近ごろ気になる一句・「なんぢや」2017夏37号
   草深昌子句集『金剛』より

f0118324_11202833.jpg



    峰雲や蠅の頭の臙脂色      草深昌子


 入道雲の白、夏空の青。
 「峰雲」という背景は書割のようだ。
 舞台に蠅がいて、暑い日ざしを受けている。その蠅の臙脂色の大きな眼に注目した。
 頭という表現は一瞬の印象を大事にしたのだろう。
 季重なりにこだわっていたらこうした句は生まれない。
 この時期、嫌われそうな蠅、虻、蜂、蚊など、夏は人と共に息づく虫でいっぱいだ。

(鈴木不意)

(平成29年6月1日 季刊 なんぢや「夏」37号 発行人榎本享 所収)
# by masakokusa | 2017-06-30 23:52 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
草深昌子句集『金剛』・書評抄録(その1)
f0118324_1402395.jpg


『自鳴鐘』 平成29年4月 第823号 (寺井谷子主宰)

  書架逍遥(35)     青木栄子

  草深昌子句集『金剛』(ふらんす堂 2016年11月刊)

  1943年生まれ。「晨」同人。「青草」主宰。第三句集。

   金剛をいまし日は落つ花衣

 「金剛」とは奈良県と大阪府に接する金剛山地の主峰。奈良県吉野からの景であろうか。
 吉野の桜を思わせる花衣と遠景の日没の金剛山を、格調高く捉えた見事な写生句。
 作者は伝統俳句の叙情と繊細な詩情を踏まえた「雲母」「鹿火屋」を経て、
 俳句を日本文化の広い 視野からとらえ、あらゆる分野からの吸収と向上をめざすところの同人誌「晨」に参加。
 吟行句に日常句にと選び抜いた言葉、地名、季語から醸し出される情感の深い端正な一集である。

   初時雨駆けて鞍馬の子どもかな
   湯気のものもとよりうまし冬紅葉
   石蕗の花さかまく波をよそに咲く
   数へ日や路地に会うたり別れたり
   どこにでも日輪一つあたたかし
   土筆摘むリボン真つ赤や吉野の子



f0118324_1219369.jpg



☆ 『紫』 2017April No.875(山崎十生主宰)

  句集紹介
  『金剛』 草深昌子 ふらんす堂

   声はおろか顔も知らざる墓洗ふ
   龍天に登る鴉は鳴かぬなり
   サングラスかけて命のことを言ふ
   おもひきり遺影の笑ふビールかな
   花びらに蕊の勝ちたる梅の花
   たましひのいま真つ白にある障子
   赤子はやべつぴんさんや山桜
   水澄みて甲斐は夕日の沁みる国

  ◇1943年大阪市生まれ。1987年飯田龍太主宰「雲母」入会。
  1985年原裕主宰「鹿火屋」入会。1988年鹿火屋新人賞受賞。
  1989年近松顕彰全国俳句大会文部大臣賞受賞。
  1993年第一句集「青葡萄」刊行。「平成俳句大全集」共著。1995年鹿火屋奨励賞受賞。
  1998年深吉野賞佳作受賞。
  2000年大峯あきら代表「晨」同人参加。岩淵喜代子代表「ににん」同人参加。
  2003年第二句集「邂逅」刊行。
  現在「晨」同人・俳人協会会員
  「青草」主宰・カルチャーセンター講師

  ◇「金剛」は奈良県と大阪府の境に立つ主峰です。
  生まれ育った所で、なつかしさが重なり、句集名とされたようです。
  「晨」の皆さまとの楽しい思い出、元気に活躍されている現在、
  遺影のご主人も、エールを送っていると思います。

                       (木村 成美)



『星雲』 2017年4月1日発行 第38号(鳥井保和主宰)

『金剛』草深昌子 第三句集
  大岩に注連渡したる石蓴かな
  赤子はやべつぴんさんや山桜
  涼しさの丸太ん棒に座りけり
  坂本は午下をかがやく帰燕かな
  大いなる亭午の鐘や花の山

                (園部知宏抽出)


☆ 『円座』 2017年4月号 第37号(武藤紀子主宰)
受贈句集より(23)

   子規の顔生きて一つや望の月    草深昌子『金剛』
                 (白石喜久子記)



f0118324_11473713.jpg


☆ 『雲取』 2017年4月号№・235号(鈴木太郎主宰)
 百花風声・鈴木太郎

   子規思ふたびに草餅さくら餅     草深昌子

      子規の健啖ぶりは短い生涯を生きる衝動でもあった。
      子規のエネルギッシュを思い、草餅桜餅を身におさめる。

                             句集『金剛』


☆ 『俳句饗宴』 2017・3(第746号)(鈴木八洲彦主宰)
 俳誌燦燦
 句集『金剛』(ふらんす堂)

   雲は日の裏へまはりてあたたかし     草深昌子
                  (抄出・鈴木八洲彦)



☆ 『八千草』 平成29年如月(山元志津香主宰)
 受贈俳書紹介  (横川博行)

『金剛』 草深昌子 句集

「晨」同人・「青草」主宰の第三句集
金地に桜吹雪をあしらった装丁の美しい句集。
金剛は吉野のある奈良県と作者の故郷の大阪府の境にある金剛山とのこと。
骨格のしっかりした格調の高い句が収録されている。

   さへづりやたうとう落ちし蔵の壁
   綿虫に障子外してありしかな
   金剛をいまし日は落つ花衣
   夏座敷白無垢掛けてありにけり
   白南風や土蔵一つが生家跡



☆ 『都市』 2月号(中西夕紀主宰)
受贈句集より一句 中西夕紀抄出

   金剛をいまし日は落つ花衣   草深昌子「金剛」

f0118324_10381210.jpg


☆ 『燦』 12月号(山内利男主宰)
   赤子はやべつぴんさんや山桜


☆ 『雲の峰』 1月号(朝妻力主宰)
草深昌子著 句集 「金剛」
 著者は1943年大阪市生まれ。77年飯田龍太主宰「雲母」に入会。85年原裕主宰「鹿火屋」入会。2000年大峯あきら代表「晨」及び岩淵喜代子代表「ににん」に同人参加。
現在「晨」同人、俳人協会会員。「青草」主宰、カルチャーセンター講師。
「鹿火屋」新人賞、奨励賞など受賞多数。既刊の句集二篇がある。
あとがきに「『金剛』は私の第三句集になります・・第三句集をと心準備をはじめた矢先に、夫を亡くしました」とあり、その時の心情を〈人は死に竹は皮脱ぐまひるかな 大峯あきら〉に託して述べている。
また、集名について、「吉野桜吟行はかけがえのない濃密な句会でありました。美しい山桜の宿で・・「晨」の十名ほどの皆様と共に、ただ黙って金剛山に沈んでゆく夕日を眺めたことは、生涯忘れることはないでしょう」と記す。
 俳句に献身し俳句を享受する筆者の一つの到達点である。
以下、所収句より
   赤子はやべっぴんさんや山桜
   さへづりやたうたう落ちし蔵の壁
   踏青の二度まで柵を跨ぎたる
(西田洋)


☆ 『空』 1月号(柴田佐知子主宰)
現代の俳句(柴田佐知子 抽出)
   奥つ城のほかは春田でありにけり 句集『金剛』


☆ 『沖』 2月号(能村研三主宰)
沖の沖(能村研三 抽出)
   またたきをもつてこたふる梅の花 句集『金剛』


f0118324_10385024.jpg



☆ 『春嶺』 2月号(小倉英男主宰)
句集拝見
 『句集 金剛』草深昌子
 平成16年から平成28年までの340余句を収録。第三句集。
 句集名は大峯あきら氏の住む吉野と自身の住むふるさと大阪の境に立つ主峰金剛山を懐かしむことに拠る。
   うぐひすは上千本にひびくかな
   御正忌やをりをり通る吉野線
   大晴の報恩講に出くはしぬ
   赤子はやべっぴんさんや山桜
吉野の山なみと桜が自ずと迫る。骨格が大きく、焦点が明瞭であり、かつ平易な表現に力がある。
   涼しさの丸太ん棒に座りけり
   神の留守蘇鉄は高くなりにけり
   石蕗の花さかまく波をよそに咲く
   大綿の飛んでそこなる専立寺(吉野の寺)
思い切った気風の良い句。
   赤を着て黒を履きたる初山河
   寒晴やことに港区線路ぎは
   あめんぼう大きく四角張ってをり
抒情的な表現による自然詠
   水澄みて甲斐は夕日の沁みる国

草深昌子(くさふか・まさこ)大阪生れ。
昭和52年雲母入会、同60年「鹿火屋」入会、平成12年大峯あきら「晨」同人参加、
「青草」主宰、俳人協会会員。
(山中 綾)


☆ 『きたごち』 2月号(柏原眠雨主宰)
 草深昌子句集『金剛』
   無花果の見ゆる蕎麦屋の二階かな


f0118324_10394686.jpg



☆ 『氷室』 二月号(金久美智子主宰)
新著紹介『金剛』草深昌子
   風の鳴るやうに虫鳴くところかな
   沈むべくありたるものも浮いて来い


☆ 『雪天』 二月号(新谷ひろし主宰)
一書一誌観賞
   石蕗の花さかまく波をよそに咲く 草深昌子『金剛』  


☆ 『門』 二月号(鈴木節子主宰)
 風韻抄 鳥居真理子 抽出
   ぬかるんであれば梅散りかかりけり 草深昌子句集『金剛』


☆ 『阿夫利嶺』 2月号(山本つぼみ主宰)
受贈句集紹介
『金剛』草深昌子第三句集
   いつまでも沖を見てをり頬被
   梅を干し土器を干し貝を干し
   真間の井の蓋に木の実の数へられ
   伊勢道のここからけはし干大根

☆ 『大楠』 1月号(川崎慶子)
受贈句集 
 草深昌子句集『金剛』ふらんす堂
# by masakokusa | 2017-06-30 18:58 | 第3句集『金剛』NEW! | Comments(0)
『青草』・『カルチャー』選後に・平成29年5月    草深昌子選
f0118324_19511536.jpg


   命日やカーネーションを妻の供花     中原マー坊

 カーネーションと言えば先ず母の日が思い出される。そんな、美しくもなつかしいカーネーション を妻の仏前に供えたのである。
 「命日や」と切ったことによって、カーネーションの色彩をいっそう鮮明に浮き出している。
 最愛の妻はまた最愛の母でもあった、家族の日々が感謝とともに偲ばれるのである。
 俳句は誰のためでもない、自分のために作るのである。
 本当の心の言葉は、きっと誰かの胸に届くことを信じたい。



   疲弊して帰る玄関雪の下     菊地後輪

 いきなり「疲弊」などという難しい言葉を使って、どういうことだろうと内心で思いつつ読み下して、「雪の下」とくると、思わず納得させられた。
 疲弊というほかない、弱り切った疲れが、すっと癒されるような清らかさを覚えたのである。
 文字通り真っ白な「雪の下」が、足元のそこに見えてくる。
 ユキノシタは通常「鴨足草」と書くが、「雪の下」の字をあてたところもいい。
 同じ作者に、

   表紙見て焦る店員初夏の風     後輪

 これも一体店員に何があって焦ったのか、想像をめぐらしてみてもよくわからない。
 だが、わからないままに「初夏の風」が何故かしら一抹の出来事に、安堵感をもたらしてくれるような気分がする。
 「初夏の風」は大雑把ではあるが、いい風だなと思う。

 後輪さんの句作りには、損得勘定がない、およそ上手な俳句を作ろうとしない。
 今はそれでいい、その姿勢こそが上達につながっていくのだから。

f0118324_1957741.jpg


 
   かはほりや宵の満月切る如く     栗田白雲

 白雲さんもまた、独特の情緒を持っておられる。
「蝙蝠」と言わずして「かはほり」としたあたり、感受性のよさではあるが、何より、写生の眼から生み出された情景がすばらしい。
 古色蒼然たる屏風絵を見るような、きらめきと薄暗さが混然一体となっている。



   連休の明けて河原の夏鴉     佐藤健成

 ゴールデンウイーク明けを素材とする俳句は私自身も作ったことがあり、よく見かけもするが、この連休明けはまた何とそっけないものだろう。
 その、そっけなさこそが「夏鴉」そのものとして、臨場感に富んでいる。
 ひとかたまりの暗さのほかは、初夏の陽光に溢れているようである。
 夾雑物のない俳句は、印象が広やかにも鮮明である。
 夏鴉には作者の気持ちがこもっている、私の好きな俳句はこのような俳句である。



   辣韮掘るにほひ裏から表まで     湯川桂香
 
 家庭菜園であろうか、辣韭を実際に掘っている作者の姿がありのまま詠われている。
 それにしても「裏から表まで」と言う表現のうまさはどうだろう。
 思わず、ツンツンと臭ってくるようではないか。
 あの白い鱗茎はよく肥って、土にまみれながら次々と掘りだされるのである。
 さて、その後は、甘酢に漬けようか、それとも塩漬けにしようか、収穫の楽しさに溢れている。

f0118324_19575268.jpg



   楠若葉蔦の緑を垂らしをり     間草蛙

 町田の薬師池公園へ吟行した折の句である。
 日頃から写生をこころがけている作者でなければ、こういう地道なところに眼を凝らすことは出来ないであろう。
 楠若葉のみどりと、その上に垂れ下った一条の蔦のみどりが、濃淡というかある種の陰翳を醸し出して美しい。
 名所旧跡に目を奪われることなく、この時節の自然のありようを的確につかんでいる。



   千鳥草溢るる庭の薄暑かな    潮雪乃

 千鳥草という草がどんな花を付けるのか、くわしく知らなくても、その名称から、千鳥の飛翔が想像されるだろう。
 あるいは小さな鳥がたくさん飛んでいるという印象でもいい。
 そんな花が庭中に咲き溢れていることによって、はっと気づかされた日々の薄暑である。
 見かけは涼やかな花であっても、生来の強さがあってよく増えるのかもしれない。
 初夏は一番過ごしやすい気候ではあるが、ふと汗ばむほどの暑さが俄かにやってくると、心身の状態がついていかない、そんな心象も伺われる。
 ちなみに、千鳥草は、飛燕草ともいう紫の花である。

f0118324_19533116.jpg



   癌告知受くやあまねく青嵐     松尾まつを

 癌と言う病名を告げられたとき、その周辺のすべては「青嵐」という自然に支配されてどうにもならなかった。
 青葉を吹き渡る風は作者の心に深い翳りをもたらしながら、一方でその風の壮快なる力強さに救われてもいる。
 淡々と詠っているように見えながら、病気には負けない強靭なる精神が自ずと「青嵐」という季題を見事にキャッチされているのである。



   万緑の風に向ひて子と語る     関野瑛子

 中村草田男の〈万緑の中や吾子の歯生え初むる〉が、一躍有名になり、以後「万緑」が季題として定着したものである。
 それだけに、「万緑」は安易に使えない難しさがあるが、まだ初心の瑛子さんが、やすやすと万緑ならではの一句をものにされた。
 作者と子の会話、多分ご子息であろうか、その対話が難しい問題であったのか、さりげないものであったのか、多弁を要したのか、短かかったのか、わからない。
 そのどちらであってもいい、血のつながりのある親子の対話である。
 万緑の風がすべてを受け入れてくれたのであろう、爽快なるものであったに違いない。



   どの順路行きても躑躅つつじかな     藤田トミ

 厚木市には「つつじの丘公園」があって、この時期には、さまざまの躑躅の花で埋め尽くされる。 トミさんもその公園をそぞろ一巡されたのであろう。
 厚木ならずとも、躑躅の花というものは、あちらこちらでよく整備された公園に多彩にもびっしりと咲いている花である。
 そんな躑躅の花の特色を、「順路」という言葉でもって、強く印象付けられた。
 漢字の「躑躅」、平仮名書きの「つつじ」を使い分けたことも、順路に従って次々現れる躑躅のそれぞれに違う色彩やボリュームを感じさせて上手い。

f0118324_1954445.jpg



   草の実に触れば爆ぜて薄暑かな    中園子
   青蛙応へるごとく浮き上がり       伊藤波
   岐れ道夏蝶左われ右に          狗飼乾恵
   線香の火はあきらめて青嵐        奥山きよ子
   引く波に捲られもして蟹走る        坂田金太郎
   雛罌粟や隣家は人の影もなし      田野草子
   豆飯や父は頭を刈り上げて        柴田博祥
   水漬かる蓮の巻葉の細きこと      佐藤昌緒
   放牧の遠郭公や阿蘇の山        古舘千世
   筍の刺身旨しや茶碗酒          鈴木一父
   生垣やジャスミンの白溢れ出づ     黒田珠水





  
 
# by masakokusa | 2017-06-29 19:36 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
昌子365日(自平成29年5月1日~至5月31日)
    
     5月31日(水)       蓮池に会うて伊予から来たる人

f0118324_19543521.jpg
  

     5月30日(火)       我に来て我に構はぬ夏鴉

     5月29日(月)       白日傘たたむと金槌のかたち

     5月28日(日)       てのひらにのせて豆食ふビール飲む

     5月27日(土)       ふと太宰治をおもふ青葉冷
 
     5月26日(金)       鳥どちの笛のするどきビールかな
    
f0118324_20485679.jpg


     5月25日(木)       南風に雀の啣へなほしたる

     5月24日(水)       泉殿石の大きく横たはり

     5月23日(火)       初夏の影を落として大樹かな

     5月22日(月)       サイダーの泡に半券濡らしたる

     5月21日(日)       ほんたうの私は桐の花らしく
     
f0118324_1832665.jpg


     5月20日(土)       夫の忌の風の薫りて限りなき

     5月19日(金)       赤ん坊の茅花流しを泣きにけり

     5月18日(木)       神田川その源の浮巣かな

     5月17日(水)       岩に見て苔のやうなる虫の夏

     5月16日(火)       かの人とかの時ここに滝落つる

f0118324_23391941.jpg
 

     5月15日(月)       蛇を見てその血らしきを見て過ぐる

     5月14日(日)       音聞いて鐘としもなくさみだるる

     5月13日(土)       桐の花あまりしづかに落ちにけり

     5月12日(金)       画眉鳥のこゑのかぎりに青嵐 

     5月11日(木)       さつき降り今降り夏の雨細か

f0118324_20292341.jpg
     
 
     5月10日(水)      松の木のかたぶきそろふながしかな

     5月9日(火)       短くて太き毛虫を嫌ひけり
    
     5月8日(月)       羊蹄の丈を高くし青嵐

     5月7日(日)       夏鴨の鳴いて日中を飛びにけり
      
     5月6日(土)       くちぐちに山羊を呼びたる立夏かな

f0118324_22482944.jpg


     5月5日(金)       夏に入る厩を遠く見てゐたり

     5月4日(木)       パレードの果たる南吹きにけり

     5月3日(水)       富士を見ぬ富士見通りの新樹かな

     5月2日(火)       いろいろの風吹くことに余花の風

     5月1日(月)       見るところどこも大樹や更衣 


    

     
    


     
# by masakokusa | 2017-05-31 21:56 | 昌子365日 new! | Comments(0)
『俳壇年鑑』 2017年版  (2016.1~2016.12)
   
    2016年の句集から
               70代作家の句集

f0118324_10414742.jpg


       草深昌子『金剛』(ふらんす堂)
                       

      「青草」主宰の第三句集。
      「雲母」「鹿火屋」を経て現在「晨」同人。
      骨格の凛とした句が並ぶ。
      平明に見えるが、さりげない切れから覗かせる世界は深い。
      遠景の叙景も美しい。

        三つ四つ棗齧つてから笑ふ
        真つ青なところ双六の上がり
        遠く行く人のうしろの茂りかな

                              評・秋尾 敏



 (「俳壇年鑑2017年版 2017年5月1日発行 所収)
# by masakokusa | 2017-05-31 10:18 | 第3句集『金剛』NEW! | Comments(0)
課題詠 兼題=更衣           中杉隆世選

f0118324_21594790.jpg


   特選  
   その人に会はんと衣更へにけり      草深昌子


 特別な思いを抱く人への心情の濃さが伺える。
 「衣更へにけり」というさらりとした表現が余情を強くしている。



(「晨」平成29年5月号第199号所収)
# by masakokusa | 2017-05-30 21:37 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
晨集散策          大槻一郎
f0118324_21532066.jpg


   よき人と知れたる日向ぼこりかな     草深昌子


 冬の昼、風のない時に日向でくつろいで居ると着衣はふくれ、身も心ものどかに暖まる。
 面識のないお互いが、最初はいぶかしみながらも話を交すうちに心を許し打ち解けてゆく。
 昔から日向ぼこりには、人間の善し悪しを判断するのに効果があるのであろう。
 この句、日向ぼこりの効用に焦点を当てた面白さがある。
 晨作品ではあまり見られない作品である。



(「晨」平成29年5月号第199号所収)
# by masakokusa | 2017-05-30 21:34 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
『カルチャー』『青草』選後に・平成29年4月          草深昌子選
f0118324_20394715.jpg



   雄を追ふ春の雀の尾のかたち     長田早苗

 「雌」という言葉は使われていないが、これは雄に求愛している雌雀の心情にあふれた一句である。
 雀の交尾は人家の周辺でも見かけられるというから、目撃した作者は驚きに息をひそめているのだろう。
 でも、その雌の姿がどんなものであると言わずして、「尾のかたち」とプツンと切って終わったところが心憎い。
 雀の実態をよく知らない私であっても、その尾の形は、さぞかし生き生きと張りつめたもののように思われる。いや、もっと堂々たるものかもしれない。
 天地躍動の春の中にあって、小さな雀の命もまた必死に生きんとしているのである。



   鶯の一声ありし今日の宿      上田知代子

 鶯が美しい声で鳴いてくれた。
 ただひと声ではあるけれど、一声であればこそ一層、しみじみと嬉しく胸に響いてくるのである。
 鶯の初音であったかもしれない。
 旅にあって、今日という日の充実した喜びが、風景の静けさの中に伝わってくる。
「今日の宿」には、自然と交歓することのできる作者ならではのやさしさが滲み出ている。

f0118324_204017100.jpg



   日光の陽明門や春惜しむ      菊竹典祥

 日光東照宮の国宝「陽明門」はこの度大改修が終了した。
 作者は、その極彩色の彫刻、金箔に溢れた眩しさをまのあたりにされているのであろう。
 拝観するほどに、歴史のこと、今の世の事、自身の境涯のことなど、様々の感慨が次から次へと湧きおこったことであろう。桜の花も散りかかっているだろうか。
 いつまで見ていても見飽きないその美しさを前に、作者はただ一言「春惜しむ」と述べられた。
「日光の陽明門」と「春惜しむ」との切り結びは他に言い換えのきかないものとして、余情をたっぷり曳いている。
 同じ、作者の、

   指先に紙縒るごとく種を蒔く    典祥

 も、一見飄々としているが、実体験に基づくもので、作者の全体重がかぶさっている。



   はぐれ蝌蚪芥の中にもぐりけり     坂田金太郎

 お玉杓子は一団が真っ黒になるほどに群れて泳いでいるが、なかには少数が群れをはみ出してあらぬ方向へ行くのもある。
 そんなお玉杓子を「はぐれ蝌蚪」と打ち出したところが先づ面白いが、水面に浮かんだ塵芥の下へ潜っていったところまで見届けたことがすばらしい。
 はぐれ蝌蚪も、きっと又どこかで、一団と合流するのであろう。
〈川底に蝌蚪の大国ありにけり  村上鬼城〉、かの名句が思い出される。
 蝌蚪には蝌蚪の楽園があることを鬼城ならぬ金太郎の句からも、生き生きと想像させられるものである。

f0118324_20405522.jpg



   朧月米研ぐ水の温みたり     間草蛙

「米研ぐ水の温みたり」と言われてみると、まこと「朧月」がもうろうとして柔らかに懸っているのが、臨場感たっぷりに感じられてくる。
 米を研ぐ水が、ふと温んで感じられたという。そんな「水」からは、そのまま月を包み込むような水蒸気のイメージを想像させられるからであろうか。
 作者のこの世の実感が、遠く「朧月」に通っているとは凄いことである。



   嘴を蕊の黄色に春の鳥       山森小径

 作者は、ヒヨドリであろうか、ムクドリであろうか、何か特定の鳥を見定めてつくづくと嘴の黄色の美しいことに感応されているのであろう。
 しかし一句にするときに何鳥かはっきり言わずして、「春の鳥」としたことによって、事実の説明に終わらずに、あたりの景色が大らかに押し広げられた。
「蘂の黄色」からは、花鳥もろともにカラフルな春が感じられるものである。

f0118324_20412888.jpg



   春の夜や街路時計は遅れがち     末澤みわ

 街路用に設置された時計が街路時計であるが、「街路時計」という言葉が俳句に用いられることが新しくて、作者の感性の素晴らしさが思われた。
 昼間ならぬ「春の夜」のしっぽり濡れたような街路に、灯が点り、たかだかと掲げられている時計の時刻は、どうやら遅れがちのようだというのである。
 春の夜は、当然暮れるのも遅いのであるが、時計までもが遅れがちであることによって朧の情趣がたっぷり引き伸ばされたかのような、ゆたかな気分をしのばせる。



   夕桜吹雪きて今日を惜しみけり     石原虹子

 美しい映画のラストシーンを見るようである。
 桜の花びらがまるで雪のように散りかかる夕ぐれとは、これほどまでに人にものを想わせるものであろうか。
 一句から、読者もまた、かえがえのない今日という一日を惜しむのである。



   いつのまに山ふくれたり春の雨     大本華女

 この山はいつも見ている「大山」であろう。
 しとしとと降る春の雨は、降り始めると結構長く続くものであるから、その無聊に何となく過ごしていると、ある時、ふと見上げた大山が、異様に膨らんでいたのである。
 誇張のようであるが、事実、春先の雨は草木の芽を存分に引き延ばすであろうことを思うと、十分に納得させられる力をもっている。
 やはり、「いつのまに」がいい。一句のあたたかみを柔らかに醸し出している。

f0118324_20415983.jpg



   うららかや鯖街道を猫の行く     中原マー坊
   囀や大樹の暗き真ん中に       藤田トミ
   春風や鍬をかついで杖ついて     田淵ゆり
   春の夜の黒髪雨に濡れにけり     石堂光子
   春の鷹雲取山を滑り来る       森田ちとせ
   三椏や横に広がる花の数       宮本ちづる
   石鹸玉麒麟の頭上流れゆく      伊藤波
   朧月雲の流れてなほおぼろ      熊倉和茶
   夕されば家並も森も朧なり      神崎ひで子
   一人立つ橋の袂の花吹雪       福山玉蓮
   昼に見て夜にまた見る桜かな     小川文水

# by masakokusa | 2017-05-30 19:30 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
『火星』(山尾玉藻主宰)・俳壇月評      大山文子
 
f0118324_20382865.jpg



   冬や実の草にまつくろ木にまつか     草深昌子
                               (『俳壇』3月号「毛衣」より)


 上五の「冬や実の」の出だしにまず惹かれた。
 見たままを詠むのが写生ではない、それを通して後ろにあるものを見よ。
 と、よく言われるが、見た儘を詠んでその真実をまっすぐついた作者の洞察力に驚いた。
 足元には黒々とした竜の玉、その上には千両や万両の実、頭上には南天の実が冬の無聊を慰めてくれる。
 つくづく見ていて見ていないことを気付かされた。


『火星』第928号所収
☆山尾玉藻主宰 句集『人の香』により第56回俳人協会賞を受賞

 
# by masakokusa | 2017-04-30 20:20 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
『阿夫利嶺』・他誌燦燦        
 他誌燦燦   山本つぼみ主宰抄出

f0118324_203006.jpg




   枯れにけりもののかたちをそこなはず    草深昌子(青草)




『阿夫利嶺』平成29年5月号所収
# by masakokusa | 2017-04-30 18:15 | 昌子作品の論評 | Comments(0)