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俳句四季 2018年1月号

作品十六句

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くさびら       草深昌子


   秋晴の大きな松の影にゐる

   桟橋といふほどもなき野菊かな

   月明の魚の背びれの出て泳ぐ

   銀杏のにほひに猿の綱渡り     

   秋晴を泣いて赤子の赤くなる

   団栗の袴脱いだり脱がなんだり

   秋の蠅輪ゴム跨いで来たりけり

   秋風にいちいち鯉は口ひらく

   説法の跡はここらの秋の蜂

   一行にはぐれやすくて草虱

   秋雨の林の径を深くしぬ

   古町や橋がここにも蚯蚓鳴く

   くさびらのべつたりとして根方なる

   草の実に立たせたる子のもの言はず

   にほどりの目のあさましき冬隣  

   屋根に鳩廂に鳩や秋出水



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(俳句四季出版「俳句四季」1月号所収)


by masakokusa | 2018-01-31 23:50 | 昌子作品抄 | Comments(0)
『青草』・『カルチャー』選後に・平成29年12月       草深昌子選
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     冬晴の我の辺りは翳りけり       菊地後輪


 冬晴は、初冬の小春日和とは一線を画した、厳しい寒さの中の晴れ渡った日和である。

 それだけに、遙かまで見渡せる大気の透明度は満点である。

ここ丹沢山系の裾をひく地もまた、大山がくっきりと聳えて、ビルの立て込んだ都会では想像もつかない冬晴の美しさを見せている。

作者もそんな冬晴にほれぼれしながら、ふと気づくと、あれっ、自分の居るこのあたりは、翳っているではないか、というのである。

光りがさせば影もある、当たり前のことだが、その当たり前を不思議に思うのが詩人である。

作者はただ正直に述べただけであって、何も言ってない。

だからこそ、一瞬にして、自然のありようが人の世のありようの如くに、読み手の心に深く入り込んでくるのである。

そういえば、世の中は幸せそうにあまねく晴れていても、今ここに立っている自分の立ち位置だけは、ぱっとしない暗がりであるということはよくある。  

ふとした淋しさに遭遇したとしても、俯瞰してみれば、それもまた幸せな空間ではないだろうか、何も悲観することはない。

ここには、作者ならではの冬晴に対する感受が、まばゆいばかりに打ち出されいる。




 口重の店主おでんの蓋を閉ぢ      中澤翔風


冬の寒さにふと暖簾をくぐりたくなるのは、何と言ってもおでん屋だろう。

おでん屋は、屋台よし、老舗よし、たまに高級おしゃれ感覚の店もよし、そのありようはさまざまだが、何より欠かせないのは気軽に傾ける燗酒ではないだろうか。

さて掲句のおでん屋だが、オヤジは何となく愛想がないとは感じていたが、おでん鍋の蓋を閉じたその時に、その口重を再確認されたのだろう。

機微あるところを捉えたのは、通人の翔風さんならではのもの。

うす暗い席に、おでんの匂いが、むわっと漂ってくるようである。

だが、大根も練物も、コトコトとよく煮えて、さりとて煮込み過ぎず、きっと美味いに違いない。もうちょっと煮込むべく、蓋をずらして置かれたのだと思ったが、作者によると、「看板だよ」という、気難しいものであったらしい。

それだけ酒が進んだということであろう。

先日、「小田原おでん」に行ったが、ここの女主も黒ずくめの衣装で、何だかテキパキしなかったが、それもおでん屋の風情というものだろうと、納得させられた。

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    冬晴や松の合間を船のゆく       山森小径


松林が一面にひろがっている海辺であろうか。冬晴にキラキラとかがやいてやまない海の向うには一艘の舟がすべるように行くのである。冬晴の空気感が、松の青さ、海原の青さを見せて清々しい。まこと端正な句である。



     大声で母呼ぶ庭や初氷         栗田白雲


「お母さん、ほら見て見て、氷だよ」、はち切れそうな子供の声が、家中にひびいた。

「ええつ、ホント!」、濡れた手をエプロンで拭きながら、真っ先にかけつけたのはお母さん。

 清冽な一コマである。

先づはそういう読みになるであろうか。

だが、この情景は氷に限ったものではない、何か珍しいものを見つけたのか、あるいは転んだのかもしれない、そしてまた誰の声とも限らない。

鑑賞に幅をもたせるのは、「大声で母呼ぶ庭や」という中七でいったん切れる表現の巧さである。

しばらくは庭に声を響かせて、読者の感興を呼びさますという空間の取り方、そこではじめて、「初氷」を鮮やかに眼前にするのである。



    爪たてて霜の厚みを確かめり      湯川桂香


 「爪立てて」というと先ず思い当たるのが、蜜柑を剥くときの仕草である。

だが、一句は違う、何と爪を立てて霜の厚みを計ったというのである。

 寒気の極まった冬の夜、地面の水蒸気がただちに結晶して真っ白な霜を置く。

しんしんたる夜が明けて、晴れ上がった空のもとには、一面の霜が広がっている。

枯葉か何かに針のように、いやもっと厚く板のように結晶された霜であろうか。

作者の驚きが、そのままストレートに読者の驚きとなって伝わってくる。

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    十二月八日よ七十五年前        吉田良銈


 128日は、昭和16128日のこと。つまり、太平洋戦争開戦の日である。

 その日は、作者にとって毎年、毎年、ついぞ忘れることのない、心に深く刻まれた切ないメモリーである。

 そんな、昨日のことのように認識される開戦日が、今年は何ともう、75年も昔のことになるのだという。

多くの俳人が、開戦日の句を作ってきたが、75年の歳月の詰まった一句は、吉田良銈さん以外には詠えないものである。

御齢91歳の俳人ならではの128日を瞑目して考えたいと思う。


 

   畑中の霜よけ笹の葉にも霜        高橋まさ江

   路地奥に竈設へ餅を搗く         堀川一枝

   着ぶくれて脱衣の山の渦高く       米林ひろ

   年の瀬や手を引かれゆく交差点      田淵ゆり

   採血の針の太さや隙間風         泉いづ

   鴨一羽群より離れ空に鳴く        伊藤波

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   着ぶくれてエレベーターを遣り過ごす   古舘千世

   柳川をゆっくり行くや炬燵船       菊竹典祥

   息切らし子の担ぎ来る配り餅       森川三花

   捨舟の内の水照り葦枯るる        瓜田国彦

   綿虫よ嚏の主はそなたかな        石原由起子

   おでん煮る母や明日は留守らしき     神崎ひで子

   着ぶくれてパンダの列につきにけり    佐藤健成

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   あれこれと炊き追はるる冬至かな     木下野風

   枯菊となりて匂ひをただよはす      関野瑛子

   雲なくて白壁高し冬の朝         市川わこ

   大風や欅一夜に枯木立          中園子

   二階まで柚子の実りし家を訪ふ      奥山きよ子

   枯木道かすかに見ゆる昼の月       石堂光子



    

by masakokusa | 2018-01-31 23:48 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
新俳句年鑑2018  (ことばの翼 詩歌句)

 

 

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 草深昌子    晨・青草(主)



    夏鴨の鳴いて日中を飛びにけり


    木斛の花散るまるで雨のやう


    鮎食うて相模も西に住み古りぬ


    晩涼や八幡さまに池二つ


    秋晴を泣いて赤子の赤くなる


    潮風に飛ぶ大根を蒔きにけり




 草深昌子(くさふか まさこ)

 昭和18年、大阪府生まれ。

 鹿火屋新人賞・鹿火屋奨励賞を受賞。

 著作に『青葡萄』「邂逅」『金剛』がある。


by masakokusa | 2018-01-31 23:28 | 昌子作品抄 | Comments(0)
草深昌子句集『金剛』・書評抄録(その6)
☆『絵硝子』(和田順子主宰) 二十二年記念号 平成301月号


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句集を読む    谷中淳子


 草深昌子著 『金剛』


「青草」主宰の第三句集である。

 草深氏は「雲母」「鹿火屋」で研鑽を積まれ、現在「晨」同人として活躍されている。

 氏の心に溜まった情景は魅力的である。

 情景は優れた表現力により端正な俳句となり、読み手の心に余韻を残す。


  掃苔の大東亜とぞ読まれける

  母と子に一つマントや石畳

  赤ん坊に手を振る別れクリスマス

  対岸の椅子に色ある残り鴨

  蚕らにひまなき振子時計かな

  夕月にはくれんひらきかかりたる

  のんき屋といふは電気屋燕の子

  をさなき子まつくらといふ木下闇

  鴨塚といふもののあり鴨来たる

  遠足のおどろく大き岩の割れ

  側溝に水無き蛇のすすみけり


 次に、作者の感覚と季語の本意への理解が冴えた作品を紹介したい。

 

  七夕の傘を真つ赤にひらきけり

  すみよしといふも涼しき社かな

  涼しさの丸太ん棒に座りけり

  三伏や金の佛に金の蓮

  もの言へば連れのうなづく水澄めり

  夏館ものの盛りは過ぎにけり


 草深氏はあとがきで、「晨」大峯あきら代表の「季節とはわれわれ自身をも貫いている推移と循環のリズムのことで何一つこのリズムから自由になれない」という言葉を引用されている。

 氏は、この言葉を深く体得されていると思う。

 だからこそ、氏の作品は、同じようにそのリズムの中生きている我々の心に響くのである。

  


by masakokusa | 2018-01-31 19:46 | 第3句集『金剛』NEW! | Comments(0)
昌子作品の論評・大峯あきら

  大峯あきら鑑賞



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    雲去れば雲来る望の夜なりけり     草深昌子




 これは盆の月ではなく、十五夜との対面の句。

 雲一つない大月夜ではなく、どちらかといえば雲は多い方である。

 大きな雲がつぎつぎにあらわれてはどこかへ消え、望月を大空に残してゆく。

 望月の従来の情趣は一句から一掃され、代わりに満月をつぎつぎに追いかけるダイナミックな雲の運動をいきいきとつかんでいる。




(平成301月号「晨」所収)


by masakokusa | 2018-01-27 10:50 | 昌子作品の論評 | Comments(0)