晨集散策         山内利男

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   噴水のひらひら落つる厄日かな     草深昌子


 いつもは涼やかで華麗な姿を見せる噴水。

 強い風で水の秀が千々に乱されている。

 ふと今日は厄日だったことに気がついた。

 そう思って改めて噴水を見る。

 水の秀が木の葉のようにひらひらと落ちてゆく。

 切字の「かな」が読者を句のはじまりの噴水にまた誘う。


# by masakokusa | 2024-03-11 19:36 | 昌子俳句を鑑賞
青草通信句会・講評・令和6年3月          草深昌子


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令和6年3月の兼題は「春の水」。


 一つ根に離れ浮く葉や春の水     高浜虚子


水面に二つか三つ、離れ離れに葉が浮いていますが、

ふと水の底を見ると一つ根っこから生えているものであったというのです。

作者の発見、つまり驚きがそのまま一句になりました。

春の水は水草のいのちと共に、生き生きと輝いているように思われます。

「一つ根に離れ浮く葉や」と言えば、水を想像できますから、

もう水ではない他の季語にとんでもよさそうですが、虚子はそうはしません。

あくまで対象を掴んで離しません。

季題「春の水」というもののありようを堂々と、いや、ささやかにと言ってもいいでしょう、

当たり前に詠いあげます。さりげない詠いぶりから、

春の水とは、そう自然とは、何て力強いのだろうと感じ入ることが出来るのです。

虚子自身が提唱した「客観写生」を地で行く一句です。


俳句は最短の詩型ですので、何も言えません。

当然、省略が基本になってきます。

俳句初学の頃、外山滋比古著『省略の文学』を愛読しましたが、

こういう理論書を読んでも実作がうまくいくわけではありません。

ただ、俳句には「切れ」がある、切字がある、と言うことの意義はわかったように覚えています。

何より、俳句には「季題」があります。季題というものの中には、省略された様々の情報がつまっています。

つまり、季題には千も二千もの言葉が圧縮されてあるのですから、作者は何も言わなくても、

季題がおのずから物語ってくれるのです。


俳句は何も言えない文学です。言い換えれば、何も言わなくてもいい文学だということになります。

あれが言いたい、これが言いたい、これぞ分かってほしい、と作者は饒舌になる必要はないのです。

ただ黙って、省略の効いた一句を差し出せばいいのです。

俳句は作者だけでは成り立ちません、俳句は作者と読者との合作だということを常々申しあげています。

信頼されるに足る読者にならねばなりません。


人さまの俳句を読んで、季語はどうか、切れはどこにあるのか、よく味わって、「俳句を読む力」をつけたいものです。


  日輪の燃ゆる音ある蕨かな     大峯あきら


# by masakokusa | 2024-03-10 21:31 | 昌子の句会・選評
青草新春句会・令和6年2月8日(木)         

    青草新春句会   
        日 時 令和6年2月8日(木)  
        句 会 アミューあつぎ      午前9時30分~午後1時  
        懇親会 レンブラントホテル厚木  午後1時30分~午後4時
     

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      特選句(順不同)       草深昌子選

      春の日やざつくり括る文庫本     黒田珠水
      焼栄螺くるくるしつぽ緑かな     川井さとみ
      蓮の実の一つ仰向く薄氷       奥山きよ子


     
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                        (特選の方々へ、昌子からささやかなプレゼント。そのタオルの絵柄を珠水さんがスケッチして下さった。)

# by masakokusa | 2024-02-20 21:53 | 昌子の句会・選評
受贈書誌より感銘句・令和6年3月         草深昌子抄出


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「詩あきんど」(主宰 二上貴夫)

   どんぐりの落ちてくる池午後三時     二上貴夫

   人の世や塵もなごやか十二月       佐野典比古


「今」(代表 瀧澤和治)

   俎に鳥のこゑ降る余寒かな     瀧澤和治

   遠き山とほく見てをり春時雨    保坂敏子


「俳句の風」(代表 西池冬扇)   

   一輪車の空席に置く茄子と瓜     中村瑠実

   出来たこと出来なくなりて初時雨   瀬島酒望


「澤」(主宰 小澤 實)

   あきくさや防人はただ歩くのみ    小澤 實

   悔過果てし鹿の奈良なり光降り    高橋睦郎

   

「静かな場所」(代表 対中いずみ)

   ひとつ上の花に飛びのり秋の蝶   対中いずみ

   公園の高き一つ灯秋ついり     森賀まり

   

「雲取」(主宰 鈴木太郎)

   那須岳の雪踏んでくる刀鍛冶     鈴木太郎

   白雲や馬場も水場も冬ざるる     鈴木多江子


「なんぢや」(代表 鈴木不意)

   短日や校舎の二階日の当たり     鈴木不意

   ロッカーに三人分の春コート     榎本享


「ランブル」(主宰 上田日差子)

   皴細か革手袋の齢愛で     上田日差子

   小春かな真珠秤は尺貫法    三神 武


「はるもにあ」(主宰 満田春日)

   遠ざかる冬日に向けて万華鏡     満田春日

   等伯の松の墨絵や底冷す       日下部觜宏


「晨」(代表 中村雅樹)

   冬ざれや流木は藻をうち被り     中村雅樹

   緋の鯉を放てば冬の水となり     山中多美子


「鳳」(主宰 浅井陽子)

   掛鳥のなべて手応へなき重さ     浅井陽子

   落葉掻く次の落葉のために掻く    貞許泰治


常原拓句集『王国の名』(青磁社)

   石蕗咲いて曼荼羅といふ時間かな     常原 拓

   七種を王国の名にして遊ぶ

   濡れてゐる薔薇の蕾が揺れてゐる

   早乙女と夜の話をしてをりぬ

   これからは道細くなる烏瓜


「朴の花」(主宰 長島衣伊子)

   蓑虫の孤独かすかに揺れてをり     長島衣伊子

   立つやうに流るるやうに秋の雲     八木次郎



「松の花」(主宰 松尾隆信)

   地震のあと雨の降り来る亜浪の忌     松尾隆信

   娘見送るひんがしの三つ星と       岸 桃魚


「枻」(雨宮きぬよ・橋本榮治)

   春遅々と望遠鏡を覗きたり     雨宮きぬよ

   梅干しに口をつぼめて今朝の冬   橋本榮治


「帆」(主宰 浅井民子)

   大欅かかぐる古巣あきらかに     浅井民子

   あれに一手これにひとてや年の暮   赤根雅雄


「ハンザキ」(主宰 橋本石火)   

   用済めばすぐ日の暮るる室の花     橋本石火

   虫とんで枇杷のにほひの枇杷の花    新屋真美


「玉梓」(主宰 名村早智子)

   春の道東へ行けば東山       名村早智子

   小春とや小春を越ゆるけふであり  田中和美


「獅林」(主宰 梶谷予人)

   這ひ這ひの幼の追ふや竜の玉     梶谷予人

   霜夜明け葉裏に虫の元気なる     菊池武美


「秋草」(主宰 山口昭男)

   寒雀藁たつぷりと弓の的       山口昭男

   若冲の鶏を見てゐる櫻かな      鬼頭孝幸


# by masakokusa | 2024-02-19 11:45 | 受贈書誌他より
草深昌子を中心とする句会・選後に・令和6年1月          草深昌子選


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大店の主の若き淑気かな     山森小径

子供の頃のお正月には「淑気」が漂っていた。

もちろん淑気なんて言葉は知らなかったが、季題としての「淑気」、つまり天地の間に満ち満ちているめでたい気配ということを知って、

いっそうなつかしく思い出すのである。子供ごころにも、春着をまとって、泣くのも怒るのも我慢という中に厳かな気分も感じていたのだろう。

 時代の流れで、近年はほとんど淑気を覚えないが、掲句に出会って、あらためて新しい淑気をいただいた。

 何と言っても「大店」、オオダナがいい、もうそれだけで目出度い。さらに「若き」、これが今どきでは当り前ではない。

淑気の本当が引き出された。


 決勝の芝の緑の淑気かな      小径

 決勝はラグビーであろうか。

 何であっても決勝は決勝、泣いても笑っても決勝というヤツである。

 その晴れ舞台の芝の緑を淑気と言い切った。決断の一句には気合いがこもっている。

 気合いあらずして決勝はなし、気合いあらずして秀句はなしといえよう。

 鑑賞しているうちに、昔の淑気がやや色あせてきたようである。



泣初や代る代るに抱つこされ     石野すみれ

 「お正月に泣いたらアカン、怒ったらアカン」とよく祖母に戒められた。

 そんなこと、泣くのが仕事といわれる赤ん坊には通じない。

 ことに年始客などの多いお正月のこととて、赤子にとっては最大の人見知りに襲われることだろう。

 それでも、愛らしい赤ちゃんを抱っこせずにはおられない大人の喜びが伝わってくる「泣初」である。

 中七に目出度さの笑顔が行き渡っている。



日の当たる上りホームや初鴉     松井あき子

 元日早朝からいそいそと初詣の折の一句であろうか。

 一年中、毎日のように見かける鴉ながらに、お正月ばかりは、あらためて、いっそうめでたい鳥として確認するのである。

身近な鴉であればこその、日当たりのいい上りホームが決まっている。

当り前のようなところに、当たり前のようにいることの目出度さを思う。

下りにあらずして上りであるところに鴉に委ねた作者の心意気が見えるようである。



薄氷を分けて水飲む雀かな     吉川 倫

 春先、うすうすと氷るのが「薄氷」である。

 さも薄い氷であろう、嘴でつついて氷を破るのか、それとも左右にちょっと揺らして隙間をあけるのだろうか、さぞかし清らかな水に喉を潤すのだろう。

 雀の愛らしい仕草を見届けたことによって、薄氷が透き通っている。

 正岡子規の句に、〈いそがしや昼飯頃の親雀〉がある。

 雀の卵は親鳥に抱かれて約12日間でかえるという。春の時節には親の雀、子の雀もいて、それぞれに忙しいようである。



楪や朝日の当たる神社裏     石堂光子

 「楪」というと、若いころ河井酔茗の「ゆづり葉」という詩に感銘したことを忘れない。こんな一節がある。

 ――こんなに厚い葉 こんなに大きい葉でも 新しい葉が出来ると無造作に落ちる

   新しい葉にいのちをゆずって 子供たちよ お前たちは何をほしがらないでも すべてのものがお前たちにゆずられるのです 

   太陽のめぐるかぎりゆずられるものは絶えません――


子孫繁栄の縁起を思うと、なかなか「楪」が詠えないでいるのだが、

掲句は実在を捉えて何も語らぬところにむしろに読者にはめでたさをいただくものである。

大峯あきらの〈楪に日和の山を重ねけり〉も、何度読んでも「楪」の味わいが深い。


 夕焼の消えて霙となりにけり       光子

 日が沈みかけて、さっきまであかあかと空が染まっていたのに、霙になったという。

霙は雨と雪が同時に入り混じって降るものだが、雪が空のどこかで溶けて、

半ば雨のようなものになったというという自然現象の道筋が見えるように実感されてくる。

ふと淋しさを覚えるのは私だけだろうか。

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新春やライブ出口に募金箱     永瀬なつき

 なつきさんは誰かの熱狂的なフアンで、ライブにもよく出掛けられると俳句から感じとっていたが、

 やっぱり新春早々からであった。

 それにしても、この「新春」というざっくりとした季語のよろしさはどうだろう。なつきさんの感性が光っている。

興奮さめやらぬ、出口のそこには募金箱が。

何のための募金箱であるかは問題ではないが、時期的にみて能登半島地震のものであろうか。

 よろこびも悲しみも同時に存在するのがこの世である。

 小さな何気ない箱は、生きる人々の心のそれのようにひそかにポツンと、在るのである。



   丹沢の山見えてゐる初荷かな     奥山きよ子

   楪やタイムカプセル掘り出しぬ    神﨑ひで子

   淡雪やゑんどうの芽の薄緑      湯川桂香

   探梅や焙じ茶とうに飲み干しぬ     小宮からす

   万両やシニアマンション楕円形       からす

   蒲鉾の固くなりたる二十日かな     間 草蛙

   北風や押し戻さるる鴨の群         草蛙

   信号を待つ間にうすれ寒夕焼     中原初雪

   均されて板チョコのごと冬の畑     村岡穂高

   楪や三代続く一人つ子         森田ちとせ

   初鴉蓮田の水を発ちにけり       二村結季

   月と日と一つ空なり年始め       川井さとみ

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   いつからか人住まぬ家冬薔薇     田中朝子

   雪霏々と崩れし道を覆ひたる     佐藤昌緒

   天空に杭打つ音の冴えにけり     石井久美

   初買や賢治の童話珠玉選       関野瑛子

   湯たんぽに少し離れて眠りけり    佐藤健成

   一月や松は静かに門被り       市川わこ


# by masakokusa | 2024-02-15 20:47 | 昌子の句会・選評