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石鼎俳句鑑賞・5月                 草深昌子

   初夏や蝶に眼やれば近き山      大正2年

 蝶々は清流のほとりを舐めるように飛んでいる。
 ふと菜の花に止まったかと思えば、ひゅるひゅると土手をよぎって山畑の向うへ飛んで行ってしまった。また別の蝶がやってくる、ときには燕と交錯することもあるが、蝶の飛び方はおおむねその辺を行ったり来たりである。
 しばらく蝶々を眼で追っているうち視界から蝶が消えたところに山が迫っていた。この間まで、枯木山であったのに、いつしか芽吹山となって、今日はもう新緑一色に染め上がった山である。
 山の緑は日一日と濃くなっていくことであろう。

 身近にある山が「初夏」の瑞々しさに言い止められている。だから、「山近き」でなく「近き山」でなければならない。「近き山」は遠近感と同時に、親しみの増した、近しい山でもあろう。
 「近き山」の遠くには、高い山もあって、それらは茫洋と霞がかかっているであろうことなどを想像するのも、「蝶に眼やれば」という措辞が、すかさず風景を広げてくれるからである。
 若葉した山は早や落着きを見せてどんと動かない。蝶々は動く。この色彩感、流動感の対比も、生き生きと初夏を掴みとっているのである。

 石鼎の句は、絵画を観たり、オーケストラを聴くように、相対して鑑賞するものでなく、読むと同時に私の側に入って、私のものになってしまう。
 一句が向う側にあるものでなく、こっちのものになっている。だから「眼やれば」というと、私の眼が遣るのであって、「初夏」は当然のように生きて実感される。

 大正2年は、

   谷杉の紺折り畳む霞かな
   風呂の戸にせまりて谷の朧かな
   花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月
   高々と蝶こゆる谷の深さかな
   蔓踏んで一山の露動きけり
   淋しさにまた銅鑼うつや鹿火屋守


 等など、「ホトトギス」誌上で高濱虚子が「大正2年の俳句界に二の新人を得たり、曰く普羅、曰く石鼎」と記した如く、人口に膾炙した句が目白押しである。

 総じて石鼎の句には、息の深さが思われる。
 ちょっと見た瞬時的な感覚に見せて、実はそうではない、相当じっくりした観察眼が思われる。
 観察眼というよりは対象物が自然であれ物であれ、人間味を帯びるまでに情感を入れ込んでいる。

 掲句もそんな一句で、蝶の外観にとらわれてそわそわしているようではこうは詠えない。作者が蝶々になって飛んでいるから山に当たりそうになる。
 偶然をむしろ必然の如くに感じるのはそのせいであろう。
 かにかく手間暇がかかっていながら、鮮度抜群、夾雑物の一切ない明快さは、言語感覚の冴えというべきか、卓抜した技法というべきか、真似のできない実作者にとっては、いっそ天性のものと言った方が納得のいくものである。

 ところで、高濱虚子の代表句の一つ、昭和20年疎開先の小諸で詠った、
 <山国の蝶を荒しと思はずや>の作句契機に、石鼎の句がひそんではいなかっただろうか。
 俳人は意識的であれ、無意識であれ、どこかに先人の俳句を胸中にあたためているものである。

   初夏の風げんげんの花を吹く        大正11年

 「初夏の風吹く」間に「げんげんの花を」を挟み込んで、清々しい風を身中に吹かせてくれる。春から夏へ移行する途切れなき自然の妙である。
 正岡子規に、<夏に入りてげんげんいまだ衰へず>があるが、石鼎は無論知っていたであろう。

 とまれ今年は、春が寒くて、冬から一足飛びに夏に入ったような天候であったから、ことさら、石鼎の「初夏」に「体温が一度上がった」気分を味わっている。
 
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(ブログ「原石鼎」・2010年5月5日UP)
by masakokusa | 2010-05-05 13:07 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
平成22年5月~昌子週詠 

     5月31日(月)

          葉桜や腕に肩に背に荷物
          竹の葉の散りつつ色を失へる
          後光とも言はん光りを今年竹
          井戸に蓋かむせて竹の落葉かな
          雑巾を裏に表に黴拭ふ
          おはぐろの飛んで軒端にゆるるもの
          薫風の畳に交す二た三言


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     5月24日(月)

          更衣して川端をゆき広場ゆき
          うつすらと飾り兜の口開きぬ
          茄子苗を買はん端午の日なりけり
          鎌つかふ梯子をつかふ薬の日
          足取りの夏野となってきたりけり
          きつとして滝にそびらを返したる
          繭を掻く男の指のなまめきぬ


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     5月17日(月)

          神宮の若葉雨なら濡れて行こ
          梅の実の籠は少女の帽子かな
          捨て釜のまつくろこげや夏蓬
          やつちや場のすみずみ卯月曇かな
          海峡の茅花流しとなりにけり
          東経百三十五度ぞ薄暑光
          南風や明石に食うて明石焼


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     5月10日(月)

          顔に来て五月の風は水のやう
          少年の押して端午の乳母車
          山藤に雲うつさうとしてきたる
          丹田のつめたくありし白牡丹
          水掬ふやうに牡丹に指入れぬ
          ぼうたんに指濡らすとはおもはざり
          母の日の消防団員集ひける


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      5月3日(月)

          草笛の得意のうしろすがたかな
          幣白く神主白く藤白く
          花過ぎの箒の音を立てにけり
          目借時机にもののあふれをる
          水の底水の面や花惜しむ
          町を来て田舎の道の薄暑かな
          かるがもは小舟の名なり子供の日


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by masakokusa | 2010-05-02 23:36 | 昌子週詠 | Comments(0)
秀句月旦・平成22年5月
   夏に入りてげんげんいまだ衰へず    正岡子規

 今年の大型連休は4月29日にスタートして最長11日であるが、おおむね5月5日子供の日に終了する。同時にこの日から夏に入る、24節気の一つ「立夏」である。
 外遊等ほど遠いその昔、明治29年29歳の子規は、立夏といえどげんげ田にはまだげんげの花がいっぱい咲いていることよ、と詠った。
 子規は自然が好きであった。去りゆく自然を惜しむ心に到来の喜びがかぶさってくる、そんな季節の巡りをじっくり味わっている。「いまだおとろへず」は子規の底力のようでもある。

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   白牡丹といふといへども紅ほのか    高濱虚子

 牡丹の白さは、雲より白く、雪より白く、水より白く、たとえようもなく真っ白だと見るたびに思う。だが虚子の眼力はちがった。眼力というよりごく普通の見方をすれば、当然のように紅色がさしてくるとでもいうような趣きである。
 白牡丹は白いという見方がすでに観念であったと、今さらに思う。それにしても普通に終らせないのが虚子の言い回しの妙である。
 「はくぼたんと」上五が字余り、そして「いふといへども」と逆説でつないで、「こうほのか」としめくくる。このあたりの遠回しな息づかいはおのづから牡丹が大輪であることを匂わせる。
 「白牡丹」でちょっと切って、しかるに「といふといへども」と中七を字余りにして、丸く円を描くように盛り上げながら読みあげると、「紅ほのか」という着地は手品の種明かしを見るようでもある。

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   一輪の牡丹かがやく病間かな     正岡子規

 子規の『墨汁一滴』は子規の死の前年、明治34年1月16日から7月2日まで連載された。その5月1日にはこうある。
 「病床で絵の写生の稽古するには、モデルにするものはそこらにある小さい器か、さうでなければいけ花が盆栽の花か位で外に仕方がない。その範囲内で花や草を画いて喜んで居ると、ある時不折の話に、一つの草や二つ三つの花などを画いて絵にするには実物より大きい位に画かなくては引き立たぬ、といふ事を聞いて嬉しくてたまらなかった。俳句を作る者は殊に味ふべき教である」
 先にあげた虚子の牡丹の句は、この「実物より大きい位に画く」教えを守った結果の「紅ほのか」であったかもしれない。紅色というほどのものでなくても、大見得を切ったのではないだろうか。
 実際そう言われてみると白牡丹の白さがいっそう引き立ってくるのである。


   朝日子の押し寄せてゐる牡丹かな     大峯あきら

 大峯あきら第7句集の題名は『牡丹』である。集中牡丹の句が多いことから名付けられたという。
   牡丹の庭に今ゐる大工かな
   二三段磴下りて剪る牡丹かな
   牡丹の雨は小糠となるならひ
   薪を割る音や牡丹まつ盛り
   母の手に赤子をもどす牡丹かな

 初めて牡丹を見た小学生の作者は、こんな美しい花がこの世にあるのかとびっくりしたことを今も憶えているという。長い間親しくしてきた牡丹であるのに、何故か俳句にはしてこなかった。ところがある日、気持ちが一変する。
 「今までは唯美しいとだけ思っていた牡丹が、ほんとうは私に何かを話しかけているのではないかということに、ふと気づいたと言ったらよいでしょうか。花は自分の美しさを誇っているのではなく、こちらに話しかけ、私を対話に誘ってくれていた。それなら、牡丹の話すところを聞き、それに答えたらよいのではないか。」
 「花と話ができるとよいな」という、鈴木大拙の言葉を切実に受け止めている作者に、朝日のきらめきは限りなくまぶしい。牡丹の花々の気品が押し寄せるのである。


   翡翠の飛ばぬゆゑ吾もあゆまざる      竹下しづの女

 ここ丹沢の麓では、翡翠は四季いつでも見かける。
 今年の元旦には、かのホバリングという停空飛翔をまるでカワセミワンマンショーのように見せてもらった。 何回も何回も垂直にダイビングを試みたがついに餌にはありつけなかった。
 掲句はその日の私を代弁してもらったようなものである。
 その日の玉川はその名の通りよく光ってはいたが、子規に<川せみのねらひ誤る濁かな>があることを知って、翡翠がいっそう身近に思われた。
 飯田龍太の翡翠も思い出された。
 笛吹川の渓流に来る翡翠はすこぶる敏捷である。壮絶な美しさから特攻機を思い浮かべたという龍太は、ある日、あまりにも無抵抗な魚を日々岸に叩きつけるのがかわいそうになって、防鳥網をはって捕まえ、一晩こらしめに留置した。翌朝、翡翠はおびえも見せず「お前さん、俺が保護鳥であるのを知らぬか」と龍太をジロリと見たという。黙秘権行使の過激派学生の感じだった、としめくくる龍太一流のエッセーである。
 翡翠も、対話する人ごとに、違う表情を見せてくれるらしい。

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   葉柳に舟おさへ乗る女達       阿部みどり女

 一幅の日本画を見るような情景である。
 単に柳といえば春であるが、葉柳は夏に入ってからの柳で緑もいっそう濃くなって豊かに枝垂れているのであろう。
 「舟おさへ」というしとやかな、心持ち不安げな仕草は、水辺の柳が風になびいているさまをさも美しく見せて臨場感がある。
 「葉柳や」ではなく「葉柳に」は女の表情まで写しだしていて、その正確な描写に教えられる。
 <物言はぬ独りが易し胡瓜もみ>、これもまた共鳴してやまないみどり女の世界。
 いずれも、やわな女ではない、自己抑制のきいた女の美しさである。
by masakokusa | 2010-05-01 00:04 | 秀句月旦(3) | Comments(0)