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昌子365日(自平成25年6月1日~至6月30日)
 
       6月30日(日)       鈴振つて鈴の音立たぬ半夏生

       6月29日(土)       天神の裏手を鳰の巣立ちけり

       6月28日(金)       蝶々のもつれどころや銭葵

       6月27日(木)       降るほどに植田の青の優りけり
     
 
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       6月26日(水)       夏萩のそよぎに人のとぎれたる

       6月25日(火)       黐の咲くこの頃ガラス戸のくもり

       6月24日(月)       蟻の道のつそりゆくはだんご虫

       6月23日(日)       うばら咲く湯屋の名残にランドリー

       6月22日(土)       ほうたるの奥のその奥じつとゐる

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        6月21日(金)      梅雨降るや蒲団に沈むお石様

        6月20日(木)      睡蓮に迫り出す幹の太さかな

        6月19日(水)      雨降りのけふは落さぬ造り滝

        6月18日(火)      菖蒲見る人の玉砂利鳴らしけり

        6月17日(月)      人の背に雨の匂ひや泉殿

 
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        6月16日(日)      ありあへるものもて浮巣固まれる

        6月15日(土)      涼しさの丸太ん棒に坐りけり

        6月14日(金)      菖蒲見る眼鏡の玉に色少し 

        6月13日(木)      あぢさゐの毬をたたけばしぶきけり

        6月12日(水)      飴玉をもらふ五月雨傘のうち

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       6月11日(火)      どの道も社殿に至る茂かな

       6月10日(月)      花菖蒲片膝立てに描いてをり 

       6月9日(日)       焔立つやうな夕日やほととぎす 

       6月8日(土)       栗咲くや風止むときのなき峠 

       6月7日(金)       水馬かまひにまたも水馬

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       6月6日(木)       縦に路地横に路地ある更衣

       6月5日(水)       わが影は足下に少し涼しかり

       6月4日(火)       鎌倉の路を知つたるうすごろも

       6月3日(月)       その人は蓮の巻葉の向かうゆく

       6月2日(日)       花石榴風にかんばせ打たれけり

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       6月1日(土)       頂上に見る頂上やほととぎす
by masakokusa | 2013-06-30 22:28 | 昌子365日 new! | Comments(5)
秀句月旦・平成25年6月
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   美しやさくらんぼうも夜の雨も       波多野爽波

 「桜桃が出た。
 私の家では子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたらよろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は珊瑚の首飾のように見えるだろう。」
 太宰治の最後の名作と言われる短編『桜桃』のラストシーン、夫婦喧嘩をして家を飛び出した父は、酒を飲む場所で、さらにこう述懐する。
 「子供よりも親が大事。」

 「おうとう」は「さくらんぼ」である。
 爽波は、過酷な銀行勤めからヨレヨレになって帰ってきたところ、遠く山形あたりからの直送であろうか、あるいは銀座からの届けものであろうか、宝石のごとく詰め合わされたさくらんぼの輝きの到来に打たれている。目の覚めるような美しさである。
 折からの雨も又、しみじみと疲れを癒すに充分の潤いである。
 爽波の心に太宰のこころが忍び寄っているのかもしれない。

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   田にあれば水はしづかに太宰の忌        山上樹実雄

 太宰治が愛人と玉川上水に入水自殺をしたのは6月13日、その遺体が発見されたのは6月19日、奇しくも太宰の誕生日であった。
 掲句はまた何と静かに、もの思いの深い句であろうか。
 たしかに、この頃の、田植えを終えたばかり早苗は、ひとしきり風に吹かれてやまないのだが、水面はほとんど揺らぐことがない、たまに風向きによって水皺が寄るぐらいのものである。
 水は水でも、人の命を奪ってしまう川や海の水とは違って、田の水は、人の心を平坦にしてくれるような安らぎに満ちている。
 水は器にしたがってそのかたちを整えるのである。
 太宰は、その生き方から死に方に至るまで、人生の折節に思い出さずにはおれない作家ではないだろうか、そんな作家を悼む俳人の心もまた、格別に繊細、格別に強靭なるもののように思われる。


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   かたつむり甲斐も信濃も雨の中      飯田龍太

 どこに雨を降らせてもいいようなものだが、こう詠まれてみると、蝸牛に降る雨は、甲斐に、そして信濃に如くものはないように思われる。
 ことに甲斐だけでなく信濃にまで及んであることが、いっそう滂沱たる雨となって、小さなる命のありようをしみじみと見せてくれるものである。
「カタツムリ」に畳みかけるようにカ音の「カイ」がきて、すぐさま「シナノ」を引き寄せると、「アメノナカ」にしんと落ち着く、その韻律のよろしさ。
 かたつむりは、長短二対の小さな触角をじっと立てているのであろう。

  ここで思い出されるは、
   蝸牛いつか哀感を子はかくす      加藤楸邨
 である。
 若き日に魅了された、こんな切ない蝸牛も今は「甲斐も信濃も雨の中」に大きく包みこまれるようなやさしを覚える。


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   遠目には燃ゆる色なり椎の花       松藤夏山

 たとえば鎌倉など、路地を折れて、また路地を行くうちにふと小さな社に行き当ったりする。横手には水の音をあげて古い川が流れている。
 そんなところに匂ってくるのは果たして椎の花である。ところが辺りを見渡しても、さまざまの木々が茂っていてよく見えない。
 そこで思い浮かぶのは掲句である。
 椎の花は遠く引いて見ると、一目瞭然にわかる樹の花なのであった。
 たしかに、あの淡黄色の小花がみっしりと垂れさがっているさまは、初夏の強い日差しの中で、「燃ゆる色」を見せてはばからない。
 眼で見て匂いを感じ、匂いをかぐと色を感じる、そんな梅雨時の花である。

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   栗の花紙縒(こより)の如し雨雫      杉田久女

 栗の花もまた梅雨時の花である。生々しくも青臭い匂いがたちこめてはじめて気付かされることも少なくない。
 夏山の句から、椎の花は燦々たる日差しに適い、久女の句から、栗の花は漠々たる雨雲に適うというように、その趣きの違いが定かに印象されて、さすがと思うばかり。
 そうして、栗の花の形体は「紙縒の如し」と言われてみると全く紙縒以外の何ものでもないように思えて、その先の雫のさまも繊細に窺われるものである。

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   こふまじきひとをこひをり花石榴       雪女

 石榴の花の赤は何と表現していいか、真っ赤とか真紅とか朱赤というか、いろいろの色の名をもってしても言いきれないような鮮やかさ。
 それも、密密に繁った緑を潜りに潜って飛び出したかのような開きように出会うとちょっとドキッとする。
 梅雨の時期であればこその意表を突いたような花の咲きようがいとしい。
 こんな石榴の花に引きだされた恋情を、「こふまじきひとをこひをり」と言い切った。まこと言い得て妙である。
 ひらがな書きのフレーズは、ひとえに架空の彼を思わせもするのである。
by masakokusa | 2013-06-30 21:11 | 秀句月旦(3) | Comments(0)
山本洋子鑑賞


    雲は日の裏へまはりてあたたかし       草深昌子

 いままで日の表側にいた雲が、今、裏へまわってふいに日のぬくもりを感じた。
 当たり前ののようであるが「あたたかし」の情感がそのままに感じられる。
 太陽のうしろ側にまわった雲の輝きもみえるようだ。
(平成25年7月号「晨」所収)
by masakokusa | 2013-06-28 11:25 | 昌子作品の論評 | Comments(0)