大峯あきらのコスモロジー④――「青草」2020年秋季・第8号     草深昌子


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花咲けば命一つといふことを     大峯あきら 『月讀』         

――人生は一度きりだから愛惜しようという意味ではない。

どんなに多くの個体の命があっても、命は個体の枠をあふれ出て唯一つ。

その大きな宇宙的生命が、私を私にすると同時に、花を花にしている――

大峯あきらはその著『花月のコスモロジー』にこのように解説している。

つまり、人間だけでなく、世界の全てのものは季節の内にある、

季節とは我々自身をも貫いている推移と循環のリズムのこと、これを肯定して生きていこうという宇宙論そのものの句である。


俳句の宇宙性というものを宗教、哲学という大きな仕事と共に追及し続け、

第九句集『短夜』で蛇笏賞を受賞された。筆者はそれを敬服し喜んで、

大峯あきら俳句の管見に過ぎない拙稿のタイトルを「大峯あきらのコスモロジー」とさせていただいた次第である。

『月讀』は昭和五十六年から昭和六十年、著者五十代半ばの作品を収めた第三句集。

この昭和五十年代というと私は飯田龍太の「雲母」に所属していた。

世はまさに飯田龍太の時代であり、よき俳句ブームに乗って優雅に学んでいたように記憶している。 

そんな俳壇の状況に大峯は孤独を感じながら、我が道を行く覚悟を決めた時期であろうか。

昭和五十九年、長年所属した波多野爽波の「青」を辞し、宇佐美魚目、岡井省二と共に「晨」を創刊、代表同人となった。


つちふるや大和の寺の太柱     大峯あきら 『月讀』


中国大陸の黄河流域の砂や土が春風に乗って舞い上がり、海を越えて日本列島に降りしきる、

これが「つちふる」である。

大和の寺と言えば唐招提寺であろう。

かの鑑真和上が万里の海波を乗り越えて苦難の果に建立されたもの。

黄砂降る中から鑑真和上の輝かしい命が立ち上ってくるようである。


村々につちふつてゐる大和かな     大峯あきら 『宇宙塵』

つちふつて鳶と鴉と闘へり         〃


吉野山吟行の折の句は、現象を如実に捉えたものとして感心していたが、

今は、表面的な見方だけでなく魂を込めて季題の本質に入り込んでいたのだと気付かされている。

あとがきには、俳句という詩型の存在理由は「ひとが生の根源とのつながりを取り戻すこと以外の何であろうか」と記している。


虫干や子規に聞きたき事ひとつ     大峯あきら 『月讀』    

           

大峯の蔵書は家が傾くほどにあるが、これはそんな書籍の虫干である。

子規は重篤の『病牀六尺』において「誰かこの苦を救ふてくれる者はあるまいか」と訴えた。

本郷の某氏から「人力の及ばざるところを悟りて現状に安んぜよ現状の進行に任ぜよ痛みをして痛ましめよ。

号泣せよ煩悶せよ困頓せよ而して死に至らむのみ」という主旨の手紙が来て、子規は余の考えもこれに尽きると感銘した。

大峯は、この某氏というのは仏教改革者の清沢満之であろうと推測している。

そこで子規に確かめてみると子規はイエスと答えたと言わんばかりの一句。

人間の役割は苦しんで死ぬだけでいい、あとは人間を超えた大きな不思議な力に任せたらいいという

真宗の真理を即座に理解した子規の生き方に感応しているのであろう。

曝書の中で、大峯あきらと子規の心が結ばれていて、ほのぼのとするものである。

 

フィヒテ全集鉄片のごと曝しけり     大峯あきら 『紺碧の鐘』


著者四十代『フィヒテ研究』に苦心惨憺の頃であろうか、鉄片はまるで突き刺さるようである。

若き日々は哲学的な思想と俳句の詩的直感とは相反して苦闘されたという。

だが次の句などは、直感がごく自然に思想に融け込んでいるのではないだろうか。


難所とはいつも白浪夏衣     大峯あきら 『月讀』 

           

志摩半島での作。はじめ下五が「夏花摘」であった。

だが、昔から大勢の舟人たちが難儀した、生活の匂いや歴史のようなものを

具体化する季語はないだろうかと考えているとふと「夏衣」が思い浮かんだという。 

その場限りの季題でなく、奥行きがあって、詩的空間が広がっていることを実感させられるものである。

このように俳句に於ける季語の力が絶大であればこそ、俳句が一つの宇宙を構成することが出来るのだという信念。

大峯あきらの真骨頂は「取合せ」の句に発揮されるものであろう。

又、「いつも」という措辞の時間性にゆすぶられる思いがする。


 『月讀』には、その時間性、季節の推移が空間と共にあってうっとりするものが多い。

  

   崩れ簗観音日々にうつくしく

  草紅葉きのふは柩通りたる    

  この頃の晝月濃ゆき干菜かな

  暖かや海鳥もこのあたりまで

  鹿啼くやうす埃置く違ひ棚

  楤の芽や日の暈のあと月の暈


# by masakokusa | 2024-03-18 12:20 | 大峯あきらのコスモロジー
大峯あきらのコスモロジー③――「青草」2020年春季・第7号          草深昌子


   

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 一休寺

烏瓜佛ごころも戀も赤し     大峯あきら 『鳥道』


住職である大峯あきらに「仏ごころ」はいかにも近しい。

「仏心(ぶっしん)というは大慈悲これなり」であろう。

だが「恋」の一字は大峯あきらに似ても似つかない。

そこのところが意表を突かれて異色である。

恋はドキドキとしか言いようがないが、仏心と並列されるとなると、その辺の赤とは一線を画する色調が偲ばれもするもの。

夏には純白のレースの花を咲かせ、秋には実を結ぶ烏瓜であるが、その実の真紅は蕭条たる枯れの中でも失せることはない。

そんな烏瓜の静かなる執念の色合いをふと恋心に転じたような感覚はなるほどはっとするほどにロマンチックである。

ところがこの句には前書きがあることを失念していた。一休宗純禅師が晩年を過ごした一休寺。

ここで一休は七十七歳から八十八歳まで、美女を愛したという言い伝えがある。

複雑な一休の生涯だが、大峯あきらには悉くわかるのであろう。

烏瓜はそのまま一休禅師の化身だと言わんばかりである。

一休への手向けかもしれないが、私には前書き無しの方がぐっと来るものではある。


紅梅や雪いつまでも笹の奥     大峯あきら 『鳥道』


文字通り奥行きがある。ひんやりとした冷たさの中でこそ、この紅梅の鮮やかさがきらめく。

今ここに在る紅梅、今だけでありながら、今という時が流れていくのをやめたような命のなつかしさ。

「いつまでも」と言われると、まことありありと

「いつまでも」あり続けるというふうに納得させられるのが大峯あきら俳句の特質である。


檜山出る屈強の月西行忌     大峯あきら 『鳥道』


 〈面影の忘らるまじき別れかな名残を人の月にとどめて〉

歌人であり、武士であり、僧侶であった西行、その出家には謎が多い。

かの芭蕉は西行を敬慕して、奥の細道の旅に出たのであった。

芭蕉の文学に連なる大峯あきらもまた西行に心酔している。 

遥かに仰ぎ見る月は、僧形にして北面の武士であった佐藤義清を偲ぶに十分のものであった。

およそ屈強というような大仰なる措辞を用いることのない作者にして、屈強としか言いようがなかったこの時、

檜山から上がった月は西行の面影を相照らしてやまない凄みであったことだろう。

屈強という強靭なる言葉は、西行にして持ちこたえるものであると同時に、

図らずも作者自身を写し出してしまったかのような心象が思われる。

私の愛誦してやまない句である。


武具飾り鶏鳴何とはるかなる     大峯あきら 『鳥道』


 「鶏鳴何とはるかなる」という韻律の奏でる詩情はやはり独特のものではないだろうか。

 ロマンチストを包み隠さないものである。それでいて断じて情に流されるというようなものではない。

 「武具飾り」なる季題の由緒が行き渡っている。


黒南風のやがて白南風長命寺     大峯あきら 『鳥道』


黒南風と白南風を並列して、その違いを明らかに示している。

つまり長命寺でなければこうは詠えないものとなっている。

長命寺は琵琶湖畔に聳える長命山の山腹にあり、参詣すると長生きすると言われる。

そんな所以を知らなくても、

その字面から、日々刻々吹き寄せてくる風のありようが生き物のごとく印象されるものではないだろうか。

「黒」と「白」の対比も垢抜けしている。

  じっくりと感興が湧くまでそこに吹かれて得た一句であろう。読者にも通ってくる風である。


第二句集『鳥道』は昭和五十六年刊行。作者四七才から五二才までの作品である。

――題名とした「鳥道」は、九世紀の中国の禅僧、洞山の語録にある。鳥の飛行する道には何ものも残らない。

蹤跡をとどめない鳥道の端的に、洞山は佛道の大いなる自由を教えたのである。

そして佛の道とはとりもなおさず、われわれの真の自己の道のことである。

山国に住む私にとって、頭上を通る鳥道は朝な夕なに親しい。

洞山が説いた実存の根柢は、そのまま、鳥が行く碧落の美学たることを拒みはしないであろう――


あとがきに呼応するまでもなく、一集に「日」と「月」の句は多い。

年用意朝日も夕日も大きくて

梟の月夜や甕の中までも

鰯来て日と月とある小村かな

月の杣高き齢でありにけり

餅搗のすみて夕日の前を掃く

木賊刈ゆふべの月のことを言ふ


 大峯あきらの自然観照は大振りにして静謐なるものであるが、そこにはそのまま作者の全体重が乗っかっている。

 ロマンを感じるのは自己が自然の中にそっくり溶け込んでいるからであろう。

「人」の句も出色。人には格別の品格がただよっていて、すこぶるやさしい。

杉山を餅配る子が越えてゆく

   水餅や中千本によき娘をる

   光秀のやさしさ思へ早苗籠

寒櫻人もをらずに咲きにけり

   暖かにあればその人来りけり


# by masakokusa | 2024-03-18 11:52 | 大峯あきらのコスモロジー
大峯あきらのコスモロジー②――「青草」2019年秋季・第6号     草深昌子


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顔老いし鞍馬の鳶や竹の秋     大峯あきら 『鳥道』


鳶の飛んでいる姿を仰ぎ見ることはあっても、その顔なんてまじまじと見たことはない、

そもそも鳶に顔立ちというものなどあるものだろうか。

一読驚くと同時に、老けてしまった鳶の顔から鞍馬という風土の暗がりが目の当たりに開けるような感じであった。

鞍馬の山路を行く作者は、己がもの思いの顔を、一瞬にして鞍馬の鳶に写し取ったのかもしれない。

折から季節は「竹の秋」である。すっかり黄ばんだ竹藪は、春ながらどことなく凋落の感じがしないでもない。


大根をきのふ蒔きたる在所かな     大峯あきら 『鳥道』

 

「在所」は大峯あきらの自家薬籠中の言葉である。

大峯あきらを慕うものは、誰彼となく在所を一句に織り込むことを試みたものである。

我が拙句などはことに借り物に過ぎなかったが、作者の把握する在所は、

生きた言葉としてそこに張り付いているとしか言いようのないものであった。 

文字通り作者自身の身の内に繰り返し耕し続けられてきた在所であるから、

たとえ通りがかりに見かけたものであっても、そこは作者自身が播種されたもののように仕上がってしまうのである。

それにまた「きのふ」という時の妙はどうであろうか。

大根を蒔くということが一つの季節の節目となって、明日からは日も風もそぞろ趣が変わってきそうな気配である。

在所の奥行きが違うのである。

もう四半世紀も前になろうか、若き俳人田中裕明が、掲句を評して、

「きのふ蒔きたる」はただの事実の報告ではない、「きのふ蒔きたる」というさりげない表現が世界を開いている、

と述べられたことが昨日のことのように思い出される。

大峯あきら作品の時や場所は、日常の次元にとどまるだけのものではないということである。

 

柿接ぐや遠白波の唯一度     大峯あきら 『鳥道』

 

春に芽の出た枝をスパッと切って、すぐに接ぐべき台木に差し込み粘着テープを巻きつけていく、

そんな鮮やかな村人の手際をつくづくと眺めながら、やがてこれが生育し、

実を結ぶであろう長い歳月に思いを馳せられたことであろう。

この場所は、眼下一面に日本海の広がるところであった。

紺碧の海の彼方に眼をやった瞬間、大きな白波がたちあがった。

その波はもう二度とあがっては来ない、心にしみいるような白波であった。

まさに永遠の一瞬をここに引きとどめた感のある一句である。

 「遠白波の唯一度」は、韻律の切れ味そのものも一瞬の光芒を曳くものであるが、

  何よりこのテーマを「柿接ぐ」という営々たる人の暮しに関わる季題が見事に受け止めている。

 

宵月のげんげ田にをり飛鳥の子     大峯あきら 『鳥道』

 

飛鳥という奥ゆかしい地にあって、春の日暮のしろじろとした月明りのもとで、

女の子がげんげの花束を無心に作っているのであろう、可憐な薄紅色が浮かび上がってくる。

ここには遠い昔をしのぶに十分の詩情が静かにも漂っている。

 第四句集『吉野』には、

 宵月のいたどりにまだ遊ぶ子か     あきら

  がある。どちらも宵月、作者にとって遊ぶ子供はまるで月の精のようにいとおしいのであろう。

大峯あきら俳句はさりげなくありながら、品位の高さにおいて比類がない。


その著『命ひとつ』の中で、「詩人は言葉の魔術師」などと言われるが、

それは詩の表面的な印象に過ぎず、そうした言語観から生まれた俳句はテクニックだけが目立って品格がないと記されている。

品格と何か、そこで、私は次のくだりが一番おもしろくも合点がいったものである。

  ――一番品の良いのは、子供の遊びだと思います。子供くさい子供というものはいません。

  学者くさい学者はいますし、俳人くさい俳人も、教師くさい教師、坊さんくさい坊さんもいますが、

  子供くさい子供というようなものは存在しません。子供にはくさみがなくこれが品というものです。――

  大峯あきらに子供を詠った句が多い所以である。


# by masakokusa | 2024-03-18 11:20 | 大峯あきらのコスモロジー
大峯あきらのコスモロジー① ――「青草」2019年春季・第5号      草深昌子


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   炎天の富士となりつつありしかな     大峯あきら 『紺碧の鐘』


大峯あきらが初めて俳句を作ったのは、十四才のとき、

 肋膜炎になって休学中に奥吉野に住む若い僧侶に手ほどきを受けたという。

 〈ひよどりの来ぬ日さびしや実南天〉は、その頃のもの。

やがて戦争も終わり、京都大学に入学。

ホトトギス同人であった波多野爽波の「春菜会」に誘われ、

そこから虚子庵での「稽古会」に参加する特権が与えられた。

虚子はすでに八十歳近く、近寄りがたい雲上人であった。

虚子に、「本当に自分が感じたことを正直に言うのが俳句です。言葉だけでこさえあげてもダメです」と言われた。

虚子の教えは、哲学を専攻する大峯あきらにとっては、年老いて耄碌しているのではないかというぐらいで、

その真意がなかなか掴めなかった。

虚子の言う通りだという事が分かるまで五十年かかったと言うが、

それは謙虚に過ぎるとしても、長ずるに及んでこの言葉こそが一番大事な詩の原点であることを確信し、

その教えに従って生涯ゆるがない俳句人生を全うされた。


掲句は作者二十二歳、昭和二十六年夏、山中湖畔の富士山麓の虚子山荘の稽古会に入選したもの。

静かにも、炎天の光体そのもののなろうとする富士山が動かしがたく存在している。

それにもかかわらず、私にはまるでその大きな富士山がこちらの方へじわじわと進んでくるような錯覚に陥ってしまうものであ  

る。一句の迫力というものであろう、まことダイナミックである。

大峯あきらの基盤というか、俳句の主題なるものがすでにここに出来上がっているような気がする。  

私は、二十数年前、初めてこの句に出会った。

それまで、俳句というものは、たとえば大幹をすぱっと一刀両断するもの、その切り口を言い切る、

その断面のみを見せるものだと信じていた私には、

この句の「なりつつありしかな」という時間の移行が不思議であり驚きであった。

思えば、休むことなく動いているのがこの世の現象である。

その動きの真っ只中を手掴みして見せるということは、何ということだろう。

私の錯覚は、そのあたりからもたらされたものであり、

富士を動かす熱きエネルギーこそが作家のエネルギーであると感じ入った。


    帰り来て吉野の雷に座りをり     大峯あきら  『紺碧の鐘』


 作者は、昭和四十六年、ドイツのハイデルベルグに留学した。

 〈黄落やいつも短きドイツの雨〉はその折の句。

その留学から帰って、直ぐのこと、吉野の自宅、つまり浄土真宗西本願寺派の専立寺の座敷にあって、

猛烈なる雷雨に襲われた、いや歓迎されたのであろう。

雷鳴のとどろく中にあって、作者は帰国の実感を噛みしめたのである。

自句自解では、「私の作風の転機になった句だ、と評されたことがある」と書いている。

上五の「帰り来て」について、後年作者は「ちょっとその辺から帰ってきたような感じがあるね、

帰国してなんて言ってないところがいいね」とつぶやいて下さった。

確かにそう思う。本来の言葉そのもの、平明なる言葉がいかにも身に寄り添うに落ち着いている。


   茶畑の風に押されて春の人     大峯あきら 『鳥道』


 茶畑の風に背中を押されて、私は春の人になった、そう詠いあげて、何より「春風」を詠っている、

 春風そのものの臨場感を打ち出している。やがて新茶が摘まれるであろう、ゆるやかな斜面なども想像されて明るい。

優しさと同時に文字通り背骨の通った感覚である。


 平成六年、飯島晴子がこの句をこう鑑賞している。

 ―「風に押されて」というが私には強い風は感じられない。広々とした茶畑を渡るあるかなきかの微風である。

 それでも「押されて」というくらい、この句の時空は繊細で感度がよい。

 いずれにしても「押されて」と言う語がポイントとなって、現実のように見えての虚、すなわち作品世界を成立させている。


# by masakokusa | 2024-03-18 11:01 | 大峯あきらのコスモロジー
草深昌子を中心とする句会・選後に・令和6年2月          草深昌子選


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鳩の尾の薄紫に春立ちぬ     奥山きよ子

 いつも見慣れた鳩ながら、その尾羽の色を「薄紫」だと見届けた。

 薄紫は見た通りにして、心象的なものでもあろう。

 紫にして濃くはあらぬというほのぼの感、ウスムラサキという語感のよろしさは、

 寒中の厳しさをくぐりぬけた安堵感につながっている。


 棕櫚の葉にしばらくありて春の雪     きよ子

 春の雪は今、棕櫚の葉の上にあります、と言っているだけである。

 春の雪はどこにでも降りかかり、どこにでも積もるだろうが、棕櫚の葉の上にある雪こそは春の雪らしいものだと眺め入っているのである。

 棕櫚の木は南国風で、扇状の葉っぱも盛大である。

 だが、私のイメージでは地味な印象しかない、それは生家の前栽にあって薄暗いものであったからかもしれない。

 そんな木だからからこそ春雪をもって、束の間ながら存在感を見せてくれたところ共鳴してやまない。


 巻き舌で呼び込む春の露店かな     きよ子

露店は言わずと知れた、神社の境内など一時的に見かけるものだが、その呼び込みが巻き舌だというのである。

いささかクセモノのような気がしないでもないが、威勢のいい荒っぽさが人々の楽しみをひきだすのだろう。

「春」の一字がどこまでも効いている。


 キオスクを通りすぎたる余寒かな     小宮からす

 寒が明けたのにまだまだ寒いという余寒である。

 高浜虚子の〈鎌倉を驚かしたる余寒あり〉を筆頭に、鬼城の〈世を恋うて人を恐るる余寒かな〉など、歳時記の余寒の句には唸らされるものが多い。

掲句はどうだろう。ただ、「キオスクを通りすぎた」、それだけのことである。

だが、私には、余寒の実感を共有してやまない。

それは直感なので、説明できるようなものではないが、

大抵は無意識に通り過ぎてしまうキオスクに気付かされたというところが既に余寒の情のようである。


  春寒や木組みの駅のコンコース      からす

駅のコンコースというのは、およそ寒さを覚えるところである。

だが、そこが「木組み」となると、その感覚のしなやかさをもってして、冬の寒さにあらずして春の寒さであろうことが納得させられる。

しなやかと言うのは私の一人合点であって、より頑丈なるものをイメージされるかもしれない、

それでも木造のもたらすものの感覚は春に心を寄せながらなお寒いというものに通うものではなかろうか。

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春愁や時計の針は影を連れ     柴田博祥

春愁は春のちょっとしたもの思い。

俳句を学ぶようになって意識させられたもので初学時代は愛用したというか、

積極的に作っていたが、だんだん鼻につくようになってきた。

〈春愁や道を歩けば草青く 青木月斗〉みたいな句から遠くなるばかりでもう何十年も作っていない。

選句にも、厳しくなった。

そこへやってきた掲句には、作者の本当が感じられて素直に感じ入った。

一見キザっぽい「影を連れ」も春愁をよく引き出している。

同じ作者に、〈春雨や久しく鳴らぬ柱時計  博祥〉がある。

時計というか、時間というものに作者の心情は傾くのであろう。



 春の日やざつくり括る文庫本     黒田珠水

 春の日の明るさやのどかさが下12にそれこそざっくりと詠いあげられて美事である。

 何より文庫本がいい。いわゆる岩波文庫のような小型の親しみやすさが、処分するにせよ、整理するだけにしろ、何となくすっきりとしてあたたかい。

 漫画本では、この春の日のさりげなさを引き出せないであろう。


浜焼や頑固蛤口割らぬ     中原初雪

 中七の頑固蛤、そう、ガンコハマグリとくっつけた語呂の感覚、そしてまた下五の口割らぬ、という慣用語の面白さをもって、

 なかなか口を開いてくれない焼蛤のさまが真に迫ってくる。

 海辺で焼いておられるのだろう、「浜焼や」という打ち出しは爽やかにして、後ろはご機嫌斜め、その対比も楽しい。


焼栄螺くるくるしっぽ緑かな     川井さとみ

 先の頑固蛤から一変、こちらの焼栄螺は、まこと垂涎の栄螺である。

 壺焼、そう炭火で焼いた栄螺は自然に口を開いて、腸とともに取り出していただくのだが、ここまですっぽりという感じは何とも美味そう。

一句は作者の美しい手つきや、明るい表情まで見えて、読者までご馳走さまの気分をいただくものである。



   寒雷や一村雨に鎮まれり      町田亮々

   白梅の蕊を離れぬ羽音かな     二村結季

   赤ん坊の睫にとまる春の雪     石堂光子

   信楽の狸も風の雨水かな      日下しょう子


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   針山の中から針や春の雨      山森小径

   震生湖いま百歳や山笑ふ      河野きなこ

   完売と赤に手書きや菠薐草     石野すみれ

   自転車をぐんと漕ぎ出し日脚伸ぶ  村岡穂高

   公魚の簾干しなる北の浜       間 草蛙

   流氷来空を画してゐたりけり     佐藤昌緒

   吊橋の揺らぎをゆくや春の雨     古舘千世

   公魚や湖上まぶしきものばかり    松井あき子


# by masakokusa | 2024-03-11 23:44 | 昌子の句会・選評