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昌子365日(自平成24年4月1日~至4月30日)
 

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     4月30日(月)       行春や指にかためてだんご虫

     4月29日(日)       蓬髪に蕊降りかかる昭和の日

     4月28日(土)       暮遅き鳥の咽(のんど)をころがしぬ 

     4月27日(金)       その人に蹤くべくありぬ春野道

     4月26日(木)       柿芽吹くところに語りはじめたる

       
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     4月25日(水)       風切つて過ぎゆく人や夏隣

     4月24日(火)       陸橋に仰げる空の霞かな

     4月23日(月)       一川に橋がいくつも花過ぎぬ

     4月22日(日)       掌に蟹をのせたる暮春かな

     4月21日(土)       翡翠のあと行く鵯や春深む

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     4月20日(金)       かくまでも掻き曇るかな梨の花 

     4月19日(木)       ひよどりの嘴のこまめに暮れかぬる

     4月18日(水)       東山三十六峰花篝

     4月17日(火)       閼伽桶に名の無きはなき桜かな

     4月16日(月)       にはとりの苗代寒を鳴きにけり

   
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     4月15日(日)       鎌倉のこの路地が好き菫草   

     4月14日(土)       墓原に来たるはきつと桜人

     4月13日(金)       日の中に雨降る春の愁かな

     4月12日(木)       豪邸にさくら苫屋にさくらかな

     4月11日(水)       盤石にくさびをかます桜かな

 
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      4月10日(火)      過ぎたれば痛み覚えぬ桜かな

      4月9日(月)       花風に竹の箒の音よろし

      4月8日(日)       花筵大阪言葉はばからぬ 

      4月7日(土)       ひよどりのこゑを洩らさぬ初桜

      4月6日(金)       大山をかたへにしたる山笑ふ

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      4月5日(木)       晩春の嵐あととはなりにけり

      4月4日(水)       お屋敷の松の高きに鳥交む 

      4月3日(火)       少年と爺と語るや鳥雲に

      4月2日(月)       うぐひすのこゑやすかさず人のこゑ

      4月1日(日)       ものの芽のうすきみどりやけふの丈   

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by masakokusa | 2012-04-30 23:28 | 昌子365日 new! | Comments(14)
秀句月旦・平成24年4月
  
  
   窓遠き逗子や炭屋に藤垂れて      飯田龍太

 甲府在住の龍太にとって、海近き逗子の旅は、開放的な寛ぎを覚えられたことだろう。やや冗長で、けだるい感じの中にも、どことなく弾みごころが伺われるのは、その独特の節回しによるように思われる。

 私にとっても、逗子は、フランス刺しゅうを習いに、40年近く通ったところであるから、逗子=刺しゅう糸であって、その艶なる色彩がぱーっと浮かびあがってくる。
 飯田龍太にあこがれて俳句にいそしんだ歳月もまたこの時期に等しい。
 そんな明るさが陰影をもって印象されるのは、炭の暗さにかぶさる藤の紫が鮮やかに見えるからであろう。  季節感そのものがすでになつかしい。
 藤の花が咲くと、華やかだった春もおしまいである。

 2012年4月19日(木)朝刊でもって、飯田蛇笏ゆかりの俳句誌「白露」が終刊になることを知った。
 飯田蛇笏から飯田龍太へと継承された「雲母」誌は1992年に終刊。その後を広瀬直人が「白露」を創刊し、「雲母」の俳句を継いできたのである。  
 「白露」は19年続いた。
 「雲母」から数えて、実に97年の蛇笏精神を貫いた俳句の歴史に幕を下ろすことになる。

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   空ふかく蝕む日かな竹の秋      飯田蛇笏

 春になると草木は萌え出して、輝かしい緑を発散する。
 だがひとり竹の葉っぱは色あせてくる。ことごとく黄ばんで、勢いもなく、やがて風に音をたてて絶え間なく散ってゆく。この凋落のさまを俳句では「竹の秋」という。
 秋季には逆に「竹の春」と言われ、青々として美しい。竹は普通の植物とは春秋がさかさまなのである。
 地中に、沢山の筍を養ったあとの親竹は、いつしか疲れきってしまっているのであろう、そんな竹の秋である。

 「蝕む」という措辞の的確さに、胸を衝かれる。
 虫がものを食うように、悪弊や病気などの何ものかが、じわじわと本体をおびやかしてくるのも、大いなる天然のありようではある。

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   チューリップ喜びだけを持ってゐる       細見綾子

   さいたさいたチューリップのはなが
   ならんだならんだ
   あかしろきいろ
   どのはなみてもきれいだな

 まさに、「喜びだけを持っている」、ピカピカのランドセルそのもののチューリップの花。思わず笑みがこぼれる。
 チューリップの花をズバリ言い得た調べの何と決まっていることだろう。
 誰でも詠えそうで詠えないのが、「喜びだけ」の「だけ」である。
 「だけ」という断定が、胸のすくように抽んでている。
 すっくと茎をのばしたチューリップの元気をここに新ためて納得するのである。
 

   喉元のつめたき鶯餅の餡        川崎展宏

 「喉元の」の来ると我が喉元を意識する、だが、そうではなかった、「喉元のつめたき」にすかさず「鶯」がくっついてくると、ああそうか鶯であったかと思い直す。
 鶯の美声を思えば、瞬時に感受される何かがあるのであるが、そこへ、「餅の餡」と止めが刺される。
 「モチノアン」このまったりした感触、アンコの味わいはゴックンというかツルリンといおうか、その中間ぐらいの感触でもって、あんぐりと飲み込む味わいがたまらない。  
 しばしそのひんやり感と甘味を味わうことになるのであるが、そこには当然、鶯の感触も鶯のころの季節の風情も沁み込んでいる。

 この句は意味的には「喉元のつめたき」「鶯餅の餡」で、要は鶯餅の一句である。
 一句が、ただの鶯餅に終わらないところが、17音の配合のウマさ加減である。
 絶妙の句またがり、中七の字余りでもって、読者にゆったりと読ませて、その想像力をどこまでも引き延ばしてくれるのである。

 
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   かたくりの花の韋駄天走りかな       綾部仁喜


 片栗の花は、ものみな萌え出づる春の到来を告げる。ホトトギス歳時記でも二月の花として掲載されるが、春の冷たかった今年はかなり遅れて開いたようである。
 山地の木蔭に、一つ一つ茎をのばしては俯き、うっすらと紅潮したかのような紫の花を咲かせる姿はまさに紛うことなく韋駄天走りのさまである。
 「韋駄天走り」に出会ったときの驚きは忘れられないが、今もって、片栗の花と言えば韋駄天走りの他には思いつかない。
 韋駄天という足の速い神様が転じて足の速い人の譬えになっているのであるが、風を切って、後方へそっくりたなびく髪のさまが見るからに印象的である。
 掲句は、片栗の花の形態を見事に言いとどめられたと同時に、春先の花の先駆けとして、急展開の季節感をも象徴しているのである。
  
 
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   誰も見よ虚子忌の雲の輝きを      上村占魚

 4月8日は俳人高濱虚子の忌日である。
 ― かえりみれば、明治31年10月、それ以前の松山版「ほととぎす」を継承した虚子が、東京から第二巻第一号を発刊経営に当って以来60年余、虚子の文芸活動は「ホトトギス」と共にあった。この間いわゆる雑詠選を介して、幾多の俊才を発見育成し、その門流の及ぶところを孫弟子、曾孫弟子まで探れば、現俳壇を形成する人脈のくまぐまに至っている。
 明治・大正・昭和三代にわたるこの業績を、虚子みずからの典型的「花鳥諷詠」の句業とあわせて思うとき、おおまかこの時代を「虚子の時代」と称して差し支えないであろう ―(現代俳句の世界・高濱虚子集~解説・三橋敏雄より)

 掲句は虚子一周忌の作品、上村占魚については、岸本尚毅著「生き方としての俳句」にくわしい。
 ― 占魚は内面のつぶやきをそのまま俳句にすることによって風景を想像させる手腕に長けていました―
 まこと虚子の俳句観を体現した作家ならではの忌日句である。
 虚子の大御所ぶりが、風景のひろやかさと共に燦然と伝わってくるものである。


  あたたかな雨が降るなり枯葎      正岡子規

 今年は春の寒さが長引いて、ほとほと身に応えた。
 そして大雨風とともに4月はやってきた。
 子規の句もまだ本格的な春の到来ではないようだ。茂った雑草の大方は枯れきっている。だが、今日は草萌えを促すようなあたたかな雨がしとしとと降っているという、細やかな雨脚が透き通るようによく見える光景である。
 この句は「枯葎」を季語とする冬の句か、「あたたか」を季語とする春の句か悩むところであったが、今は「あたたかな雨が降るなり」を主題とする春の句であることを疑わない。
 一と雨のもたらす湿潤が、「枯」の一字によく作用している。

 二月頃の、早春の雨のあたたかさをいち早く感受した句であるが、今年は仲春になっても共鳴されるものである。

 
by masakokusa | 2012-04-30 20:13 | 秀句月旦(3) | Comments(0)
原石鼎俳句鑑賞・平成24年4月
 
 
     行春の水を滑りぬ水馬     大正13年


 石鼎俳句の中七の妙には、いつも唸らされるのであるが、掲句の「水を滑りぬ」という表現も、平然と見ているさまに見えて、どこか空恐ろしいものである。

 水馬は夏の季語で、水面をすいすいと走り回る細長い虫であるが、今ここにある水馬は、すいすいとまではいかない感じの一と滑りである。そこには、去りゆく春をちょっと後追いしたいような心がこもっていそうである。
 「行春や」と一旦切らずに、「行春の水を滑りぬ」と行く春を水につなげてひっぱったところの微妙な感覚も水輪のひろがりをひそやかにしている。

 華やかであった春も尽きんとしている、ふとした哀愁が、まるで氷上のそれのようにどこまでも透き通っているさまは見るからに清らかである。
 今思わず、「ふとした」と言ったが、このふとした気持ちに寄り添ってきたのが、「水を滑りぬ水馬」そのものであったのだろう。
 はからいを一切見せない句である。
 
 ちなみに「水馬」の句を夏の歳時記に拾うと、

   静まれば流るる脚やみづすまし      太祗
   松風にはらはらととぶ水馬         虚子
   水すまし水に跳ねて水鉄の如し      鬼城

 など、水馬の生態がいかにもあきらかである。
 ここであらためて、「行春」を主題とする石鼎の水馬は、「水に流るる」ものでなく、「水に飛ぶ」ものでなく、「水に跳ねる」もののでもないことを思い知るのである。

 ところで、石鼎の「行春」の句は、他にも好きな句が多い。

   行春や古毛の中の棕櫚の苞         大正12年
   行春の棕櫚の古毛に埃かな            〃
   行春の遠火事も見て別れ哉            〃
   行春や庭の夕のさみどりに          昭和4年
      不老館の蚊帳の内より塩竈の社見ゆ
   行春の塩竈様は我のもの           昭和5年
   行春や朽ちて葉にのる八重椿         昭和9年
   行春や古炉へまでも花の風          昭和10年
   行春の古炉へまでも花吹雪            〃

 行春という、ある種茫洋として、つかみどころのない季感を味わう心境には、今生きてここに在る、私のいのちの鼓動を聞きとめようとする無意識の静けさがはたらくのではないだろうか。
 取り残されたいのちといった感慨もあるだろう。
 そんな私一人のつぶやきは、誰にわかってもらえなくてもいい、そういう穏やかな思いの中にあって、これこそは私の行春へのしんじつの手向けですよという、頑然たる強さも端々に匂わせるのである。

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by masakokusa | 2012-04-30 09:58 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)