや大きな皿にモンブラン
     
       1月1日(日)     大いなるものに赤子の御慶かな

 明けましておめでとうございます。
 『草深昌子のページ』をお開きくださいまして有難うございます。
 今年もどうぞよろしくお願いいたします。  
 
               平成29年元旦                草深昌子 

# by masakokusa | 2017-01-21 21:48 | 昌子365日 new! | Comments(0)
読売新聞   「四季」長谷川櫂選
 
  うれしさはひつくりかへる歌留多かな    草深昌子

f0118324_22334598.jpg


 歌留多取りの場面。
 あまりに勢いよく取ったので、隣の札がひっくり返ってしまった。
 しかしこの句を読めば、札がうれしがってひっくり返ったようではないか。
 命なきものにも命がやどる。
 これも言葉の力の一つ。
 句集『金剛』から。

# by masakokusa | 2017-01-15 22:32 | 第3句集『金剛』NEW! | Comments(0)
詩歌句年鑑 2017      草深昌子(晨・青草主宰)
  
f0118324_11344012.jpg
   

   風の鳴るやうに虫鳴くところかな

   盤石を叩いて竹のばつたんこ

   蝌蚪の来て蝌蚪の隙間を埋めにけり

   門入ると襖外してゐるところ

   網戸より沖の一線濃く見たり


(ことばの翼 詩歌句 年鑑〔俳句〕2017 所収)
# by masakokusa | 2017-01-09 11:07 | 昌子作品抄 | Comments(0)
原石鼎俳句鑑賞・平成29年1月


f0118324_12325528.jpg
  
 
   福寿草今年は無くて寝正月       原石鼎   大正11年

   
 大正10年、石鼎は35歳。ちなみに35歳といえば子規の没年である。
 この年、石鼎は小野蕪子発行の「草汁」を譲り受け、5月「鹿火屋」と改題して、虚子の許しを得て主宰となった。
 「鹿火屋というのは山中で秋になると鹿や猪などが闇夜に田畑を荒しに来るのを防ぐため、山人が小高みに小さな番小屋を立て終夜火を焚き銅鑼を代わり合って叩く。それが山にひびいていとど秋の夜長の淋しさを増す。その淋しさを生涯忘れまいとして誌題とした。」
と「鹿火屋」に書きとどめている。

 石鼎の生涯は、この決心の通り、淋しさをひしと抱きしめて離さないものであった。
 「鹿火屋」主宰になることも決して手放しの喜びではなかったであろう、それは必然のように、石鼎の淋しさが引き受けさせたものに違いない。

 しかし、このことが病弱であった石鼎の命を、最期まで俳句の命としてまっとうされる原動力になっていった、そう思うと、やはり「鹿火屋」主宰原石鼎の誕生は運命的であった。

 その大正10年が明けた大正11年のお正月は、寝正月であった。
 寝正月と言えばそれで済むものを、枕上に見当たらない「福寿草」をあえて書き上げるところが、石鼎の旺盛なる俳諧精神をうかがわせる。
 では、次の年から数年間ほどは、どんなお正月であったのだろうか。

      正月2日感冒に臥して月の終り漸く床を払ふ
   元日の満月二月一日も        大正12年

   松上にしばし曇りし初日かな     大正13年
  
   草庵や屠蘇の盃一揃         大正14年
   竹馬の羽織かむつてかけりけり      〃

   萬歳の戸口を明けて這入りけり     大正15年
   遣羽子や下駄の歯高く夕べ出て       〃

       正月退院、二月湯河原に療養
    ほの赤き梢々や春の雪        昭和2年

 やはり、病気との縁は切れなったようである。それでも、
「竹馬」の句のおもしろさ、ことに「萬歳」の句の悠揚迫らぬ味わいにはめでたさがこみ上げてくる。

 お正月の句はともかく、それぞれの年の名句を掲げて、今年もまた石鼎の淋しさをわが淋しさとして寿ぎたいと思う。

   神の瞳とわが瞳あそべる鹿の子かな      大正11年
   白魚の小さき顔をもてりけり           大正12年
   音たてて落ちてみどりや落し文         大正13年
   ささなきのふと我を見し瞳かな         大正14年
   暁の蜩四方に起りけり              大正15年
   火星いたくもゆる宵なり蠅叩          昭和2年

# by masakokusa | 2017-01-07 12:15 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
特別作品評       山中多美子
 
       根岸             草深昌子

f0118324_1959913.jpg


    蝶々をそのてつぺんに鶏頭花     昌子

 根岸のこの鶏頭花の作品は、俳人正岡子規のオマージュかと。
十四五本ほどの鶏頭に蝶々が下りてきて止まった。それだけのことなのに、
子規の生涯の苦しさも喜びの何もかもが思われる。
省略の効いた叙法と、巧まざる技量ゆえに、ゆたかな詩情が漂う。
今という時を切り取る力を感じる。

   秋風の子供に道を問はれたり     昌子

 秋風ならではの作品。
何処からともなく吹いてくる風。
通りすがりの子供に思いがけなく道を問われたという。
澄んだ瞳にじっと見つめられ、まさに秋風が通り過ぎたという感覚が身を過る。
清々しい秋風の使いのような子供である。

   水澄んで団子に箸を使ひけり     昌子

お供えしたお彼岸の団子を頂く。添えられた白木の箸が水の秋にふさわしく清らか。

   たまに顔上げることある夜なべかな     昌子
   浮塵子来て媼の眠りこけてをり       昌子

浮塵子が湧いて困ったという話を聞いたことがある。
その嫌われものの浮塵子が来ても睡りこけている媼はよほど疲れているのだろう。
前句から察するにに、夕べは夜業に精を出し過ぎたのでは。
夜なべの間に少し顔をあげるだけの媼の、わずかな所作も見逃さずに詠むことができるのは、日頃の鍛錬と弛みない心の働きがあるからかと。
どんな時も、作句に対する姿勢を崩さない作者である。


(平成29年1月号「晨」所収)
# by masakokusa | 2017-01-06 19:50 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
同人誌「ににん」代表岩淵喜代子・受贈著書より

f0118324_18323124.jpg



  あめんぼう大きく四角張つてをり   草深昌子



(草深昌子第三句集 『金剛』 2016年 ふらんす堂)より

 ほかに、
( 七夕の傘を真つ赤にひらきけり)
(一束は七八本の苧殻かな)
(初蝶の如雨露を越えて来たりけり)
(豆飯に豆の潰れてあるが好き)
(蝌蚪の来て蝌蚪の隙間を埋めにけり)など、枚挙に遑が無い。

 掲出句、大きな足を四方に踏ん張っている姿は、生き物への愛おしみの視点が働いている。
 (四角張って)という捉え方とは裏腹に、あめんぼうは華奢な生き物である。

(「ににん」代表 岩淵喜代子 2016年12月24日)

# by masakokusa | 2017-01-04 18:23 | 第3句集『金剛』NEW! | Comments(0)
自作の周辺         草深昌子
f0118324_17241721.jpg


   赤子はやべつぴんさんや山桜     草深昌子


 先日、NHKの朝ドラ「べっぴんさん」の話題になって、べっぴんさんってどういう意味かと東京人に問われた。
 思わず「私みたいなのがべっぴんさんよ」と答えて、首を傾げられてしまった。
 言葉が本来の意味を逸れて、まるで自分のもののように身に浸み入っていることに、我ながら驚かされた。

 子供の頃から、のほほんとして、何の取柄もなかった私。
 それなのに、近所のおっちゃんおばちゃんは、毎日のように、べっぴんさん、べっぴんさんと言って下さった。子供心に嬉しかった。
 「泣いたらべっぴんさんが台無しやんか」と言われるので、いつもにこにこ笑っていた。
 結婚しても、「ちょっと見んまにえらいべっぴんさんになったなあ」なんて、誰にでも真逆のことを言って笑いをとるのが大阪人のやさしさ。
 それでも、五十年ぶりに小学校の先生に邂逅した時、すでに私は還暦を過ぎていたが、先生の第一声は、「大きなったなあ、やっぱりべっぴんさんやなあ」であったのは、なつかしくも嬉しかった。
 至らぬ者への励ましの言葉は、生き続けていたのだった。

 『命ひとつ』(大峯あきら著)の「言葉の底には無意識の地平がある」の中の、「子供くさい子供というものはいません。子供にはくさみがなく、これが品というものです」という記述に、はたと気付かされた。
 無心に遊ぶ子供であったこと自体がべっぴんさんなのであった。
 思えば、まだ一歳の時に、父を戦争で亡くした、いたいけな私を、周囲の方々は真っ正直な言葉で、愛情たっぷりに育ててくださったのだった。

 さて、十数年前のあの日、吉野全山は満開の山桜でまさに匂い立っていた。
 乳母車の中で盛んに手足を動かしていた山家の赤ちゃんをのぞき込んで、「ほーっ、べっぴんさんやなあ」と先に声を上げられたのは、堀江爽青さんであった。
 私も「ほんま、ほんま」と褒め合って、心は遠い昔へ還っていった。
「赤子はやべっぴんさんや」と咄嗟に書き止めると、当り前のように「山桜」が降りてきてくれた。
 その夜の句会で大峯あきら先生が、中七のパンチが利いているとし、
「娘盛りになったそのべっぴんさんの花下の姿をも連想させる詩的空間の広やかさ」を指摘してくださった。
「山桜」のおかげである。
 
 かの赤ちゃんは、もう高校生であろうか。
 八十歳になっても、ぺっぴんさん真っ盛りに生きていかれるに違いない。
 年年歳歳人は変わるけれど、また春が来て吉野へ行けば、華やかにもゆったりとした、品のいい山桜に巡り合える。

(平成29年1月号「晨」所収)
# by masakokusa | 2017-01-03 17:00 | 第3句集『金剛』NEW! | Comments(0)
大井恒行の日日彼是

草深昌子「金剛をいまし日は落つ花衣」(『金剛』)・・・

 草深昌子第三句集『金剛』(ふらんす堂)の集名については、

 「金剛」こと金剛山は、吉野のある奈良県と、私が生まれ育った大阪府の境に立つ主峰です。なつかしさが重なり、句集名としました。 と「あとがき」にあった。
 略歴に「雲母」「鹿火屋」「晨」「ににん」を経て、「青草」主宰とある。
 句はいずれも端整。
 いくつか句を以下に挙げておこう。

  富士山にそむきまむきや寒鴉      昌子
  赤子はやべっぴんさんや山桜
  冴返る鯉の鯰に似てゐたる
  廃校の時計の生きてさくら草
  水馬かまひにまたも水馬
  どこにでも日輪一つあたたかし
  壁蝨出るぞ山蛭出るぞ鉄砲打

草深昌子(くさふか・まさこ)1943年、大阪市生まれ。

(大井恒行の日日彼是 2016年12月13日)

大井 恒行(おおい つねゆき、1948年12月15日 - )は、山口県山口市出身の俳人。1967年、立命館大学俳句会に入会。赤尾兜子に師事し「渦」に投句、また「俳句評論」句会にも出席。1980年、攝津幸彦らとともに「豈」創刊に参加。1988年、総合誌『俳句空間』(弘栄堂書店)の編集長に就任、1993年まで務める。代表句に「針は今夜かがやくことがあるだろうか」等。
「豈」同人。現代俳句協会会員。
# by masakokusa | 2017-01-02 23:59 | 第3句集『金剛』NEW! | Comments(0)
新刊紹介 草深昌子句集『金剛』ふらんす堂発行   ふらんす堂代表 山岡喜美子
 
 即物的であることの力

f0118324_212143.jpg


 草深昌子句集『金剛』(こんごう)。

  四六判ハードカバー装。 192頁。

著者の草深昌子(くさふか・まさこ)さんは、1943年大阪生まれ、現在神奈川県厚木市在住。1977年に「雲母」(飯田龍太主宰)に入会、1985年「鹿火屋」(原裕主宰)に入会、「鹿火屋新人賞」「鹿火屋奨励賞」などを受賞し、2000年に「晨」(大峯あきら代表)に同人参加、「ににん」(岩淵喜代子代表)に同人参加。現在は「晨」同人と同時に俳誌「青草」を主宰している。本句集は前句集『邂逅』につぐ第三句集となる。
句集名「金剛」の由来について、著者は「あとがき」でこのように記す。

句集を編んでおりますと、この方十七年、吉野、近江、伊勢志摩など方々へ、大峯あきら先生、山本洋子先生とご一緒させていただきました幸せな歳月が思い出されます。
ことに、恒例の吉野の桜吟行はかけがえのない濃密な句会でありました。
美しい山桜の宿で、庭下駄に下り立って、先生はじめ「晨」の十名ほどの皆さまと共に、ただ黙って、金剛山に沈んでゆく美事な夕日を眺めたことは、生涯忘れることはないでしょう。
「金剛」こと金剛山は、吉野のある奈良県と、私が生まれ育った大阪府の境に立つ主峰です。なつかしさが重なり、句集名といたしました。

本句集『金剛』はその名のとおり力強い晴れやかなエネルギーの充満した句集である。

 赤子はやべつぴんさんや山桜

 金剛をいまし日は落つ花衣

ともに吉野で詠まれた桜の句であると思うが、色彩豊かな命の漲りを思わせる。本句集は陽性の気にみちた気持ちの良い句集である。筆力という言い方が適正であるかどうか分からないが、鍛えあげた筆力があり読者をぐいぐいと引っ張っていくような面白さがある。前句集『邂逅』が2003年に上梓されているから、すでに15年近くの歳月が流れたわけだが、たぶんこの間の著者の「俳句の鍛え方」は並々ならぬものがあったのではないかと思う。前句集よりはるかに突き抜けた面白さがあるのだ。

 江ノ電の飛ばしどころや白木槿
 七夕の傘を真つ赤にひらきけり
 秋の蟻手のおもてから手のうらへ
 バット振るやうなる音を秋の蜂
 三つ四つ棗齧つてから笑ふ
 稲は穂に人は半袖半ズボン
 木の葉髪赤いリボンのつけどころ
 綿虫に障子外してありしかな
 忘年の泉のこゑとなりゐたり
 煤掃いてパンもご飯も餅も食ふ
 雪降るやかへすがへすも雪降るや  (悼 田中裕明先生)
 寒晴や鼈甲飴は立てて売る
 梅を見る鞄大きく傘小さく
 春泥を行くに号令かけてをり
 かりそめに寝たるやうなる寝釈迦かな
 初蝶の如雨露を越えて来りけり
 銀蠅を風にはなさぬ若葉かな
 水馬かまひにまたも水馬
 をさなき子まつくらといふ木下闇
 男の手ひらくや一個青胡桃
 病人のベッドに立てる大暑かな
 赤い目の白い兎や南風
 夏逝くか顔に帽子のずり落ちて

句集前半の句を紹介した。ムードや気取りを捨て去り、リアリズムに徹してものを見る。余計なものをとっぱらって見えてきたものを一句にする。そこに草深さんがこれまでに鍛錬して培った俳句的センスが光る。気持ちのよいまでに情趣を排した作品群であるが俳諧性に富んでいて読むものを飽きさせない。まさに俳句でなくては言い得ない表現を獲得している。

本句集の担当はPさん。好きな句を挙げてもらった。

 水澄んで流るる鯉となりにけり
 神の留守蘇鉄は高くなりにけり
 秋の蟻手のおもてから手のうらへ
 富士山にそむきまむきや寒鴉
 足の向くところかならず春の泥
 涼しさの丸太ん棒に座りけり
 寒晴や鼈甲飴は立てて売る
 秋分の翳りを雲に集めたる
 平なるところなかりし花野かな
 ぬかるんであれば梅散りかかりたり
 風船の割れんばかりに光けり
 松風の少しつめたき武具飾る

「秋の蟻手のおもてから手のうらへ」この句「手のおもてから手のうらへ」が面白い。ここまで言うか、と。「寒晴や鼈甲飴は立てて売る」も、鼈甲飴は寝かせては売らないでしょう、と思うが、鼈甲飴がすっくと輝き、「寒晴」の季語が俄然生きる。

『金剛』は、私の第三句集になります。
第一句集『青葡萄』を平成五年に、第二句集『邂逅』を平成十五年に刊行いたしました。そして又、十年後には第三句集をと心準備をはじめた矢先に、夫を亡くしました。
平成二十四年五月、病院でのすべてのことを終えて、夫と共にわが家へ帰る途中、車は丹沢山系の麓の大きな竹藪にさしかかりました。
竹はことごとく皮を脱いでいました。

 人は死に竹は皮脱ぐまひるかな  大峯あきら
 
我知らず、一句が溢れました。
まさしく、人は死に、竹は皮脱ぐ、真昼、でした。
「季節とはわれわれの外にある風物のことではなく、われわれ自身をも貫いている推移と循環のリズムのことである。世界の中の物は何ひとつこのリズムから自由にはなれない」(『花月のコスモロジー』大峯顯著)という一節が、即座に蘇ったことを覚えています。

ふたたび「あとがき」を紹介した。
第3句集刊行までに重い歳月があったのかもしれない。
後半より句を紹介したい。

 さも遠くあるかに秋の雲を見る
 銀杏散る蝶も黄色に来りけり
 湯婆のほかは求めぬこころかな
 富士山を真正面に初泣きす
 眼が合うて笑ふ三日の見知らぬ子
 蝌蚪の来て蝌蚪の隙間を埋めにけり
 子規思ふたびに草餅さくら餅
 栄螺焼く刷毛のしづくのうまさうな
 涼しさの敷居の高くありにけり
 サングラスかけて命のことを言ふ
 氷川丸そこにバナナの匂ひけり
 おもひきり遺影の笑ふビールかな
 網戸より沖の一線濃く見たり
 遠く行く人のうしろの茂りかな

どの句もポジティブに闊達に生きている人間が見えてきて気持ちがいい。季語が人間の命脈に直結しているというべきか、達者な作家であると思った。

本句集の装釘は君嶋真理子さん。
君嶋さんの装釘としては、かなり思いきった華やかなものとなった。
しかし、この華やかさは草深さんの生命の質量と比例している。

カバーは金刷りで艶アリのPP加工を施した。(ふらんす堂の本は、PP加工のものは少ない、あってもマット(艶なし)PPであるが、これは艶アリ、一年に一度あるかないかのPP加工である)。帯も金刷り。桜と金色はよく合う。

「金剛」という句集名にふさわしい立派な、そしてあでやかな一冊となった。
草深昌子さんは出来上がりをとても喜んでくださった。

  神の留守蘇鉄は高くなりにけり

堂々とした一句だ。草深昌子というたっぷりとした肺活量をもつ俳人の力量を思わせる一句だ。リアリズムに徹しながらも句集全体をおおう晴れやかな気配は、著者のなかにある豊かさ、それを「心の花」とでも言おうか。「心の花」を秘してものを見る、しかし、おのずとその心の花が作品に現れるのではないだろうか。

草深昌子さんはご自身のサイトをお持ちです。是非にアクセスを。

いやはや、今日は真っ赤なセーターを着てきて良かった。
なぜなら、句集『金剛』が放出するエナジーに負けてしまったかもしれない。
丹田の力を感じさせる句集である。



(2016年12月6日 ふらんす堂代表 山岡喜美子)
# by masakokusa | 2017-01-01 23:59 | 第3句集『金剛』NEW! | Comments(0)
昌子365日(自平成28年12月1日~至12月31日)
 
      12月31日(土)     辻棚に買うて今年を惜しみけり

      12月30日(金)     冬や実の草にまつくろ木にまつか

f0118324_23315959.jpg


      12月29日(木)     日記買ふ三省堂の眩しさに

      12月28日(水)     耳袋かけてお寺は素通りす

      12月27日(火)     青空のまさしく青き年の暮

      12月26日(月)     煤逃の辻説法の跡に立つ

      12月25日(日)     絨毯に緑湛へてクリスマス

 
f0118324_198659.jpg


      12月24日(土)     聖餐の八角箸をつかひけり

      12月23日(金)     ながながと日向ぼこりの巣鴨かな

      12月22日(木)     冬麗のにほひ樒と知れるまで

      12月21日(水)     年暮るる路傍の石のみどり色

      12月20日(火)     万両やもたるるによき床柱

f0118324_214572.jpg


      12月19日(月)     礼拝のひとたび長き冬日かな

      12月18日(日)     寒禽のまれに来れるモスクかな
      
      12月17日(土)     二つ灯の点いてうれしや冬座敷

      12月16日(金)     忘年の双眼鏡を借りにけり 

      12月15日(木)     枯芝の青草勝ちに広きこと 

f0118324_21561635.jpg
  

      12月14日(水)     渡し場に舟来ぬ日向ぼこりかな
 
      12月13日(火)     丈にビル幅にビルある冬日かな  

      12月12日(月)     毛衣や三百年の松を前

      12月11日(日)     海を見て海を言はざる冬うらら

      12月10日(土)     口中に麩菓子溶けゆく風邪心地

f0118324_2265737.jpg


       12月9日(金)     日時計に冬日まだ来ぬ十時かな

       12月8日(木)     濃き色を海に湛へて十二月

       12月7日(水)     竹藪を門口にして冬籠
 
       12月6日(火)     後ろ手に踏んで港の落葉かな

       12月5日(月)     寒禽の木から落ちたるやうに飛び

f0118324_20434050.jpg


       12月4日(日)     一室の一面にして冬の海

       12月3日(土)     短日やあんなところに観音が

       12月2日(金)     枯園を歩幅正しく歩みけり

       12月1日(木)     水鏡したる皇帝ダリアかな 
# by masakokusa | 2016-12-31 23:59 | 昌子365日 new! | Comments(0)