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秀句月旦・平成23年6月
 

   さみだれや船がおくるる電話など      中村汀女

 五月雨(さみだれ)は梅雨と同じである。だが、梅雨というと鬱陶しさが先に立つが、五月雨は、雨そのものであって、その雨のリズムを含んだ語感のせいであろうか、どことなく明るさも感じられる。
 五月雨の名作に、
   さみだれや色紙へぎたる壁の跡     芭蕉
   五月雨や大河を雨に家二軒        蕪村
があるが、比べて汀女の句はいかにも現代俳句という気がする。
 昭和7年の作品、この頃汀女は、横浜税関へ転任の夫に従って、横浜の官舎に住んでいた。そこで「船がおくるる電話など」があったのだろう。座五をぷつっと切って、その余韻を読者にまかせるいう心憎さ、汀女ならではの感覚である。


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   桑の実と言ふ口の中きらきらす       平井照敏

 桑の実という言葉を口にしただけで、果たして、「口の中きらきら」するだろうか、なんだかキザな句ではないだろうか、気恥しい抒情のようで敬遠していた句である。
 ところが梅雨の晴れ間、実際に大きな桑の木の実に会って、手を伸ばしては一つ口へ、手を伸ばしては一つ口へ、喜び勇んで休みもあらず、手も口もひらひらさせていると、まさに掲句のさまであった。
 幼児時代に体験がないということはかにかく淋しいが、遅まきながらわかった。今後、桑の実と言えばもうそれだけで会話が弾みそうである。
 少々大げさぐらいが、桑の実というものの楽しさを満喫できるものなのだと、実感したことであった。



   客人は青無花果を見てをられ       岸本尚毅

 田植の頃、無花果の木の茂った葉の腋には、倒卵形の青い実がみっしりと付いている。この状態が青無花果であるが、これは果実でなく、花托というものらしい。中に無数の花が入っていて秋になって熟すると暗紫色になって食べられる。
 無花果というと祖母を思い出すほどに、郷愁と共にどこか陰気臭いものがあるのは、井戸端など湿気の多いところに繁茂していたからかもしれない。
 しかし、掲句は一読して清廉なる印象をもたらす。
 客人という固い表現や敬語などから、貴人風の端正なる佇まいがしのばれる。作者と客人の距離、客人と青無花果の距離、その静謐なる時空の中に、青無花果の在り様がもっとも美しく見届けられるのである。
 何の説明もいらない、言葉通りに読んでそのままの句であるが、青無花果を見据えた眼差しには来し方をかえり見るようななつかしい内面までもが窺えるようで、どこまでも静かである。

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   夕日いま高き実梅に当るなり       星野立子

 「競い出る葉にやや遅れて実梅が太り始める。累々として青梅といってもいい頃になると、実と実と押し合って自ら弾き飛びそうに見える。実は木に登っても採るが、竿で叩き落とすことも少なくない」
 これは、虚子編の『新歳時記』の「実梅」なる季題の解説であるが、この簡潔にして明快なる説明を読むだけで、掲句の景観は目に見えるように鮮やかに入ってくる。
 青無花果の句と同様、実梅のある時空がもっとも輝かしくあるべきところに提示されていて、読者はただ静かに一句に寛ぐばかりである。



   濁流に日の当たりけり青葡萄       山口誓子

 青葡萄も又、青くて固くて食べられない果実である。真夏の頃、葡萄棚の葉蔭や野道の一角に垂れさがるようになる。
 夏の青い果実のなかでも青葡萄はひとしお明るく感じられるのは、透けるような肌の中にある甘酸っぱい雫を 想像するからであろうか。
 出水があって、川の水は濁っているのであろう、その濁流に日が当っている事だけを述べて、青葡萄は読者の想像にまかせた。
 ものの美しさは総じて相対的なものである。濁ったものと対比することによって、青葡萄はいっそう清純なる硬質なる情感を湛えてやまないのである。



   蛍狩うしろの闇へ寄りかかり       正木ゆう子

 「ホーホーホータル来い」と団扇を持って川辺を走る子供たち、そんな蛍狩の情景は残念ながら記憶にないが、吟行としての蛍狩には毎年出かける。
 蛍が飛ぶのは夜の7時半ごろから、水辺はとっぷりと暮れて、蛍の明滅以外は真っ暗で何も見えない、手探り状態である。
 背後に人の存在を感じながらも、一人という思いが強くなって、いつしか幻想的な世界に引き込まれていくのが常である。
 それにしても、「うしろの闇に寄りかかり」とは、危ういではないか。実体のないものに寄りかかるなんて、何だか掴みどころがない。ふと、そう思うところが、すでに艶なる闇に魅せられているのである。「うしろの人に寄りかかり」では身も蓋もない。
 作者独特の感性は、蛍の夜のよりどころのない人恋しさのようなものを浮かび上がらせて、少しの厭味もなく伝わってくる。

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   蛞蝓といふ字どこやら動き出す      後藤比奈夫

 蛞蝓(なめくじ)は蝸牛と同じ陸生の軟体動物、巻貝であるが、貝殻は全く退化している。ぬめぬめした粘膜をかむっていて、腹面を伸縮させて這って歩くので、その跡には銀白色のてらてらした道が残る。
 昔は梅雨どきの台所で出会ってはぎょっとしたものである。母が塩をふりかけて退治する姿を見るのも、何だかグロテスクで嫌だった。
 そんな蛞蝓がたちどころに印象されるのが掲句である。
 「名は体を表す」ということであろうか、言われてみればたしかに字画や撥ねや払いのさまも「どこやら動き出す」速度にぴったり適っている。こんなユニークな作品を読むと、蛞蝓もそう毛嫌いしたものでもないように思えてくる。
 この知的な観察眼は、阪大理学部物理学科卒業の作者ならではのものに思われるが、その表現はさすがに文学的である。



    蝸牛の頭もたげしにも似たり      正岡子規

 病床に伏したまま身動きのならない自分は、まるで蝸牛(ででむし)が頭をもたげて、あたりをながめまわしているのと同じようなものだという。
 本当は凄く切ないことなのに、ででむしに喩えられると、その穏やかな表情までもが見えるようである。
 こういう句を読むにつけても、子規は今も生きて、こちらへ眼差しを投げかけてくれているように思えてならない。
 病苦にありながら、悠揚迫らぬ作品は、子規没年の明治35年のもの。

 「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であった」と子規が「病床六尺」に書いたのは、明治35年6月2日であった。


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by masakokusa | 2011-06-01 00:14 | 秀句月旦(3) | Comments(0)
昌子365日(自平成23年6月1日~至6月30日)
 
  
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       6月30日(木)       喉もとの撫づるほかなき汗疹かな 

       6月29日(水)       サーフアーに御輿の遠くありにけり

       6月28日(火)       みたらしの焦げのうましや夏柳

       6月27日(月)       茅葺きの垂れさがりたる日の盛

       6月26日(日)       どくだみを干して日高き近江かな

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       6月25日(土)       立て箒ねかせ箒や夜の短か

       6月24日(金)       女だちちやんばらが好き真蒸し好き

       6月23日(木)       日焼して舷梯長く下りきたる        

       6月22日(水)       ごはん屋に飯食ふ夏至の日なりけり

       6月21日(火)       母の傘子供の帽子涼しかり 
  
  

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       6月20日(月)       のん気屋といふは電器屋燕の子

       6月19日(日)       夕されば燕の殖ゆる夏の川

       6月18日(土)       六月の空は広しや鷺飛んで

       6月17日(金)       亀の子の親の甲羅を一蹴す       

       6月16日(木)       余呉湖からすぐなる黴の宿りかな

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       6月15日(水)       落し文ただ会いたきとありぬべし

       6月14日(火)       鯵刺や紙の如くに白く飛び

       6月13日(月)       扇風機おのが埃を飛ばしけり

       6月12日(日)       栴檀の花のこれほど雨に敷く

       6月11日(土)       二階から二階見てゐる泥鰌鍋

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       6月10日(金)      古町の空の明るき簾かな

       6月9日(木)       向う岸見つつ此の岸涼しかり

       6月8日(水)       日傘して大桟橋のかはりやう

       6月7日(火)       鉄兜めきて嫌なり夏帽子

       6月6日(月)       青芝に眠りこけたる港かな

 
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      6月5日(日)       葉桜の間遠ながらに並木なる

      6月4日(土)       手鏡をひらくと薔薇の香りけり  

      6月3日(金)       南吹く空家に鏡光りけり

      6月2日(木)       その人の好きなる蟻の道はここ

      6月1日(水)       蟻の道もとより人のゆける道


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by masakokusa | 2011-06-01 00:02 | 昌子365日 new! | Comments(0)