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草深昌子句集『金剛』・書評抄録(その3)
 
 ☆ 『耕』 2017年9月号 (加藤耕子主宰)

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   句集紹介

   草深昌子句集『金剛』(2016年11月21日 ふらんす堂)

  
「晨」(大峯あきら代表)同人。「青草」主宰。
  句集『青葡萄』及び『邂逅』に続く第三句集。平成15年以降の句を収録。
  句集名は金剛山から名付けた。著者はあとがきで「美しい山桜の宿で、庭下駄に下り立って、
  晨の皆さまと共に、ただ黙って金剛山に沈んでゆく美事な夕日を眺めたことは
  生涯忘れることはないでしょう」と述べる。

    どこにでも日輪一つあたたかし
    耕して大日寺の裏に住む
    あめんぼう大きく四角張つてをり

                                 和出 昇



 ☆ 『泉』 平成29年8月号 (藤本美和子主宰)
   
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  俳句の扉     藤本美和子抄出

    船赤く四万六千日を行く    草深昌子『金剛』




☆ 『松の花』 平成29年8月号 (松尾隆信主宰)

  現代俳句管見       
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『金剛』草深昌子(晨同人)第三句集

   赤子はやべっぴんさんや山桜

 句集名は大阪・奈良府県境の金剛山に拠る。
 恒例の吉野の桜吟行の宿で連衆と金剛山に沈んでゆく美事な夕日の眺めたことは生涯忘れないという。
 〈遠く来て日高に着きぬ花の宿〉
 〈うぐひすは上千本にひびくかな〉
 〈金剛をいまし日は落つ花衣〉
 筆者は桜の吉野山を下から上千本迄歩いたが、山桜の幻想的な美しさに魅了された。
 満開の桜のもとで赤子は殊の外愛らしい品のあるべっぴんさんだったのだろう。

   真間の井の蓋に木の実の数へられ

 
下総国葛飾郡真間にいたという万葉集に詠まれた伝説上の美女手児奈。
 多くの男子に言い寄られ、煩悶の末、井戸に投身したという。
 所縁の井戸の蓋に木の実が幾つか落ちている。昔を偲べは、今も自然の営みは連綿と続いている。
 箱根の早雲寺の〈松蝉や宗祇法師の墓どころ〉の句も然り。
 〈きらめくは秋暑の蠅の背中かな〉
 〈石蕗の花さかまく波をよそに咲く〉
 などは句材をうまく詠みこんでいる。
                                   松田知子



☆俳句雑誌 『澤』 平成29年7月号   創刊17周年記念号(小澤 實主宰)

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窓 俳書を読む      冬魚

   
草深昌子さんは1943年大阪府生まれ。
   現在「晨」同人、「青草」主宰。
   鹿火屋新人賞・同奨励賞受賞。第三句集。

    秋の蟻手のおもてから手のうらへ
    硝子戸と障子のはざまあたたかし
    あめんぼう大きく四角張つてをり

 一句目。
 じっと見る、見続ける。飽くことなき観察によってリアルな景が立ち上がる。
 手のひらに居る「秋の蟻」の鈍い動き。もぞもぞした感触がたまらなく思い出される。
 二句目。
 「硝子」を透過した春の光が「障子」の木枠と紙と「はざま」の空気をあたためる。
 家の隙間に溜る温みこそが家のぬくもりとなるのかも。
 ふと、親の家を思い出す。

  2016年 ふらんす堂 2700円(税別)

by masakokusa | 2017-08-31 23:59 | 第3句集『金剛』NEW! | Comments(0)
『青草』・『カルチャー』選後に・平成29年7月    草深昌子選
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   子育てを終へて世に出る白日傘        佐藤健成
 
 子育て中には外出もままならなかった女性が、様々の難儀を乗り越え、今や颯爽と働きにでかける白日傘である。
 昨今、女性は出産後であってもすぐに世に出られる時代であるが、少し古い世代は、とにもかくにも子育てが大事であった。
 この句の白日傘は、女性進出がままならなかった時代の、ある種の憧れを象徴するものとして描かれていることに感銘を覚えた。
 この頃は黒日傘も多いが、素直にも屹然たる女性の日傘は、何といっても真っ白がいい、見るからに涼しげである。

   我が先へ先へと日傘嬉しさう    健成

 こちらは女学生であろうか、いかにも若々しくダイナミックである。
 二句とも、日傘を通して、女性へのやさしい眼差しがうかがい知れるものである。



   軒下に合羽吊して鮎の宿      坂田金太郎

 鮎釣りは、鮎の縄張りを持つ習性を利用して囮鮎を使ったり、またエサ釣りやドブ釣りなどなかなかに楽しそうだが、腰深くまで川に浸かって、体力の消耗も激しいのではないだろうか。
 掲句は、鮎宿の軒下の一面を叙しただけであるが、その内側に繰り広げられているであろう釣人の声々や佇まいまでもが想像されてくる。
 香魚と言われる鮎の香気が、濡れしきった雰囲気の中にただよってもいるだろう。
 何も言わない俳句の強みをあらためて気付かされるものである。
 同じ作者の、

   焦げあとの穴ともならず渋団扇      金太郎

も、渋団扇の質感というか、しぶとさを言い得て妙である。

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   夏の日の松は静かに吉田邸      宮本ちづる

 吉田邸は、戦後の混乱期に長く首相を務めた吉田茂首相邸である。
 邸宅は富士山を臨める大磯にあって、8年前に原因不明の火事で焼失したが今年再建された。
 松の木が高々とその涼し気な枝ぶりを見せているが、これらの木々は、吉田首相の艱難辛苦をことごとく見守ってきたものであろう。
「夏の日の松は静かに」は、「吉田邸」に集約されて、まこと、どっしりと落ち着いている。
 それは、そうとしか言いようのなかった、作者のもの思いの静けさでもある。
 吉田茂の時代をしみじみと回顧されたのであろう。

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   郭公の声のみ響く桟敷跡      神崎ひで子

 桟敷は祭を見るためのものであったのか、あるいは芝居か相撲か何かの見物席であったろうか、ともかく今は無き桟敷の跡の光景が、なにがなし残像のようにしのばれて、さびしげにも広やかな明るさをまのあたりにするようである。
 それはカッコウ、カッコウという誰しもがよく聞きわけている牧歌的な鳴き声が一句全体に染みわたっているからであろう。
 〈郭公や何処までゆかば人に逢はむ〉という臼田亜浪の句が思われもするものである。



   野良仕事大夕立の追ひかくる      新井芙美

 上五にドンと置かれた「野良仕事」が大きく効いている夕立である。
 夕立というものの野趣が、土の匂いとともにいよいよ大きくうち広げられたような臨場感が頼もしい。



   目覚むれば夏満月を浴びてをり      平野翠

 何という贅沢な目覚めであろうか。
 秋の満月ではない、「夏満月」であればこその月明りの情趣が、静かに伝わってくる。
 睡るという人体の輪郭も又清らかに感じられるものである。

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   雲仰ぎ通る翡翠の小枝かな        栗田白雲
   雀来て蛍袋を揺らしけり          中澤翔風
   立錐の余地なき夜の団扇かな      鈴木一父
   色かたちどれも違うてみな四葩      藤田トミ
   日傘さす君の手白し無人駅        米林ひろ
   白桃の水しなやかに浮きにけり      二村結季
   月光やわらし居さうな夏座敷       古舘千世
   虎尾草や雫の切れず揺れ通し      森田ちとせ
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   八木節の聞へて赤城雲の峰        間草蛙
   ちかぢかと花柄見ゆる水眼鏡       熊倉和茶
   初蝉や風よく通る並木道          佐藤昌緒
   蜩や大雄山の和合下駄           石堂光子
   天の川麺にオクラの星散らし        奥山きよ子
   遠雷やラジオのノイズひとしきり      中原マー坊


by masakokusa | 2017-08-31 23:59 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
昌子365日(自平成29年7月1日~至7月31日)
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      7月31日(月)      土用芽のどれも海桐の潮傷み

      7月30日(日)      住職に枇杷葉湯をすすめらる

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      7月29日(土)      日傘さし小町通りも来慣れたる

      7月28日(金)      そこいらにアロエの咲ける土用干し

      7月27日(木)      単線の行き着くところ夏休み

      7月26日(水)      晩涼や八幡さまに池二つ

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      7月25日(火)      江の島の遠ざかりたる土用かな

      7月24日(月)      髭伸びて土用太郎でありにけり

      7月23日(日)      亀の子の羽根あるやうなその泳ぎ

      7月22日(土)      寿福寺の柵に吹かるる蛇の衣

      7月21日(金)      見極めのつかぬ山女と岩魚食ふ

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      7月20日(木)      蟻の塔その出這入りに磨かるる

      7月19日(水)      ひからかさ石階をゆくためらはず

      7月18日(火)      炎帝の蝗をつかみそこねたる
  
      7月17日(月)      蟻の列見てゐて息のととのふる 
     
      7月16日(日)      木の影のほかに影なき涼気かな

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      7月15日(土)      炎昼や一つしとめて団子虫

      7月14日(金)      緑蔭や木の葉のみどり実の緑

      7月13日(木)      青蘆に丈越されたる暑さかな

      7月12日(水)      橋架けて人の渡らぬ油照

      7月11日(火)      石垣を這うてなめくぢ隙に蟹

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      7月10日(月)      桟橋に行かずじまひの暑さかな

      7月9日(日)       歯を見せて笑ふ鴎外忌の木蔭

      7月8日(土)       手のひらにのせて豆食ふビール飲む

      7月7日(金)       どこよりもだいどこが好き日日草 
     
      7月6日(木)       たてがみといふも馬刺の焼酎酌む 

       
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      7月5日(水)       梅雨のもの老眼鏡に見定むる

      7月4日(火)       梅雨の人猿に対つてをりにけり

      7月3日(月)       鮎食うて相模も西に住み古りぬ

      7月2日(日)       その下にあまた椅子ある大夏木
       
      7月1日(土)       明易き熊本城の崩れやう   

      
by masakokusa | 2017-08-02 23:59 | 昌子365日 new! | Comments(0)
『青草』・『カルチャーセンター』選後に・平成29年6月    草深昌子選
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   香水の匂ひの席を譲らるる       中澤翔風

 
香水というと、〈香水の香ぞ鉄壁をなせりける 中村草田男〉が、真っ先に浮かび上がる。
俳句を始めたころ、男性にとって「香水」とはこんなものなのかという驚きがグサッと胸に突き刺さったものであったが、その後は読むほどに、女性も男性もなく香水という季題そのものの一断面を見事に詠いあげたものとして唸らされている。
 そこで翔風さんの句に、なつかしくも惚れ惚れと感応してしまったわけである。
 今や、女の最高のおしゃれという観念が崩れて、ただ身だしなみとして、男も用いるものになってしまった「香水」であってすれば、掲句の席を譲ったのは女とは限らないが、譲ってもらった席を作者はどう感じたであろうか、また読者はどう感じるであろうか。
 一句の世界に読者が入っていって、その場のその時の心のありようをたしかめようとする。
 そのことが、そのまま香水の残り香であり、一句の余情になるのである。

 

   凌霄花潜りて朝のランドセル       栗田白雲
 
 凌霄の花は、日常の家並の中によく見かける花である。
 真っ青な空から垂れ下った凌霄の花の下をかいくぐるようにしてランドセルを背負った子が通学する。
「朝のランドセル」、この端的に言い切ったところがすばらしい。
 梅雨のころから、塀や垣根に、ただ静かにも咲いている凌霄であるが、毎朝ランドセルの子らが潜るたびに、はっとするような美しい色彩を見せてくれるのである。

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   海鳴りや花魁草は沖を向き       坂田金太郎

 花魁草は草夾竹桃とも言い、五裂の小さな花が紫陽花のように沢山集まって咲く花である。
 そんな、かんざしのように愛らしい花が、海鳴りのする沖の方を向いているという。
 ただそれだけのことだが、晴れやかな美しさと同時に一抹のあわれを感じるのは私だけだろうか。
 花の名にある「花魁」から、遊女の印象をかさねてしまうからかもしれない。
 ちなみに花魁草と言えば、即座に、
   揚羽蝶おいらん草にぶら下る   高野素十
 が思い出される。
 素十の句は、季重なりを厭わず、揚羽蝶の命を花魁草にかぶせたものであるが、金太郎さんの句は近景からはるかなる遠景をも見せてくれるものである。



   ナイターの選手に影のなかりけり       中原マー坊

 つい先日もナイターを観に行ったばかりであるが、「選手に影のなかりけり」とは気が付かなかった。
 まさにマー坊ならではの発見の句であると驚かされた。
というと皆さんにそれぐらいのこと知ってましたよ、と言われそうであるが、それを俳句にしてこそ知ってますよと言えるのではないだろうか。
 ナイターと言えば、もう60年も昔のことで、記憶違いかもしれないが、高校野球で、魚津と徳島商の延長戦でナイターになったことが昨日の事のように思い出される。
 かにかく、ナイターの照明は、あまりにも明るすぎるのである。

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   昼顔や工事車輌の通り道       山森小径

 昼顔は、道端の草むらなど、いたるところに見かける淡い紅色の花である。
 近辺に大がかりな工事現場があるのであろうか、昼顔の咲いている道に、ひっきりなしにダンプなどの大型車が埃を巻き上げて往来するのである。
 昼顔の可憐なる佇まいにあって、あまりにも対照的な現場である。
 だが、作者は、昼顔が、その蔓を伸ばしながら、地上をどんどん這ってゆくという、見かけによらぬ生命力の強さをもっていることに、感嘆しているのである。



   古書店のワゴンセールや片陰り       佐藤昌緒

 「片陰り」が、ふとした都会の陰翳をあまさず伝えてくれる句である。
 例えば神保町であろうか、つい先日もこのような光景に出会ったばかり。
 イベントとしての大大的なワゴンセールではなく、歴史ある店舗のささやかなワゴンセールと解したい。
 そこには廉価にして、なかなかの掘り出し物が並んでいるのではないだろうか。
 太陽が西に傾きかけた午後になって、古書店街の片陰に立つと、噴き出してくるような汗がいつの間にか引いていくのである。

 

   パナマ帽少し抓んで会釈され       小幡月子
 
 ちょっとした軽いスケッチだが、その軽さが「パナマ帽」ならではの涼しさを詠っている。
 トップの部分が凹んでいるあたりがさりげなく感じられ、この紳士への郷愁が味わいにもなっている。

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   黄金比水羊羹にありにけり       川井さとみ

 黄金比とは縦と横のもっとも美しい比率であろうか。
 理論的なことは知らなくとも黄金という色彩のきらめき、オウゴンヒという大らかな語感は、手元の清涼感溢れる水羊羹を演出してあまりある。
 ちなみに、さとみさんは、「輝き厚木塾」の松尾数学塾で黄金比なるものを学ばれたという。
 松尾先生は、わが結社「青草」の松尾まつを編集長である。
 学ぶという積極的姿勢が、こんな楽しい一句を生み出した。

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   驟雨去り三保清見潟富士の峰      松尾まつを
   小魚の群の過ぎゆく蛇苺         石堂光子
   清流の里に謡へば南風          菊竹典祥
   蛍火や椿山荘の薄明り          佐藤健成
   音もなく夏の曙ひとすじに         平野翠

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   くちなはの門扉を渡る真昼かな      二村結季
   大広間一つ置かるる夏火鉢        伊藤波
   背広着て代田見てゐる日暮かな     河野きな子
   尻振つて横横歩き鴉の子         石原虹子
   亡骸は昼顔の墓ハムスター        狗飼乾恵

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   青年の流行の頭梅雨寒し         上野春香
   老鶯と鳶と掛け合ふ杉木立        田淵ゆり
   道すがら花と見まがふ蛾の白き     中野はつえ
   鈴蘭を添へて山菜届きけり        末澤みわ
   飛び方を習ふ子燕高架下         藤田トミ
   若竹を過ぎて広がる畑かな        日下しょう子


by masakokusa | 2017-08-02 20:55 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)
私の一句
 
  花散るや何遍見ても蔵王堂       草深昌子


 「
晨」に入って初めて吉野吟行に参加させていただいた折の句。
 「俳句は自我を出したらアカンよ」と大峯あきら先生に教えていただいたのもこの日。
 ふと不思議を覚えた、その穏やかな物言いは、今もはっきり耳に残っている。

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(「晨」創刊200号記念特集・所収)
by masakokusa | 2017-08-01 23:59 | 昌子作品抄 | Comments(0)