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原石鼎俳句鑑賞・平成23年2月            
 
  もろもろの木に降る春の霙かな       昭和9年


 さっきまで糸を引くように、静かに降っていた春雨に風が出てきて、雨の糸も縺れがちになってきた。
 やがて春雨にしては大きな音を立てるものだと思って、戸をあけて見ると、いつしか雪片混じりの霙に変わっている。
 折しも外から帰ってきた者が「おお寒む」と首をすくめる。
 まさに春寒料峭であるが、どことなく「もっと降れ降れ」の気分も沸いてくる。龍太の言うように、「何か人恋しい気分」が春の霙には潜んでいるのかもしれない。
 掲句にも弾むほどではないにしても、冬の霙とは一線を画した明るさが滲み出ている。
 「もろもろの」は「諸々の」であろう、あたり一面にいろいろの木々があって、その木毎に春の霙の降りかかりようが一様でないところが目に見えるようである。
 景を展げて見せるという、意味的な効用もさることながら、「もろもろの」は擬態のようであり、擬音のようであり、視覚、触覚、聴覚すべてに印象される言葉である、同時にその音楽的ひびきが何とも心地好い。
 「モロモロノキニフルハルノミゾレカナ」と一音一音区切るように口誦し、静かにしかも一気に読み下すリズムは、さながら春の霙の降りようのさまそのものであり、春の霙の質感そのものでもある。
 内容と表現が完璧に一致している一句であろう。

 この昭和9年には、他に

   雪に来て美事な鳥のだまり居る
   ぎくぎくと乳(ち)のむあかごや春の潮  
   淋しさは船一つ居る土用浪

 など、まさに見事なる句が目白押しである。

 『花影』の著者年譜は、どの年もながながと状況報告をしているが、昭和9年は「正月、再び秀翠氏に誘はれて湯本へドライヴ三泊して帰る」とのみ記されている。
 又、『原石鼎全句集』には昭和9年の記述はない。
 年譜にあえて書くほどのことが何もない、そのことが石鼎にとって句作りに専念できた年であったことを物語っているのかもしれない。


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by masakokusa | 2011-02-28 21:42 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
大峯あきら句集『群生海』・鑑賞                   草深昌子
 
       群生海光芒

                   
   まだ若きこの惑星に南瓜咲く

 大峯あきら第八句集『群生海』の帯に掲げられた一句。
 この句に出会った時の眼の眩むような感動は今もあたらしい。思わず背丈がスーッと伸びあがるような浮遊感と透明感。それでいてまた何と硬質なる珠玉であることか。全く関係のない二物がすかさず取り付いた磁場の強さ、南瓜の花は俄かに垢ぬけして、その鮮黄色は金剛の如く光っている。まだ若きこの惑星を、まだ若き私と錯覚するからであろうか、愚かしい私は読むほどに嗚呼嬉しいと思う。
 この句に代表される一集の輝きが、この度毎日芸術賞受賞のそれにかぶさっていっそう輝かしくあることの不思議に打たれている。

 ところでこのような名句は一体どのような契機で生まれるのであろうか。私には解説できないが、思い当たることがある。
 いつであったか大峯先生に実作についてお伺いしていた折、先輩同人が、「後はもう、その人のもっているものですよね」と仰った。その時、「そうねー」と、何とも途方に暮れたようなお顔をされたのである。大峯先生にしてこの表情であろうか、しんとした空気が漂ったことを忘れられない。そしてその後、「俳句は無心の境地などという綺麗事から生まれはしない。実作者には、悪戦苦闘の修羅場があるだけだ」と書かれた。またしても衝撃であった。
 真の詩人とは、かくも覚悟の坐った方であったのだった。
 今あらためて、名句というものは言葉の方から詩人をつかんだものであることを実感している。無意識のうちに深く思索してあったものが、我知らず具象になって結実した、言わば大峯あきらその人が作品になったと言ってもいいようなものである。
 だからこそ南瓜の花は含羞に満ちている。読むたびに元気をいただけるのは作者の強さがそこに生きているからである。

   今朝引きし鶴にまじりて行きたるか

 『君自身に還れ』で対話された池田晶子は、平成十九年二月、四十六歳の若さで永遠へ旅立たれた。
 死ぬという言葉すら超えた存在というものに気付くと「池田は死ぬが私は死なない」のだと言った、その人。生きて在る魂への心からの呼びかけ、その言葉は清冽にして初々しい。「南瓜咲く」一句が成ったのはこの年のことである。

   冬の蠅子規全集にとまりけり
   簀戸入れて午から子規を読むつもり

 哲学者大峯顯と池田晶子の対談は、今自分がここにいるという不思議に共鳴し合うことから始まるのであったが、生きて在ることの不思議を知るとは、正岡子規がまさにそういう人であった。
 子規は若き日に、「実に奇体なり この世界にこんなに家屋をたて人間がかく横行するかと思へばそれさへおかしきに、わが身がその人間に生れて、かく動きかく考ふるは如何にも妙なり 変なり 我は何物なるか、どうしたのか、どうするのか、ハテ奇体なり サテ奇体なり」と自分が茫として分らぬようになることがしばしばあると書いている。
 大いなる論を立てながら、自身への問いかけを忘れることのなかった子規、終には写生を通して造化の秘密に触れるまで、その文学と哲学は己が不思議の中に溶けあっていた。
 そんな子規ならば又、大峯あきら詩人ほどふさわしい対話者はいないと言うに違いない。冬の日差しを背負って必然の如くやってきた一匹の蠅。何と清潔で、強靭な命であろうか。全集からは思わず子規の声が洩れてきそうだ。
 簀戸は子規へ向かおうとする意気込みそのもの、物我一如である。「読むつもり」には、今の時間が前にも後ろにもつながっていることを感じさせ、涼しさの風筋までもが見えるようである。

   とめどなき落葉の中にローマあり
   女来て古城の木の実拾ひ去る

 写実に発しながら只の即興ではない、風景の象徴化が成されるのが作者の詩法である。今という瞬時は永遠そのものであって、その奥深さに立ちすくんでしまうような気がする。共に、動画でありながら静止する静けさが古色蒼然として、時の流れを絵巻物にして見せてくれるような詩品の高さを醸し出している。

   花の日も西に廻りしかと思ふ

 花は日本古来の楚々たる山桜。
 吉野山中に惜しみない日の光をいただいた桜狩の一日、夕日に移り変ってゆくその刹那を物陰から手を差し伸べるようにして言葉にとどめている。
 〈あらましの星揃ひたる桜かな〉、〈金星のまぎれこみたる桜かな〉、〈満月のはなれんとする桜かな〉、桜を愛でると言うことは全宇宙を愛でるに等しい。一回性の中に表出される光景の比類なきかたち、その花の俳句は文字通り一頭地を抜いている。

   その辺を歩いて来たる桜かな

 ここに至って、作者はすでに桜の方から呼びかけられ、愛でられているのであろう。いかにも楽しげである。その辺は吉野のそのあたりかもしれないが、読むほどに広大無辺のようにも思われる。
 このあたりの俳句の風味はまさに関西風料理のそれである。お出汁の利いた逸品はもとよりおいしい、そして本当のおいしさは「ごちそうさまでした」と箸を置いた後にしみじみとやってくる。 
 かつて、吉野と言えば石鼎であったが、今や吉野には在住八十年余のあきら俳句の厚みが加わって、その風土はいよいよなつかしい。
 石鼎は句作について問われると、「湯にでも入っているときのようなぼおっとした気分になり、自分を低めてものを見つめていると、何かしらものの光のようなものが見えてくる」と答えたが、この石鼎を論じて、生の言葉が自然の中にかき消され、もう一度蘇生してくるところの言葉を聞く人の作品であると明確に示したのは俳人大峯あきらであった。作者において思索と詩作は一枚である。

 ふと傍らの俳句門外漢が、「大峯先生の俳句を読むと心が洗われるね」と言った。何とも率直な物言いではあるが、「心が洗われる」とは高悟帰俗に至った作品であることの証にほかならないのではないだろうか。そしてまた、普遍性がなければならないことでもある。

(平成23年3月号・「晨」第162号所収)

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by masakokusa | 2011-02-28 21:11 | 俳論・鑑賞(2) | Comments(0)
新刊サロン・大木あまり句集『星涼』書評        草深昌子
    
     いのち涼やか

              
   昭和とは柵を出られぬ雪の馬 
   真桑瓜戦時の父の手紙かな
   終戦の日は四歳で泣き虫で

 詩人大木惇夫の三女として東京に生まれた大木あまり氏。父親への熱き思いは昭和へのそれに被さっている。

   不良性いささかありて麦は穂に
   夜濯の着てゐるものを脱げといふ
   よしといふまで消えるなよ曼珠沙華
   洛北のこの枯れざまをとくと見よ

 百穀成熟の秋にあらずして、ひとり夏の日差しに黄熟する麦。そこにはいささかの不良性があればこそ、輝く穂波になるのであろう。とりもなおさず、この不良性こそは、作者その人に秘蔵される格別の感性ではないだろうか。
 一連の独特の文体は、深刻ぶらない天性の大らかさ、茶目っ気すら窺われて、切なさとやさしが同時に伝わってくる。 
 わけても〈夜濯〉の一句など、季語の把握に手ぬるさがなく、胸のすくような真骨頂を発揮している。

   かりそめの踊いつしかひたむきに
   雛よりもさびしき顔と言はれけり
   わが死後は空蝉守になりたしよ

 〈かりそめの踊〉は、まるで人がこの世に生きてゆく姿そのもののようである。
 〈雛よりもさびしき顔〉は、作者自身がすでに自覚している根源的なさびしさであろう。雛の面立ちにふと命がよぎって、その表情は重層的に美しい。
 転生願望は命の不思議を問いかけている。空蝉の魂がいとおしくてならない。

   涼しさを力にものを書く日かな
   星涼しもの書くときも病むときも

 淡々としながら、この〈力〉の凄みはどうだろう。むしろ書かずにはおれない、書くという死に物狂いの勁さ、生と死の交差するところに涼しさはやってくる。〈長病や春の野菜の浸しもの〉、うまずたゆまず書くことが身養生にほかならない。

   きちきちと鳴いて心に入りくる
   たんぽぽや鈍器のやうな波が来る

 きちきちのかなしさを瞬時に受け止める心の繊細さ。ドーンと寄せくる波音を鈍器たる語感に響かせる大胆さ。 
 作家ならではのものの見方に徹しながら、あたかも対象物の方から飛び込んできたかのように表出される臨場感。 
 虫であれ、草であれ、あの子、この子と呼びかわすあまり氏の声を聞いたことがある。氏にとって、森羅万象どんな小さなる命も、わが命に等しいに違いない。
 はかなくも、はげしくも、ひたむきに生きる作者の叫びが一集には一筋道に通っている。だからこそ『星涼』の読後に、何か一つの物語を読破したかのような感動を覚えるのである。
 (平成22・9・29 ふらんす堂刊)

(角川『俳句』・平成23年3月号所収)

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by masakokusa | 2011-02-28 20:49 | 俳論・鑑賞(2) | Comments(0)
秀句月旦・平成23年2月
 
   立たんとす腰のつがひの冴え返る    正岡子規

 東京に春の雪が降った日、パソコンを立とうとするとアイタタ、タであった。折しも、子規の句に出会って、思わず同感、思わず笑ってしまった。
 いつの時だって、子規をひもとくと、きっと救われる。私にとって子規はまさしく神様仏様である。 子規を思えば腰の関節の一つや二つねじれ切ったとしても死にはしないと、力が湧いていくる。

 明治29年2月、子規は腰痛がひどくなり、病臥の状態になった。3月にはカリエスと診断された。この句には「腰の疾に罹りて」なる前書きがある。
 このあと6年を焦熱地獄に生き抜いた子規であったが、29歳という若さにして、死の予感にうちのめされた思いは如何ばかりであったろうか。前書を付けて病を詠わずにはおれなかった心中が察せられる。
 それでもどこか明るいのは、子規ならではのもの。

      病起
   のどかさや杖ついて庭を徘徊す
      病中
   この春を鏡見ることもなかりけり
      病中
   つれづれやわれ寝て居れば春の雨
      病中
   寝て聞けば上野は花のさわぎ哉
      病間あり
   我床を出る時燕室に入る
      病起小庭をありきまはりて
   萩桔梗撫子なんど萌えにけり 

 そしてかの雪の名句も、この年に生まれたのであった。

      病中雪(三句) 
   いくたびも雪の深さを尋ねけり
   雪の家に寝て居ると思ふ許りにて
   障子明けよ上野の雪を一目見ん
  
 

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   下萌のいたく踏まれて御開帳      芝不器男

 枯れ果てた大地から草の芽が方々に萌えはじめる早春のよき日々、この時期を見計らったかのように寺では厨子の扉を開いて秘仏を拝ませてくれるという。
 善男善女はうちそろって、下萌を散々に踏みつけながらやってきた。秘仏のみならず経巻や舎利など信仰熱き人々にとって見逃さすことのできないあらたかなるものがしみじみと拝観できたのであろう。
 「下萌」は人目につかず芽生えることから、昔はひそかに思い焦がれる意にも使ったそうだが、そういう言葉の背景も含めて、庶民の心の弾みが伺われ、なんともなつかしいやさしさに包まれる一句である。
 「いたく」は甚く、「はなはだしく」であるが、「いたく踏まれて」という韻律には、春浅きころの土を踏みしめる、その感触の空気感までもが鮮明に伝わってくる。
 「開帳」も又春の季語で、季重りではあるが、「下萌」と「開帳」は両者あいまって詩情を高めているあたり、あらためて不器男の感動の迷わざるところに感じ入るばかりである。

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   つややかに古びし桝や年の豆      橋本鶏二

 新しい年を迎えるにあたって邪気をはらってくれる福豆。「鬼は外、福は内」の豆が年の豆である。
 家族で一斉に豆撒をしたあと、満年齢に一つ足した数の豆を食べて喜んだのは子どもの頃。年嵩を増せば増すほど、豆の数はこなせなくなって、今や申し訳程度にいただく。それだけで明日は立春という心弾みが嬉しい。
 掲句の桝は、神社仏閣のものであれ、一般家庭のものであれ、福豆を山と盛ったものであろう。先祖代々大切に扱われてきた桝が艶やかにあるということは何ともめでたい。
 近年は豆にかわって、太巻き寿司のまるかぶりの方が盛んであると言うニュースも聞かれるが、やっぱり闇夜へ向かって災いを追い払うという鬼やらいの行事はいつまでも存続してほしいと思う。
 焦点を小さなる物にしぼって、その物が象徴するものを詠いあげるという一句も又、読むほどに艶やかさが増すようである。


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   亡き母の尺古し針供養          松根東洋城

 尺は「ものさし」と読む。「物差し」を辞書にあたって、物の長さを差しはかる道具であることを確認する向きもあるかもしれないが、福豆に歯が立たない年齢あたりになると、掲句はいっそうなつかしい。
 針供養は、1年中に使った針を豆腐や蒟蒻などやわらかなものに挿して供養する行事。
 後藤夜半の〈針供養といふことをしてそと遊ぶ〉という作品も思い出されるが、何れの句からも、縁側に座って針仕事をしていた祖母や母が偲ばれるものである。
 針供養という行事一つをもってして「そと遊ぶ」、そんなつつましい時代があったのである。


   古き世の火色ぞ動く野焼かな      飯田蛇笏

 こちらの「古き」はスケールが一段と大きい。物のかたちとしてとらえきれない「古き世」を、ごうごうたる野焼というものを通して何か一つの塊りのように、今の世に生きてあることを鮮やかに見せてやろうという念力の感じられる句である。
 野焼きは、春先のまだ新芽の出ない時期に、野山の枯草を焼き切るもので、山焼も同じようなものである。
 奈良若草山の山焼、阿蘇の野焼はもとより、静岡県伊東市の大室山の山焼も見もの。
 有用の肥料をうみだし、害虫の駆除をする農耕の大事なる作業を、見ものと言っては申し訳ないのだが、あの燃えうつる火のスピード感といい、そのくろぐろとした焔といい、いかにも原始的なエネルギーが横溢して、やはりなかなかの見物である。

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by masakokusa | 2011-02-01 11:56 | 秀句月旦(3) | Comments(0)