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 俳誌眺望                 柴田美佐

    『晨』平成二十二年五月号

 『晨』は大峯あきら氏を代表とする同人誌。昨年、二十五周年を迎えた。奈良県吉野郡にて発行。各月刊。通卷一五七号。
 『晨集(同人作品)』より
   雛の日の倒影濃ゆし竹生島     大峯あきら
   漁に出る前と来てをり初戎       茨木和生
   山辺の道のかかりや梅の花    対中いずみ
   一帆を沖に放ちて寒の凪      ながさく清江
   鬼やらふ湯殿山より灯をもらひ   晏椰みや子
   芦の芽や舫ひしままに舟朽ちて    黛  執
   南天のすぐ立ち直る雪間かな    村手圭子
   定刻の出航の笛追儺の夜       本村 蠻
   山祇の踏みどころなき落椿      山本洋子
 大峯氏の作品の明るさと静けさにまず惹かれた。湖面にくっきりと映る島影。湖岸の家々では伝統のお雛さまが飾られていることだろう。対中氏の出会った山辺の道の一本の梅。旅人を神々の山に迎えているようだ。黛氏の作品で舫われたままの舟の長い時間を思った。今その周りにはきらきらと新しい命が育ち始める。それぞれに心に深く残る情景である。『晨集』は約百五十名が作品十句を発表している、各氏の個性を存分に味わった。

 草深昌子氏が『大峯あきら自選句集『星雲』管見』を連載。「初風はどんぐり山に吹いてをり」「日輪の燃ゆる音ある蕨かな」などを引きつつ、「童子と大人、その両極端を合わせ持った分厚さこそが、一集の魅力」と指摘する。また長谷川等伯の屏風絵のやさしさと気迫を兼ね備えた筆致を大峯作品に重ね合わせ、「本当のやさしさは強靭なる精神が支えている」と結ぶ。明快かつ深い大峯論だ。

 中嶋鬼谷氏の「光芒七句 崋山の俳句」も興味深い。崋山は江戸後期の武士で、西洋画に学んだ陰影を施した肖像画で知られるが、その思想と活動から讒訴にあって自決した。優れた声調の「竹の根に水さらさらとしぐれけり」、光に触発された画家の心理的な寒気の表現である。「板の間の釘もひかるや夜のさむみ」などを紹介。画家として写生をすでに体得していた崋山の独自の視点と現代に通じる新しさを読み取り、その背景にあったものこそ進取の気性であると見ている。

 雑詠欄は大峯あきら氏と山本洋子氏の共選。
   北窓を開くと遊ぶ塩津の子    中山通治
   物の芽のほぐるる庭を通りけり  江部幸夫
   種藷に筵かぶせて通夜の庭   菊田一平
   高々と春の日ありて津波来る   小堀紀子
 江部氏の作品、大峯氏は「ただの庭をただならぬものに変貌させた「ほぐるる」という四文字に注目する」。菊田氏の作品、山本氏は「筵をかぶせられた種藷にその家の悲しみがかよっている」。それぞれにポイントとなる一語を指摘している。

(平成22年7月号『白露』所収)

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by masakokusa | 2010-07-18 21:25 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
石鼎俳句鑑賞・7月                   草深昌子               


   鮎の背に一抹の朱のありしごとし       昭和11年


 「一抹の朱」というものが脳裏にすばやく走って、やがて一面が朱に染まるような気さえする強烈な印象が忘れられない。
 折しも、サッカーワールドカップは華麗なるパスワークでもってスペインが優勝した。その精悍なる青いユニホームの一端の朱色から、鮎の一句が図らずも浮かび上がって、ひとり悦に入っている。

 ここ丹沢の麓を流れる相模川では恒例の「鮎まつり」が8月上旬に行われることもあって、鮎は盛夏にこそ親しい魚である。
 その祭の目玉である「鮎のつかみ取り」を何度か体験したが、鮎には黄色の線こそあれ朱の線はない。詳しく調べれば婚姻色といって生殖期には腹部が赤くなることはあるらしい。にもかかわらず私はずっと鮎にはかすかなる朱色が走っていることを信じて疑わないものである。
 スペインの初優勝とだぶって、一抹の朱のスピード感がたまらない。

 石鼎は「ありしごとし」と比喩で言って、「ある」とは言っていない。だが「ある」と言い切られるより、むしろ朱の色は「ある」のである。
 これがもし「ありにけり」であったら、「そうですか」と引きさがっていただろう。
 石鼎の一瞬のひらめきが、そのまま鮎のひらめきであったかのようにリアリティーがある。
 一瞬の朱は次の瞬間にはもう見えないものかもしれない。そんな一瞬を一瞬のままに正直に描写できるのも、無頼の強さであろうか。
 それでいて作者は一句を支配してはいない、完璧に言い尽すと読者の読みを拒んでしまう。「ありしごとし」と手放したから、逆に読者の想像力は決定的な色として朱を定着させてしまったのである。

 掲句は、皿に盛られた鮎の絵ではない。滝をも踊り越えるという、生きた命の鮎を活写した。平面の絵ではない、言わば動画を見るような生き生きとした鮎の姿態である。
 「いのち」を写しとるとはこういうことなのだろう。

 ここでよみがえってくるのは、「ウオーターフオール」と題する滝の絵で一躍名を馳せた千住博の言葉である。
 「そもそも絵とは何かの答えではありません。問いかけなのです。よい質問には答えがすでに含まれている」というもの。
 絵は俳句に置き替えることができる。
 「私はこう思うのだけれど、はたしてどうだろうか・・・。宇宙や神に対する質問の歴史が芸術の歴史なのです。答えの歴史ではないのです」と。
 石鼎の不思議だねえという問いかけにも、すでに答えは用意されていたのであろう。まんまと私は石鼎の術中に陥ったのである。

 石鼎の画才はいうまでもないが、ことに筆の置きどころが見事である。塗り重ねているうちに、鮮度を落としてしまうような失敗はおかさない。
 「ありしごとし」という字余りも、石鼎の直感のままである。6文字を5文字なる定型に押し込んで読もうとすると、ここは性急にアリシゴトシとつづめなければならない。そのすばやさが、清流もろともの鮎を見せるのである。

 掲句のほかにも、鮮烈なる「色」を見せる石鼎の名句がある。いつまでもこころに残って褪せることのない色彩である。     

   朝顔の裂けてゆゆしや濃紫       大正6年
   音たてて落ちしみどりや落し文     大正13年
   青天や白き五瓣の梨の花        昭和11年


 「濃紫」に、「みどり」に、「白」に、命の輝きが明らかである。

   谷杉の紺折り畳む霞かな          大正2年
   ゆづり葉に一線の朱や雲の峯       大正7年
   戸の口にすりつぱ赤し雁の秋        大正8年


 「紺」も、「朱」も、「赤」も、季題と照応して、情景をいっそう際立てている。

 ところで、阿波野青畝に<一抹に長き雲の朱夏芭蕉>がある。
 大正10年の作品である。
 青畝の略歴によると、
――大正10年、石鼎に会う機多し。勧められて「鹿火屋」を読む。
大正11年、新春、京都に野村泊月を訪う。温雅なる句風を見て大いに感ずるところあり。「鹿火屋」の研究を打ち切りしも其故なり。――

 一句の中に、「一抹」と「朱」という言葉を使ったのは青畝の方が先のようである。言葉は万人共有のものであって、当然こういうことはあり得る。
 その言葉の働きが一句の中でどう機能するかが、個人のものである。個々に納得できることばを使った結果が一句に結晶しているということである。

 俳句は一語一語が突っ走らず、緊密なる関係をもって仕上がるところ、これまたサッカーの個人技よりも、組織力の強さが有効であることに似ている。
 時に、胸のすくような言葉のシュートは、石鼎の頭脳プレーのたまものとしか言いようがない。

(ブログ「原石鼎」・2010年7月14日UP)
by masakokusa | 2010-07-14 22:59 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
大峯あきら選評

   奥つ城のほかは春田でありにけり      草深昌子

 墓といっても何か由緒ある墓所であろう。それが野中にあって、ぐるりはいちめんの春田がひろがっている。墓についても春田についても何一つ述べていないのに、それらの様子がこくめいに浮んでくるところが不思議である。
 「ありにけり」という一見無駄なように見える表現がそういう充実をもたらしているのである。

(平成22年7月号「晨」第158号所収)
by masakokusa | 2010-07-01 21:55 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
山本洋子選評

   奥つ城のほかは春田でありにけり      草深昌子

 春田がひろがっていて、その片隅に奥つ城、すなわち、奥つ城どころ、墓域があるのだ。
 ひろやかな春田にとけこんでいるような墓所は、いまから耕されやがて代田となり、植田となるのだろう。
 「春田」のひろやかさが奥つ城を生かしている。

(平成22年7月号「晨」第158号所収)
by masakokusa | 2010-07-01 21:43 | 昌子作品の論評 | Comments(0)
秀句月旦・平成22年7月

  暑中お見舞い申しあげます。いつも『草深昌子のページ』をご愛読いただき本当に有難うございます。

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   腐りたる暑中見舞の卵かな        正岡子規

  子規の当惑した卵は、遠い昔のできごとと思いきや、最近もゆうパック遅配騒動があって、生鮮品は被害を蒙ったばかり。一句の心はいまも生きているのだと見直された。
 「腐る」ということが、うんざりする暑さを象徴してやまないことに気付かされる。
 子規には<ぐるりからいとしがらるる暑さかな>もあって、この溽暑をクーラーなどない病床六尺で過ごしたことを思うと、本当にいとしくてならない。

 ここで、かにかくやり切れない暑さを、一句をもって抗した俳人をしのんで、一服の涼とさせていただきたい。

   石も木も眼(まなこ)に光る暑さかな     向井去来
   暑き故ものをきちんと並べをる        細見綾子
   暑き日や子に踏ませたる足のうら      小林一茶
   恋しさも暑さもつのれば口開けて       中村草田男
   暑き日や一日物をさがしつつ         藤田耕雪
   念力のゆるめば死ぬる大暑かな       村上鬼城
   極暑にも堪へつつ功を争はず         鈴木花蓑
   これよりの炎ゆる百日セロリ噛む       野澤節子
  


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   親しき家もにくきも茂りゆたかなり       飯田龍太

 夏の木の枝葉が鬱蒼と重なり合って生(お)い出たさまが茂りである。
 昭和27年の作品だが、龍太は自句自解に、戦後にがらっと変わった農村の交わりについて触れ、それでも「家」の問題になると簡単には変わらないとし、「それが露骨にあらわれるのは選挙だ。国会、県会、村会とスケールが小さくなればなるほど、旧来の色彩が濃く顔を出す。投票前にもう大体の票数がわかる。あの家の爺さんと婆さんは誰、長男は誰だが嫁さんはまた別の口。仮に現ナマで変化が生じたとすると、数日のうちにそれを受け取った人間の名前は勿論、金額まではっきり知れ渡る。猫ババをきめこむと更にハッキリする。そうした山村の農家の一軒一軒も、外目には豊かな茂りに包まれ、克明な影を地に投げていた」と記している。
 龍太一流の文章から唐突に、かのワールドカップの勝敗を的中させたタコのパウル君が浮かび上がった。 人間のなまなましい才覚をよそに、自然の生きものの命は、黙々と宇宙の何ものかを察知していることの不思議さ、神々しさ。
 サッカーに、選挙に、この世の喧騒は終ってしまえば、何事もなかったように静かである。
 炎天下、草木はいよいよ繁茂し、ブブゼラならぬ蝉の声も降り始めた。

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   作文に加筆は祖父か夏休み          皆吉爽雨

 夏休みの宿題に読書感想文を書かされるのは、苦痛であった。中学生の夏休みには、浅丘ルリ子主演の「緑はるかに」という映画を観ての感想文までも書かされた。
 下書きしたものを母に直してもらうと、びっくりするほど違うものに仕上がったことを覚えている。その文章は大人びてイヤだったが、今となってはなつかしい。
 父母でなく祖父母あたりになると、子どもの気持ちを尊重して、添削にもゆとりがあって、ほんの少々の加筆ですむことであろう。
 この句も、祖父に印象される落着きが夏休みの豊かさを物語っている。
 いずれにしても様々の思い出にあふれた夏休みは、いつまでもきらめきをもたらしてくれる貴重な休暇である。

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   誰もつぎくれざるビールひとり注ぐ       茨木和生

 ビールはのど越し、一気に飲み干すときの爽快感がたまらない。ビールが好きで好きでたまらない人の飲みっぷりからすると、掲句のような場面は多々ある。
 女だてらに私なども毎回これである。さっさと一人で注いでいる。これがまた厭味でも何でもなく爽やかにできるのがビールのよろしさでさる。
 こういう何でもないことが一句になって、しかも読者を大いに共鳴させるものになるとは、あらためて俳句っておもしろいと感じ入ったことである。
 <愛されずして沖遠く泳ぐなり  藤田湘子>という名句もあった。
 こちらは、抒情たっぷりで、青年の切なさをたたえているが、ビールの句は、年齢を問わず、男女を問わず、日常に体験するふとした人の気持ちがあたりさわりなく出ている。


   松の塵ときに降りこむ日向水       山本洋子

 この句には、「東吉野 鷲家 相野さん宅」なる前書きがある。平成15年夏、私もご一緒させていただたことで印象深い。
 大きな邸宅のひろびろとした玄関に、美しい盥が置いてあって、そこには深吉野の夏の烈日に晒した水がたっぷり湛えられてあった。
 傾いた松の大樹の塵が、ほんの少々浮いていたのであろうか、こんな美しい情景を私には描写することができなかった、見る目をもった俳人の句である。
 同じ日の句に、<麻を刈る若き人手の加はりて>もある。
 私も麻を刈らせていただいた一人であるが、このような作業のあとに手足を洗ったり、ときに行水にも使う生温かな水である。
 日向水に象徴されるように、自然と共存するやさしさ、あたたかさが、相野さんのおもてなしに滲み出ていて、あの旅の楽しさは忘れることができない。


   金亀子擲つ闇の深さかな         高濱虚子

 ぶんぶんと激しい羽音を震わせて灯に飛びこんでくる金亀子は少々うるさい。かっと捕まえて、力いっぱい投げつけたあとに呆然と立ちすくむ作者の内面も見せながら、何より金亀子の存在を暗闇の中にしかと感じさせる。
 「擲つ」(なげうつ)と言う言葉そのものに深みがある。
 金亀子の緑とも紫とも言い難い光沢のある金色が漆黒の闇に浸み込んで、ひそかにも変幻する闇夜である。
 掲句は、明治41年虚子34才の作品。
 虚子が「客観写生」を提唱しはじめたのは、大正7年。
 昭和9年の<玉虫の光残して飛びにけり>、昭和12年の<玉虫の光を引きて飛びにけり>などは一直線な描写であるが、金亀子の方は主観と客観が渾然一体となっていてより重層的に思われる。

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   鬱々と蛾を獲つつある誘蛾灯        阿波野青畝

 やはり「鬱々と」が凄い。虚子の「擲つ」と同様、その一語でもって一句全体の雰囲気を醸し出している。
 「飛んで火に入る夏の虫」と諺にも言われるように、灯に集まる灯蛾の習性を利用して、それをおびき寄せて殺虫する装置が誘蛾灯。そんな誘蛾灯の側に立って詠いあげた視点は主情の濃い青畝独特のように思われる。
 「金亀子」も「蛾」も、いとわしいものでありながら、鄙びた情景とともに郷愁を誘ってやまない。
by masakokusa | 2010-07-01 21:19 | 秀句月旦(3) | Comments(0)