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昌子365日(自平成25年4月1日~至4月30日)
 

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     4月30日(火)       行春の踏台高くありにけり

     4月29日(月)       アイリスや寺のとなりの家の庭

     4月28日(日)       おほぶりの雲が三つ四つ幟吹く

     4月27日(土)       春燈に琴立てかけてありにけり

     4月26日(金)       あたたかや畷にそろふ草の丈

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     4月25日(木)       囀の松籟遠くまた近く

     4月24日(水)       ぱつくりと幹に瘤開く花は葉に

     4月23日(火)       籠堂までは下りや踊子草

     4月22日(月)       若芝の風に一羽の横つとび

     4月21日(日)       象谷(きさだに)の奥に奥ある連翹の黄

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     4月20日(土)       探鳥の窓開く草の芳しく

     4月19日(金)       永き日の亀の甲羅でありにけり

     4月18日(木)       その人を風の潮干に悼みをり

     4月17日(水)       若芝のなだれてゐたるところ好き

     4月16日(火)       子は走る八重桜から八重桜

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     4月15日(月)       稚児百合や春早ければ夏もまた

     4月14日(日)       雲は日の裏へまはりてあたたかし

     4月13日(土)       花惜しむ侯爵邸の畳かな

     4月12日(金)       夕桜舟に赤子と乗りあはす

     4月11日(木)       春風の音にころげて落葉かな


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      4月10日(水)      桜蕊降るや眼鏡の東大生

      4月9日(火)       花過ぎや石敷きを踏み砂利を踏み

      4月8日(月)       楠の揺れの残花に及びけり

      4月7日(日)       花惜しむ饅頭買うて飴買うて

      4月6日(土)       サボテンの棘噴く春の嵐かな

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      4月5日(金)       春宵の女よく泣く芝居かな

      4月4日(木)       園にして松の林や鳥雲に 

      4月3日(水)       あたたかや北枝の墓を取り囲み

      4月2日(火)       花冷の大拙館にきはまれる

      4月1日(月)       鳥引くや加賀もここらの黒瓦
by masakokusa | 2013-04-30 20:33 | 昌子365日 new! | Comments(9)
秀句月旦・平成25年4月
 

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   藤の花顔へ落ちくる鞍馬道      川崎展宏

 鞍馬というと、牛若丸(義経)が天狗を相手に修行をしたという伝説がすぐに思われるが、現実の鞍馬道も、鬱蒼たる杉の林があって、又その杉の走り根が鞍馬山の固い岩盤の上を這うようにくねくねと盛り上がっていたりして、往時を偲ばせるに十分の神秘的な小暗さのある道である。
 「顔へ落ちくる」、もうそれだけではっとするような実感がわき上がるのは、まるで天狗の出没に出会ったような趣きを感じとるせいかもしれない。その顔には瞬時に翳りがさしたように思われる。
 この山藤は、どこか妖しげな色彩を放っていながら、不思議とやさしい。
 鞍馬道ならではの地霊を宿らせているからであろうか。

 展宏の藤の花には、

   東海道ところところの藤の花      展宏

 もある。

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   童女また藤を仰ぎに藤の下      辻田克己

 こちらは藤棚であろう。
 小さな女の子が、たっぷりと垂れ下がった藤房をさも珍しいものを見るかのような面もちで眺め入っている。ふと藤を揺らす風に驚いて、日向のママの方へ駈けよったのだろう。でも又この藤の花に引かれるように藤棚の下に入ってゆく。
 興味津津、今度は藤房に柔らかな手のひらを差しだしたかもしれない。
 「藤を仰ぎに」は、幼なのいとけなき丈も見せて、藤の花の悠揚迫らぬ美しさを引き出している。
 幼なでなく「童女」としたところに、ゆかしき色を添えているのである。

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   春の風顔いつぱいに吹く日かな      成田千空

 まるで童女が詠いあげたようである。思わず、読者の顔にもそよ風が充満してくるような安らぎを覚える。
 思えば、千空は津軽出身であるから、長い冬を越した安堵感、春を迎える喜びが文字通り満面に出たのであろうか。

 千空は20歳の頃、リルケの詩集を愛読した。

   ― 「薔薇の葩」という詩の中に、こういうフレーズがある。

   花びらは大空のひかりを透さねばならぬ
   千の空からこぼれおちる翳の一滴一滴を静かに濾過しながら
   すると光の火焔のなかに花粉をつけた雄蕊の束が
   ゆらゆらともえあがるだろう

 この時、<千の空>という言葉に出会ったうれしさを覚えた。さほどよい俳号とも思っていなかったが、わが俳号に俳と詩の願望が宿ったようである ―
 と書き遺している。

 まさに、掲句は、無償の詩であり、気息の大らかな俳句である。

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   宮滝に瑠璃を湛ふる春の水      藤本安騎生

 吉野離宮は持統天皇が在位11年間のうちに、31回の行幸をしたという女帝思い入れの地だけあって、景観の大きいところである。
 吉野川には柴橋が架かっていて、ここから眺める上流は「滝つ河内」と呼ばれる。「滝つ」は激(たぎ)つで、流れの激しいこの滝の都はいつまで見ても見飽きることがない、と万葉集に歌われている。
 下流には「象(きさ)の小川」が吉野川に注ぎ込んでいる。その注ぎ込んだ場所は「夢の和田」と呼ばれ、まこと夢のような真っ青な宝石の色を見せて、碧潭そのものである。
「瑠璃を湛ふる」は現在ただ今のありようでありながら、それはそのまま、縄文人が住居を構えていたであろう頃までもさかのぼるような深い色彩である。
 今までもこれからも、絶えることのない吉野の春の水である。

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   春の夜のそこ行くは誰そ行くは誰そ      正岡子規

 春の夜の朧に出でて、「そこ行くは誰そ」また、「そこ行くは誰そ」と、呼びとめるほかはない、今は亡き古白を幻想してやまない子規、その畳みかけて詠いあげた哀切がそくそくと伝わってくる。
 藤野古白は子規より四歳下の従弟。東京専門学校(現早稲田大学)に入り、島村抱月について文学を修めたが、神経病に罹って、ピストル自殺を企て、明治28年4月12日に没した。24歳であった。
 子規の従軍出発前には荷造りを手伝い、出立を新橋まで見送ってくれた、その留守中の出来事であった。
 その死を知った24日、

    春や昔古白といへる男あり    子規

を詠んでいる。
 「思へば昔一窓を同うし、艱難を共にする時、彼怠れば我之を叱り叱りて、聴かざれば先生に訴たへて苦訓を受けしめたる事もありき。其後其弱き意思を助けんとて、向島の寓居に彼を励ませしを、如何に感じけん、答もなさで只ほろほろと泣き出でし事もありき」―子規の古白追懐は続く。

    今年又花散る四月十二日     子規

 古白一周忌追善の句。
 明治29年は子規自身も腰を病み歩くことも難しかった。
 あの世の古白に思いをはせればはせるほど、桜の花びらは小止みなく降ってくる。
 4月12日ほど脳裏を去らぬ日はない。
 子規の愛した古白は、子規同様の天才肌であったのだろう。古白のいのちは、子規のいのちとなって、最期まで子規とともに生き続けた。

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   落椿挟まるままに立て帚       鈴木花蓑

 いつかどこかで見たことのあるような光景である。
 お寺かお屋敷か、あるいは、そこらの苫屋でもいい、ただ単にそこにそうあるだけの何でもない景色を、かくも明快に詠いあげることのできる描写力に驚く。
 さっきまで椿を掃いていたであろうさまや、そのあたり又椿が落ちているであろうさまなどまで思い浮かべさせながら、一句の世界はひそかにも静かである。
 そして、どことなく明るい。
 竹の箒に挟まってある落椿だが、まるで額縁の中に見るように鮮やかな紅色である。

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   たもとほる女ばかりに遅桜       原コウ子

 先日、駒場東大の中を吟行したが、キャンパスも外れのテニスコートあたりの八重桜が美しかった。他にも何桜であろうか、遅咲きの桜が満開であった。
 もう桜の盛りはとっくに過ぎて、こころなし淋しく思われていたころであったから、思いがけず出会った遅桜は、ことさら心を和ませてくれるものであった。

 掲句もどこかへ吟行に出かけられたのではないだろうか。
 行ったり来たりする、そのあたりには、さぞかし色の濃い、赤味がかった桜がぼったりと咲き満ちていたであろうと想像される。
 そう思われるのは、「女ばかりに」が、よく遅桜の本情を引きだしてくれるからである。

 ちなみに東大に咲く遅桜は足の長い学生が颯爽と行き過ぎるばかりで、なかなか一句に仕立てられなかった。
by masakokusa | 2013-04-30 10:49 | 秀句月旦(3) | Comments(0)
特別作品評            草深昌子
  

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     米寿の詩        野上けいじ

 

   滝しぶき終の紅葉を囃しけり
   九谷より色あふれだす夕しぐれ
   冬田来て九谷の大き皿に逢ふ
 
 滝しぶきが紅葉の真紅を「囃す」のだという、かの三尺の童子ここにあり。「色あふれだす」という瑞々しさの発露。そうして「九谷の大き皿」は必然の出会いのように坐っている。その豪放たる絵柄はいかばかり美しいものであったろうか。
 十句のどの句も、めりはりをもって相互に響きあうのは、作者の雀躍たる精神の投影にほかならない。

   米寿の賀加賀のしぐれを喜べり
   雪吊や耳のうしろに加賀ことば
   越晴れて加賀しぐれたる祝旅

 名にし負う金沢時雨。憧れてあったものが、米寿めでたしと沁み入ってくれるではないか、相好を崩さずにはいられない。
 加賀ことばを手堅くも控え目に置かれた雅びは、加賀百万石の雪吊を弥が上にも際立たせる。
 越中と加賀の二国に、人生的なるものを滲ませて、感謝の一念は「祝旅」にがっちりとこもっている。
 米寿という一つの節目を、かくも明晰に越えてゆかれる詩魂の力強さに、ただ瞠目するばかりである。
 心よりお喜び申し上げます。 



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     無事        村手圭子



   百の手に上ぐる大注連一の宮
   注連新たここに日本刀を打つ

 三輪山は、山そのものがご神体である。 
 神山を仰がれる日々の暮らしは、もうそれだけで「無事」という思いに満たされる。 
 大和国一の宮の注連縄は神宿る大樹に高々と張られるのであろうか、簡潔明瞭の韻律がまことに清々しい。
 「ここに」という措辞には、その清浄を認識し、正しく伝統を継いできた刀匠への畏敬の念を新たにしている。

   刀匠の門とて簡素竜の玉
   刀匠の住む谷梅の早きかな 
   神山を仰ぐ暮らしに日脚伸ぶ

 東京は葛飾の鍛冶場を見学させてもらったことがあるが、やはりそこにも竜の玉が瑠璃の燦光を放っていた。 
 東西を問わず、刀匠の気力の張りは竜の玉に結晶されるようである。
 そして、刀匠の谷の梅ならば凛然と先駆けて咲くに違いないと思われる。
 やがて万象に春の息吹が整ってゆく。
 生きていることが、すでになつかしい光景である。

(平成25年5月号「晨」所収)
by masakokusa | 2013-04-29 10:08 | 俳論・鑑賞(2) | Comments(0)
山本洋子鑑賞
    
  
  踏青の二度まで柵を跨ぎたる       草深昌子


 山本洋子鑑賞

 待ちかねた春の野に出て青々と萌えだした草をふむ。
 「二度まで」という言葉に抑えられない心を見る。
 柵などお構いもなく跨いで先へ先へとすすむ。「跨ぐ」という荒っぽいしぐさも踏青の躍動の心を直裁に伝える。
 <硝子戸と障子のはざまあたたかし 昌子>

(平成25年5月号「晨」所収)
by masakokusa | 2013-04-28 23:14 | 昌子作品の論評 | Comments(2)
大峯あきら鑑賞
 

   踏青の二度まで柵を跨ぎたる       草深昌子


  大峯あきら鑑賞

 「踏青」という季語に何か見合うものをくっつけた、いわゆる二物取り合せの句ではなく、柵を二度もまたいだという事実をそのまま放り出したところがよい。
 そのため、机上でこさえあげて句の持たない臨場感がある。
青々と萌えた草がうれしくて、あちこち歩き廻った踏青の興奮がストレートに再現されている。

(平成25年5月号「晨」所収)


 
by masakokusa | 2013-04-28 23:09 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
昌子の会・青草抄(平成25年4月)        草深昌子選
 
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   鳥雲に新幹線の自由席       佐藤昌緒

 秋に北方からやってきた鳥は、春になるとまた北方へ帰っていく。
 作者は新幹線の自由席に座っている。
 どういう旅であるのか具体的には知るよしもないが、自由席という表出からは何ものにも拘束されない、ただ一人きり、一息抜いたような気分が伺われる。
 同時に新幹線というスピード感が一句に命を与えている。
 作者の目線が、そのまま読者の目線となって、帰っていく鳥の一群の飛翔が目に見えるようであり、やがて雲間はるかに見えなくなってしまうところまで見届けることができるのである。
 そして、新幹線の走るままに、一抹の淋しさが尾を引いている。
 省略の利いた、余白の広やかな句は、そのまま移りゆくものの茫洋たる時間と空間を垣間見せてくれるものである。
(青葡萄)

 
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  四月馬鹿香林坊で豪遊か      吉田輝山

   君と出逢った香林坊の
   酒場に赤い灯がともる
   ああ金沢は金沢は
    ~~
 北島三郎の「加賀の女」の一節である。

 そして、四月馬鹿は4月1日のこと。この日に限って、嘘をついて人を騙してもいいという西洋の風習は、我々の若い時代には大いにうけた。
 なつかしのエイプリルフールである。

 この日、金沢の旅に入った一行は、何はさておき香林坊へ向かった。
 「お客さん、香林坊は北島が唄っただけで何にもありませんよ。本当の花街は別のところです」とそっけないタクシーの運転手。
 だけどこの大阪から来た作者は、香林坊と言う町の名の由来が比叡山の僧であった香林坊が還俗して、この町の目薬屋の跡取りになって繁盛したことに由来するのだと教えてくれた。なにはともあれ、金沢の繁華街に違いない。
 そして、その夜の句会に出たのが「香林坊で豪遊か」である。
 今は老いたが、真面目一徹に、高度成長時代を支えてきた企業戦士の切なくも大らかな述懐である。
(青草)

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    砂利踏んで兼六団子花曇      仙崎礼二

 金沢というとたちまち雪吊の兼六公園がイメージされるが、この春の旅では既に解かれていたのはちょっと残念。
 ところが早くも八分咲きの桜が松の緑を縫うように落ち着いた華やかさを放ってくれたのは嬉しい誤算であった。
 「花開くとき風雨多し」の通り、どんよりと曇った空であったことも加賀藩のお殿様の面影を偲ばせるものであった。
 シャリシャリと鳴る玉砂利のリズムは旅の心弾みそのもの。茶店でいただく串の団子、それは名にし負う兼六公園の兼六団子、草の緑も濃い団子なのであった。
 上から下へ読みおろして、実にすんなりと腑に落ちる一句は兼六団子の美味さにもまして、ウマイ。
 「兼六団子」が「兼六公園」では観光のキャッチコピーに過ぎない。「兼六団子」の発見が俄然詩情を生み出している。
(青草)

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   春風や百万石の城下町      前田船長

 「百万石の城下町」はある種の決まり文句かもしれない。作者自身もそれは充分承知のことである。だからこそ、金沢を歩いて、「ああ、やっぱり、ここはどこを歩いても城下人の美意識に満たされている町であることよ」という感慨をあらたにされたのではなかろうか。
 でなければ「春風」と言う季語をビシッと、かくも見事に、こともなげに置くことはできないのである。
 春風は駘蕩として、一句全体を包み込んでいる。
 作者の気分そのものである。
 読者もまた、春風につられるように、兼六公園から、香林坊へ、さらには四高跡へとゆったりとした気分でもって、百万石の豊かさを味わうのである。
(青草)

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   春雨や松の枝間に薄日差し      本松天狗

 兼六公園を散策中に雨がぱらついた。これぞ、金沢時雨、春の加賀時雨である。
 しろがね光りに雨脚を見せて、はすかいに降る雨は何とも清々しい。そして時折、薄日がさすと、大ぶりの松は燦然と緑を引き立たせるのである。
 こんな複雑な情景をたった17文字でもって整然と描写するところに俳句の妙味がある。
 「春時雨」としないで「春雨」としたところも、男性ならではの潔さであろう。なまじ、下手な色づけをしないことである。
 一句から季題は正々堂々であれと教えられる。
(青草)

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   巣作りのつばめさへづる武家屋敷      川口麻呂

 「巣組み」も季語ならば「燕」も季語、さらには「囀る」も季語である。
 作者はそんなこと意にも介しない、季語もヘチマもない。事実は事実として詠いあげたのである。
 物を見る眼をこらしていると、季語が格別なものでなく、日常の普通語として、いきいきと機能する世界を見せてくれるのである。
 「スズクリノツバメサエズル」という、口の中がモチャモチャするような韻律は、すでにして、巣作りにいそしむ燕の声になっている。
 燕が飛んだだけでなく、囀っただけでなく、巣作り最中のせわしげな燕であったことが、前田家の家臣たちの悲喜こもごも、単純ならざる暮らしぶりを彷彿として蘇らせる。
 武家屋敷跡は、香林坊の裏手にある細い道筋にあって、かの加賀藩の時代にタイムスリップした感じであるが、土塀が残っているだけで歴史が伝わるものではない。
 生き物の声があってはじめて屋敷内に命が吹き込まれるのである。
(青草)

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   能登の浜触れて崩るる桜貝      藤埜まさ志 

 能登半島の西の付け根あたりに、千里浜(ちりはま)という南北に伸びる長い砂浜がある。この砂浜は全国でも珍しい、車で走れるドライブコースになっている。
 キメの細かい砂浜に降り立つと、「桜貝が落ちていそう」ということになって、誰も彼もが貝拾いをはじめた。
 ピンク色の小さな貝殻は「あった!」とつまみあげて、その手に載せようとした瞬間に微塵に崩れ落ちた。
 薄い薄い貝の感触が旅愁となって、しばし寡黙になったのは私だけではなかったようである。
 「触れて崩るる」は桜貝のやさしさ、はかなさを表現してあまりある。
(青草)

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    日本海花の頃には波やさし      片岡洋

 思いがけない千里浜の走破は旅の一行をもっとも喜ばせた。
 倉敷在住の作者にとって日々親しんでいる瀬戸内海と違って、ここ日本海の春の海のかがやきは、ことさら感じ入るものがあったのではないだろうか。
 湘南の海を見慣れた私にとっても、あの波の形状といい、白さといい、砕ける音までもが、微妙に異なって魅了されてやまなかった。感動の所在は何であったのだろうか、長閑などという概念とは別種のものである。
 掲句に出会って、と胸を衝かれた。
 「日本海花の頃には波やさし」、こう総括されてはじめてスカッと、かの日の波のさまが落着きをもって、鮮烈に浮かびあがってきたものである。
 日本海を前にして、その風土への慎み深い挨拶の気持ちが行き渡っている。
 何より、桜の花を愛でる心のありようがやさしくなければこうは詠いあげることは出来ないだろう。
 この一句をもって旅の幸せは言いつくされた感がある。
(青草)
by masakokusa | 2013-04-17 20:53 | 『青草』・『カルチャー』選後に | Comments(0)