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原石鼎俳句鑑賞・平成23年11月
  
    山茶花の葉滑る花や霜の上         大正6年


 山茶花は咲いたかと思うと、もう零れて、次から次へと咲く花である。
 その花は散り際に、艶やかな厚い葉を滑って落ちるという観察眼が光っている。その上、その花は、霜の上に落ちましたよ、とこれまた丁寧に見届けている。
 「山茶花の葉滑る花」だけで一句になりそうであるが、石鼎の詠いあげたいのはやはり「霜の上」であろう。
物と物との関係を描かずにおれぬのが画伯の審美眼であるらしい。

 山茶花は10月の半ばごろから咲き始め、11月を盛りに咲いて、やがて強霜の来るころまで咲いている、花季の長いものである。
 この句は、そんな山茶花もいよいよ咲き終ってしまう頃のありようを、鮮やかに明るくしかも冷たく詠いあげている。
 花びらの着地は、助走する体操選手の如く、初めからイメージされたものであったかのように決まっている。はたしてその赤い色彩がいっそう鮮明になり、文字通り落ち着くべきところに落ち着いたという安堵感があり、やがて寂寞たるあたりまでもが見えはじめる。  
 
 「ハスベルハナヤ」という中七の躍動がやはり石鼎独特の口ぶりになっていて、まるで心弾みに落ちたかのような印象さえある。
 だから、「霜の上」という終息がいっそう効いてくるのである。

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by masakokusa | 2011-11-03 14:36 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
昌子365日(自平成23年11月1日~至11月30日)
 

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    11月30日(水)        湯婆の口にあふるる煮え湯かな

    11月29日(火)        けふもまた気にそはねども毛糸帽

    11月28日(月)        腹帯の授けどころや帰り花

    11月27日(日)        足に手に恙のあらぬちやんちやんこ

    11月26日(土)        沢蟹のしぐるる酒蔵のほとり
      

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    11月25日(金)       丘の上に海を見はらす蒲団かな

    11月24日(木)       五色なる勤労感謝の日の雲は

    11月23日(水)       ストーブに金箔暗む書院かな

    11月22日(火)       高階に見たる高階小六月

    11月21日(月)       観音のそびらに帰り咲きにけり
     

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    11月20日(日)       友垣のいやうるはしきおでんかな

    11月19日(土)       一枚の朴の落葉を預かつて

    11月18日(金)       小春日や一つ丘なる一つ町

    11月17日(木)       さくさくと踏みゆく音の寒さかな

    11月16日(水)       神送り兎の穴の深きまで

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    11月15日(火)       正装の子供のゆきき石蕗の花

    11月14日(月)       蝶行くや十一月の草の丈

    11月13日(日)       ざわざわと過ぎたるものや神送り

    11月12日(土)       つつぱりを交うてありけり帰り花

    11月11日(金)       百姓家めきたる寺や帰り花
 
 

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    11月10日(木)       立冬の石にただある高見順

    11月9日(水)        今朝雨に火防(ひぶせ)の神も発ちにけり 

    11月8日(火)        立冬のまつかうにして朝日かな 

    11月7日(月)        行く秋や小鍋に煮込むものの音

    11月6日(日)        小春日や伝言板に庇ある

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    11月5日(土)        たんぽぽの大きく帰り咲きにけり

    11月4日(金)        秋惜しむ赤のうすれし赤のまま

    11月3日(木)        じやがいものにつころがしも文化の日

    11月2日(水)        大川に大橋秋も逝かんとす

    11月1日(火)        築山の向う築山秋惜しむ

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by masakokusa | 2011-11-01 00:38 | 昌子365日 new! | Comments(14)
秀句月旦・平成23年11月
 

   職業の分らぬ家や枇杷の花       正岡子規

 何度読んでも納得し、おもしろい句だなと感嘆する。枇杷の花以外のなにものでもない、まさに職業の分らぬ家の如き存在が枇杷の花のありようそのものである。
 ご近所にもこういう家があって、示し合せたように枇杷の花が咲いている。しかも屋根より高く咲いている。職業が分らぬどころか、すでにそこに人が住んでいるのかしらと思われるほど傷んだ家である。
 俳句を学び始めるまで、枇杷の実は知っていても、枇杷の花というものを知らなかった。
 枇杷の花を美しいとか好きとか言う人も知らないが、今や私には好ましい花である。
 あまりにも目立たない花であるが、淋しさを仮託するのにはちょうどいいし、ちょっとよき香りがするところは、それなりに堂々としてる。
 子規の根岸の家もこんな感じであったろうか。

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   熱燗や食ひちぎりたる章魚の足       鈴木真砂女

 不調法で酒のことはわからないが、単純に考えて、こう寒くなって来ると熱燗がおいしいに決まっている。酒を味わうというより、寒さ凌ぎというものかもしれない。
 寒い夜空を来て、暖簾をくぐった。煮えたものか焼いたものか章魚の足を、力づくとでもいうような口元で荒っぽく食いちぎったなんて、男の様になっている。
 銀座で料理屋をしていた真砂女自身のことかもしれないが、真砂女が少しほれ込んで眺めてる客の図のようである。
 真砂女には、
   熱燗やいつも無口の独り客
 もある。


   大根買ふ輪切りにすると決めてをり       波多野爽波

 これも俳句かと思う。面白い句である。
 大根はたしかに先ず輪切りにするのが手っ取り早い。ぐつぐつと煮込むうちに昆布の出汁が染み込んでいくうまさのようなものが買った瞬間に期待されているのであろう。主婦の句と思いきや、男性の句、しかも銀行マンである。
 そういえば、この作者にとって大根料理はワンパターンなのであろう、主婦のように幾通りもあればかえってこんなスパッとした句はできない。

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   くれなゐの色を見てゐる寒さかな       細見綾子

 この作者の感じている寒さが一読伝わってくる寒さである。
 くれなゐの色が、実体として何の色なのかわからないにもかかわらず、何故かわかる。
 むしろストーブの火の色であったり、夕焼けの色であったり、絨毯の色であったりと具体的に示されると、この寒さは実感されないだろう。
 具体的なものではない、「くれなゐの色」なる抽象にひきこまれていくのである。
 作者がしんじつそこに佇んでいる、その寒さ、そういう自分を客観的に見ることのできる作者がそこにいる、そう思うだけで寒い。
 寒さと対極にあるような赤い色、その色を自覚する心底を持っていればこその寒さであろう。
 女性ならではの心象かもしれない。


  
    酒と茶の薬罐がまぎれ炉辺たのし      皆吉爽雨

 
 初冬の思いがけぬ寒さに出会うと、こんな炉辺は何とも羨ましい。まして紅葉狩か何か句作の旅であったりするとどんなに楽しいことであろうか。
 火の色のあたたかさやふんだんにふるまわれる酒のうまさが臨場感たっぷりに伝わってくる。ときに酒と思いきや番茶が入っている薬缶だったりして、大笑いもあったのだろうか。
 爽雨といえば、たちどころに、

   返り花きらりと人を引きとどめ

 が浮かぶのであるが、「返り花」の清新なる詩情は、「炉辺」にも漂っている。

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   蓑笠をかけて夜寒の書斎かな      正岡子規

 明治24年11月、七部集「猿蓑」に感じるところのあった子規は、忍、熊谷、川越などを旅した。その途中、旅の形見に求めた蓑笠を子規庵の柱に長く飾っていた。
 31歳の秋、二度と旅に出られぬ病身にあって、蓑笠は唯一のなぐさめであり、喜びでもあったのだろう、深い愛惜の念が夜寒にこもっている。
 もうすぐ冬が来るころの晩秋の夜の寒さは、昼が思いがけず暖かかったりするといっそう身に入むものである。
 ところで、先の旅で得た句は、
 
    雲助の睾丸黒き榾火かな
    むきくせのついて其まま枯尾花

 子規は、雲助の句がお気に入りで、「寒山落木」に入集、枯尾花を抹消している。
 宮坂静生は、「子規が、枯尾花の句の単純、明快さにストレートにすすまず、雲助の句のような、俗な、しかし、どこか太々と威勢のいい句材やよみ方を選んだということは、子規の写生の出発にあたり、注意しておきたい点である」と述べているのは、なるほど明快である。

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   ゆく秋を乙女さびせり坊が妻       芝不器男

 秋が終って、いよいよ冬が来る侘しさは、若き頃は耐えがたかった。それだけ感受性も若かったのかもしれない。
 この句を成したときの不器男もまだ大学生であったのではないだろうか。去りゆく秋を惜しむ気分のなかにあって、お寺の奥さんの立ち居振る舞いが妙に、少女らしいものに思えたというである。
 まだ若い女性であろうが、僧侶の妻という立場にあって、かいがいしく働く女性の健気さに心やさしく見惚れているのも、感じやすい不器男独特の眼である。
 寂寥感がふと癒されたのではないだろうか。


   魂ぬけの小倉百人神の旅         阿波野青畝

 京都の渡月橋近くに小倉百人一首の殿堂があって、壮観なる百人の全貌を拝観したことがあった。あるいはすっかり古びているが、どこか小さな社で、額に収まった歌の神様ともいえる像の面々に取り囲まれたこともあった。
 この句も、そんな場面であろう。折しも神無月であって、ここに祀ってある神様も留守であるのかと思うと、何だか、それらの歌人のお姿でさえ魂が抜けたようなものに感じられたというのである。
 「魂ぬけの」と詠われてありながら、そこには艶なるものが残り香のように漂っていて、侘しさに奥行きをもたらしている。
 「小倉百人一首」を「小倉百人」と大胆に短くされて俄然面白くなった、青畝一流の巧みさに驚かされる。


   茶が咲いていちばん遠い山が見え     大峯あきら

 「裏山の頂きに立つと、南西の方角に熊野までつづく山また山が、海波のように連なっている。弥山や山上ケ岳などの遠山の名は、子供の時から憧れていたが、とても見えないものとあきらめていた。よく晴れた茶の花日和の午後のこと、その遠山が見えたのである。冠雪をうすうすと置いた異界のような山上ケ岳であった。平成元年作」
 シリーズ自句自解『大峯あきら』からそのまま引かせていただいた。
 見えないものとあきらめていた、その憧れの山が見えた喜びは、「いちばん」というストレートな言葉によくあらわれている。
 茶の花の咲く頃の空気がどこまでも透き通っている。


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   小さうもならでありけり茎の石         村上鬼城

 大根や蕪などを、葉や茎とともに塩漬けにしたものを茎漬といって、冬に仕込む。茎漬をする桶を茎の桶、上にのせる石を重石(おもし)、つまり茎の石という。
 子供の頃、季節になると京都から酢茎売りのおばさんが大阪の我が家までやってきて、酢茎にかこつけて、話しこんでいかれたことが思い出される。冬の長い地方では保存食として重宝されるのであろう。
 長年使っている重石が、一向に痩せもしないで、厳然と石の大きさのままにあるところに目を付けた。使い減りしない、小さくもならないという、そのことが寒さを耐える日常の暮しの辛抱強さを暗黙に引き出しているようでもあり、又石には石の意思があって、気合を入れてふんばっているようにも思える。
 鬼城ならではの精神が茎の石に重くかぶさっているのである。

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by masakokusa | 2011-11-01 00:35 | 秀句月旦(3) | Comments(0)