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大峯あきら自選句集『星雲』管見            草深昌子

         強靭なる精神     


   フイヒテ全集鉄片のごと曝しけり
   全集のフイヒテは古りぬ露の家


 フイヒテ全集と共に、『星雲』には半世紀以上の光陰が流れている。まさに星雲にして、遙かにもうるわしい。

   初風はどんぐり山に吹いてをり

 初風は、まるで生きもののように、原初からゆるやかに流れ込んでくる。少年の体を吹きぬけた風が、時空を超えて今ここに「生きて在る」ことに作者自身がまず驚いておられるのではないだろうか。
 一集から、「俳諧は三尺の童にさせよ」と言った芭蕉が思い起こされた。言葉が感動の中心に命中するというか、詠いあげたどの句もまっすぐで何の疑いもない。「コドモの心」そのままの純粋性に横溢している。

   日輪の燃ゆる音ある蕨かな
   人は死に竹は皮脱ぐまひるかな 
   まだ名なき赤子にのぼる山の月   
   国境の冬日まいにち沈みけり

 「コドモの句」であると同時に、大峯あきら俳句ほど「大人(たいじん)の句」はないことにしみじみするばかりである。
 童子と大人、その両極端を合わせ持った分厚さこそが、一集の魅力に違いない。
 それは俳人にして、高僧であり哲学者であるという金剛不壊と無縁ではないだろう、だがそのような一切は俳句の底に沈んで、どこまでも透明、明快である。
 修羅場たる命がけの只中に生れた言葉は凡愚の心にすっと入ってくる。

 折しも上野で、長谷川等伯の「松林図屏風」にまみえることができた。霧とも煙雨ともつかないものにしっとりと包み込まれると、やがてどこからか松に呼びかけられているような静けさとやさしさを覚えた。
 ああ、この感じこそは、〈花咲けば命一つといふことを〉と詠われる、その命一つ、大きな生命の流れではないだろうかと思い当たった。一つの松は孤高でありながら、他のどの松とも眼に見えぬ関係でつながっている。それは芭蕉の如く、句座を尊重し、連衆と交響してやまない俳人の気品を見るようである。
 「松が空気をしている」、そんな松の姿を観ながら大峯あきらを観ているのだった。

   更衣爪はするどき山の鳥
   檜山出る屈強の月西行忌
   石叩き激流ここに折れ曲り

 胸のすくような句である。遠く見る松林図がソフトでありながら、間近に見れば、激しい気迫の筆致であることに似ている。

 理論と実作、言わば遠景と近景が、大峯あきらその人に於いて一枚になっていることの凄みはもとより、大いなる余白に読者をいざない、自然の不思議を共に問いかけてくださるやさしさには比類がない。
 本当のやさしさは強靭なる精神が支えている。

(2010年5月号「晨」第157号所収)

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by masakokusa | 2010-04-30 22:48 | 俳論・鑑賞(2)NEW! | Comments(0)
課題詠  兼題=粽・初蝉               草深昌子選

特選

    初蝉の街なり被爆ドームあり      大槻一郎

 叙し方がそのまま作者の息づかいである。初蝉に端を発した思いは、蝉のつんざくようなあの炎日へ馳せられている。

    初蝉のその後聞かず二日たつ     近藤和男

 今年初めて聞いた蝉の声、その感動の余韻は昨日も今日も続いている。身ほとりの静けさががしのばれる。

    三世代揃つて粽結ひにけり       山中多美子

 「粽」という季題そのものが内包している力を「三世代揃って」引き出された、めでたい句である。


秀作

    初蝉や搦手はすぐ山に入り      谷戸洌子
    笹粽愛宕詣での戻りには        藤山八江
    初蝉や礎石の芯に水たまり       西岡阿佐子
    初蝉や木椅子に松の塵こぼれ    清水洋
    初蝉のころともなれば早雲寺     天野八千代

入選

    暫の楽屋に届く粽かな          東條未英
    初蝉も島出ることはなかりけり    堀江爽青
    ほどきたる粽の紐の踊るかな     小堀紀子
    たんと寝てたんとおあがり粽結ふ  大西朋
    粽解く恋のはじめのやうにして    水野晶子   他60句


 選のあとで

 昔、絵の先生は、初めに想像で松を描かせて、そのあとに写生で描かされた。想像の松はいかにも松らしいが、現実とは違う。
 予想を超える自然の姿を知らされるのだが、それでも二枚の松はどことなく似ている。
 それは、本物をなお手持ちの観念で見ているからだと指摘された。
 俳句も又、題詠と嘱目と、その両方から季語の本当に近づきたいと願っている。
 今回、気迫の句々から、大いなる気合をいただいた。 


(2010年5月号「晨」第157号所収)
by masakokusa | 2010-04-28 20:52 | 俳論・鑑賞(2)NEW! | Comments(0)
石鼎俳句鑑賞・4月                    草深昌子

   うすうすと幾つもあげぬ石鹸玉     大正8年
 
 何の解釈も必要としない、石鹸玉そのものが目の前に彷彿とする。
 石鹸玉以上でも石鹸玉以下でもない、石鹸玉というものはこういうものですよ、と言っているようなものである。
 うすうすと、且つ幾つも、且つあげぬ、足らざる言葉一つなく、無駄なる言葉一つなく、石鹸玉なる季題を等身大に表現する。

 俳句表現と言うと、肩に力の入らないでもない実作者にとって、こういう血液サラサラのどこにも動脈硬化のない俳句は、文字通り透き通っていて、強く引きつけられる。
 もの足りないどころか、私にはむしろ詩情ゆたかに思われる。

 ちなみに、ホトトギス歳時記をあたってみると、

   石鹸玉よろぼひ出でし無風かな    誓子
   石鹸玉流れ越したる手摺かな     泊月

 等、なるほど虚子選の名句ではあるが、少しばかり饒舌ではないだろうか。

   にくまれて一人遊の石鹸玉だま    寿々女
   石鹸玉吹くさみしさよ妻知らず     思桂

 こうなるともう、石鹸玉は始めからはじけるものと決めてかかられているようで、石鹸玉が可哀想になってくる。

 石鼎はつくづく季題というものを大事にしている。
 石鹸玉という季題に対しては何の負荷もかけないで、そっと詠うこと、それが石鹸玉という、のどかな春のいとまを染めて消えていくものへの情愛の示し方であるかのように、全く何も言ってない。

 石鼎は心から「うすうすと幾つもあげぬ」に目を細めて石鹸玉を喜んでいる。
 「うすうすと幾つもあげぬ」、何度読んでも読者に石鹸玉を新しく飛ばして見せる。
 ここに籠められた束の間のたゆとう時間が美しい。

 「うすうすと」とそこでちょっと切れ間があって、顎をあげている様子がうかがわれる。そしてつぎつぎと「幾つも」あがる。
 今たまたま「次々」と言ったが、石鼎は決して、「うすうすとつぎつぎあがる」とは言わないのだった。ここに石鼎の言葉の秘訣を垣間見た思いである。

 つまり、石鼎は、観念というものを頭から廃しているのである。石鼎の言葉には「隙がない」ことを石鹸玉にも気付かされるのである。


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(ブログ「原石鼎」・2010年4月12日UP)
by masakokusa | 2010-04-12 00:00 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
平成22年4月~昌子週詠 

     4月26日(月)

          風船の割れんばかりに光りけり
          さくらしべ降るや艪臍のあからさま
          花は葉に舟の揺れたるやうに揺れ
          船頭のしはがれごゑの春惜しむ
          木の舟に木の櫓をつかふ暮春かな
          檻に見て鸚哥の恋の熱きこと
          赤ん坊と八十八夜の舟にゐる


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 4月19日(月)

          奥つ城のほかは春田でありにけり
          水塚(みづか)とは芽立ちの大いなるところ
          蟻塚に落花一片立ちてあり
          芳しき草に蟻塚十あまり
          どの橋も短く細く長閑なり
          くるぶしをかへして土筆摘みにけり
          棕櫚竹に来ては風鳴る遅日かな


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     4月12日(月)

          蝶々の飛んでその辺緑なる
          水のあるかぎりにお玉杓子かな
          かすかにも魚の匂ひの蝌蚪の水
          子規思ふたびに草餅さくら餅
          片栗に立って男の後ろ向き
          片栗に一書開かんこころかな
          赤に濃くみどりにうすく芽ぐむもの


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     4月5日(月)
   
          波際にほどなき若布干し場かな
          和布刈舟かへりきたれば子の跳ねて
          和布干すつひぞ子どもにかまはざる
          髪長く肩に乗りたる春の潮
          浜砂を掬へる指のうららかな
          書架にして二階の窓や呼子鳥
          夕きぎす鋏をつかふやうに鳴き


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by masakokusa | 2010-04-05 00:06 | 昌子週詠 | Comments(0)
秀句月旦・平成22年4月

   万愚節に恋うちあけしあはれさよ     安住敦

  きょうはウソを言ってもいいとされる「エープリルフール」。エープリルは4月。フールって何?
 ―― 英語で「だまされた人のこと」。フランスで4月1日に宴会を開き、ウソの新年を祝ったのが始まりともいうよ。日本に広まったのは大正時代ごろらしいね。許されるのは軽いウソだよ。
 以上は、4月1日朝刊に掲載のドラえもんの質問そして答えである。
 だまされた人のことをさしてエープリルフールというのは正確であるが、直訳して「四月馬鹿」、あるいは「万愚節」と言って、この日のウソの風習を楽しんだ。
 何時の頃からか、「四月馬鹿」ということばそのものに差障りがあるせいか、あるいはあまりに許せないウソが多すぎて、どうということもなくなったせいか、その流行は下火になったように思う。
 ましてや掲句の味わいなど、今や通用しないものかもしれない。
 気の弱い者が、ウソにして、本音を込めることができるのも、エ―プリフールという日のありがたさであった。
 昭和も遠くなりにけり、ではある。
 同じ作者に、〈みごもりしことはまことか四月馬鹿〉
 
 ところで、私の共鳴してやまない四月馬鹿の一句がある。
〈四月馬鹿己あざむくすべ知らず  原コウ子〉である。


   このたびは伊勢詣とて又も留守     高濱虚子

 「お伊勢さん」で親しまれている伊勢神宮は、「天照大御神」をおまつりする皇大神宮(内宮)を中心に125のお社から成り立っている。ご鎮座以来悠久二千年、二十年に一度は、一切を改め新殿へお遷りするという式年遷宮も持統天皇以来の伝統として引き継がれている。第62回目の式年遷宮は、平成25年である。
 お伊勢さんへの参詣は、江戸中期以後、庶民の行事として盛んになり、行楽をかねて春に決まっていたそうで、俳句でも春の季題として今に残っている。
 先日、春の悪天候の平日にお参りしたが、相も変わらぬ人出の多さに驚かされた。春雨の雫してやまない古木の勢い、神宮の森はどこまでも深くあって、さすがのお伊勢さんと思われる風景であった。
 かの伊勢名物「赤福餅」も繁昌していた。
 掲句の虚子の呼吸も、心に伊勢詣を讃えているのであろう、大らかである。

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   風船を放せばもどる手許かな      中川宋淵

 風船もまた一年じゅうあるものだが、その可憐なさまや色彩の明るさから春の雰囲気にぴったりしている。
 風船といえば五色の紙を張り合わせた紙風船がなつかしい。子供の頃、富山の薬売りに貰った紙風船のオマケは嬉しかった。
 掲句もこの紙風船をポーンポーンと弾ませているのであろう。お祖母ちゃんも母も子も縁側に出て一緒に楽しめる玩具は、息を吹き込む暇も待ちかねて楽しいものであった。
 「手許かな」という下五の静けさは、突き上げた風船がふわりと手のひらに舞い戻ったさまを鮮やかに見せている。

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   春蘭の花とりすつる雲の中       飯田蛇笏

 春蘭は鑑賞用として栽培され、青みを帯びて、透き通るような花びらをうつむきに咲かせている鉢植えのものをよく見かける。先年、花どきの吉野山中で、薄ら日に自生している春蘭を見かけて、何と地道な花であることよと、いとおしく思ったことである。
 掲句は、精悍に引き締まった調子がりりしく、まるで芝居役者が見得を切ったように気持ちのスッとする句である。シュンランというひびきがすでに春蘭を見せて、「雲の中」という抑えの余韻も清々しい。
 果たして「とりすつる」というようなことを実際にしたのかどうか、ただ、そう言わずにおれない何かが、衝動的に一句を生ましめたような激しさも魅力的である。
 飯田蛇笏は昭和22年『春蘭』という句集を刊行している。
 このおくがきに、「わが山廬を一歩出づれば、即ち後山、林間に繁茂するあまたの春蘭を見るのである。この植物は、山中生活のわたくしにとってこよなき伴侶であり、まづしい詩ごころの孚育に力あるものであった。」と記している。
 掲句は旧作で、昭和4年のものではある。

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   石手寺へまはれば春の日暮れたり     正岡子規

 明治28年、子規は従軍前広島に一か月余滞在、つかのまを故郷松山に帰省している。石手寺は、松山にある真言宗豊山派の寺で、四国八十八か所五十一番札所。仁王門は国宝、伽藍も大きな寺である。
 「石手寺」という固有名詞、しかも「まはれば」と長く引き伸ばして、ゆったりとした春日の趣きを十二分に伝えるものである。近くの道後温泉にもひと浸かりしたのかもしれない。
 御用船海城丸で宇品を出帆したのは明治28年4月10日、「一たび思ひ定めたる身の、たとひ銃把る武士ならぬとも、再び故郷の春に逢はんことの覚束なければ」と感慨をもらしている。
 <行かば我筆の花散る處まで>
 案の定、従軍の帰途喀血し、神戸の病院へ担ぎこまれた子規である。

 十数年前旅に見た、石手寺の子規の句碑、<身の上やみ籤を引けば秋の風>は、その年の作品であろうか。病気の先行きを案じて引いたおみくじは「大凶」であったという。切ない句であるが、それでも大凶を秋風に転じてごく自然に身をゆだねている。
 春といい、秋といい、故郷松山の空気は子規を心から癒してくれたのであろう。

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   テキサスは石油を掘って長閑なり      岸本尚毅

 俳人にして、時代の先端にあり、もっとも多忙を極める経済人の一句。出張の折りの句であろう。「テキサス」がまばゆいばかりに充実している。
 同じ作者に、<健啖の切なき子規の忌なりけり>がある。
 思えば、作者は子規からおよそ百年後の生まれである。
 第三句集『健啖』には、<春なれや歌舞伎これより死出の旅>、<待春の物の値段を見つつゆく>、<ぬかるみのあれば吸ひつく落花かな>、<子規の世は短かりけり柏餅>、<風が吹く海鼠に旬の到りけり>、
<恋の句の少なかりける子規忌かな>、などがある。こちらは至って健康にして健啖。


   千年後の廃墟にしばし鳥の恋        宇井十間

 先月、現代俳句協会青年部主催の、「俳句以後の世界」というシンポジウムがあった。
 ―俳句の終焉はいつ訪れるのか。あるいは俳句はすでに終焉しているのか。俳句表現の可能性は、すでに「俳句以後」の時代へと移っているのか。さほど長くはない近代俳句の歴史を巨視的に見ると、20世紀の中盤以降、俳句の言語表現は大きく変質したと言えるのではないか。「俳句」という支配概念も、すでにおおかたその役割を終えていると考えることもできる。つまり、われわれは、種々の意味で「俳句」が終ってしまった後の「俳句以後」の時代を生きているともいえるだろう。俳句において、「俳句以後」を想像することは可能であるのか―
 こういう問いかけをもって、パネルデイスカッションの司会者として臨んだのが、宇井十間(ういとげん)であった。
 パネリスト4名のごく普通の発言のなかで、孤立しがちであったが、22歳の若き俳人は俳句でもって俳句以後を考え続けるのであろう。


   花の旅ここでしまひや土産もの       星野立子

 こんなのんきな一句も又ほっとするものである。なんでもなく見えて、なかなかのものと思うのは、「土産もの」という、さりげない終り方。
 読者は想像力をはたらかせて、旅のお裾分けをしてもらったような楽しさを味わう。
 「呑気に構える」ことがすでに花見らしさである。

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by masakokusa | 2010-04-01 18:05 | 秀句月旦(3) | Comments(0)