<   2010年 11月 ( 3 )   > この月の画像一覧
昌子月詠・師走
 
   朝まだき落葉の道に入りけり
   名園の色美しき寒さかな

   木の葉髪赤いリボンのつけどころ
   喧しき烏に園の枯れゆくか

   着ぶくれて口動かしてゐたりけり
   ことのほか岸のほとりは日短

   いつまでも沖を見てをり頬被
   大雨の宿りを室の花のもと

   冬泉洗濯板の置かれあり
   忘年の泉のこゑとなりゐたり


f0118324_13281578.jpg

by masakokusa | 2010-11-29 13:24 | 昌子月詠 | Comments(0)
原石鼎俳句鑑賞・平成22年11月
 
  火鉢抱いて瞳落とすところ只畳      大正7年


 火鉢もろとも、丸まった一人の背中が見える。眼の遣り場は、何とも虚ろなもので、まるで一つのうっすらとして動かない影のかたまりのようである。自らをむなしくしたいときには、きっと火鉢を抱いているというのであろうか。
 いや、そんな余計な思い入れをしなくてもいい。今ここにこうしているという、ただそれだけの、いかにも単純な姿なのである。

 そういえば、人は誰しもこういう無我の境地をもっている。そもそも、何気にそういう仕草をするのが人間というものなのだと気付かされもするのである。
 私の思い出にある祖母も母も大抵こんな姿であった。子供の私だって、勉強のいとまにはこういうことをやっていた筈である。
 火鉢が日常身辺にあった時代は何と心安い時代であったのだろう。この小さな暖かな代物から多分の慰めを得ていたのであった。そのつるつるとした、まるまるとした感触を味わって、私一人が温みを独占する時間は、人間をもっとも人間らしくしてくれる時間であったのかもしれない。

 「瞳落とすところ畳かな」であれば、それがどうしたの、で済んでしまう句である。
 だが、ひとたび「瞳落とすところ只畳」と詠われると、情景は一変する。思わず遠い昔を回顧してしまった。
 どう読みとろうと、読み手は何がしかの詩情を感じとって、そこにしばらく引きとどまらずにはおれない、それだけの力をもってくる句なのである。

 人は「アー」とか「ワー」とか驚く。そして又「ハアー」とか「フー」とか嘆息する。そんな言葉を絶した感動を、何としても読者にわかるように言葉に置き換えるのが写生の技というものであろう。その技において、石鼎の表現には比類がない。
 「只」という一言でもって、石鼎は読者を自分と同じ目線に釘付けにしてしまうのであるから。何でもない顔をしながら、ついと一つの時空に誘い込むあたり、あらためて石鼎の凄みを浮き彫りにしている。
 シャレではないが、タダタタミたるタ音の「畳み掛け」も巧妙である。すばやく発声して切り捨てた後には、何か物足りなさが残って、その思いが後を引く。しばらくは黙然とするほかないのである。

 ところで、石鼎の火鉢の句は、全句集にざっと20句ほど拾う事が出来るが、その半分は大正7年に集中している。この年、ホトトギス同人になり、9月に結婚、俳句生活にもっとも多忙を極めた時期である。
 尚、掲句は『原石鼎全句集』には<火鉢抱いて目落すところ只畳>と表記されている。

 「ぢっと眺め入る事」、「ぢっと案じる事」に余念なき日々であったのだろう。石鼎のあの大きなギョロ目が火鉢を捉えてはなさない。

   灯の下に明き火鉢を抱きにけり       大正7年
   鉄瓶の沈みて見ゆる火鉢かな          〃 
   時雨より霰好もし火鉢抱く             〃
   灯るや火鉢丸き影わづかに障子へ       〃
   菊剪つて灯にかざし見し火鉢かな        〃
   火鉢すすめて庵主の眼や我にあり       〃
   くれし菊火鉢の上に受けとりぬ          〃
   今生けし紅葉に遠き火鉢かな          〃
   片肱を机に置いて火鉢かな            〃
   窓の日をのぼる埃や桐火鉢           〃

 やがて、火鉢の置きどころにも目を移している。

   熊の皮の荒毛光る処火鉢おく        大正9年
   枯芭蕉に日はさんらんと火鉢かな     大正10年
   玻璃の外暮れて全し庵火鉢           〃
   夜の襖にいささかの影や火鉢抱く        〃

 初出の火鉢は大正4年。かの放浪の挙句、<秋風や模様のちがふ皿二つ>と名吟をはなった、その翌年である。

   きぬぎぬの眼を落としたる火鉢かな     大正4年
   火鉢といふ題を得て
   彼の火鉢おもへば心生きてあり       昭和2年

 「心生きてあり」なんて、抽象的なことを言っても、そのリズムでもって、こころの艶が滲み出てくる。
 艶といえば、

   手のひらに艶よく出でし火鉢かな      昭和3年

 そのものずばり「艶」が出ている。さすがにいぶし銀が光彩を放っている。でも、このあたりならば、石鼎ならずとも、現代俳人の巧者が詠いあげるであろうか。

 思えば、石鼎の魅力は、なべて「艶」と言わずして「艶」のあるところであった。
 火鉢という小道具一つをもってしても、<火鉢抱いて瞳落とすところ只畳>には、奥底深く、こころの艶が発光していることに思い至るのである。

(ブログ原石鼎・平成22年11月UP)

f0118324_22234844.jpg

by masakokusa | 2010-11-28 21:54 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
秀句月旦・平成22年11月
 
   初冬のこころに保つ色や何       原コウ子

 原コウ子の自問であるが、ふと私自身のそれとなって口ずさまれる句である。
 紅葉がいつしか枯色になってゆくころ、川べりを下って買い物に急ぎつつ、心は静かに、この句を唱えている自分にはっとする。実際にその答えを見つけようというのではない、一種の空虚感が共鳴されるのだろう。
 これから本格的な寒さを迎えるにあたって、はたまた忙しい年末をへ迎えるにあたって、どこか身構えているようなところがあるのかもしれない。
 掲句は昭和22年の作品。
 同年、終戦後も動揺する心を、<何を信じてこの好日や木の葉髪>と詠いあげている。掲句も又、今の私などとは程遠い深い心境であったにちがいない。

f0118324_23455213.jpg



   枯色として華やげるものもあり      稲畑汀子

 客観写生ではあるが、このような色彩が引き出されるのは主観のたまものであろう。作者その人が華やいでいなければ発見できない現象である。
 汀子の祖父にあたる高濱虚子に、<草枯に真赤な汀子なりしかな>がある。孫を詠って鮮やかにもあふれんばかりの愛情である。
 作者には生来、「華やげるもの」が備わっているように思われる。

f0118324_23462083.jpg



   一茶忌や父を限りの小百姓      石田波郷

 文化文政期の俳人小林一茶の忌日は、陰暦11月19日。信濃柏原の農家に生まれ、3歳で母を失ったあと継母との折り合い悪く、早くから江戸へ出た。異母弟との遺産分配の争い、妻子には相次いで死なれ、大火によって家を失い、焼け残りの土蔵中でその一生を閉じた。人間味あふれる独特の俳句は庶民の心に今も生き続けている。
 波郷は19歳で松山から上京し秋櫻子の庇護のもと俳句に没頭したが、病境涯であった。掲句も病院の中の句会で得たもの。一茶の境涯にわが境涯を重ねて、故郷に一人鍬を取る父親を思いやったのであろう。

   隙間風兄妹に母の文異ふ
   降る雪や父母の齢をさだかにも

 はっきり父母の年齢を知らないまでも、いつも心に父母を置いてることが知れる。



   人逝きてその湯たんぽの行方なし      皆吉爽雨

 先日、朝日新聞のひととき欄に74歳の主婦のエッセイが出ていた。

 台所の流し台の隅にある銅製の「三角コーナー」を一日の家事の終りに毎晩磨いて二十数年、ついに傷んで新しいものに買い替えた、その売場で包みを受け取りながら、また二十数年大切に使おうとした途端、そんなに自分が生きられないことに気付き、この小さな品の最後も見届けられないかと思うと、立ちすくんだという。
 「新しい三角コーナーはシンクによくなじみ、よく働いてくれているのですが、あの日から、ひとり荒野をさまようような感覚が胸にすみついて出て行かないのです」と結んであった。

 一日一日を丁寧に生きる方ならではの実感が、身にしみ入るように切なかった。
 そこへ出合ったのが掲句である。
 主婦失格の私にとって切実なものは三角コーナーならぬ湯たんぽである。乾燥することなく、しっとりと夜具を温めてくれる湯たんぽは一晩も欠かせられない。この幽けきわが宝物も、私がこの世を去ったらもはやそこまで、たちまちその居所を失ってしまうものであったのだった。
 その人とともにあった物の寿命は、その人に殉じて行方をくらますらしい。

f0118324_16244658.jpg




  末枯て國のためとはたれも言はぬ       田中裕明

 晩秋、草や木の葉先が枯色を帯びてくる。まだ緑の色を残しながらも枯れのはじまり、枯の走りである。秋の光りの輝かしさのなかにも寂寥感が漂い始めるのが「末枯」という季語である。
 「國のためとはたれも言はぬ」、たしかに国のために何かをしようという積極性のない現代にあって、それが「枯れ」でなく「末枯」であるという微妙な自然の変化のなかに断定されたものとして、抵抗なく納得させられる。
 一方で、「國のために」あえなく散華した人々があったことを思えば、「國のためとは誰も言はぬ」ことこそ一つの救いではないだろうか。
 さりげなく置かれた「末枯」という季題が多くを物語ってくる句である。

 折しも、今日(平成22年10月30日)の朝日新聞夕刊「素粒子」の言葉に出会って、もう一度掲句を読み直している。
 ――この小さな欄ではたびたび時節を嘆き、未来を憂いてきた。国は足踏みをし、人は内にこもる。息が詰まるような時代だ。でも覚えておいて欲しい。自分の人生は、決して誰かの責任にはできないということを。そう茨木のり子さんの詩の一節のように「駄目なことの一切を、時代のせいにはするな」
君たちの生は、君たちだけが切り開く。遠くへ行こう。誰も行ったことのないほど遠くへ――

 田中裕明は6年前45歳で夭逝したが、後進によく読み継がれ、去年から若手作家を対象に「田中裕明賞」(ふらんす堂)が創設された。

f0118324_2032114.jpg



   深秋といふことのあり人も亦          高濱虚子

 「深秋」(しんしゅう)は秋も終りの季節である。山野を彩った美しい紅葉も散りかかるころ、万物に淋しさが及ぶのであるが、人々もまた、物思いにふけり、読書をし、その佇まいは静かにも落ち着いてくる。
 そういう深秋の中にいて、心持ちの深い人がいることに虚子は詠嘆している。深秋という季節のありようをそのまま人の姿、人の心に見てとったのであろう。
 このように詠いあげられるような女性でありたいものだが、後の祭である。

 虚子は俳句の本質を「花鳥諷詠」であると定義した俳人である。
 「私達の感情も、意思も、生活も、これを山川草木、鳥獣虫魚にうつして、詠嘆することができる。何となれば、人も禽獣も草木も同じ宇宙の現れの一つであるからである。80年の人の命も、1年の草の生命も、共に宇宙の生命の現れであることに変わりはない。花鳥だといって軽蔑する人間は愚か者である。花鳥にも、人間に宿るが如く宇宙の生命は宿っているのである。よろしく花鳥諷詠の意義を知るべきである」
 人の心を花鳥に見、人の心を風月に知る、そういう俳句観の虚子にしてはじめて表現し得る句であろう。

f0118324_23195416.jpg

by masakokusa | 2010-11-01 00:32 | 秀句月旦(3) | Comments(0)