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昌子月詠・平成23年1月
 
   去年に見しものをまた見る今年かな
   瑞泉寺さしゆく御慶申しけり

   青空に少しく近し初詣
   うれしさはひつくりかへる歌留多かな

   セーターの柄の井桁のめでたけれ
   天神は絵馬ひっさげて寒に入る

   裸木に金太郎飴あがなへる
   焼きそばの鏝よくかへる四温かな

   日脚伸ぶ路地の細きがうれしくて
   寒梅の出会ひがしらでありにけり


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by masakokusa | 2010-12-28 00:19 | 昌子月詠 | Comments(0)
原石鼎俳句鑑賞・平成22年12月
 

    襟巻に一片浮ける朱唇かな       大正8年


 一面の枯れの中に立つ一人の女性。
 着物の上にふわーっとかかった襟巻に首を埋めるようにしている。
 ふと目線があって二歩三歩こちらに歩みよってきた、フオックスであろうかミンクであろうか、どっしりとしながらいかにもやわらかな毛皮の襟巻である。会釈した、その瞬時に、ぽっと浮かびあがったのは、まるで今まさに花開いたかのような朱唇。
 「朱唇」という言葉からは、かの法華寺の秘仏、十一面観音のそれが思われてならない。
ぽってりとした朱唇はもとより、意志の強そうな目鼻立ち、痩せぎすでなく躍動感があって、生身めく観音の姿態は、あたかもこの襟巻の女性と一つになって印象されてくるのである。
 官能的というほどではないが、少なくとも石鼎にナマの心が動いているのではないだろうか。
 寒々とした、満目蕭条たる枯れの中にあればこそ、吸い込まれるように朱唇に焦点が絞られる、その色彩感覚。
 「一片浮ける」という中七から「朱唇かな」の下五へ読み下す、その強い筆致。
 「襟巻」を詠いあげて、生ぬるさのない技法もまた石鼎ならではのものである。

   戸の口にすりつぱ赤し雁の秋      大正8年
   麦の穂にわが少年の耳赤し       大正9年
   鮎の背に一抹の朱のありしごとし    昭和11年

 一点の赤、しかもその赤に命を吹き込んで詠うということにおいて石鼎は際立っている。まこと画竜点睛である。


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by masakokusa | 2010-12-28 00:13 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
第17回俳句大賞受賞・千葉年子氏・「顔」 紹介文
 
   秋高し鞍まだ置かぬ当歳馬          千葉年子


 千葉年子さんは、1989年、『山歴』に入会、新樹賞を2度受賞。さらには、『澤』にて第1回澤特別作品賞を受賞された。 
 他にも、神奈川県知事賞など多くの受賞作品は、年子さんが小学4年生で疎開された岩手県久慈の豊かな風土から紡がれたものばかりである。
 ご活躍のとある日、「そんなに遅くまで背中をまるめて俳句ばかりしていては病気になりますよ」というご主人様の忠告を受けて、一服されたこともあったが、やがて発奮した年子さんは、『晨』の大峯あきら先生に直接申し込まれ、2001年同人に推挙された。
 初参加の大垣に於ける晨同人総会では深更まで悠々と韓国ドラマ「オールイン」に見入っておられたが、何と翌日の大会には見事、大峯あきら入選を果たされた。
 熱烈なる韓流フアンで、なよなよとした男より精悍な男が大好きと仰しゃる、そんな男振りこそが年子さんの理想とする俳句のありようなのである。 
 そういえば、年子さんのお話しぶりも、南部馬の何くそという芯の勁さと、当歳馬の茶目っ気たっぷりの明るさが綯い交ぜになっているようで、いかにも純粋である。
 作家の個性を尊重する『晨』を大地に、馬柵を狭しと駈けまわられる年子さんの内奥には岩手の風土に培った反骨精神が坐っている。原風景の「泥臭さ」を大事にして自分流を貫かれる姿勢はむしろ眩しい。
 「続けきてよかったね」と、この度の受賞をご主人様が喜んで下さったことは、何より嬉しい。

(2010年12月5日 「俳句文学館」所収・発行所 社団法人俳人協会)
by masakokusa | 2010-12-08 21:23 | 俳論・鑑賞(2)NEW! | Comments(0)
秀句月旦・平成22年12月
 
   茶の花の二十日余りをわれ病めり     正岡子規

 子規はカリエスの余病として胃腸を病んでいた。明治29年11月半ばから12月にかけての病気は胃痙攣であったろうか。
 茶の花は晩秋から初冬にかけて咲く小さな白い花。「冷え」とか「痩せ」を見せる花として茶人に好まれるらしいが、茶畑はもとより、生垣などに咲いて、身近に親しい花である。
 掲句の「茶の花」も、子規の救いになっていたのだろう。病みながらも、美しくもあたたかな茶の花盛りの日数になぐさめを得ていたように思われる。
 「われ病めり」、あえて「我」というあたりは自意識の高さと共に、我を見ているもう一人の我の目が伺われて、茶の花の印象をいっそう明確にしている。

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   しぐるるや蒟蒻冷えて臍の上       正岡子規

 明治29年、「病中二句」の前書き。
 蒟蒻は湯たんぽ代わりに患部を温めるために用いたのである。この民間療法は、昭和30年頃にもあって、腎臓を患った私に、祖母が熱く茹でた蒟蒻を日々お腹の上に置いてくれたことなどが懐かしくも思い出された。
 掲句は、時雨が来て、さっきまで温かかった蒟蒻もいつしか冷えてしまったという一抹の寂しさが詠われるが、「腹の上」でなく「臍の上」という的確さがそこはかとなくおかしみを醸し出している。
 〈小夜時雨上野を虚子の来つつあらん〉も同時発表、病臥の子規は虚子を今か今かと心待ちにしていたのであろう。
 碧梧桐と虚子は「常に枕をはなれず、看護ねもごろなり」と『松羅玉液』に書いている。碧虚二子の手厚い看護のおかげで子規はこの年の暮れ、句会に出かけるほど快方にむかった。


   十二月上野の北は静かなり        正岡子規

 明治29年、「閑居」の前書き。
 子規は、根岸に母親と妹と三人で住んでいた。ここで句会も行われ、新聞「日本」では記者として随筆を連載するなど病身ながら活躍していた。俳句欄からは新人が輩出され、いわゆる日本派が風靡した頃である。
 「日本」の初任給は15円、白米一斗が一円に足らぬ時代であったが、それでも親子三人の家計は苦しく、碧梧桐に窮状を洩らした手紙なども残っている。
 「12月」の季語が一句全体に沁み入るように利いていて、子規の境涯をはなれて、現代の俳句としても、その情感はしみじみするものである。


   枯菊と言ひ捨てんには情あり       松本たかし

 こういう俳句を読むと「うまいもんだなあー」と嘆息するばかり。枯菊ながら、その情趣のあるところ、やはり言い得て妙というほかない。観念的な表出に見えて、観察眼が行き届いていなければ、こうは詠えない。昨日今日見て、てっとりばやく仕上げたものではないのである。
 菜園の縁などに、はなやかに咲いていた菊の一とむら二たむらも12月に入ってさすがに枯れが目立ってきた。それでもその色彩には、盛りの頃には見いだせなかった綾が織りなされて、いとしく思われるのである。
 高濱虚子の<枯菊に尚ほ或物をとどめずや>も同類の句であるが、私にはたかしの句の方が好ましい。

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   鵯のそれきり鳴かず雪の暮         臼田亜浪

 大正9年、亜浪40歳の句。厚木市中津の句会場での作品。
 鵯の鋭い声が降りしきる雪の中に一声ひびいた。待つとなく次の一声に耳を澄ましていたが、もう二度と鳴くことはなかった。雪の日は暮れていくばかりである。
 「雪の暮」に何かしらかぶさってくるような重たくも暗い寂寥感が込められているようである。

   
   水のめば葱のにほひや小料亭       芝不器男

 忘年会のシーズン、こういう体験は庶民の誰もが思いあたる。
 裏さびれた路地の小料亭は、気軽で安上がり、その上に、鍋料理に欠かせられない葱がたっぷり盛られていたことであろう。板前さんの忙しさも想像される。
 それにしても「小料亭」という納め方はさすがに不器男のもの。「小」という一字の醸し出す味わいが「葱」にぴったりである。
 このとき不器男はまだ大学生であった。
 現代俳壇の彗星と言われる「芝不器男」。不器男は、論語の中の「子曰く、君子不器」(しのたまわく、くんしうつわならず)から父親が名づけた本名である。一つの用にとどまる器であってはいけない、偏らず全人的完成をめざすようにという願いであったろうか。
 惜しくも不器男は、昭和5年2月24日、27歳で夭逝した。

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by masakokusa | 2010-12-01 00:41 | 秀句月旦(3) | Comments(0)