青草通信句会・講評・令和6年2月          草深昌子

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令和6年2月の兼題は「猫柳」。

俳句初学の頃、すぐに覚えた句は細見綾子の〈来て見ればほゝけちらして猫柳〉です。

「猫柳を見に来ましたら、かの銀白色の花穂はすっかり蓬けているではありませんか」という句です。

猫柳を見せながら作者の残念な気持ちをも込めています。


猫柳薪の上に折られあり     高浜虚子

 折りかけし枝もありけり猫柳   鈴木花蓑

 猫柳四五歩離れて暮れてをり   高野素十


何でもないような句ですが、誰しもが、「あるある」、「そうそう」と猫柳の在りように共鳴できます。

当り前のことに驚いて、その驚きがそのまま言葉になったような感じです。


今回、「青草」の皆さまのどの句も、格段に腕を上げられていることを実感して嬉しくなりました。

そこで、この度は入選のハードルを少し上げまして、フレーズはいいのですが、

あきらかに猫柳を他のものにも置き換えることが出来そうなものは採りませんでした。

もう一つ、

季題の中に含まれているものをそのまま出しただけでは一句にならないということを選を通して分かっていただけたらと思います。   

つまり、「猫柳」は、銀鼠色のふさふさの和毛を連想させる花穂をつけて、繭のような形です。

その名前は猫の尾に見立てているようです。

こういうことは歳時記なり図鑑で調べるまでもなく、常識として知っていることです。

これを詠っても、猫柳の説明に終ってしまいます。

そこに何かしら作者ならではの独自の表出の仕方があれば、また別ですが。 

 

俳句は、作者自身がよく見て、眺めて、見入って、時間をかけて見届けて作ります。

生き生きと描写するなかに、作者ならではの気持ちが自らこもってくるようです。

よき俳句を作る方法のようなものはありません。

俳句は一人一人のもので一句一句にその場その時があって、ノウハウが全てに当てはまるものではなく矛盾があります。

だからこそお互いに選が大事になってきます。かく言う私も、その都度気付かされます。


成功するばかりが能ではありません。

サッカーを引き合いに出して恐縮ですが、失敗してこそ次回に生かされるものがあるのです。


# by masakokusa | 2024-02-10 18:59 | 昌子の句会・選評
WEP俳句年鑑2024

  ウエップ俳句年鑑 2024年版


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     自選7句       草深昌子(青草・晨)


   枝折戸の風にひらくや棕櫚の花

   夕焼くる穴に嵌まつて団子虫 

   水たまりよけつつ花の吹雪きつつ  

   薪積んで冬の日向に崩れさう

   冬晴や紅葉穢く鯉綺麗

   芝浜を聴いて身に入むわれらかな

   ダンサーと書家と詩人と年忘れ


# by masakokusa | 2024-02-04 15:54 | 俳句総合誌『俳句』ほか
草深昌子を中心とする句会・選後に・令和5年12月          草深昌子選


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教官のシャツ一枚や小春空     大村清和

 「小春日」は冬ながらまるで小さい春のようだというもの。

 語感からして愛らしく、まこと温暖なる小春日は俳人に多く詠まれてきた季題である。

 〈古家のゆがみを直す小春かな  蕪村〉、〈海の音一日遠き小春かな  暁台〉、〈小春日や石を噛みゐる赤蜻蛉  鬼城〉、

 〈小春日の心遊びて部屋にあり  虚子〉等々好きな句は枚挙にいとまがない。

 そんな情趣におかまいもなくやってきたのが「教官のシャツ一枚や」である。

 教官といういささかいかめしいひびきのある者が、脱ぎに脱いでなんとシャツ一枚というありさま、

 これはもう小春の趣きを超えながら小春そのものを直に打ち出している。

 教官にして恰好つかないさまが、「小春空」の透明感に相殺されてまこと美しい一句に仕上がった。



冬休み風速計の音のして     松井あき子

 今の時世の冬休みはどうなっているのか。

 私の子供の頃は1225日頃から17日頃までが冬休みであったように記憶している。

 お正月をはさんで嬉しい日々であったが、親の手伝いに明け暮れるものでもあった。

そんな冬休みの校庭に見かけた風速計であろうか、いや「音のして」であるから耳にしたもの。

それこそ今はプロペラ式ではないかもしれないが、

いささか閑散たるもの音が、子供たちのいない学校の状景として身に添うように聞こえてくるというのだろう。

 風を測定する風速計を表に出しながら、冬の風の寒さを冬休みの光景からかすかにも感じさせるものになっている。


 

冬の日や蠅の元気に蠅叩き     東小薗まさ一

 「蠅の元気に」とまで詠っていいものかどうかなどと迷うひまもなく、

 一句の勢いのリズムにひきつられてしまった。思いのままに、作者の本当が詠い込まれているのだろう。

蠅叩きというシロモノが現代にあるかどうかも疑わしいが、新聞を丸めたものでも蠅叩としたのかもしれない。

「蠅」も二度言わないと気のすまないような、つまり今日の冬日には強さがあるのである。

「冬の日や」、この冬の日射しはまばゆいばかりに煌めいている。



神集ひ別れの酒を酌むと言ふ     伊藤 波

 陰暦10月、日本中の神様が出雲大社に参集する。

 そこで出雲大社では「神集ひ」、即ち「神在祭」を行う。

 私には体験がないが、作者はこの八百万の神さまの滞在に合わせて出雲へ旅されたのであろう。

 神迎えがあって、やがて神送りがあるわけだが、この時、神様ご一同さまは別れの酒を酌み交わされるというのである。

 こういう厳粛なる儀式によって、目に見えない神さまが、我らが人同然に実感されるところがあって、何とも有り難く、意義深い。



牡蠣の身は食うて軽ろしや殻重し     町田亮々

 こちらは神さまならぬ、まことおろかしい人間の生きざまのひとこまをふっと洩らされたような一句。

 こんなことを詠えるのは卒寿の作者ならではのことだろう。

「軽し」と「重し」の対比には何かしらの意義を感じさせられるものであるが、

この鑑賞を散文の理屈で言い上げると、一句のツブシになりかねない。

ただ牡蠣大好きの私には、あだやおろそかに牡蠣を食うてはならぬと言い聞かせつつ、

一方で、これがこの世でございますとばかり、スカッともするのである。



とむらひの朝の蒲団を畳みけり     奥山きよ子

 「弔い」と聞いただけで、一句から目をそむけようとする読者、私である。

 だが、「朝の蒲団を畳みけり」という淡々たるやさしさの穏やかさに引き込まれてしまった。

 蒲団には、通夜なり葬式なり、その弔い心の哀しさが沈みこんでいるだろう。

 ズシリと重いもののようである。

 一夜経てその蒲団を畳むときの心情をおもてに何一つ出さないで、何気に詠いあげられたことに心打たれるのである。

作者自身の実体験そのままであろう。

だが、一個人のものでありながら、その詩情は作者を離れて読者に届いているのである。


羽子板市玉三郎が一列目       きよ子

 坂東玉三郎、その女方の妖艶には息をのむばかりであった。

 そう、昔のことではなくて今もって、最高峰であるのだということが「一列目」にうかがわれるようである。

 これは、そのまま羽子板市の伝統を伝えるものでもある。

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   北西に欠けたる月や一葉忌        佐藤昌緒

   冬鳥や豆粒のごと西へ行く        葉山 蛍

   紫の袈裟に刺繍や小六月         石井久美

   水鳥や忍びのものの歩きやう       小宮からす

   水鳥の上半身の大きさよ            からす


   サンタ待つ日の匂ひする蒲団かな     川井さとみ

   急流の横の淀みや浮寝鳥         鴨脚博光

   椎茸をもどすにほひや賀状書く      古舘千世

   派手やかに僧連なるや十二月       湯川桂香

   雲ぽかりぽかりぽかりや鴨の群      末澤みわ


   冬の朝北窓越しに見ゆる月        永瀬なつき

   寒林に透けて見ゆるや昼の月      石堂光子

   島遠く浮いてゐるなり蜜柑山       二村結季

   声太く帝釈天の飾売            佐藤健成

   炉の端や母の繕ふネルの足袋      加藤かづ乃


   こりこりと歯に遊ばるる河豚の皮     石野すみれ

   監視台横に倒れて冬ざるる        村岡穂高

   娘来てばしばし捨つる煤払        山森小径


# by masakokusa | 2024-01-14 13:08 | 昌子の句会・選評
受贈書誌他より・令和6年2月         草深昌子抄出


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「やぶれ傘」(主宰 大崎紀夫)

   裸木が丘に並んで立つてゐる     大崎紀夫

   うすら日の差して三日の山が見え   大島英昭


「里」(代表 島田牙城) 

   蛇穴を出るほどのこと世にあらず     島田牙城

   神さまに長きなまへや滝凍る       野名紅里


「都市」(主宰 中西夕紀)

   栃餅の薄き茶色に秋惜しむ     中西夕紀

   星飛ぶや文字なき民の恋の歌    三森 梢


『中村雅樹集』・自註現代俳句シリーズ13期(俳人協会)

   万巻の書と地下室に凍ててをり     中村雅樹

   炎天や帆をあやつるといふことを

   釣り人に卯の花腐しつづきけり

   墓石を山と寄せありほととぎす

   島の秋地べたに網を干しにけり

   

「ランブル」(主宰 上田日差子)

   今川焼夕日抱へてゐるごとし     上田日差子

   水鳥の間といふもののある並び    一倉みさえ


「銀化」(主宰 中原道夫)

   霜と置くものとさうではないものと    中原道夫

   千羽鶴くしやりと抱へ煤払        大西主計


「唐変木」(代表 菊田一平)

   あぢさゐの毬を重たく多佳子の忌    菊田一平

   八月や日差しの強く影の濃く      大和田アルミ


「松の花」(主宰 松尾隆信)

   うろこきらりと小春日の水の中     松尾隆信

   時雨降る鉄打つ音のやはらかに     鈴木大輔


大阪俳人クラブ会報(朝妻 力)  

   太陽の塔に涙痕小鳥来る       花谷清

   宇宙基地歩すごとコキア紅葉かな   小柴智子


藤埜まさ志句集『若水』(東京四季出版)

   初漁の端の金眼鯛を棉津見へ     藤埜まさ志

   阪神忌大御歌もて灯さるる

   天皇も民も倹しき雑煮食ふ

   色変へぬ松や二十重に支へ棒

   海女海へ投身のごと胸抱きて


「秋草」(主宰 山口昭男)

   山眠る線が緑の方眼紙      山口昭男

   おでん煮え長州藩は嫌ひなり   高橋真美


井上史乃句集『二階堂』(玉藻社)

   初暦めくる心の新しき     井上史乃

   絵双六広げ座敷に山河あり

   北条の館と知るや秋の蝶

   石蕗咲けり踏石色を持ちはじむ

   和やかに報恩講の町暮るる


「枻」(代表 雨宮きぬよ・橋本榮治)

   空箱が紙一枚となりて冬     雨宮きぬよ

   夜長し六人の部屋の六人の灯   橋本榮治


「ハンザキ」(主宰 橋本石火)

   夕埃あびつつ大豆叩きけり     橋本石火

   いろいろの事務所の湯呑花八手   住吉篤子


「天頂」(主宰 波戸岡旭)

   初富士のどこから見ても真正面    波戸岡旭

   世田谷の秋は欅に遊ぶ雲       島村紀子


「獅林」(主宰 梶谷予人)

   かあさんが吹かれてゐるよ花薺     梶谷予人

   滅びゆきしものを抱きて山眠る     あめ・みちを


# by masakokusa | 2024-01-13 19:18 | 受贈書誌他より
青草通信句会・講評・令和6年1月          草深昌子


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 新年おめでとうございます。幕開けの兼題は「歌留多」。

 子供の頃、お正月と言えば「小倉百人一首」の歌がるたが一番の華やぎでした。

 親戚や近隣の大人に混じって、晴着の袂を大きく揺らして、末っ子の負けん気を発揮したものです。

 朗々と歌留多を読み上げる母の声も大好きでした。


  封切れば溢れんとするかるたかな    松藤夏山

歌留多読む恋はをみなのいのちにて   野見山朱鳥

歌かるた女ばかりの夜は更けぬ     正岡子規

  明治27年の正月、日本新聞社員や書生らが毎晩歌かるたを闘わしましたが子規にはかなわなかったそうです。

  子規は機敏で乱暴で、本人も仲間も手を血だらけにしていたとか、文字通り血気盛ん。


  新年の季語は「初」に溢れています。

  初日、初空、初富士、初風、初夢、初湯、書初、買初、初詣、初荷、初市、読初、初漁、詠初、等々。 

 毎日のように見かける雀も、新年はじめて見る雀は「初雀」、

 そう詠いあげただけでいかにもめでたいではありませんか。


 正月はなべて「めでたさ」を詠うべきだと、先師に教えられました。

 困難な世にあって、せめて正月だけはめでたくと願いつつ、今年はいきなり、災害災難の悲しみにうちひしがれました。

 それでも初山河は、目に染みて心に染みて、美しいものです。


   新年の山見てあれど雪ばかり       室生犀星

 元日や手を洗ひをる夕ごころ       芥川龍之介

   たてかけてあたりものなき破魔矢かな   高浜虚子

   初富士のかなしきまでに遠きかな     山口青邨

   繭玉に寝がての腕あげにけり       芝不器男

 初空といふ大いなるものの下       大峯あきら

   母が家は初松籟のあるところ       山本洋子

   正月の雪真清水の中に落つ        廣瀨直人

   初夢のなかをどんなに走つたやら     飯島晴子

   人類に空爆のある雑煮かな        関悦史


# by masakokusa | 2024-01-09 16:43 | 昌子の句会・選評