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新刊書評・井上綾子句集『綾子』        草深昌子
   
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        宝の「探し山」


              
 句集『綾子』を、巻頭から巻尾に至るまで息もつかさず、目を見開かされるような思いをもって読了した。
 ところが、あらためて読んでみると、知らない言葉の数々に驚かされた。
 山立、粥占、間祝着、西ようず、春袋、蕪骨、花の内、ほろせ、よもつへぐひ、稗蒔、霰酒、 泥落し、餅間、籾落し、御菜葉などなど、切りもない。
 そこで、調べに調べて、目から鱗の落ちること度々、これが何とも楽しかった。

 〈松茸は大きな手柄探し山〉、この「探し山」などはネットで調べても、職探し、マンション探しが出てくるのがオチで、手がかりもない。 
 十二月に入っても松茸を求めて山を歩くことだと知ると、まこと味のある句である。
 それやこれや、もっとも頼りになったのは茨木和生主宰の序文はもとより、ご高著『西の季語物語』、『季語の現場』であった。

 かくも無知なる私がなぜ一読して一集に感銘したのであろうか。
 およそ体験していないことであっても、季語の現場に導いてくれる快感となつかしさにあふれていた。
 作者の、不思議を問いかけずにはおれない自然への好奇心、情緒にもたれず、体験を信じる真っ直ぐな姿勢、それらは自らリズム感のよろしさとなって、読者を面白がらせたのではないだろうか。
 難解なる言葉を紡ぎながら、すらっと読み通させるところ、これぞ俳句の力である。

   石鼎を小柄と思ふ単衣かな 
   袋菓子食べちらかせる鹿火屋かな
   これやこの丁子屋に来て骨正月
   未体験まだまだあると生身魂

 一句目、即座に〈石鼎の麻着といふがかかりけり 山本洋子〉が思い浮かぶ。
 かの旧居の単衣は何度も見ながら、石鼎を長身と思い込んでいた私には思いもつかなかった。
 実寸がどうあれ、名高い石鼎に一歩近づけたことが嬉しい。
 二句目、〈淋しさにまた銅鑼うつや鹿火屋守 原石鼎〉と表裏一体、哀歓をそそられる。
 三句目、〈一芸と言ふべし鴨の骨叩く 右城暮石〉が心の奥に光っているのだろう。
 四句目、生きる限りは知らないことを知るよろこびに導かれている、生きているということは何と素晴らしいことだろうと気付かされる。

 思えば、「綾子」は探し山そのものであった。大きな手柄の宝が出るは、出るは・・。

   たけのこを掘るためらひのなき角度
   神々にある物語山桜

 筍が眼前にどっかと現れる、断定の潔さ。   
 季語を慈しむこと百戦錬磨にしてはじめて詠いあげることのできる堅牢なる山桜。
 一巻は総じて、自然詠でありながら作者自身の思いとよく呼応して、その照り昃りの美しさに魅了された。

   アルバムの少女はわたし桃の花
   新しき水着それだけで泳げさう

 この愛らしさ、茶目っ気はどうだろう。
 こんな純真が、綾子俳句の気品をむしろ際立たせるように思われるのは、まこと言葉の「綾」と言わずして何と言おうか。

(平成27年11月号「晨」所収)
by masakokusa | 2015-10-31 23:59 | 俳論・鑑賞(2)NEW! | Comments(0)
特別作品         草深昌子
 

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          六甲     


   人膚の色して堅き幹や秋
   遠くまで見えて蔭なき秋の道
   秋晴のもの食ふ背筋正しけり
   六甲山ホテルに忘れ扇かな
   人々の山羊撫でまはす秋はじめ
   露けしや檻の内また檻の外
   水澄んでにほどりの巣の水浸し
   紙ひねるごとくに蛇穴に入りぬ
   秋草の此は仙人の名を貰ひ
   君のゆくところやどこも爽やかに



 芥川賞作家の又吉直樹は、中学生の頃、芥川龍之介の「トロッコ」に感動したという。
 私も読み直してみたくなった。

 少年はトロッコに乗りたくてならなかった。
 ふと乗れた時の喜び、その喜びにはどんどん弾みがついてくる。
 やがてどんでん返しが・・もう引き返せないところまで来てしまっていた。
 夕闇の中を必死に走って帰る少年の恐怖心。
 今さらに、ダイナミックな描写に引きずりこまれた。

 その翌日、玉音放送に至る「日本のいちばん長い日」なる映画を観た。
 映画の余韻に、かの少年の心細さが反芻されてならなかった。

(平成27年11月号「晨」所収)
by masakokusa | 2015-10-31 23:50 | 昌子作品抄 | Comments(0)
昌子365日(自平成27年10月1日~至10月31日)
    
      10月31日(土)       紅葉して家の小さくなりにけり

      10月30日(金)       秋耕のだんだん離れゆく二人

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       10月29日(木)      鶺鴒の水のこぼるるやうに飛ぶ

       10月28日(水)      荻吹くや牛小屋を見て牛を見ず

       10月27日(火)      ひつぱればひつぱるほどに通草蔓

       10月26日(月)      靴磨き並んでゐたり十三夜

       10月25日(日)      末枯れて日当たり強き椅子ばかり

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       10月24日(土)      霜降の壁を洩れくる女ごゑ

       10月23日(金)      望遠鏡立てて人見ぬ小鳥かな

       10月22日(木)      この道のここにまた会ふ柿の色

       10月21日(水)      錆鮎の眼も尾もあらぬ化粧塩

       10月20日(火)      鵙の贄もみくちやにして一と束ね

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       10月19日(月)      鹿の眼のいよよ賢き日暮かな

       10月18日(日)      潮鳴りの聞けば聞こゆる零余子飯

       10月17日(土)      身に入むや林の深く野の広く

       10月16日(金)      すだ椎の実の降る永青文庫かな

       10月15日(木)      葉を食うて齧つて嘗めて飛蝗かな

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       10月14日(水)      吊橋のぐるりの山の粧ほへる
       
       10月13日(火)      磯畑のどこも薯畑晴れわたり   

       10月12日(月)      御座といふ古江をここに雁渡し 

       10月11日(日)      子供らの跣にあそぶ菊日和  

       10月10日(土)      草虱つけて機嫌のなほりけり

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       10月9日(金)      白波に背中向けたる鵙の声

       10月8日(木)      色変へぬ松に愚庵といふがあり

       10月7日(水)      出来立ての蒟蒻買うて秋寂びぬ

       10月6日(火)      蝶々に小町二丁目うそ寒う
 
       10月5日(月)      ひとつとびしたる飛蝗や松の幹


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       10月4日(日)      その裏手遊園地なる竹の春

       10月3日(土)      敗荷に硝子張りなり珈琲館

       10月2日(金)      裕忌の河原に水をつかひをり

       10月1日(火)      石ころのほどにも木の実ころがれる    
by masakokusa | 2015-10-31 22:56 | 昌子365日 new! | Comments(0)
原石鼎俳句鑑賞・平成27年10月
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   鶏冠にもえつく日あり秋の晴      原石鼎     大正9年


 石鼎の句についてはいつも、「間違っていたらどうぞ教えてください」というような気持ちで実作者としての率直な鑑賞を書いている。
 今回もそんな句である。

 「ケイカンニモエツクヒアリ」と読むが、「鶏冠」はトサカのことである。
 あのニワトリの頭部についている肉質の冠状の紅いところに秋晴の澄み切った日ざしが燃えているというのであろうか。
 秋日の赤とトサカの赤をだぶらせたところは、すぐに納得させられたが、トサカの形状がはたして「もえつく日あり」にどれほど利いているだろうか。

 そこで、『原石鼎全句集』を閉じて、原石鼎著自選句集『花影』を開くと、ここには、
   
    鶴冠にもえつく日あり秋の晴

とあるではないか。
 河出書房発行『現代俳句集成』も、「鶴冠」と出ている。
 「鶴冠」とは何ぞや、冠鶴(カンムリヅル)という鶴の種類はあるらしいが、鶴冠という熟語は見当たらない。

 原石鼎全句集に戻ると、掲句の前は下記のようになっている。

   鶏頭の花なる如き実なるかな       大正9年
   夕さればしづまる風や秋日影
   秋晴やよごれながらに城きよし
   鶏冠にもえつく日あり秋の晴

 〈鶏頭の花なる如き実なるかな〉があるので、はたと思い当ったが、鶏頭の花は別称「鶏冠花」ともいう。
 調べると、鶏冠は、「からあい」とも読むそうで、「韓藍」と書くとよくわかるように、中国から渡来した鶏頭の花の古名であるそうだ。

 そこで掲句は、トサカならぬ鶏頭の花と解したい。
 素直に、〈鶏頭にもえつく日あり〉でなく、〈鶏冠にもえつく日あり〉としたのは、「冠」の一字を生かしたかったのであろう。
 ここはやはり、トサカと早とちりされても、鶏冠であらねばならかった。
 天上へ向けてすっくと伸びた、あの鶏頭の輝かしい頭でっかちのてっぺんにチリリと日が燃えたような印象が明らかである。
 鶏頭のいのちのさまを見せられたようで、俳句そのものにも勢いがついている。

 鶏頭の花は燃えるように赤いというのは常套の見方であるが、常套に似て非なるところが、石鼎としての物の見方である。
 何をどう見たか、どう見えたか、そこがはっきりしているから景が立体的である。
 それは、鶏頭の花が一寸見のものでなく、日々折々に親しんであるものであればこその写生であろう。
 「もえつく日」を詠いあげたあとで、下五にダメ押しをするように「秋の晴」をもってくるところも、大胆である。
 要は秋晴を諷詠しているのである。

 ところで、鶏頭といえば、正岡子規を思い出さずにはいられない。

   鶏頭の十四五本もありぬべし   正岡子規

 その境涯に思いを返すと、この鶏頭花はいっそう鮮烈である。
 大正9年といえば、子規去って、10年いや20年近くになる頃であるが、さほど遠い昔のことではないだろう。
 石鼎には、まだ子規のぬくもりがそこにあるように感じられていたかもしれない。
by masakokusa | 2015-10-31 20:59 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
秀句月旦・平成27年10月
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   紫苑活けて机に向ふ読書かな      正岡子規

 平成27年9月30日付け朝日新聞は、別刷特集を組んで「漱石の世界」を取り上げている。
 ここに作家の伊集院静が、漱石と子規との友情について書いている。
 「二人がもっとも長くともに過ごしたのは、漱石が子規の故郷である四国、松山の中学校英語教師として赴任した折、日清戦争の従軍記者として中国に渡り、帰国の船内で大喀血した子規が静養のため帰省し、漱石の下宿に転がり込み、52日間の同居である。この下宿の一軒家を愚陀佛庵と子規は命名した。~」

 子規が毎日賑やかに句会をするので漱石は本も読めなかったとこぼしているが、漱石自身も度々運座に加わって、俄かに俳句の腕をあげたのであった。

   見つつ行け旅に病むとも秋の不二   漱石
      (松山での同居後、上京する子規へ送った句)

   手向くべき線香もなくて暮の秋   漱石
   きりぎりすの昔を忍び帰るべし     〃
      (ロンドン留学中に子規の訃報が届き、その夜の句)

 この三句は、漱石が子規に送っものであるが、これをもって伊集院は二人の友情を確信したという。

 紫苑は淡い青紫の花で、その丈は2メートルほどにも高い。強風にも耐え、台風の後などいちはやくその姿は立ち直る。
 そんな強さを微塵も感じさせない、明るくありながらどこか淋しげな印象があって、私には秋の草々のなかで最も心惹かれる花の一つである。
 愚陀佛庵で子規は、毎日のように句会を開きながら、一方で猛烈なる読書をし、原稿を書いたことであろう。
 そんな子規のありように、野趣に富んだ紫苑のさりげなさがよく似合っている。

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    柳散る片側町や水の音     夏目漱石

 柳は仲秋に黄ばんで、秋風にしなやかになびきつつ、ちらちらと少しずつ散り続ける。
 片側町に沿うようにゆく小川の水の音が、柳の葉を浮かせつつ、流れつつ、小さな音をあげているのだろう。
 片側町という、道の片側だけ家の立ち並んだ景色は、いかにも柳の葉が散るにふさわしい風情を感じさせるものだが、同時に、「片側」、「片方」、「片より」などの「カタ」という言葉の語感からくる一抹の寂しさが、独特の柳の散りようをあきらかに浮かび上がらせている。
 広辞苑では、「かたがわまち」だが、掲句は、「かたかは町」という表記もあるところから、濁らないで読む方が美しい。
 
 子規と交遊する中で、俳句に手を染めた漱石は、最期まで俳句を手放さなかった。
 大正5年9月2日付、芥川龍之介宛の手紙に記した、

   秋立つや一巻の書の読み残し   漱石

 この3か月後、漱石は49歳で世を去った。
by masakokusa | 2015-10-30 22:25 | 秀句月旦(3) | Comments(0)