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原石鼎俳句鑑賞・平成23年9月
  

   秋晴の強き芒にふれにけり       大正13年


 「強き」という措辞の、その文字通りの強さに驚かされる。ただちに感受できるこの感触は、かつて体験したことのように確かである。
 ぼーっとした日常にあっては、絶えずゆらゆらと揺れている芒のすがたは、ただ見慣れたものとして見過ごしているだけであった。
 だが、作者はちがった。

 芒に触れた瞬間にビビッと感じた、その生命力。この時あらためて、この上もない澄みきった秋晴を認識したのである。
 逆に、秋もたけなわとはいえ、じりじりと背中を焦がすような強烈な日差しを、力ある芒をもって物語ったともいえるだろう。

 「強き」は、秋晴が芒を強くするのか、芒が秋晴を強くするのか、引っ張り合うように響きあって、一触即発とでもいうような触感が一句にざっくりと通っている。
 言わずもがなであるが、「芒に強くふれにけり」ではない、「強き芒にふれにけり」である、そこに「強き」が永遠にひびくのであって、芒に強く触れたというなら、その人限り、その場限りのことである。
 
 『原石鼎全句集』において、掲句に隣る句、

   秋晴の音にひきゆく稲車        大正13年

 もまた、表現の妙が引き立っている。
 さりげない自然の光景であるが、「音に」といわれると、いやがうえにも秋晴への比重が重くなる、そこで稲車の細部までもが目に見えてくるのである。
 豊年なのであろう、びっしりと稲を積みあげた稲車の軋みが、よく晴れた空にめでたくも呼応している。

 思えば、石鼎の句はいつだって石鼎その人と引き換えである。
 石鼎は、自身が全体重をかけて見たもの感じたものを、まるごとの量感でもって詠いあげる。当然、「季重り」なんぞ構わない。
 だからこそ、日常の些事に埋もれてしまっていた読者の感覚を目覚めさせ、大いなる実感をもって迫ってくるのであろう。
 そしてその作品にひそむほのかな狂気さえも、読み手のもののように感受してしばし詩情に浸ってしまうのである。


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by masakokusa | 2011-09-30 19:23 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
実力作家・俳句競詠 『俳句界』           草深昌子
 
  
           蔵王堂        


   花散るや何遍見ても蔵王堂

   耕して大日寺のうらに住む

   奥つ城のほかは春田でありにけり

   青田風とは絶えまなく入れ替はる

   おしなべて秋草あかきあはれかな

   子規の忌の雨号泣す大笑す


 昭和18年大阪生まれ。
 53年「雲母」入会。「鹿火屋」同人、「ににん」同人を経て、
 現在、大峯あきら「晨」同人。俳人協会会員。
 句集に『青葡萄』『邂逅』


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 (『俳句界』平成23年10月号所収)
by masakokusa | 2011-09-23 21:50 | 昌子作品抄 | Comments(0)
大峯あきら選
 
   茅葺の垂れさがりたる日の盛            草深昌子

(平成23年9月号「晨」所収)
by masakokusa | 2011-09-05 22:09 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
山本洋子選評
   
   茅葺の垂れさがりたる日の盛            草深昌子

 
 古くてみすぼらしくなった茅葺である。その端がこの日盛りに垂れさがっていて、でも崩れてはいない。 どっこい屋根の庇の役目を果たしている、ぎらぎらと暑い「日盛」である。

(平成23年9月号「晨」所収)
by masakokusa | 2011-09-05 22:06 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
晨集散策(第164号より)
                               
                        谷 雅子
                       ~~~~~~

    へそ石に乗り降り繁き鳩の恋              神原 廣子 

    花に色鳥に色ある遅日かな               草深昌子

    あめんぼの影ひっぱって泳ぐなり            小堀紀子
  
    叡山を容れたる軒や夏の初               中山世一

    白象が魚屋町行く花祭り                 堀江爽青

    モノレール五月の空を走りけり             原田暹    

 どの句も実に愉しい。生きていてよかったと思う。
         
by masakokusa | 2011-09-01 22:52 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
晨集抄(第164号より)
 
                  天野八千代選

   くちばしを日永の幹にうちつくる        草深昌子


                   森山久代選

   惜春の何鳥となく啼きにけり          草深昌子
by masakokusa | 2011-09-01 22:39 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
特別作品評(第164号より)              野上けいじ

        吉野             草深昌子


   十四五枚寄せて一つの花筵

 焦点を花筵にあてて、後は何も言っていない。だがすばらしい句だと思う。十四五枚と言ったことで、大勢で賑やかな花見をしていることが分かる。
 「芸術の歴史を見れば、作者の意図も一つの意味にすぎず、作者の運命はしばしば大きな力によって決定されることを示す事例がいくらでもあることに気付く」
 これは外山滋比古氏が「省略の詩学」の中で述べたことばである。
 私はこの花筵の中で大勢の仲間に囲まれ、大酒を飲んで花見にかこつけて唄をうたい、踊を舞っている。


   柿芽吹くところに象の子かと聞く

 菜摘の里の川下に喜佐谷があり、象の小川が流れている。
    深吉野の象山の際の木末には
    ここだもさわぐ鳥の声かも
 赤人の吉野賛歌がきこえてくる。
 柿が芽吹いていた。子供がいた。象の子かと聞いた。たったそれだけのこと。
 だが、そうではない。天武天皇、持統天皇が大宮人をつれて、しばしば行幸されたところである。その子孫かもしれない。
 たった一本の木に昔を思う。その子供に昔を思う。


   惜春の山より高く鳶かな
by masakokusa | 2011-09-01 22:32 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
秀句月旦・平成23年9月
 
   野分してしづかにも熱いでにけり      芝不器男

 広い屋敷の中はしづまりかえっている。大雨の音が屋根からも窓からもうちつけて、いよいよ風も強まってきた、不穏な空気が流れる。
 折しも病臥の作者は何やら身の熱りを感じている、どうやら熱が出てきたらしい。安静にせねばならぬが、当然安静にしておらねばならない状況である。
 穏やかならざる状況のダブりを、「しづかにも」受け止める作者、そこには病者ながらも勁い精神がこめられている。
 同時に、自然の草木を吹きつける台風に、人間の生身も又自然に即応するかのように内なるところから発熱をもよおす、不思議なる符合には、ただならぬものの存在がただよっているようにも思えるのである。

 掲句は、昭和4年肉腫のため九大病院に入院した折のもので、「病室にて三句」と前書きがある。

   かの窓のかの夜長星ひかりいづ
   夜長星窓うつりしてきらびやか

に続くものである。
 何故か、ベッドの上よりも畳の上が想像されてならない。
 呼吸の大きい句である。



   天下の句見まもりおはす忌日かな       河東碧梧桐

 正岡子規の忌日の句である。
 碧梧桐は虚子とともに子規門の双璧であった。子規死後、新傾向の句風を宣揚したが、
心に在るのは子規師にほかならなかった。

    叱られし思ひ出もある子規忌かな      虚子
   糸瓜忌や俳諧帰するところあり        鬼城
   糸瓜忌や雑詠集の一作者           素十
   遅々としてわが俳諧や獺祭忌         誓子


 子規の一生はほとんど病臥であったが、その生き方は強健そのものであった。

   供へある柿の大きな子規忌かな       深見けん二
   獺祭忌悪人虚子を敬ひて              〃

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  花野よく見えてゲーテの机かな       大峯あきら

 八千草の咲き誇り、咲き乱れする花野は一見華やかであるが、秋の七草を数えるまでもなく一つ一つの花はどの花もどことなく淋しげである。和して同ぜずの意を持ちながら、大いなる揺れに任せて揺れているような風情でもある。
 大好きな花野というものをイメージしていると、この世の一と世というものは、一つ花野のようなものに思えてくる。

 掲句は、作者が国際フィヒテ学会のためにドイツへ行かれた折、イェーナに近いドルトムントという村にあるゲーテの別荘での作品。
 「目立たない家具とつつましい机がおかれた狭い小部屋をゲーテはただ眠りと仕事にのみ当てた。窓から眺めると遠くチューリンゲンの森につづく花野の起伏がひろがっている。ゲーテの息吹が伝わってくるような、親しい感じの部屋であった」という。
 「ゲーテ」と「花野」は何とまあ似合うことであろうか、と直感する。 逆に言えば、花野以外の何ものも見えないであろうゲーテの机である。
 作者大峯あきらは200年の歳月超えて今ここにゲーテと共有している花野に魅了されてやまない。

 蛇足だが、先日、ドルトムントの香川真司が今季初得点をマークした。香川もまた、ゲーテの机から見える花野を駆けめぐっているようなイメージが湧いて大いに喜んだが、どうもこっちのドルトムントは西ドイツのルール地方にある大きな街のようである。

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   やはらかに静かに芒初穂かな       高橋馬相

 高橋馬相は慶応大学医学部を出た勤務医であった。俳句は原石鼎に師事し、前途を嘱望されたが、昭和21年40歳の若さで病死した。
 俳号を馬相と改めたのは石鼎が、「馬の相はまことに温和で、君の天性のおとなしいのによく似合う」と言ったからだそうだ。又コウ子は、馬相遺句集『秋山越』序文に「色が極めて白く、背丈に比べて面長な顔は印象的で、涼しいと形容してよいのか、美男のやさしい眼をいつもしばたいていた」と、その夭逝を嘆いている。
 石鼎ご夫妻の印象からすると、「やはらかに」「静かに」はまさに馬相の風貌であり、しかも芒はただの芒ではなく初穂であるというところにこの特長が際立ってくるのである。
 お会いしてみたかった、、、と思う一句である。

   虫の闇風吹きたまるところなし
   秋暑く道に落せる聴診器
   栗落ちて初めて己が影をもつ
   秋山を越えきて寝るや水のごとく
   秋風にあらざるはなし天の紺



  秋の草全く濡れぬ山の雨          飯田蛇笏

 ずぶ濡れの秋草もろとも、山中の雨のしたたかさを季節感たっぷりに表出している。
 「全く」というあたりは蛇笏独特の強さであるが、決して突出しないで、一句の中になくてはならぬものとしてしみじみと有効に沁み入っている。
 自然詠といえども、どこか重厚なのはやはり蛇笏調なのであろう。

   夏山や又大川にめぐりあふ
   秋風やみだれてうすき雲の端 
   刈るほどに山風のたつ晩稲かな
   山国の虚空日わたる冬至かな
   去年今年闇にかなづる深山川

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   露草も露のちからの花ひらく       飯田龍太

  路傍に咲く露草は、雑草ともいうべき生命力に富んでいるように思われる。まだ盛夏のうちから草むらに隠れがちに咲いているが、さすがに秋になると露草の本領発揮というところ、その瑠璃色をくっきりと見せてくれる。
 「露のちから」という措辞は、小さな命ながらもさすがにきっぱりとした花の命を開いてみせるものである。
 「花ひらく」は、絵本をひらくような感覚もあって、愛らしい。



   雨の日やみな倒れたる女郎花      正岡子規

 女郎花は秋の七草の一つ。
 黄色の小花を傘状につけて、いつ見ても風に揺れているような風情が好ましいが、「女」の字面から、また「をみな」という呼び名からも楚々たる女性を連想させられる花でもある。
 果たせるかな女郎花は、雨に打たれてもののみごとに倒れ伏した、そのことが一つの安堵でもある。これが雨にもめげず堂々と突っ立っていたら、これはもう女郎花ではないのである。


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by masakokusa | 2011-09-01 00:03 | 秀句月旦(3) | Comments(0)
昌子365日(自平成23年9月1日~至9月30日)
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      9月30日(金)       連峰をみはるかしたる葡萄かな

      9月29日(木)       色変へぬ松やアザラシ館出づる 

      9月28日(水)       路地ゆけば露けき塀の高さかな

      9月27日(火)       銀杏を一つ食うたる彼岸かな

      9月26日(月)       秋晴や大きからざる波の音 

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      9月25日(日)       松が枝に首細うして小鳥かな

      9月24日(土)       秋分の風呂敷包み大きこと  

      9月23日(金)       秋日濃く少女は櫂をあやつりぬ  

      9月22日(木)       その人の動かざること水澄めり

      9月21日(水)       野分あとあねさまかぶりして幼な

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       9月20日(火)       敬老の日とや正岡子規忌日

       9月19日(月)       表には稲穂裏には曼珠沙華

       9月18日(日)       秋晴の濡れ煎餅をいただきぬ 

       9月17日(土)       露けしやだんだんつよき蝉の声      

       9月16日(金)       ひもすがら煙たき露の宿であり

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       9月15日(木)      秋の蠅泳ぐ仕草を見せにけり

       9月14日(水)      一葉落つここなる風の通り道

       9月13日(火)      白雲の波と寄せくる良夜かな     

       9月12日(月)      イルカ跳ぶところ芙蓉は実となれり

       9月11日(日)      さやけくて腕を蜂に刺されけり

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       9月10日(土)      行けど杉行けど杉なる秋気かな 

       9月9日(金)       教会に落ち合ふ野分去りにけり

       9月8日(木)       露けしやかたみにはらふ蜘蛛の糸  

       9月7日(水)       虫すだく墓は紫式部とか

       9月6日(火)       破れては即ち縮む芭蕉かな

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       9月5日(月)       秋の蚊の抱屋敷にあばれたり

       9月4日(日)       帽打って落つるは何ぞ野分晴  

       9月3日(土)       白鷺の大路をゆける野分あと

       9月2日(金)       秋祭太鼓に小止みなかりけり 

       9月1日(木)       九月来る亀の子束子店頭に     

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by masakokusa | 2011-09-01 00:02 | 昌子365日 new! | Comments(0)