<   2009年 12月 ( 3 )   > この月の画像一覧
石鼎俳句鑑賞・12月                  草深昌子

   ささなきの眉あらはせし夕日かな     昭和4年

 笹鳴のよぎった瞬時が見事な絵画になりきっている。チチッ、チチッという舌鼓を打つような冬鶯の地鳴きが、瞬時にきらめく色彩感覚にすりかわったような美しさを目の当たりにすることができる。
 鶯の眉が石鼎のそれに乗り移ったごとき夕日はまさに眩しくて、読者も思わず眉を顰めてしまうほどである。
それにしても、「ささなきの眉」を見せるとは驚かされるが、この句以前に、石鼎には<春鹿の眉あるごとく人を見し 大正7年>もある。
 季題が何であれ、対象そのものになりきってしまう石鼎の念力が見出したものである。

   笹鳴の飛ぶ金色や夕日笹         大正10年
   ささなきのふと我を見し瞳かな       大正14年 

 かつての二句をあわせて一句に凝縮したような掲句である。
 
 石鼎に笹鳴の句は多いが、「笹鳴」の表記を使い分けている。

   ささなきの谷に起るや一ところ       大正13年 
   ささなきや雪をかむれる石燈籠       昭和2年   
   笹鳴の日の出まへより一しきり       昭和6年 
   笹啼の移るにつれて見ゆる枝         〃   
   笹啼の籠の頬白に憑く日かな        昭和8年

 「笹啼」は「笹鳴」より微妙に音色が異なるようである。
 五句目の「憑く日かな」からは、たちどころに阿波野青畝句集『万両』(昭和6年刊行)にある、<座について庭の万両憑きにけり>が思い出される。
 青畝の「万両憑きにけり」は石鼎のこころに少なからず「憑いていた」のではなかろうか。
   
 ところで、石鼎の句はいつだって絵になるものであるが、ときに中川一政描くところの油絵が思い出されてならない。
 中川一政は、クールベの「自分は天使など見た事がないから天使を描かぬ」という言葉を引き合いに出して、この言葉のみを論議すれば、クールベは絵空事という事をしらぬ、即ち肉眼と心眼の区別、現実と幻想の区別を知らぬことであると、書いている。
 そして脚本家が登場人物を舞台に上がらせ、殺したり殺されたりを展開する如く、画家は、林檎の質、線、形、動勢を発揮させるべく並べるものであるという。
 つまり、一政はこう云う。
 「画は作者の幻想の世界であり、作者が絵空事を描くものであります」、「画面の物体が現実と似るもよし、似ぬもよし、それは作風であり、人物で云えば服装の相違であります。然し其画が生きるか死ぬかの絶対的の問題は、幻想の有無に依るのであります。幻想がはっきりしていればいる程その絵は生彩を発するわけであります」

 石鼎のどの名句にも気迫がこもっている所以が、納得させられる一政の言葉である。

(ブログ「原石鼎」 平成21年12月13日UP)
 
by masakokusa | 2009-12-13 10:46 | 原石鼎俳句鑑賞 | Comments(0)
平成21年12月~昌子週詠 

     12月28日(月)

          煤掃いて餅もご飯もパンも食ふ
          傘開く音に冬菜を割きにけり
          猫のうらがへりし日向ぼこりかな
          木の家に鉄の扉や冬木の芽
          女郎蜘蛛冬青空を攀ぢりたる
          花か葉かくしやくしやにして冬日かな
          木の洞のあからさまなり初氷


f0118324_22423543.jpg


     12月21日(月)

          死ぬることいふては生くる龍の玉
          冷え冷えとあれば渡しのあとといふ
          冬桜萼にさみどりさやかなり
          いと小さくいとたしかなり冬桜
          年暮るる池の囲ひを青竹に
          しろじろと髪の吹かるるショールかな
          冬紅葉酒のまはらぬ日なりけり


f0118324_015142.jpg


    12月14日(月)

          十二月八日の草の青きこと
          風神の爪を伸ばせる冬日かな
          干し魚の光りくぐるや冬の蠅
          冬凪や漁師はじっとしてをれぬ
          かんばせに貼りつく冬日濃かりけり
          釣竿を富士へはふりし小春かな
          忘年やしらす丼しらす酒


f0118324_11292643.jpg



      12月7日(月)

          芥とも枯葎とも河口かな
          着ぶくれて口動かしてゐたりけり
          寒泉や子供の丈の稚児大師
          気心の知れたる鴨の群れにけり
          涸るる水べったりとして葉つぱかな
          ことのほか岸のほとりは日の詰まる
          つまさきに落葉かかとに落葉かな


f0118324_21391221.jpg

by masakokusa | 2009-12-05 21:39 | 昌子週詠 | Comments(0)
秀句月旦・平成21年12月
  
   大三十日愚なり元日猶愚也       正岡子規

 「元日」とあるので新年の句であろうか。私には一年の果、「大晦日」に書きつけた一句に思われる。
 大晦日といって急いて騒いでどうなるであろうか、明日という新年もまた何ほどのことがあろうか、嗚呼大みそか、嗚呼元日、というほかない。
 子規の病苦が吐かせた一句かもしれないが、子規はただ悶々とうろたえているのではなかった、子規の精神はどこまでも健やかに、病気を楽しむ境地にあったように思われる。
 今日に生きる誰彼であってもふとこんな感慨に襲われることが、それを物語っている。
 正真正銘の凡愚我は、紅白歌合戦を見て、除夜詣をして、やがて初日にまみゆる。
その心は、<来年はよき句作らんとぞ思ふ  子規>、である。

f0118324_0183459.jpg



    父母の亡き裏口開いて枯木山         飯田龍太

 冬はすっかり葉を落して裸木になる樹木と、いつまでも枯葉をぶら下げたままの樹木があるが、いずれも枯れた状態で越冬する枯木である。
 掲句は「枯木かな」でなく「枯木山」であることが、裏山の情景を見せて、一句のふところを大きくしている。まるで、父母の恩寵を暗示しているようである。
 龍太の自句自解にはこうある。
 「俳句はすべて短尺に乗るものでないといけません、といった人がある。(略)私はそこまで言い切れないが、せめて読者に不快な印象だけは与えたくないと思っている。出来たら自分のこころをしずめ、同時に読者にも安らぎを与えるような句を作りたいと考えている。ことにこんな場合は、自分の気持を静めることで精一杯。われながら淋しい句だと思う。自分をたしかめることも、読者に安らぎを与えることも全く忘れ去っている作品である。強いて言えば、冬日のなかの枯木山が明るく見えること。それだけがせめてもの救いであろうか」                


   薪をわる妹一人冬籠       正岡子規

 NHKドラマ「坂の上の雲」が始まった。子規に扮する俳優香川照之は見応えがある。それもそのはず、少しでも子規の苦しみを共有したいと、食欲を抑え17キロ減量したという打ち込みようである。子規の妹、律を演じる菅野美穂もまた熱演である。彼女は子規の死の撮影で、香川の痩せた背中を撫でながら「子規そのもので涙が出た」という。
 前回放映の、子規が母と妹を松山から迎えるシーンも明るく描かれているが、当時の情勢を思うと、物質的にも心理的にもいかばかり重い負担であったことだろうか。その苦しみを見守る母や妹の苦心も、並大抵ではなかっただろう。子規を思うたび、母八重、妹律に手を合わせたいような思いにかられる。
 そんな思い入れもあって、掲句の「妹一人」、わけても「一人」という措辞からは、よく働く妹の背中を恃む子規の熱い思いが伝わってくるものである。
 同時に、実情を別にしても、「一人」と置くことによって、冬の蕭条たる風景を伺わせ、「冬籠」の情趣をいっそう静かに深めているあたり、子規はさすがに冷静である。

f0118324_21591654.jpg

   
   人間に管を継ぎ足す寒さかな       長谷川櫂

 週刊俳句(毎週日曜日更新のウエブマガジン)に12月13日UPされた、川崎展宏追悼十句のうちの一句である。掲句には、<「人間は管より成れる日短」展宏>という前書きがある。
 何十年前か、何の雑誌か定かでないが、長谷川櫂の書いた川崎展宏論を切りぬきにして持っている。
 そこには、昭和二年生れの展宏は終戦の時18歳、「半ば大人、半ば子供の目で戦争とそれにとって代わった戦後を目の当たりにしてきた。人格の、そして俳句のもっとも深い部分に戦争の刻印を押された世代」、「大手を振って闊歩するなどはいうに及ばず、たとえ慎ましくあろうとも、この世にあること自体を恥とする感覚がある」と記されている。
 展宏が「近頃つくづく人間(無論、自分も含めて)はいやな存在と思うようになった。(略)こんな俳句を作って何の意味がある、自分の俳句について思うことがある」と書いたことに触れたあとで、<人間は管より成れる日短 展宏>を、「たしかにそうだ。いくら巨大な脳をもっていると威張ってみたところで、人間も所詮は海鼠と同じ。一本の管からできている。しかし、そうはいってみても気持ちは少しも軽くならない。展宏さんの抱える心の屈託が、かえって重く迫ってくる句だ」と鑑賞する。
 続いて<熱燗や討入りおりた者同士 展宏>は、赤穂浪士の吉良邸討入りから脱落したもの同士が酌み交わしているのであるが、展宏が詠めば先の戦争を生き永らえた者同士と読めると。
 追悼十句には、<熱燗やがさつな奴が大嫌ひ  櫂>もある。

 元禄7年、芭蕉の病床にかけつけた丈草は、夜伽の吟の中で、<うづくまる薬の下の寒さ哉>と詠んだ。芭蕉に「丈草、でかしたり」と称賛を受けた句である。
 丈草の心理的な寒さが、掲句にもかよっている。
 親炙する師の声はもう聞かれない。孤独な人間の命を見つめる心情の寒さはひとしおである。



   人間は管より成れる日短           川崎展宏

 俳句の大先輩から「川崎展宏さんが亡くなられましたね、惜しいですね」と℡があった。
 先日、<冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ>を、このHPに書かせていただいたばかり、と云うと、展宏のカタカナの句なら何といっても<「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク>がいいですよと、懐かしげに仰る。
 「大和」は戦艦「大和」、昭和20年4月7日米軍機の集中攻撃を受けて沈没した。「ヨモツヒラサカスミレサク」はある日電文のように作者の胸裡に飛来した言葉。ヨモツヒラサカは『古事記』にある黄泉比良坂(よもつひらさか)。黄泉国(よみのくに)の間にある坂で、ヒラが崖、急斜面、サカは境の意。破裂した「大和」の船体が散乱する海底に咲くはずもない菫を、「スミレサク」という幻の電信を発して咲かせたのである。「大和」と運命を共にした戦没者への魂鎮めである。 
  「日短」の掲句も、発表当時俳壇を賑わしたものだが、私には少々気持ちの悪い句である。人間の管は長くて、日は短い、という関係性がどこかに伺われるからかもしれない。それにしてもこの季題の付きかたは妙である。
 川崎展宏著『高浜虚子』(昭和41年刊行)も最近再読したばかり。ご冥福をお祈りします。



   風邪を引くいのちありしと思ふかな      後藤夜半

 インフルエンザほどの重患なる風邪引きではなさそう。咳や水洟が出て、ぐずぐずするにはするが、風邪を引くのも生きてあればこそ、まあ風邪ともうまくつきあっていこう、風邪には負けないぞという余裕がうかがえる。
 俳人はつくづく何事も客観視するものだと思う。
 翌年80才の夜半は<着ぶくれしわが生涯に到り着く>、また最期の81才には<破れ傘一境涯と眺めやる>と詠った。


   水洟や鼻の先だけ暮れ残る          芥川龍之介
 
 この句も又、著しく自分を見つめているが、ひやりと冷たい眼である。
高い鼻はときに自身の視野に入るのだろうか。神経衰弱に陥った龍之介の、かの美しい鼻梁がしのばれる。 「自嘲」という前書きがなくても、「水洟」に生身の感覚があって、間違いなく、自画像である。
f0118324_21402979.jpg


   冬山路俄かにぬくきところあり         高浜虚子

 岸本尚毅の「形式について―虚子の場合」(『俳句』12月号)を読んだ。
虚子の、<千二百七十歩なり露の橋>、<国寒し四方の山より下ろす炭>、<踏みあるく落葉の音の違ひけり>、<落葉焚く煙を乱すものもなし>等をあげて、
 ―草田男は俳句以前に生じた思考を草田男化した文体に嵌めました。(略)虚子の場合、俳句以前には何もない。何もないところで季題と形式が出会うことにより何の変哲もない風景が俳句に生まれ変わります。虚子は「思考と形式の一体化」を最もよく体現した俳人でした―と。
 掲句に鑑みても納得の論である。
 「俄かに」はいえそうで言えない、まさに歩きの止る瞬間が捉えられる。
 いつだったか、落葉の降り積もった日陰の坂道を細々とのぼっていくと、突然林が途切れて、崖道にさしかかり、そこには笹鳴が聞こえた。南面の何ともあたたかな日だまりであった。一読、なつかしの場所へ引き込まれた。
by masakokusa | 2009-12-02 00:07 | 秀句月旦(2) | Comments(0)